「田原総一郎の媚びと共謀罪」

 

 かねてより田原総一郎が一切を仕切る日曜朝の、テレビ朝日「サンデープロジェクト」は、その報道姿勢と内容について疑問と不快の念を吹っ切ることの出来ぬ番組であった。

 

 従って、ここ三、四年はほとんど番組を目にすることはなかった。たまたま先日、チャンネルを変える際に、チラッと番組を垣間見た。相も変わらず田原氏が勉強不足のワンパターンの思い込みと陳腐な切り口で「如何にも俺様が一番、偉いんだ」と言わぬばかりの傲岸不遜な態度をとりながら、出演者の政治家(閣僚)に物申す姿は醜悪を通り過ぎて、滑稽ですらあった。

 

 田原氏の真実は権力に摺り寄る魂の醜さに嫌気がさす一方で、合法的な選挙運動と調子に乗り、顔をTV画面にさらすことしか考えぬ政治家の軽薄さと思慮のなさに、国民の一員として情けなさと憤りを感じてしまった。少しでも良識をもった国民、いや平凡な国民であるわたしですら、この番組で展開される政治談義もどきが、「正確に事実を分析報道し、それに基づき建設的議論を展開するという本来の政治報道番組の内容」とは、遠く離れた代物だということをとっくに見抜いている。

 

 だから、「サンプロは不愉快で気分が悪くなるから見ない」という人がわたしの周りにはたくさんいる。そんな番組に嬉々として出演している国会議員、政治評論家、学者たちに私を含めて多くの人間は、胡散臭さとTVを通して人気取りを狙っているとしか思えぬ軽薄な言動に眉をひそめているのが実際である。

 

 「反権力」、「権力のチェック」を標榜し、巧妙にその仮面をかぶった田原氏とそれを取り巻き自分達の糊口を漱いでいる人たちも、もうその道化じみた振る舞いは止めた方がよいと感じる。とくに、最近の田原氏は反権力とは正反対の「権力という色男に媚びを売る老いさらばえた女郎」のようで、如何にも見苦しく憐れささえ覚えてしまう。

 

 このような人物が公器といわれるTVの報道で大きな顔をして、永年、一番組を壟断してきた事実が、現在、審議されている「共謀罪」がこの国では非常に危険な法律になることの具体的な目に見える証拠である。

 田原氏の思い込みによるヒステリックな議論の誘導の仕方、番組運営のあり方、出演者の大衆迎合的な発言、所作を見聞きして、やはりこの国は本来の民主主義を骨の髄では理解していないと強く思う。大衆の感情や時代の風潮にあらがうことが苦手な国民性や、そうした歴史的習性を抱えた民族であることを思う時、強引に世論を誘導するかのような田原氏のやり口が永年此の国で通用してきた、いや許されてきたことを考えると、思想、思考の自立・独立がこの国民には未だ欠如していると、残念ではあるが思わざるを得ない。

 

 田原氏には早々にTV舞台からの退場を望むとともに、そうしたメディアの世論誘導により自由な言論の自由が脅かされる懸念の極めて強い共謀罪につきその白紙撤回を強く求めて止まない。