彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

October 2023

「割烹やました」で祇園祭・神幸祭の神輿渡御を愉しむ

京都で7月17日といえば大概の人は祇園祭の、山鉾巡行の日だという。

1アマチャカメラマンが群がる函谷鉾

函谷鉾の巡行

それは間違いではないのだが、祇園祭の起こりが平安初期、全国で流行った疫病の祟りを祓う神事、祇園御霊会を嚆矢とすることから、八坂神社を午後6時に出立する三基の神輿(神様)が氏子地域をめぐり四条寺町の御旅所まで渡御する神幸祭(24日が還幸祭)こそが祇園祭という神事の本義であり、最も重要な神事であるということを知る旅人は意外と少ない。

2舞殿にならぶ3基の神輿

17日の渡御を待つ三基の神輿:八坂神社舞殿

だから神幸祭の露払いとしての役割を担う山鉾巡行だけを観覧し、コンコンチキチン、コンチキチンの祇園囃で舞いあがり「いやぁ祇園祭は壮麗で迫力があった」と帰路につく観光客は、実は夕刻から催行される祇園祭の肝心かなめの神事を見ないまま、極論すれば真の祇園祭を見ずして京都を後にするといってもよいのである。

3鶏鉾の音頭とり

鶏鉾の音頭取り

と、たいそうな御託を並べたが、まずは「割烹やました」で腹ごしらえである。

例年、「やました」の店前に行列がやってくるのは午後7時頃である。それまでの時間、旨い料理に舌鼓を打ちながら、祇園祭の本義たる神事をお待ちするという算段である。

25笑顔の大将と板長の足立さん そして前田君

いうも明るい割烹やましたの板場

さて、当夜の喰いっぷりであるが、まず先付にはじまって、

4先付

先付

まずはと・・・カウンターの上の材料を物色していると、大将の「岩ガキのいいのがあるよ」のひと声で一品目は7、8年物の大ぶりのクリーミーな岩ガキを所望。

5 7、8年物の岩ガキ

7、8年物の岩ガキ、久しぶり・・・

次に夏の定番、鱧!

薄造りもできるというので、初めて注文。

6鱧の薄造り

レアものの鱧の薄造り

もちろん、やました名物の炙り鱧も堪能しました。

7田辺君が鱧を炙る

田辺君が鱧を炙る

それから3月にお邪魔したときに仰天した蛤のイタリアン仕立てをお願いした。

8蛤のイタリアン・リストランテやました

蛤のイタリアン風炒め

料理に名前がついていないので、こちらで勝手に「リストランテ・やました」と命名したが、これがなかなかな美味で、長崎組の叔母もご満悦。

そして、野菜料理には芋茎(ずいき)の煮物をお願いした。

9芋茎の煮物

芋茎の煮物

いつもながら上品な味つけで、長崎組は珍しいといって味わっていた。

そして、怒涛のオーダーから1時間半が過ぎた7時過ぎ、いよいよ当夜のおたのしみ、神輿渡御の鑑賞である。

仲居さんの「きましたよ!」の汽笛一声ならぬ「合図一声」が店内に響き渡る。

するとお客がすわと、「一斉」に箸を置き、ワイワイと表へむかう。

さて神幸祭であるが、神輿の到着の前にまず百名ほどの神宝奉持列が粛々と都大路を練り歩いてくる。

外へ出るとまだ明るい。とおくから太鼓と幟を先頭に、三駒の騎馬武者が近づいてくる。

11神幸祭の行列がやってきた

太鼓と幟が神宝奉持列を先導

12騎乗の鎧武者が3騎、威風堂々やってきた

騎馬武者もゆく

威風堂々の一隊である。

そして神宝を奉持する一隊の先頭には祇園祭の格式を示す円融天皇(在位969-984)の勅令が記された「勅板」を抱える宮本組講員の面々が立つ。

13宮本組のみが抱えられる円融天皇の勅令を記した勅板

勅板を奉持する宮本組講員

そのあとから数々の神宝を奉持した講員がわれわれの目前を通り過ぎてゆく。

14神宝奉持列

緋色の和傘も艶やかな神宝奉持列

そして白馬に跨る久世駒形稚児がやってくる。その可憐で雅な様はまさに王朝絵巻の世界である。

6白馬に跨る久世駒形稚児

白馬に跨る可愛らしい久世駒形稚児

その行列が過ぎてから神事の肝たる神輿がやってくるわけだが、それまではもう少し間がある。

そこでいったんわれわれはまた店内へと戻り、宴のつづきがはじまる。

再開の手始めは、お野菜と併せて鱧の天ぷら・・・と、鱧づくしで迫った。

15鱧と野菜の天ぷら

鱧と野菜の天ぷら

次にグジ(甘鯛)の塩焼きをいただいた。さすがにお腹が一杯になってきた。

16 グジの塩焼き

グジの塩焼き

・・・が、最後の〆に、なんとステーキを頼んでしまったわたしの餓鬼道ぶりには、細君以下皆さんさすがにあきれ顔であった・・・

17ステーキ

…牛?だったか、ステーキです

もちろん、みんなで少しずつシェアしたのだけれども・・・

柔らかくて肉の味がしっかり、「やました」の肉はいつもひと味違うと納得・・・

さて、そうこうするうちに本番の神輿がやってきた。

御旅所への神輿渡御は三基のうち木屋町通りを通るのが素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御霊をのせた中御座(なかござ)と、重さ2トンの最重量の神輿である八角屋根の西御座(素戔嗚尊の子、八柱の神々)の二基である。

まずやってきたのが中御座である。時刻は午後7時40分過ぎ。

18中御座がやってきた

中御座が「やました」の前を通過する

そして中御座が去ってから1時間40分経って、漸く、仲居さんから「来ました!」の聲。いつもはこんなに間隔はあかないのだが、今年は待つのが長かった。

19 漸くやってきた西御座

遠くに西御座の灯りが見える

いよいよわたしの祇園祭がはじまるのだと、心臓が高鳴る。

西御座は錦組(錦市場)が輿丁(よてい=担ぎ手)を勤めるため、商売上の縁の深い「割烹やました」に屈強な若衆が担ぐ神輿が門付けをする。

20割烹やましたの前で角付けをする西御座

やましたに門付けする西御座

22錦市場の男衆が担ぐ西御座
「ほいっと!ほいっと!」の掛け声とともに神輿が縦に横に大きく揺らされる。


その荒々しい担ぎを神様は殊の外、喜ばれるのだという。

21錦の西御座をもてなすために店頭で待つ大将

大将がおもてなしをする

そして「割烹やました」への口上を述べ、もてなしの酒やジュースを飲み干し、しばしの休憩ののち木屋町通りを北へのぼってゆく。


木屋町通りにいつもの静寂が戻る。

御客たちは火照った頬を夜風になぶらせ熱を覚ますかのように夜の帳のなかで物思いにふけり、三々五々、店内へと姿を消していった。

こうしてわたしの2023年の祇園祭、割烹やましたの祇園祭が終わりを告げたのである。

 

今年も大将、そしてやましたの衆、ありがとう!!

ジェットコースターのようだった2023年の夏 猛暑のなか祇園祭山鉾巡行を観覧

7月17日、祇園祭の山鉾巡行の日である。当日の人出はすさまじく、ホテル出立がひとり遅れたわたしは長刀鉾の注連縄切りを見ることが叶わなかった。

巡行スタート地点・四条烏丸交差点へ烏丸通を北上する保昌山
巡行スタート地点・四条烏丸交差点へ烏丸通を北上する保昌山

先発した細君以下の同行も人混みの中で離ればなれになり、後刻の聴き取りで、注連縄が生き稚児さんに切り落とされた瞬間を目にできたのは180cmを超す長身を誇る従妹の旦那一人だったことが判明。

生き稚児さんが注連縄を切った瞬間
2019年・生き稚児さんが注連縄を切り落とした瞬間

頭一つ抜けると群衆を睥睨し見通せたというから、“平等社会を”というお題目も所詮空念仏に過ぎないことを悟らされた「祇園精舎の鐘の聲」であった。

山鉾巡行を見る多くの観客 - コピー
沿道は黒山の人だかり

とくにわたしときたら杖を衝きながら歩道を埋める人だかりを一人、搔き分けてゆくのが難儀で、4番目の芦刈山に追いついたのが精一杯だったのだから。

芦刈山の巡行
4番目の芦刈山が目の前を通った・・・

そして、凄まじい群衆に気圧されたわたしは結局、四条河原町の高島屋の開店と同時に、クーラーの効いた店内へと入店、出たり入ったりしながら人の頭越しに山鉾を遠めに見るといった省エネスタイルの祇園祭観覧となった。

それほどに2023年の巡行日は猛烈な暑さと驚くような人出であった。

四条河原町で鶏鉾の辻回し - コピー
鶏鉾の辻回し

だから四条河原町交差点での辻回しを人垣越しに2、3基見て、汗だくになって早々にホテルへもどった。


四条河原町で鶏鉾の辻回し・3回目

ほぼ同時に先発組も猛暑とひと気にあてられて、ヤレヤレといった態でホテルご帰還となった。

一日目の宿はsequence KYOTO GOJO(下京区五条烏丸町)
sequence KYOTO GOJO(下京区五条烏丸町)

一日目の宿・sequence KYOTO GOJO(下京区五条烏丸町)は午後2時がチェックアウトタイムで朝・昼食付とお得なホテルで、我々一行も冷たい飲み物とランチをとりながら小休止。

6⓪KYOTO GOJOのビュッフェランチ
KYOTO GOJOのビュッフェ・ランチ

そして、夜に「割烹やました」で神輿の神幸祭を愉しむのがわたしたちの眼目であったため、二日目の宿、「やました」へ徒歩1分のホテルオークラ京都へ移動。部屋でシャワーを浴びてやましたへの出陣を待った。

数か月前の予約であったが、宵山の日は既にオークラは満室であった。

東山連峰が見渡せる部屋からは比叡山は勿論、真下に実は贔屓の「割烹やました」が見下ろせる。

部屋から割烹やましたを見おろす
割烹やましたが真下に:写真下縁青い矢印が用意された振る舞い酒

午後5時、「やました」が西御座・錦市場の衆にふるまう酒、ジュースなどの用意がはじまった。これは祇園祭神幸祭の「割烹やました」のいつもの決まりである。

その様子を見て、昼の猛暑の疲れも癒えた私たち勇躍「やました」へ出陣、5時半、やましたへ予定通りに入店した。

割烹やました
大文字山を意匠した「やました」の夏暖簾

高瀬川にはいつも通りに高瀬舟が浮かんでいる。

 

高瀬川に浮かぶ高瀬舟
「割烹やました」の前に浮かぶ高瀬舟
押小路橋から眺めるこの風情はいつ来ても心が落ち着く、「そうだ京都、行こう」そのものである。

ジェットコースターのようだった2023年の夏 祇園祭の宵山・前祭り

10月に入りさすがの猛暑もようやくおさまり、朝夕に秋冷えを感じ、虫の音がガラス戸越しにかまびすしく聴こえてくる、そんな秋の一日、私にとっていろいろなことがあり過ぎた2023年の夏を振り返ってみた。

今年の夏の前半はいつも通り、旅をメインに日本の夏を謳歌した。

まずは祇園祭。

コロナの影響で4年ぶりに完全な様式で催行されるとあって楽しみであった。

02019年長刀鉾 注連縄切り
2019年の長刀鉾の注連縄切り

加えて長崎の84歳になる叔母と娘夫婦を案内しながらの祇園祭である。

宵山(7月16日)、西と東から上洛した我々一行は2時過ぎから町の筋々にその勇姿をあらわす山鉾をめぐり歩いた。

鶏鉾 宵山
筋々に山鉾が建つ・鶏鉾

人出は多いものの炎天下とあって地元の人々はまだ市内に繰り出しておらず思ったより歩きやすい。

そこで行列が少なめだった放下鉾のお会所をたずねた。

放下鉾
放下鉾の会所を訪ねる

会所の受付で志しとして二千円を納め二階へ昇る。

懸装品がならぶ放下鉾会所
懸装品がならぶ会所

そして懸装品を見学し、仕来りから男性のみの搭乗がゆるされる鉾のうえに乗った・・・従妹の旦那だけ・・・杖を使用するわたしは急な階段のため遠慮した。

それから函谷鉾の会所では粽をもとめ、現在、わが家の玄関で疫病など外患の進入を許さじと目を光らせている。

玄関飾の函谷鉾の粽
函谷鉾の粽が目を光らせる玄関

これで今年の疫病対策は万全ということである。

それから烏丸駅から京都河原町までの一駅を阪急電鉄に乗って八坂神社へと向かった。

宵山の八坂神社
四条通の東詰めに八坂神社が鎮座する

足弱のわたしにとって、酷暑のなか一駅でも電車で移動できることはありがたいことであった。

宵山八坂神社
八坂神社西楼門

宵山の八坂神社の境内はさすがに参拝客でいっぱいであった。

参拝客でいっぱい
インバウンドも増えた境内

まずは祇園祭と縁の深い摂社・疫(えき)神社へお参りする。

疫神社・祭神蘇民将来
蘇民将来を祀る疫神社

西楼門をくぐってすぐのところに鎮座しているので、ほとんどの観光客は気づかずに通り過ぎてゆく、なんか不思議・・・

ご祭神が祇園祭の粽に記されている「蘇民将来子孫也」のまさに蘇民将来である。

ここへお参りして、本殿へ向かうのが祇園祭の参拝の所作ではなかろうかと、祇園祭オタクは考えてしまう・・・

実際、祇園祭の一連の儀式の最後を締めくくる神事が、7月末日に当摂社で執り行われる「疫神社夏越祭」なのであるから。

それから拝殿にお参りし、神楽殿に鎮座する神輿三基をみる。

神楽殿で出輿を待つ神輿
神楽殿に東御座・中御座・西御座がならぶ

翌日、洛中をめぐって御旅所へ遷座する神幸祭を待っているのである。

いつ見ても金色にかがやく神輿は堂々として素晴らしい。

そして太陽が傾きかけたので高張提灯に灯がともされた長刀鉾だけはしっかり見ておこうと、警察官の誘導に従い押すな押すなの人混みにもまれながら四条通を東へと移動した。

長刀鉾へ向かう夥しい人
長刀鉾を見ようと四条通はすごい人

警察官が「スマフォ撮影は歩きながら!」、「立ち止まっての撮影は辞めてください!」と声を張り上げて、いやがうえにも祭りの臨場感が盛り上がる。

その切迫した大声を打ち消すかのように、鉾の頭上からはコンチキチンと祇園囃の旋律がなだれ落ちてくる。

高提灯に灯が入った長刀鉾
高張提灯に灯が入った長刀鉾からコンコンチキチン・・・

その沸き立つようなリズムに見送られ、長刀鉾の脇を通り抜ける。

嬌声を張り上げる若いカップル。

幼児を軽々と肩に背負った親子。

わたしのような足のおぼつかない老人、それを支える細君、また健脚を誇る米寿間近の叔母親娘など鉾はさまざまな人々に、無病息災の厄除けという旋律の金粉をふりかけてくれた。

コンコンチキチン、コンチキチン!!

これから宵山はいよいよ最高潮を迎えることになる。

というとことなのだが、われわれ老人組は日中からの外出とあって疲れもあり、明日の山鉾巡行にそなえてホテルへと引き返すことにした。

驚いたことに、帰りの烏丸通にはおびただしい数の屋台や露店がたちならんでおり、黒山の人だかりで歩道が埋め尽くされていた。

宵山烏丸通
夥しい屋台と若い人たちであふれかえる烏丸通

これまでの祇園祭ではじめて経験した、少し恐怖を覚えるほどの人出であった。

翌日の京都新聞に16日の宵山には34・5万人の人が繰り出したとあった。

なるほど身に危険を感じたのも無理からぬことと納得した。

またコロナ明けのまさに災厄放逐の祈念の祭り、面目躍如の感があった2023年の祇園祭宵山であった。

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