「靖国神社遊就館の展示変更の姑息」
10月6日の毎日新聞朝刊に靖国神社の戦史博物館である遊就館の展示について、『米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めた。10月中に修正文を作成し、年内をめどに展示を変更する。一方、中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている展示については、今のところ見直さない方針だ』との記事が出ていた。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061006-00000016-mai-soci)
具体的な記述は「ルーズベルト(米大統領)の大戦略/(不況下の)ルーズベルトに残された道は資源に乏しい日本を禁輸で追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって米経済は完全に復興した」となっていたパネルの表示を、タイトルを「ルーズベルトとアメリカの大戦参加」と改め、「開戦の強要」「米経済の復興」の表現を削るほか、日本を侵略的と非難したルーズベルト演説を新たに盛り込むなど、米側に配慮した変更とするということだ。
その一方で、「中国関係の記述も見直しを検討するのか」という質問に対して、神社側は「今のところ具体的な指摘がない」と回答したという。
靖国神社の歴史観に対する姿勢・根拠が大きく問われる問題である。七月にシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官に歴史観を公然と非難されると、「そうでございます」と、いとも簡単に歴史認識を変えてしまう。
かれらの云う「大東亜戦争は自存自衛の戦いであった」という主張に大きな穴が空くことにならないか。その程度の歴史認識であのように麗々しい博物館を造ってしまう宗教法人が、その祀っているA級戦犯を分祀できないとする「神学教義」も、ついつい疑わしく見えてくる。これについては別途詳しく論じる予定である。
この稿で言いたいことは、実は靖国神社は米国に対する展示の表示を変えれば事がすむことではないということである。遊就館には、ゼロ戦、満鉄の列車、人間魚雷回天など様々な陳列品が飾ってある。その広い館内の二階には百人ほどの観客を収容可能な映画館が存在する。
そこで「わたしたちは忘れない」という約50分間のビデオ映画が毎日上映されている。映画開始とともに桜吹雪が舞い乱れる美しい情景が、しばらく画面一杯に映し出され、カメラは一転、黒光りする板の間をなめるようにパンしてゆく。すると白袴を穿(は)いた男の足から徐々に上半身へとカメラの目が移っていく。精悍な顔つきの男性に固定されると、片膝立ての姿勢で「居合」を抜く。その瞬間、タイトルの「わたしたちは忘れない」が画面に現われ、バックに小泉前首相が大好きだと就任時に語ったXジャパンの「エンドレス・ラブ」の曲が流れる。館内は自然と粛然とした空気に支配されていく。
その映画のナレーションはまさに北朝鮮の女性アナウンサーの甲高く昂揚したトーンで終始する。そして、実録映像と遺族インタビューなどを織り交ぜながら、「大東亜戦争は自存自衛のいくさ」であり、戦争突入は「ルーズベルト大統領の陰謀とも言われている」と解説する。
シーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官も日本語のみで上映されるこのビデオは見ておられないのであろう。「大統領の陰謀」と云った言葉まで使い、「大東亜戦争」(靖国神社は第二次世界大戦、太平洋戦争とは呼ばない)を肯定し、そしてこのビデオにより尚武の精神を鼓舞しているように思えてならぬ内容・編集である。このビデオの語る歴史認識はわたしの眼から見て、決して公平、客観的ではない。
わたしは自虐史観を持つ人間でも、左翼思想に親和性を持つ人間でもない。この日本の2千年におよぶ歴史に誇りを持つべきであると考えるいたって普通の市井人である。その人間が見て、この遊就館で毎日50分間上映され続けている「わたしたちは忘れない」で朗々と謳いあげられる歴史認識には、首を傾げざるを得ない。歴史認識を語るときは、事実は忠実に語り、その評価は謙虚であらねばならぬし、当然だができるだけ客観性を持つべきであると考える。
その意味で、今回、靖国神社が行う表現の訂正が、歴史認識を変えるものなのか、それとも米国に言われた部分のみをちょっと修正して誤魔化せばすむと考えた姑息な対応なのかと考えてみたとき、わたしは「姑息なごまかし」と断じざるを得ないと考える。
私は この報道、よーく覚えてます。
なぜ、保守とか右翼を自認する人たちが、
「変更するな」と 強く訴えなかったのかと。
滑稽 且つ 情けないと思いました。