彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

January 2023

コキコキドライブ旅 7日目 その二 一乗谷朝倉氏遺跡

久しく途絶えていた「コキコキドライブ旅」だが、わたしの人生行路の記録を残したいとの虚仮の一念でふたたび書きつないでゆくことにする。前回は「永平寺」で終わっている。
さて、その永平寺から南西に8km、車で20分弱のところに戦国大名、朝倉氏の一乗谷遺跡は位置する。

永平寺山門からの水墨画
永平寺山門から中雀門と僧堂をみる

朝倉氏遺跡は九頭竜川水系のひとつである足羽(あすわ)川に流れ込む支流一乗谷川沿いに切れ込む谷内にある。

一乗谷川
一乗谷川
一乗城山(いちじょうしろやま・標高436m) の頂に一乗谷城を配し、その麓、東西500m、南北1.7kmの範囲にわたって南北の城戸で防御された城郭都市の発掘遺構である。
ここに中世の城郭都市があった
この谷間に城郭都市があった・・・

その存在は江戸時代から知られていたというが、昭和40年代の大規模水田改良事業のスタートにより、その遺跡規模が想像以上に広範囲にわたった。

下城戸
一乗谷の南端にある下城戸
しかも整然と残されていることがわかり、地元自治体、住民の強い思いから遺跡の一括保護がなされた。
一乗谷街並み遺構群
街並みの遺構群

その遺構がほぼ完全なままで発掘されていることから東洋のポンペイとも呼ばれている。

各戸に井戸が一個ずつ整備されていた
各戸に井戸を設けた街並みの遺構

先に訪ねた永平寺の開祖道元による開山が1244年であるので、一乗谷の城下町の形成はそれから約二百年後のことになる。

一乗城山
一乗城山

そして約百年間にわたり朝倉氏のもと繁栄を極めたが、織田信長により第11代当主の朝倉義景は討たれ城郭都市も灰燼に帰し、いつしか歴史のなかにうもれ、田畑のしたに名実ともに埋没することとなった。

復元街並み
復元された一乗谷の街並み

わたしどもが訪れたのは2021年の11月であったが、観光客もまばらで復元ざれた街並みや館跡をゆっくりと歩くことができた。

復元武家屋敷
武家屋敷の内部

戦国時代の城下町というものが、時代劇でよく目にする武家と農民・町民の居住地区がはっきり分かれてはいず、混在していたことに少々驚いたが、まだ武士が専業でない時代、城下町という形態はおよそこんなものであったのだろうと納得した。

商人の家
商人の家 中に井戸がある

いざ戦となったときには農民が刀や槍を引っ提げて戦場へと赴くことが当たり前の時代であったのだから。

朝倉氏の館内から門を見る
朝倉氏当主館内から唐門をみる

武士を初めて専業とした信長の軍事力によって、この中世の小京都とも称された文化都市が壊滅させられたのも歴史の必然と云えるのかもしれない。

街並み側から朝倉館遺跡と一乗城山
街並み側から朝倉氏当主の館をみる

一方で少々びっくりしたのが、各家々には必ず井戸が設けられていたことである。しかも各戸を網の目のようにつなぐ水道溝も認められ、16世紀の城郭都市にはすでに都市インフラがしっかりと整備されていたことを目にして、驚いた。

かつて信州松代江戸時代の歴史的道すじ散策したときに、「カワ」や「泉水路」と呼ばれる水路が家々をめぐり、街中に水道網が張り巡らされていたことに驚いたが、その時代をさかのぼること2百年の15、6世紀の越前において、すでにそうした都市インフラが整備されていたとは、日本人の技術力や頭脳、さらにはエコと殊更に唱えるまでもなく、日常的にそうした思想が身についていたことにはもっと誇りと自信をもってよいのだと思った。

松代の歴史的道すじ
信州松代の歴史的道すじ

私たちが伺ったときにはまだ存在しなかった「新・一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が2022年10月にオープンしている。

朝倉当主の館跡
朝倉氏当主屋敷跡
JR一乗谷駅から徒歩3分の足羽川沿いに建っている。そこから一乗谷朝倉氏遺跡へは車で4分ほどとのこと。
当主館跡
朝倉氏当主館跡

170万点に及ぶ出土品のなかから選ばれた品々が館内展示されているそうだ。また朝倉当主の館が一部、原寸大で再現されているそうで、義景の日常を体験してみるのも一興と思われる。

ひと夏の忘れもの 足摺岬エリア・大堂海岸アドベンチャークルーズ

ひと夏の忘れもの 竜串海岸、大堂海岸、柏島の碧い海

ひと夏の忘れ物 足摺岬で泊まりたい宿・TheMana Village(ザマナヴィレッジ)

ひと夏の忘れ物 足摺岬




さて、「ひと夏の忘れもの」の三日目は冒険の国を探訪する、大堂海岸を紺碧の海から見て回ろうというものである。

大堂海岸をゆく
大堂海岸アドベンチャークルーズ

足摺岬の西つかた、大月半島の南端をなぞる大堂海岸は約10kmに渡り白亜の絶壁や奇岩を聳え立たせる大景観を擁する。

白亜の絶壁がそびえたつ
花崗岩の絶壁がつづく

前日の大堂山展望台や観音岩展望台から見おろした景観も見事だったが、波間から見上げる景色はまた違った魅力で迫力があり、自然のダイナミズムを実感させられた。

白亜の花崗岩の絶壁
白亜の大堂海岸

今回、体験した大堂海岸アドベンチャークルーズは、要は小さな漁船に乗って、大堂海岸を海から観光するというものであった。

半世紀ぶりに大堂海岸をおとずれるという細君に、ぜひ、海上からの自然の醍醐味を体験してもらおうと探していたところ、四万十・足摺エリアの観光案内、一般社団法人 幡多広域観光協議会のHP“はた旅”にぶち当たった。

HATA-TABI」と題するそこに、アクアブルーの海中をダイビングするダイバーの姿があった。

この歳でダイビングはないが、せめて夏の海を船で疾駆したいと妄想し、探し当てたのが、「ホテルベルリーフ大月」至近の周防形(すおうがた)漁港から出発する「大堂海岸アドベンチャークルーズ」であった。

黒潮のうえをクルーザー?に乗って駆ける、最高の気分にちがいないということで9:30出港、おおよそ75分のクルージングをネット予約した。

周防形漁港で谷口渡船に乗船
当日のクルーザー?

2名様以上の参加で催行」との条件で、わが老夫婦の参加でクリアーした。

前日の夕刻に確認の電話があった。「谷口渡船ですが・・・」と名乗る声はだみ声のおじさんのもので、クルージングのスマートさとは対極にある聲音であった。そして客はわれわれ二人だけだという・・・

翌朝、周防形漁港にはものの2、3分で到着したが、岸壁に人影はなく小さな漁船が数隻浮かぶうら寂しい港であった。

周防形漁港
波静かな周防形漁港

もちろんクルーズに参加する人たちの姿などない。老夫婦ふたりっきりである。

すると埠頭にとびこむように軽のバンがやってきて谷口さん?(お名前を確認していないので、一応、谷口渡船だから・・・)がおりてきた。

赤銅色の肌をしたまさに海の男である。

海の男、船長
海の男

そして時間はちょっと早いが出航しようという。午後になると波が高くなる模様だから早い方が良いという。

海面を見たところ波静かでそんな気配は一切ないが、海の男の潮枯れた聲には説得力があった。

手渡されたライフジャケットを着て乗船した。

クルージングの優治丸
出港前の細君がスマフォ撮影

静まり返った港内に機関音が響き渡ると、白い漁船は水面のうえをすべるように動きだした。

小さな堤防で区切られた湾口を出ると、出力全開。

エンジン全開
エンジン全開!!

あっという間に港の景色が後方にすっ飛んでいった。

後方に景色がとぶ
あっという間に景色が後方へ・・・

外海の波のうねりは見た目ではわかりづらいが、速度をあげると船体はまるで波頭伝いに跳び跳ねているかのようである。

大堂海岸波を蹴る
波を蹴る

船底が波を叩きつけるドンドンという音とリズミカルな振動が心臓を上へ下へと揺さぶった。

右手に大堂海岸の山並みを見るだけで左手にはとおく水平線をみる。

水平線を眺めながら 大堂海岸
遠くに水平線・・・

風を切って谷口渡船の「優治丸」が疾駆する。

親切だった船長
優治丸が疾駆する

そのスピードはちょっと信じがたいほどに、速い!!

頬を叩く海風はわたしたちが発する聲を澪のかなたへと吹き飛ばす。

細君と交わす言葉はわずか数十センチの距離なのに大音声を張りあげねばならない。

久しぶりである。こんな腹の底から大声を発するなんて・・・

気分は最高である!!

そして風を切るという、絶えて久しくなかったこの感覚・・・

気分爽快
ドンドンと波を叩き船がゆく・・・

ひと風ごとに、“歳”という年層が体躯から引っ剥がされていくようで気分がよい。

ひと風、十歳、ひと風、十歳・・・と年齢の皮層がはぎとられていく。大堂海岸の白亜の絶壁を仰ぎ見るころには二人の聲と表情は確かに若やいでいた。

そして目指す観音岩の海域に到達したころには自分は二十歳の頃にもどったような気になった。

海風と振動と波しぶきに嬌声を発する細君を横眼にちらっとみると、彼女も半世紀前の姿になっていた・・・

風に波しぶき
二十歳の君・・・お顔をお見せ出来たら・・・

船が減速した。左手に絶壁がせまった。

海洞
海洞が山裾にいくつもある

絶壁の裾にはいくつもの海洞がみえる。

海洞に近づく
あの海洞に入ってゆくのだとか・・・

その一つに近づくと、狭い入口に舳先を突っ込みはじめた。

海洞に船を入れる 巧みな操船
舳先を上手に祠へといれていく

ほとんど停止した状態となり、船体が大きく上下動を繰り返す。

海洞を覗く
海洞をあとに、いざ観音岩へ・・・

海が荒れているとは見えなかったが、こうして波のうねりに身をゆだねると海上の浮き沈みが見た目とは大きく異なっていることに気づかされた。

船長の操船は巧みであったが、波が穏やかであればもう少し洞窟の奥まで入れるのだがと申し訳なさそうにいう。

半分ほど船体をもぐり込ませたところで、船を逆進させいよいよ目指す観音岩へと舳先を回頭した。

大堂海岸
いくぞ観音岩へ・・・

エンジン全開!!

疾駆する船首のむこうに海中から屹立する巨岩群があった。

観音岩に近づく
穴の開いた巨岩手前に立つのが背中を向けた観音岩

穴が穿たれた大きな岩壁の手前に背中を向けて立っている岩が観音岩である。

いよいよ目指す観音岩である。

船はまた減速し、その脇をゆっくりとすぎてゆく。

観音岩を横から
観音岩を横からみる

真横からみると平板な巨岩であった。見上げても観音さまには見えない。

観音岩をすぎていく
観音庭全景

少し通り過ぎてふりかえる。

観音岩を後方に見る
観音さまに見えた・・・

そこに見えたものは・・・なるほど・・・人型をした巨岩・・・

海の安全を祈る人たちには、その姿はまさに観音さま、真摯に手を合わせたにちがいない。

観音岩を覗く巨岩
観音岩の前をふさぐ穴が穿たれた巨壁

さらに先へ進み、岩壁の穴から観音岩が見えるのだと船を反対側にまわす。

なるほど巨岩の裂けた穴から観音岩が覗けた。

観音岩がみえる
穴からなんとか観音岩がのぞく・・・

だが全容をとらえるスポットで船を停船、固定するのは難しく、観音さまの全身を拝見することはかなわなかった。

おそらく逆光の時にはそのシルエットが観音さまのように見えるのにちがいない・・・

ここで通常は周防形漁港へと戻るのだが、当日は老体にムチ打ち四国最南端までやってきた二人のため、もう少し先の柏島まで行ってあげるという。

柏島を海上より
海上から柏島

前日に大堂山展望台から見下ろした柏島である。

⓪大堂山展望台から柏島を見下ろす
大堂山展望台からみえる柏島

そして・・・荒削りの景観の先、エメラルドグリーンの海のうえに柏島が浮かんでいた。

柏島漁港
柏島の船溜まりへはいってゆく・・・

小さな船溜まりのような湾に侵入しゆっくりと湾内をめぐった。

柏島港の透き通る海
陽光がさし、エメラルドグリーンの海・・・

外海とは一変、海面は静寂をたもち、陽光のさざめきで波のおだやかなうねりに気づく。まるで映画の一シーンのような息をのむ美しさである・・・

柏島 船溜まり - コピー
映画の一シーン・・・

船は柏島大橋の真下まで近づき、ゆっくりと回頭する。

柏島大橋とエメラルドグリーンの海
柏島大橋

するとキラキラとかがやく海面を透して小魚が回遊する姿が見えた。

魚がみえる柏島の海
小魚が遊泳している・・・

まさに加工をほどこした写真でしか見られないようなエメラルドグリーンの海が目の前にあった。

時間はゆっくりとすぎる。

この絶景のなか船中で昼寝でもさせてもらえたら至上の幸せと夢想したが、そこまで贅沢は云えぬ。

そして優治丸は柏島というパラダイスをあとにして一路、周防形漁港をめざして疾走をはじめた。

⓪飛沫をあげて
波頭を跳ぶ・・・

二十歳に化身した二人は帰路においても、感嘆の聲をあげながら大海原の解放感を味わった。

大堂海岸クルージングは晴天の下、人の好い船長さんにも恵まれ、ダイナミックでアメージングでドリーミングな“はた旅”となったのであった。

年をまたぎ大寒のころに季節外れもいいところの「ひと夏の忘れもの」、これにて終了と相成る。お付き合いありがとうございました。

ひと夏の忘れもの 竜串海岸、大堂海岸、柏島の碧い海

ひと夏の忘れ物 足摺岬


足摺岬の二日目は、細君が今を去ること50年前うら若きころ貧乏旅行をした竜串海岸や足摺海底館、観音岩といった奇岩のそびえる大堂海岸にもう一度、行ってみたい・・・そんな夢をかなえるためにやってきた。

大堂海岸 白亜の絶壁
花崗岩が白く光る大堂海岸

最近は夫婦してNHKの「ブラタモリ」のファンとなり、特に細君は地質構造やプレート移動といった地球規模の地殻変動に並みならぬ関心を寄せ、旅先で六角形の石柱に出逢うと、「アッ、柱状節理だ!」などとまるで旧知の友にめぐり逢ったかのような快哉をあげる

1億年前の地層・中央構造線・溝口露頭 長野県伊那市
長野県伊那市の中央構造線の溝口露頭 1億年前の地層が露出

そんな歴女ならぬ、地女(漢字を一字間違えるととんでもないことになるが・・・)に同行し、足摺の二泊目は大月半島の突端近くの「ベイリーフ大月」を宿にさだめた。

ベルリーフ大月外観
ホテルベイリーフ大月

足摺岬突端のTheMana Village(ザマナヴィレッジ)を出立、海岸沿いを西へ移動、その途上に「土佐清水ジオパーク」の一画をなす竜串海岸がある。

竜串海岸の奇勝奇岩 蜂の巣構造
竜串海岸

堤防からも異形の岩場が見渡せるが、もちろん細君はその先へと勇躍、足を運ぶ。

わたしも遅れじと杖を片手に用心深く岩伝いに移動したものの、細君の姿はいつしかわたしの視界から消え去った。

竜串海岸は日本列島がユーラシア大陸から離反移動してきた、地球規模の地震や津波の痕跡が残る岩場が陸地にあらわれた貴重な場所なのだという。

浸食奇岩
奇岩がいっぱいの竜串海岸

なるほど蒲鉾型の棒状の岩場や蜂の巣のように穴ぼこのあいた巨岩などそう思って眺めてみると地球の生命と巨大なエネルギーを身近に感じ取れる凄まじい光景である。

竜串海岸から遠くに足摺海底館がみえる
遠くに足摺海底館が見える

しばらくブラタモッタのち、海の向こうに見えた足摺海底館へと向かった。

爪白海岸と足摺海底館
爪白海岸と足摺海底館

海上に突っ立つように建つ海底館の入口に「50th ANNIVERSARY SINCE1972」とあった。

足摺海底館50周年
50周年記念

細君が遠い昔訪ねたのは、なんとこの海底館ができた直後に訪れていたことが判明した。

そして海底館の海底7mまで下る螺旋階段をおりていくと、ダークブルーの館内から小さな丸窓を通して海中の様子を見ることができた。

人間水族館
ダークブルーの館内

大小様々な天然の魚が游泳しているのがよく見えた。

⓪足摺の海中
泳ぎ回る魚たち

ただ、この状況をよくよく冷静に考えなおすと、狭い館内に閉じ込められた人間という陸上に棲息する生き物を、果てしない海中を遊弋(ゆうよく)している魚たちが興味深くのぞき込んでいるという逆水族館状態にあるといったほうが適切なような気がした。

黒潮を自在に泳ぐ魚たち - コピー
逆に魚がこっちを見ているのでは・・・

そして、おそらく魚たちは円筒状の筒に閉じこめられた奇妙な生き物が不自由の身を嘆き悲しんでいるのだとさざめき合っているのにちがいない。

そんな感慨にふけったあと、この日は大堂海岸の大景観を陸地から睥睨しようと、まず大堂山展望台へと向かった。

大堂山展望台
大堂山展望台
大堂山の頂上に建つ三階建ての展望台はだいぶ年季が入った代物だったが、そこからの景色は期待にたがわず圧巻であった。
⓪大堂山展望台頂上
大平洋が一望

東側には白亜の花崗岩の岩肌が露出する絶壁が山並み沿いに見えた。

大堂山展望台から大堂海岸を
東に大堂山

翌日、大堂海岸アドベンチャークルーズに参加し、クルーズ船から仰ぎ見る絶壁である。

そして今度は反対側へ移り西側を見下ろすと柏島大橋でつながる柏島が見えた。

大堂山展望台から柏島を見下ろす
西に柏島

山頂からはその海面に光が乱反射しているのか思い描いたエメラルドグリーンの海ではなく、くすんだ緑色にしか見えなかった。

次にこの日最後の観音岩展望所へと車を回した。

そこからの観音岩の姿はほんとうに観音様のお姿だったと、細君は云うのであるが・・・

こうした観光用にネーミングされた奇岩というものはたいてい、「そういわれれば・・・」といった態のものがほとんどである。

これまでで、こりゃすごい!と思ったのはただ一度。

壱岐の島で訪れた高さ45mの猿岩である。

壱岐の島・猿岩
壱岐の島の猿岩は見事 夕暮れにさびしそうな表情・・・

その姿かたちには息をのんだのだが、まつ毛まで本物そっくりなのだから・・・これはまさに命名通りの本物の猿岩であった。

さて、こちらはどうか・・・

観音岩展望所への登り口は、「えっ!」というほどに狭くて急勾配であった。

50年前の感動をもう一度という細君の思いに、引きずりあげられるようにして喬木の枝葉をかき分けて頂にある展望所をめざした。

観音岩展望所への登り口
観音岩展望所への狭い登り口

草生した狭い頂を通り過ぎて海側へ少し石段をおりたところに、観音岩展望所があった。

⓪観音岩展望所はこの先を少し下りた先にある
この先すぐ下に展望所

前方には茫漠たる太平洋が見渡せた。海風が肌に心地よい。

観音岩が見えない観音岩展望所
茫漠たる太平洋

早速に観音岩を探すが、どうもピンとくる岩が見当たらない。

観音岩展望所から大堂海岸を
展望所からの大堂海岸

そして細君がつぶやいた。

「こんなところじゃなかった・・・」

「もっと尾根のようなところを登っていって、下に観音岩が確かに見えたはず・・・」

向こうの尾根伝いに遊歩道があった
向こうの尾根にも登り路があった・・・

「おい、おい・・・」わたしは心中で呟いた。急こう配の坂を息を切らし登ってきたのに・・・

それでも、観音様は姿を顕さない・・・

後ろ髪をひかれたのだろう、坂道を下りながらも細君はどうも納得がいかぬ様子である。

中腹まで下りたところで、大堂展望台へむかう尾根道との分岐点で小休止。

観音岩を見る分岐点 大堂展望台方向へ行くとすぐ
分岐点

「そっちに少し行ってみたら・・・」といって、わたしの方は申し訳ないが、先に駐車場までおりておこうと階段をおりだした。

するとものの一分もしないうちに細君がわたしの名前を呼んでいるではないか。

小躍りしている様子が目に浮かぶような若やいだ声である。

わたしは萎えた心をもう一度奮い立たせて、踵を返し登り返した。

分岐点からほんの2、3mほどもいくと右手下に細身の岩が屹立しているのが見えた。

観音岩展望台途中から
あれが・・・観音岩か

彼女がと〜い昔に観たのはこの岩に違いない・・・

この棒状に突っ立った岩が観音さま・・・であると・・・世の人はいう・・・

不遜にも「鰯の頭も信心から」という言葉が頭に去来した。

なにごとも深く念じれば観音さまに見えぬこともない・・・

観音さまが胸元で手を合わせてくれているようにもみえる。

観音岩
観音岩

わたしは観音岩を見ることができたことより、無邪気に喜びをあらわし写真を撮っている細君の姿の方が実は微笑ましく見えていたのだが・・・

観音岩展望所と観音岩
中央岩の頂の緑の中、白い部分が観音岩展望所 右下の低い独立岩が観音岩

そんな不届きな想いをいだいたためだろうか、左肩に強烈な穿通感をおぼえた。

気づいたら頭の周りを大きな蜂がブンブンと不気味な羽音を響かせ飛び回っているではないか。

刺されたに違いない。手で必死に払うもその一匹の蜂はわたしから離れようとしない。

わたしの大声に驚いた細君が撮影もそこそこに蜂の撃退戦に参戦してくれた。

必死に階段を下り、車へとなんとか逃げ込んだが、蜂はなんと車まで私の頭上を旋回し続けたのである。

わたしにはそんな観音岩の思い出であったが、細君は半世紀ぶりの観音さまとの再会をもう少し愉しみたかっただろうにと、ホテルへ戻って申し訳ない気持ちになった。

⓪ベルリーフ大月ロビー
ホテルベイリーフ大月ロビー

「ホテルベルリーフ大月」は昔の国民宿舎のような飾らない作りで、スタッフの方もホテルマンというより近所の気の良いおじさんというのがぴったりで、当方もリラックス感満載でチェックイン。

ツイン ベルリーフ大月
ロッジ風の室内

ところが泊まる部屋はロッジ風のお洒落な造りで、バルコニー・・・ベランダからは谷筋に深く切れ込んだ美しい海まで見えた。

ベルリーフ大月の部屋から
バルコニーから見える景色

心鎮まるおだやかな風景であった。

夕食は簡素で小さな食堂で、地元の幡多郡自慢の海の幸をいただいた。

海の幸いっぱいの夕食
素朴だが海の幸がおいしかった

お刺身も新鮮だし、大きな海老のグラタンもおいしかった。

大きな海老の天ぷらも
大きな海老の天ぷらもおいしかった

さきほどのレセプションのおじさんに訊いたところ、お客さんの多くは釣りやダイビングを目的にやってくるのだそうで、なるほどコスパは最高の宿であった。

そしてお土産を買おうと呼び鈴を鳴らすと、さきの近所のおじさんが出てきてくれる・・・いやはやなんともつい頬が緩んでくる温もりのある宿であった。

わが家のおせち料理

讃岐の餡餅雑煮

2017年酉年、明けましておめでとうございます 彦左の正眼よろしく

あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

しめ飾り
しめ飾り
2023年の元旦は日本晴れ。すばらしい年のはじめでした。

毎年わが家の正月は、年の瀬から押し寄せる弟一家、息子一家とその子供たち、それからグループホームで暮らす娘が帰宅し、総勢12名といういわば移動動物園がやってきたようなカオスいやお祭り状態となる。

2023年正月 床の間
大晦日には床の間も正月装束にかわる
年齢構成も3歳から72歳までと各世代代表をとりそろえた重厚な布陣となっている。その主力は40代と10歳未満いわゆるヒト桁代であり(と〜い昔、そんな時代が自分にもあったなぁ・・・)、日本の歪な人口構成とは異なり、まことに健全な一族構成となっている。

玄関正月飾り
玄関も正月装いに 今年は卯年

正月凧飾
かわいい凧が好評
さて、そんな毎年の正月であるが、細君はクリスマスが終わるとおせち料理の準備に入る。

まず28日には「もちっ子」で餅つきがはじまる。その前にもちょこちょこと下拵えをしている模様だが、申し訳ないことだが、細かくは知らない・・・。

海老餅・海苔餅・白餅
手前から海苔餅、海老餅、白餅
その餅つきだが、わが家の雑煮は元旦がお澄ましの関東風、二日目が白みそ仕立ての餡餅が入った讃岐風となっている。

餡餅入り雑煮・令和5年元旦
二日の雑煮、餡餅入り讃岐風雑煮
そのため餡餅作りをふくめた餅つきは年の瀬の一大行事である。

元旦の雑煮
元旦には関東風雑煮
餡餅のほかに、御飾用の鏡餅、それから桜エビの入った海老餅、海苔の入った緑色をした海苔餅と何も入らぬ白餅と多種類の餅がつかれる。

帰宅時にはそれぞれの家庭が各種の餅を持ち帰るので、今年は10kgと多めにもち米をついていた。

海老餅が毎年人気が高く、今年は海老餅を多めについていた。

焼いた海老餅・海苔餅
焼いた海老餅と海苔餅 おいしい・・・
次に細君手製のおせち料理だが、いつもその下拵え、準備には頭が下がり、感謝している。

孫たちが盛り付け下祝い膳
祝い膳とお重のお節
チビどもはまだその意味もよく分からずに食べているが、年を重ねて振り返って、おばあちゃん手製のお節はおいしかったなぁと思い出してくれたらいいなと、傍らでわたしは思っている。

海老の替りにローストビーフ
祝い膳は子供たちが装った・・・バラバラ感が・・・
例えば、田づくりなどは、WOWOWをチラ見しながら夜鍋仕事のようにして、苦みをなくすために小さなカタクチイワシの腸を器用に指で取り除いている。だから水飴でまぶされて仕上がった田づくりはわたしの好物となっている。

田づくり
腸がとられた田づくり 盛付はバラバラ・・・仕方ない・・・
そしてこの田づくり、実は赤ワインととても相性がいいのである。

ということで細君の田づくりは「日本の伝統料理も捨てたものではない」とひとり悦に入ることのできる隠れたイッツピンなのである。

また息子の大好きな栗きんとんもいつも大量につくってくれているが、モンブラン大好き人間の娘や子供たちのイナゴのような参戦により、三が日で私の口に入るのはいつも僅かなものとなる。

今年などは薩摩芋キントンのみがわたしには配膳され(子供たちがお手伝いで祝い膳を調えていた)、大ぶりの栗が元旦にわたしの口に入ることはなかった・・・。

ここで今年の元旦の祝い膳であるが、子供たちがお手伝いをしたいというので、品目の配置がややバランスを欠き、様式美を好むわたしとしては不満も残るのだが、これも伝統を後世に・・・大げさだぁ・・・よしとするしかない。

正月祝い膳・2023年元旦
ローストビーフの乗った祝い膳も・・・配置、結構、バラバラ・・・
それと写真をつぶさに見ていただくとわかるのだが、有頭海老の塩焼きが載るところに、ローストビーフが載っている膳がある。

これは海老アレルギーを自認する娘やローストビーフの方がいいという子供たち用の祝い膳となっている。

これも時代の要請ということでヨシとするしかない・・・

さて引き続きお節だが、次に、釘を入れて煮た丹波の黒豆は黒光りして艶やかでいつもおいしい。

仕上がりの段階で、細君がこれくらいで味はよいかと、わたしに味見を依頼するのだが、この味見を終えて、残り汁を飲み干すのが実はわたしの隠れた歳末の楽しみのひとつなのだ。

黒豆 令和5年元旦
黒豆、大量に作ってもらい、三が日後にも食べられたぁ・・
甘党というのはどうしようもなく意地汚いなと思わないでもない、わたしの毎年お決まりのプチ歳末風景である。

この黒豆、甘くておいしいのでこどもたちの好物なのだが、一粒ずつ箸でつまむのが面倒くさいのか、お重に盛られた黒豆までは手がのびず、わたしの口に好きなだけ入るのでいつも幸せな気持ちになれる代物で、まさに福豆とはよく云ったものである。

その割に年々自分がまめまめしく立ち働くようになっているかと云えば、逆に年とともに無精の振る舞いが募っているのだから、黒豆の限界効用も年毎に逓減しているのだと思う。

昔習った経済理論の「限界効用逓減の法則」はわが家では見事に実証されていると言える。

そんなこんなのおせち料理談義だが、もうひとつ忘れてならないのがお屠蘇である。

お屠蘇
この写真は2021年元旦のもの 今年はまともに撮れていなかった・・・
屠蘇は崇敬会員である京都の下鴨神社から毎年末に贈られてくる、その神さまの屠蘇でつくった屠蘇酒である。

ミツカンのミリンについているオマケの屠蘇とはモノがちがう。信心の足りぬ細君などは「かわらないんじゃない」などと不逞の言葉を吐くが、糺の森を吹き抜ける涼風のような神々しくも清々しい風味の屠蘇酒である。

口をつけてその神威を感じとれぬとは・・・あぁ!!・・・

といった具合で、賑やかな正月も三が日が過ぎるとまたは静かな老夫婦二人だけのわが家に戻っていく。

てな具合で、正月の疲れもとれたところで(細君は獅子奮迅の活躍であったが、このわたしは何もしてはいないのだが・・・)、今年最初のブログを記したところである。

本年がみなさんにとって本当によい年であるよう心よりお祈り申し上げ、箸を・・・もとい・・・筆を置くこととしたい。

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