蓼科の秋は冬のかそけき跫音とともにおとずれる。

エコーラインから八ヶ岳と棚田
エコーラインから棚田をみる
おそらく今年最後になるであろう10月上旬の蓼科行であった。

ウインタースポーツから遠退いてからは、寒冷地ならではの管理事務所による水抜きが実施される体育の日の前に蓼科の秋を満喫することが多くなった。

山のいえ 駐車場より
樹林の中の”山のいえ”
いまではこの時季、子供たちが同行してくれることもなくなり、小さな山荘内には老夫婦の穏やかな時間が流れるだけである。

ただ、今年は伊豆に半定住しておられる知人夫妻が来荘してくれるとあって、いつもとはひと味違う賑やかな蓼科の秋が愉しめると心待ちにしていた。

⓪八ヶ岳の裾野
来荘日に散策路より八ヶ岳山麓を見る(M氏夫人撮影)
およそ蓼科の秋は楓の紅の世界というより、深緑色の山肌が斑(ぶち)をうつように徐々に黄ばみを見せてゆく、時の流れもゆったりとしたおだやかな秋景色をみせてくれる。

そんな涼やかで透きとおった山の秋が最も魅力的であると、わたしは考えている。

標高1600mに位置する山荘のテラスから見あげる樹々も10月の時分にはまだ深緑色の葉叢をゆらしている。

10月上旬はまだ葉叢が頭上を覆う
10月上旬はまだ緑の世界
天空のみをめざしてひょろひょろと伸びたブナの幹に絡まった蔓の大ぶりの葉っぱのみが橙色や紅色に衣替えを急ぎ、蓼科のはかない秋の到来を告げてくれている。

クヌギに絡まるツタが紅葉
ツタの色づきが秋の跫音を告げる
今年もツタの葉の色づきが足早な蓼科の秋の訪れを知らせてくれていた。

そして11月に入ると庭の様子は一変する。

葉叢は一挙に茶褐色の斑をうち、庭の土へと先を争うようにして舞い落ちてゆく。

2011.11.16 11月には夏には見えぬ山並みがテラスから見える
11月になると向かいの山並みがみえる
生けるものが一斉に気配を消し去ったような荒涼とした景色へと姿を変える。

ところがそんな蓼科の秋景色のなかでも、息をのむような「茜色」の世界が訪れる瞬間がある。

それは夕暮れ時のそれも雲の状況、光の角度といった条件がそろったときにだけ出現するのだろう。

その日、山荘にもどる八子ケ峰山腹の道筋から八ヶ岳連峰を遠望した・・・

八ヶ岳を遠望
八ヶ岳を遠望
くすんだ青緑色の世界が視界一杯に拡がっていた。

その直後である。夕暮れの陽光が手前の山からひろがる樹林の上をす〜っと嘗め尽くしていった。

蓼科東急リゾートタウンの秋景色
光の造形
そして目の前の景色は緋色の内掛けを擲()げ出したかのような茜色に燃え立つ世界へと瞬時にして妖変したのである。

夕暮れのころ須臾(しゅゆ)にして消え去る神様からの神々しい贈り物であった。

あかまつ6号線より 初冬の八ヶ岳と夕焼けに燃える紅葉
茜色の神々しい世界
そんな曜変天目(ようへんてんもく)の蓼科の秋を堪能してもらいたいと思っていたが、来荘される数日の天候は生憎の空模様のようである。

一日目はまずまずの天候であったが、翌日からは雨模様ということであった。

当方としてはせっかくのおもてなしもこれでは台無しだと、ヤキモキしていた。

それではせめておいしい蓼科のインド料理(ナマステ)やイタリアン(イル・ポルト)でも愉しんでもらおうと、アートからcuisine(クイジン)へと大きく接待の目的を転換させたところだ。

そして翌日、リゾートタウン内のホテルへ泊まられた友人夫妻を秋雨に煙るなか訪ねた。

ホテルが建つタウンセンターの標高は1300m。

標高差300mは気温も天候もかなり違う。

気温は3度違い、山荘のあたりが小雨でもセンターでは一切、雨が降った痕跡がないなどということはこれまでもよくあることであった。

だが当日は下界へ降りて行っても靄の帳のもようは変わらない。

ロビーラウンジ アゼリア
ロビーラウンジ・アゼリア
大きな暖炉のあるロビーラウンジで待ち合わせ、そこでランチをとった。

「せっかくの蓼科の秋が愉しめず・・・」と言いかけると、

「朝、ホテルの庭にひろがる池を散策したが素晴らしかった」と、ご夫妻ともに言われるではないか。

「靄で何も見えなかったでしょう。秋晴れの空を見てほしかった」と重ねて云うと、

「いや、幻想的で、等伯の世界に游ぶようで素晴らしかった」とおっしゃる。

「えっ! そうでしたか?」と、こちらに気を遣われてそう言っておられるのではと恐縮したところ、奥様から次なる写真を見せられた。

蓼科東急ホテル朝靄のなかカラマツの池
MY女史撮影
「幻想的でしょう」と女史撮影の水墨画のようなショットである。

それを目にして「すごい!」と、当方はひと言。

カラマツの池 朝靄のなか
蓼科東急ホテル・カラマツ池 MY女史撮影
長谷川等伯の世界を蓼科の朝靄のなかに見出すとは、ご夫妻の心持ちのあり方と鑑賞眼の深みに感心しきりであった。

長谷川等伯 - コピー - コピー
長谷川等伯・松林屏風図
まだまだ当方、修行が足りぬと翌朝、早速、雨に煙る樹林の水墨画の世界をテラスから激写した。そして水墨画の世界も捨てたものではないと一人、悦に入った。

テラスより 朝靄の世界
小雨に煙る樹林
ただ、水面に映る樹影と手前の枝木の黒白のぼかしにはとても敵わぬと、これは技量の差というより、「心のありかた」の違いが映像に現れているのだと、素直に首を垂れた、

風雅な時間をお二人のお陰で逆に愉しませていただいた、そんな2022年の蓼科行であった。