彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

July 2022

初夏の京都グルメ旅 三日目その2 奥嵯峨にある二つの念仏寺

此度、初めて知ったのだが、奥嵯峨に念仏寺は二寺あり、それもお昼をいただいた平野屋を挟んで南北に各々300mほどの距離の場所に位置していた。

2022.5.16 平野屋
白洲正子が愛した鮎茶屋・平野屋
化野(あだしの)の念仏寺は境内に広がる無縁仏の光景であまりにも有名だが、今度初めて訪ねる愛宕(おたぎ)の念仏寺を訪ねた人はあまり多くないのではなかろうか。

化野念仏寺 無縁仏
化野(あだしの)の念仏寺の西院の河原
仁和寺から平野屋へのルートをGOOGLE MAPで調べていた際にわたしは念仏寺が化野のほかにもうひとつあることを知り、興味を抱いた。

そこで、まず平野屋前の愛宕街道を奥へほんの少しゆくと天台宗寺院である愛宕(おたぎ)の念仏寺がある。

愛宕念仏寺・ふれあい観音堂と本堂
愛宕(おだき)の念仏寺 手前 ふれ愛観音堂 奥 本堂
細い坂道を登った先の小高い丘の上にわずかな平坦地がある。

そこに小さな御堂が建っていた。

愛宕(おたぎ)念仏寺・本堂と石像群
本堂と羅漢像
本堂は鎌倉の質朴さそのままのたたずまいで建っている。

鎌倉中期の建造となり、重要文化財に指定されているという。

ひんやりとした堂内に足を踏み入れると、雪洞の灯りのなかに浮かぶようにご本尊の千手観音像が安置されている。

愛宕念仏寺 二重折り上げ格天井の本堂
粛然とする本堂内
森閑とした山気のなかで手を合わせると自然と厳粛な気持ちになる。

そして薄暗い堂内に目が慣れ、堂内に目を凝らすと、天井が最も格式の高い二重折上げ格天井となっていたのに驚く。

⓪千手観音像 愛宕念仏寺・ご本尊
ご本尊・千手観音像
ずいぶんと大切にされている立派なお堂であると、感じ入った。

それから境内へ出て、羅漢像を見て回る。

愛宕念仏寺境内の千二百羅漢
無数の羅漢像
愛宕(おたぎ)の念仏寺は「千二百羅漢の寺」とも呼ばれるのだそうで、境内至る所に苔むした羅漢像が数多建っている。多彩な表情をした羅漢像が境内に所狭しと充ち、その霊魂がそれぞれに言の葉を紡いでいるようで、愛宕は化野に負けぬ京都・奥嵯峨のパワースポットといってよい。

愛宕念仏寺・石像たちと多宝塔
愛宕念仏寺の苔むした羅漢像
石像に注意深く目を向けると、寂しげな羅漢像や剽軽な表情をした羅漢様などほんとうにさまざまであり、その寄進者、人の願いや煩悶に果てはないのだとつくづく思ったものである。

千二百羅漢像 愛宕念仏寺
剽軽な表情の羅漢像
また中にはご夫婦であろう、仲良く肩を組んだ二体の羅漢像・・・などなど。

ご夫婦の羅漢様
肩を組み合う夫婦像
その鄙びた境内の趣きは一度足を運ぶ価値は十分にあると思った。

愛宕念仏寺の羅漢像 - コピー
鄙びた境内
様々な思いをこめてこれらの羅漢様を寄進されてこられた人々。

愛宕念仏寺 哀しげな羅漢様
哀しげな表情の羅漢様
その真摯な無数の祈りが正しく仏様の元に届いていることを心から願うばかりである。

寝転んで休憩中の羅漢様
寝転んで夢を食む羅漢様
この寝転んで楽しい夢でも食()んでいる態の天下泰平の羅漢様が境内一杯に埋め尽くされる時代がはやく到来してほしいと思いながら、次の化野念仏寺へと向かった。

化野・西院の河原
化野の念仏寺 西院の河原
浄土宗寺院である化野(あだしの)の念仏寺は確か最初に詣でたのは高校生の修学旅行ではなかったかと思う。

化野念仏寺の竹林
化野念仏寺の竹林
その後、大学生になってすぐ神護寺辺りから清滝川の川沿いに嵐山まで歩き通したことがあるが、その時に化野へ立ち寄ったのかもしれないが記憶は定かでない。

2009年に鮎茶屋・平野屋へ寄ったついでと云っては申し訳ないが、その時に久しぶりにお参りしたのが最後であった。

化野念仏寺・仏舎利塔 2009.1.16
2009年 インド式仏舎利塔(ストゥーパ)
此度は83歳の叔母は初めてだというので案内したのが主な理由であったが、愛宕(おだき)と化野の念仏寺ってどう違うのかという素朴な興味があったのも事実である。

化野念仏寺・ご本尊阿弥陀如来像
化野念仏寺のご本尊・阿弥陀如来坐像
化野は、平安時代あたりから死者の風葬の地であったとのことで、当寺開創の伝承にも空海が放置されたご遺体を供養したことにはじまったとある。

化野の無縁仏
無数の無縁仏
そのため、境内には無数の無縁仏が所狭しとならんでいる。

本堂前の一画は三途の川の手前の広がる賽の河原に似ているとのことで、「西院の河原」と呼ばれている。

化野念仏寺
西院の河原
フジTVの人気シリーズであった「赤い霊柩車」の冒頭場面で片平なぎささんがお決まりの述懐をするのが、この念仏寺の西院の河原である。

例年8月下旬に河原に蠟燭がともされる「千灯供養」が催されている。

まだ行ったことはないが、さぞかし幻想的な光景であろうと思う。

ただコロナの影響で、今年も3年連続で中止の憂き目にあっている。

昼日中の念仏寺はどことなくその神秘性を欠き、やはり闇夜に月あかりか燈明の灯りのなかで夢か現の態で参拝するのが、中世の葬送の地の風趣が感じられるようである。
さて、われわれは葬送の地をあとにして、ちょっと晴明神社に立ち寄りホテルで小休止、そして京都グルメの〆となる割烹まつおかへと出陣することとなる。

初夏の京都グルメ旅 三日目その1 奥嵯峨 鮎茶屋・平野屋

文化の薫り高い葵祭鑑賞、転じて、食慾の赴くくまま京のグルメ旅、三日目は奥嵯峨の鮎茶屋・平野屋で昼食をいただくことにした。

平野屋俯瞰
平野屋全景 絵ハガキより
当日は奥嵯峨まで足を延ばし、途中、寺院を巡ることからMKタクシーの6人乗りのアルファードを一日貸切にした。内装が織物仕様の5人がゆったりと坐れるなど一行の評判は良かった。
MKタクシー 特別仕様アルファード
MKタクシーHPから
さて平野屋であるが実は2011年の6月に訪れ、鮎料理に舌鼓を打った。
2011.6.14 平野屋母屋にて
2011年6月、平野屋母屋にて
それから夏の訪れとともに、その時味わった「鮎の背ごし」をもう一度食べてみたいと口にするのがここ数年、常のこととなっていた。そんな魂胆もあり、83歳になる叔母の京都観光案内で、菩提寺の本山である仁和寺をお詣りしたいとの要望にかこつけて、嵯峨野の奥まで足を延ばし平野屋の鮎を所望しようという算段となった。
2011.6.14 平野屋鮎の背ごし
2011.6.14 鮎の背ごしをいただく
電話予約の際に、5月中旬で「鮎の背ごし」は大丈夫かと確認を入れたくらい、「背ごし」への我執は半端なかった。お店の方はその場で料理人に訊ねてくれて、当日、手頃な鮎が入ったら準備させてもらうとの返答であった。舌のうえに載っけた瞬間のあのヒヤッとした触感!凍てたシャーベットを嚙み砕くときのシャリっとしたあの爽快感!この10年余、「夏がく〜れば思い出す♪ はるかな鮎 と〜い空♪♪」と、必ずわたしの口の端に上ってくる「麗しの背ごし」である。そのたびに、細君は「一度、行ってきたら」とあきれたようにおざなりな反応を示すのである。そして、今年、ようやく長年の希望が叶うというわけである。
2011.6.14 愛宕神社一之鳥居と平野屋
愛宕神社一の鳥居と平野屋 2011年
叔母たちにはあの白洲正子さんが絶賛していた平野屋の極上の鮎をぜひ紹介したいからと言ってあった、という裏事情はさておき、その日はまず仁和寺近くの龍安寺を拝観。
青モミジが美しい龍安寺の石段と龍安寺垣
龍安寺の石段と龍安寺垣
昨年12月から石庭の「油土塀(あぶらどべい)の杮(こけら)葺き」の張替えが終了、この3月19日から拝観が再開されたということでなかなかこの5人、運が強い。
杮葺きを葺き張替えた龍安寺の油土塀
龍安寺の油土塀と葺き替わった杮(こけら)葺き
わたしは石庭の石の配置の妙など何度みても、その良さが分からないのであるが、白砂と石組の背景となる油土塀の色合いについてはかねて好みのものであった。
龍安寺 石と油土塀
石庭の石と油土塀
そしてこの度、土塀の杮葺きが一新されていた。
2003.12 葺き葺き替え間前の石庭
2003年12月 古い杮葺き
かつての侘びの風情の枯山水とは異なり、少々驚いたのだが、陽光の降り注ぐ屋根は銅板を張ったように金色に光り輝き、これはこれで美しかった。
龍安寺石庭の石と油土塀と杮葺き
杮葺きが輝く石庭
意馬心猿の日々をおくる己を、禅の世界に閑に身を置くことでその性根を叩きなおし、心静かに稚鮎に箸をつけようと・・・殊勝な心持ちで石庭の一五個を数える石を心眼で観ようと努めた。
ミニ石庭 模型
石の配置がわかるミニ石庭
やはりすべての石を観ることは不可能であった。ところが、縁側を行きつ戻りつしていた従妹の連れ合いが一五個の石が見えたというのである。そんな馬鹿なと思ったが、彼は180cmを超える偉丈夫である。縁側中央に立って石庭を仁王立ちで見下ろしたら、かろうじて全ての石が見えるようなのである。
龍安寺・石庭
龍安寺石庭 15個の石は見えない
帰京後調べてみたら、龍安寺石庭の15個の石、本当は一度に見れます」というブログを見つけた。なるほど何とか一五個の石が見えている。そんな瞑想どころでない「見えた」、「いや見えるはずはない」といった他愛もない話題で盛り上がり、次の仁和寺へと向かう。
仁和寺仁王門
仁和寺・仁王門
雄大な仁王門はいつも訪れるものを圧倒する。
仁和寺・金堂
仁和寺・金堂
ここの金堂はもともと御所の正殿・紫宸殿で、江戸の寛永年間に移築されたとのこと。国宝に指定されている。
仁和寺・御室桜
御室の桜
また背丈の低い御室(オムロ)桜の葉叢が青々と茂っていたのが印象的だった。本山のお詣りをすませ、一行はいよいよ奥嵯峨を目指す。

仁和寺から平野屋へは距離にして6km、車でわずか10分余といたって近い。あながちわたしの我欲のみではない、平野屋での昼餉は当日の観光ルートであればごく自然な成り行きであるといってもよいのである。
2022.5.16 平野屋
やはり茅葺は風情がある 平野屋
苔むした茅葺屋根の平野屋のたたずまい。ここに降り立つだけで、詩情溢れる鮎茶屋のおもてなしが思い起こされた。
平野屋 離れの間
平野屋 離れの間
当日案内されたのは離れの間である。11年前にはなかった新しい建屋である。そこから以前に通された母屋と庭の池を見ることができる。
平野屋離れから本館を見る
左手の手すりが母屋の間
これはこれでひとつの風情である。いよいよ鮎料理が供される。夢にまで見た?鮎の背ごしである。
平野屋・鮎の背ごし
紀州の鮎の背ごし
この季節、まだ保津川の鮎は解禁前で、当日は紀州の有田川の鮎であるとのこと。一同に素人講釈をし、ありがたく戴いたことは言うまでもない。
鮎料理はもちろんまずは塩焼き。
平野屋 鮎の塩焼き - コピー
三尾の鮎の塩焼き
白洲正子女史は来るたびに五匹、六匹と塩焼きのお替りをしたという。
鮎粥
鮎のお粥
鮎粥も名物の一つ。最後に別途豆ごはんとみそ汁もあった・・・
志んこ 平野屋
名物・志んこ
愛宕神社への九十九折の岨道を模してつくられた捻じれた団子・「志んこ」は愛宕山の名物である。
平野屋・野菜の炊き合わせ
野菜の炊き合わせ
江戸時代、愛宕詣での参拝客が麓の茶屋で「志んこ」でお茶を喫し、山道へいどむ英気を養ったのだという。
野菜の天ぷら 平野屋
野菜の天ぷら
ランチといってもそれ以外に、野菜の炊き合わせや天ぷらなど次々とお皿がとどき、少々、年寄りにはきついくらいの平野屋の多彩なメニューであった。
そして、初夏の鮎茶屋・平野屋でのひと時を過ごしたわれわれは、次に奥嵯峨にある二つの念仏寺にお参りし、晴明神社経由でホテルへ向かい、夜の「割烹まつおか」に備えることとなる。

初夏の京都グルメ旅 二日目その2 鴨川納涼床・京フレンチきしもと

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースと洒落てみた。

昼は貴船の川床(かわどこ)で昼餉を愉しんだことは先のブログに書いた。

貴船川に設営された川床
貴船川の川床
そして、その日の夕餉であるが、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)「京フレンチきしもと」の予約をとっていた。

京フレンチ きしもと看板
京フレンチきしもと
時季は五月中旬とちょっと気は早いのは承知だが、貴船・鴨川・高雄の「床」はいずこも5月1日から営業が開始されている。

そこで京の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)文化」を83歳の叔母に味わってもらおうと思った次第である。

鴨川の納涼床 - コピー
鴨川の右岸に連なる納涼床
夕刻に一同、ホテルを発ち、木屋町通り沿いに歩いて10分ほどのところにある先斗町にある「京フレンチきしもと」へ向かう。

鴨川納涼床
京フレンチきしもと 納涼床
途中、維新の激動の時代、若き志士たちが残した歴史の痕跡を案内しながらそぞろ歩いた。

「割烹やました」のすぐ近くで今を去ること150年前、佐久間象山が暗殺され、ほぼ同じ場所で大村益次郎が襲われたという。

佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
高瀬川対岸に佐久間象山暗殺・大村益次郎遭難の地の石碑
いま歩く通りにそうした陰惨な雰囲気は一切感じられない。

これから百年後の木屋町通りは果たしてどんな姿を人々に見せているのだろう・・・。

そんななかで桂小五郎と芸者幾松が過ごした処にあった料理旅館幾松がコロナ騒動のなか2020年10月で廃業となっていたことを、今度、知った。

料理旅館幾松
かつての幾松
各地で老舗といわれる旅館や料亭が廃業の止むなきにあっているとニュースなど耳にしていたが、いつか行ってみようと幾松が閉店となっていたとは誠に残念である。

新選組が旅籠池田屋に集結した志士たちを襲撃した池田屋騒動の舞台となった処は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」となっているが、三条通りに面する店頭に「池田屋騒動の址」と刻む石柱が建っている。


池田屋跡に建つはなの舞
池田屋騒動の地
また、三条大橋の西詰めは日本橋を起点とした東海道五三次の終点となるが、二つ目の擬宝珠(ぎぼし)には池田屋騒動時に傷つけられた刀傷がいまなお生々しく残っている。

池田屋騒動の刀傷三条大橋の擬宝珠
三条大橋の擬宝珠の刀傷
また西詰の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の剽軽な表情をした弥次さん・喜多さんの銅像が建っている。

弥次さん喜多さんの銅像
弥次・喜多像
そこから鴨川沿いの少し下り、龍馬通りから先斗町通りへ入ってゆく。

狭い通りにはぎっしりと飲食店が軒を連ねているが、その軒先には先斗町の紋章である千鳥をあしらった提灯がさがり、すでに灯がともされていた。

先斗町通り
先斗町通り
夕食時ということで結構な人出である。

「京フレンチきしもと」はもともとお茶屋であったというが、改装された店内はカウンター席が細長く連なるシックな造りとなっている。

きしもと店内
きしもと店内・突き当りが納涼床
突き当りのガラス戸を抜けると鴨川に面してテーブル席の納涼床が設営されていた。

’捨綻欧でた鴨川 三条大橋から
納涼床が連なる
河原に面する一等席がわれわれ五人用に用意されていたが、シッティング前の写真を撮り忘れたので、以前、訪れたイタリアン・ルンガモ(廃業)の納涼床の写真を載せることにする。

納涼床 ルンガモ
イタリアン・ルンガモの納涼床の風情
納涼床のイメージはおよそこんな感じである。

「京フレンチきしもと」はそもそもコース料理のみのお店のようで、納涼床は店内で頼む料理の二割ほど高い値段設定になっていた。

当夜はBコースを予約していた。

オードブル四品。

オードブル  オードブル4品のひとつ
オードブル4品のうち2品
メインが甘鯛のムニエルか、

ディナー 甘鯛ムニエル
甘鯛のムニエル
牛フィレのステーキ生わさび添えのどちらか一品。

⓪きしもと ディナー牛フィレステーキ
牛フィレ肉のステーキ
それと最後にデザート。

デザート
ちょっと・・・寒すぎた・・・
それにしても年寄りにはこれで十分の量であった。

午後六時の予約で、料理がスタートした納涼床のひとときであったが、実は夏の夕涼みにはやはり時季が早すぎた。

皆さん、サービスされた料理はテキパキと処理し、おいしかったんですよ「きしもと」さん!!料理は。

7時40分には食後の余韻を味わう余裕もなく、この時季、川風はさすがに年寄りの身に応えた。早くホテルで暖まりたい?とお店を後にすることとなった次第。

夜の先斗町
8時前でこのとおり
先斗町通りに出ると、まだ8時前というのに人通りはまばらであった。

やはりコロナの影響で、人々の夜の行動様式は一変したのだと、かつての先斗町の賑わいを知る男のひとりとして、人の心の移ろいといおうか、時代の変遷とでもいおうか、一抹の寂しさを覚えたところである。

そして京都の「床(とこ)と「床(ゆか)」をあわただしく堪能した一団は先斗町通りをワイワイといっぱしの感想を述べながら北へと上がっていったのである。

「出町ふたば」の“豆もち”と春季限定の“本よもぎ餅”を食べた!!

かねて出町柳の「ふたば」の大福は一度は食べてみたいと願っていたが、いつもタクシーから店前にならぶお客の行列を目にしては、「名代豆もち」を口にするのは今生ではむずかしいとこの20年間、半ば諦めていた。

―伉ふたばの豆もち
出町ふたばの”名代豆もち”
ところが此度の京都行でその夢が図らずも叶うことになった。

というのも、貴船の川床の帰り、出町柳駅で下車して叔母とわたしども夫婦は先にホテルへ戻ったが、従妹夫妻はそんな著名な和菓子屋あるならちょっと覗いてから帰ると別行動となった。

70代、80代組はホテルでのんびりと休んでいたが、(還暦+1year)組の夫妻はエネルギーを持て余しているのかなかなか戻ってこない。

待つこと1時間半、ようやく戻ってきた彼らの手には夢に見たあの「名代豆餅」のシールが貼られた「ふたば」の薄緑色の包みが二つあるではないか。

―伉ふたば本店豆もち・本よもぎ餅
夢見た出町ふたばの包装紙
えっ!

今生で「豆もち」にありつけるとはと、その喜びはなんと表現してよいかわからぬほど二人には感激のあまり感謝の言葉もみつからなかった。

話を訊けば、十重二十重は云い過ぎだが、折れ曲がり五列ほどならんでいた客の最後尾について待つこと一時間余、ようやく、注文ができたのだという。

そして、「豆もち」を購入。

さらに、季節限定の「本よもぎ餅」が最後の一個、残っていたので、それも購入してきてくれたという。

―婬┯堕蝓λ椶茲發餅
春季限定のレアもの・本よもぎ餅
「ふたば」の「名代(なだい)豆餅」は当たり前だが“本日中にお召し上がりください”ということなので、大福大好きの私でもこれまでは貴重な京都滞在の時間の中で、長時間、ならんで購入し、当日中に口にするのには抵抗があったし、無理があった。

(歛故岨藩僂擦困瞭μ
本日中食せの注意書き
ところが、今回は年寄り組が夜に備え、ホテルで休憩をする間に、長蛇の列をものともせず、若者?夫妻が“名代”な豆餅購入に果敢に挑戦してくれた。正直、頭が下がった。

豆餅、おいしかった。

―伉ふたば 豆もち
豆餅、おいしかった!!
柏餅もおいしかった。

)椶茲發餅・桜餅
本よもぎ餅と柏餅
そして、春季限定の「本よもぎ餅」もおいしかった。

その日の彦左の両頬が床に届きそうなまでにたるみこんだことは言うまでもない。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 二日目その1 貴船の川床(ランチ)喜らく

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースを選んだ。

京都の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)」をしゃぶりつくそうという魂胆である。

⓪貴船の川床
貴船の川床
そういえば、6月18日土曜日のNHK番組「ブラタモリ 京都・鴨川〜川をたどれば京都がわかる!?〜」で野口葵衣アナウンサーが京都の水の考え尽くされた利活用を「しゃぶりつくす」と表現した際、「一滴残らず」という方が適切かなとタモリさんがやんわりと指導していたっけ。

‐絏賁仗声辧〔誠誓遒噺翳忌川の合流点
ブラタモリ・上賀茂神社の明神川と御物忌川の合流点
さすが「言葉の力」で人生を切り拓いてきた人物の言葉へのこだわりと日本語に向き合う真摯な姿勢に感じ入ったところだ。

余談はこれぐらいにして、当日はまず京の奥座敷・貴船(きぶね)の川床(かわどこ)で昼食をとり、夜は鴨川の納涼床(のうりょうゆか)で夕食という、「床」づくしの企画である。

ヽ川の納涼床がはじまる
鴨川の納涼床
まず出町柳から叡山電鉄鞍馬線に乗って貴船口(きぶねぐち)まで目にやさしい新緑を愛でながら30分弱。

ゝ船口駅
貴船口駅
駅前に川床を予約していた料理旅館「喜らく」の車が出迎えてくれた。貴船神社本宮前の「喜らく」まで2KM、5分の距離だが、脚に不安がある方は送迎をお願いするとよい。

ヾ遒蕕
貴船神社総本宮前の喜らく
昼食の予約時間までの1時間を利用して本宮から貴船川上流沿いに800Mほどいった先に鎮まる奥宮を参拝した。

ゝ船神社・奥宮
貴船神社・奥宮
海神・豊玉彦の娘で、神武天皇の皇母でもある玉依姫が淀川を遡上、鴨川の水源地であるこの奥宮の地に祠を造り都の水守りとして鎮まったとの伝説が貴船神社に伝わっている。

その時、坐乗してきた黄色い船(貴船の名の由来ともいわれている)を積み石で囲み匿(かく)したものと伝わる「舟形石(ふながたいわ)」が奥宮の脇にある。

―形石
舟形石
その傍らには朝廷の飲料水の管理をつかさどる主水部(もひとりべ)であった鴨族の祖神である味鉏高彦根命(あじすきたかねひこ)、別名、迦毛(かも)大神を祀る末社・吸葛(すいかずら)社が玉依姫の守人のごとく鎮座している。

)社・吸葛社(味鉏高彦根命)と船形石
舟形石のそばに吸葛神社
貴船山と鞍馬山に挟まれた渓谷に位置する貴船神社・奥宮の後背には鬱蒼と木々が繁っている。

その古木の所々に人形(ひとがた)に五寸釘を打ちこんだ痕が今でも残っているとかつて誰かがわたしに囁いた。この奥深い森には幾多の女が丑の刻参りを重ね、心変わりした男と新たな女を呪詛する風習が残っていたのだという。

能の演目・「鉄輪(かなわ)」は夫に捨てられ嫉妬に狂った女が貴船神社に丑の刻参りを重ね鬼に変貌、夫と後妻を襲うという禍々しい人の業を描いたものである。

2009.10.14 厳島神社・観月能
厳島神社・観月能 鬼に変じた女
この譚(はなし)には陰陽師・安倍晴明が登場し、その鬼女を追い払い二人を救うところで終わる。

ところがこの女、「まずこの度は帰るべし」と再度の襲来を予告し恨みを深く心に秘めたまま、一旦、身を匿(かく)しただけで、安倍晴明をもってしても止めは刺させなかったというものである。女の情念のすさまじさに背筋の凍る思いがし、その怨みはいまなお四条河原町あたりをうろついているのである。

\果誠声辧Π打楡果請
晴明神社の安倍晴明像 

そんな怪異譚の一方で、貴船神社はいまや恋人の聖地のようにいわれている。

奥宮への途中にある結社(ゆいのやしろ)のご祭神・磐長姫命が縁結びの神という。

〃觴
結の社
多くのカップルがその小さな祠の前で仲良く手を合わせている姿は印象的である。

恋多きスキャンダラスな女流歌人・和泉式部が、再婚した夫・藤原保昌の愛を失い、貴船神社で密教の秘儀・敬愛の祭りを執行、女性のたしなみを失わなかったことで、撚りを戻した? もとい、愛を取り戻したとの話が鎌倉時代の仏教説話集の「沙石(しゃせき)集」に載っている。

]太式部・歌碑
結社に建つ和泉式部の歌碑
平安時代から「貴布禰」神社が男女の愛を叶えさせるパワースポットだと信じられていたことをしめす譚である。

ゝ船神社総本宮
貴船神社・総本宮
また、総本宮では湧き水のご神水で水占いをするカップルが列をなす。
/綫蠅ぁΔ澆じ
貴船神社の水占い
清冽な貴布禰の渓谷には恋のキューピッドとともに、安倍晴明の神通力をも打ち返す嫉妬に狂う鬼女が夜の闇の底に潜んでいるということなどつゆも知らぬ若人たちに、老婆心ならぬ老爺心で「人間の業の闇は深いよ」とつい、耳打ちしたくなった。


そんな愚かで意地悪な白昼夢を見せてくれた貴船でいよいよランチである。いや、昼餉の時間である。

本宮前に店を構える「喜らく」に川床(かわどこ)の予約をとっていた。

ヾ遒蕕の川床
喜らくの川床
当日はまだ川床が設営されて間もないこともあり、涼風というより寒さが克つのではと、料理は湯豆腐コースを頼んでおいた。

川床の下を貴船川の清流が勢いよく流れている。

[辰笋な喜らくの川床
川床の下を清流が流れる
川筋を吹き抜ける山気ととどろく水音はコロナで鬱屈した気鬱病を一気に吹き飛ばしてくれる。しかし、さわやかというよりかなり肌寒い。

そんななかでいよいよ川床料理をいただくことに。

京の夏の定番、鱧の湯引きとお造り。

£腓療魄き・お造り
鱧の湯引きとお造り
鮎の塩焼き。

^召留焼き 喜らく
鮎の塩焼き 一人分ではありません
鮎の天ぷらまでも出てくる。

ヾ遒蕕の湯豆腐コース
お待ちかねの湯豆腐
そしていよいよ温かい湯豆腐の登場。このころには皆、早く暖をとりたい気分が横溢。

急ぎ小椀に湯豆腐をとりわけ、ようやく身体も心の中もほかほかと緩んでくる。

5月の中旬、湯豆腐料理。京の奥座敷では大正解との皆さんにお褒めをいただいた。

以前7月に細君と貴船を訪れた際には、老舗の「ひろや」で川床料理をたのしんだ。

⓪ひろや川床料理
ひろやの川床
その時、氷をアレンジした器で涼を演出した料理にはビックリ。暑さも吹き飛んだ。

涼をさそう氷器に盛られたお造り ひろや
氷器のお造り
そしていかにも涼感をさそう洒落た鮎の塩焼きも供された。

,劼蹐笋領担桐兇Π召留焼き
盛り付けが美しい鮎の塩焼き
夏本番にお昼からしっかりとした懐石料理を所望したいと思われる方は、「ひろや」の川床料理はお薦めである。

 

こうして風流な川床料理に舌鼓を打ち、一方でいつの世も変わらぬ男と女の情景に思いを馳せた貴船神社・・・

ゝ船神社・本宮石段
貴船神社本宮の石段
作家水上勉は短編小説「貴船川」のなかで「貴船は女の執念を考えさせる神社」であると書いた・・・そんな貴船を、夜の鴨川納涼床にそなえて、食慾という煩悩に病む一行は早めに退散することとあいなった。
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