先ごろ「割烹やました」でたまたま隣り合わせた陶磁器専門家のロバート・イエリン(Robert Yellin)(米国ニュージャージー州サンディエゴ出身)について、ご紹介したい。

ロバート・イエリン氏 奥に中庭が見える
ロバート・イエリン氏

陶芸の世界については人並みの興味はもつが、展示会まで足を運ぶのはよほどの義理があるか、世間の話題にのぼった時にのぞいてみようかという程度の藤四郎(とうしろう)である。

そんな私が銀閣寺から500mほど、大文字山を望む琵琶湖疎水(白川疎水)沿に建つロバート・イエリン氏の住居兼ギャラリーにお邪魔した。

琵琶湖疎水沿いにあるギャラリー 奥に大文字山
門かぶりの松のある家屋がギャラリー 遠くに大文字山

ギャラリーといっても格子戸を構えた趣ある和式の普請であったので、探し当てるのに少々手間取った。そして予約をとるのがむずかしい懐石料理の名店、「草喰(そうじき)なかひがし」が疎水を挟んで対面にあったのにはびっくりした。

曼殊院・大書院と鶴島
曼殊院・大書院と小堀遠州好みの枯山水庭園の鶴島

さて、洛北の名刹、曼殊院と詩仙堂を拝観してからギャラリーにたどり着いたのは午後2時前であった。

詩仙堂・詩仙の間から緋毛氈の座敷と庭園を観る
詩仙堂・八畳の座敷と庭園

格子戸が閉まり暖簾がしまわれた玄関内も真っ暗な状態でお留守の様子。

細君が何度かインターフォンを鳴らして往訪を告げていたが反応がなく諦めかけたところ、中で人の気配が・・・

ロバートイエリンやきものギャラリー
ギャラリーの格子戸をあけてもらう

そして格子戸が開き、一昨日のイエリン氏が姿をあらわした。

細君の顔を見て「お〜!」ということで、わたしも屋内へと足を踏み入れた。

石敷きのエントランスに陶磁器が陳列されている
石敷きのギャラリー

午前中に宇治の方へ著名な陶芸家の窯を訪ね、ちょうどいま戻ったところだという。

照明がつけられ、上がり框の前にひろがるギャラリーの床は黒の石敷き。

奥に陶芸作品の置かれた畳の間がつづく。

その先、ガラス戸越しに見える中庭と回り廊下の佇まい。

畳の上にも陶芸品が置かれている
畳の上にも陶芸作品が・・・

その様は静謐な空気感を醸し、たちまち心が鎮まってくる。

そんなギャラリーでイエリン氏が陳列された作品の数々を解説してくれた。

好事家にとっては垂涎の陶磁器ばかりがならぶ
たくさんの作品が・・・

そこの信楽焼は誰々作の壺で、横の備前の花器は誰それの作品で・・・とポンポンと人間国宝だという陶芸家の名前が飛び出してくる。

もちろん当方はチンプンカンプン。

棚に所狭しとならぶ名品
名品ぞろい・・・

唯一、今泉今右衛門の花入れだけは、「この淡いグレーが特徴的」と捻りだすようにコメントできたのがやっと。

むか〜し、仕事で有田を通過したときにせっかくだからと言って今右衛門の工房に案内されたことがある。

その際に見せていただいた花瓶がぼかした灰色のなかに何の花だったか朧月のように描かれていたのが妙に印象に残っていた。

しかしそれが「墨はじき」という技法なのだということを、此度、今右衛門窯のHPで初めて知ったのであって、その体たらくと云ったらない。

無造作に置かれた陶磁器だが、どれも名のある作家の逸品ばかり
小さな作品でも値段は・・・

いずれにしても同氏が各地の窯元を訪ね歩き蒐集したコレクションは超一級品ぞろいなのだろう・・・、何せ人間国宝の作品がこれでもかというほどに無造作に陳列棚に飾られているのだから。

そして、今右衛門の花入れを手に取って、「これは14代本人の作品であるが、今右衛門工房で職人が造ったものとの違いを見分けるにはここを見ればわかる」と、花器の底を見せられるにおよび、同氏の陶芸に対する鑑識眼や造詣の深さが並々ならぬものであり、さらには日本文化に心酔し40年もの長きにわたりこの国に居つくその生きざまに深い感銘をおぼえた。

その一方で外国の方に日本の陶芸の魅力を教授され、日本人として己の不明を深く恥じたところである。

この徳利や盃もお値段は・・・
こんな徳利や盃でも値段は高いんだろうな・・・

「割烹やました」には海外からのクライアントをお二人お連れし、歓談されていたが、インターネットで海外へ向けて日本の陶芸の魅力を紹介しているのだそうで、その日も彼のコレクションを求めて海外からやってきた美術愛好家であったという。今回は作品を2、3点求めて帰国されたのだそうだ。

そうした海外からの美術愛好家のなかでかのスティーブ・ジョブズの案内役をApple社の依頼でかつて務めたこともあるそうで、驚いたところである。

そんな異国の人が日本文化を熱く語るロバート・イエリン氏、琵琶湖疎水の流れを傍らにおき、一度、「ロバート・イエリンやきものギャラリー」を訪ねてみてはいかがであろうか。

その日は帰京することもあり、また「割烹やました」で再会しようと言い交し別れを告げた。