彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

March 2022

コキコキドライブ旅 6日目 その一 東尋坊

いよいよこの日、継体天皇ゆかりの「越の国」、福井県へと入ってゆく走行予定距離118kmの旅である。

継体天皇石像
福井市足羽山公園に建つ継体天皇像
日本書紀の世界に没入してゆく前に、かつて自殺の名所というと必ずその名があがった東尋坊が道すがらにあるというので、怖いもの見たさというのもありちょっと立ち寄ることにした。

迫力の東尋坊
東尋坊
その東尋坊であるが、当ブログではお約束事となった感のある「私にとっては初めての場所だが、細君はもちろん半世紀前に訪れた馴染み?の地」だそうで、日本海に屹立する、われわれ夫婦が大好きな“柱状節理”の安山岩からなる懸崖だという。

|貍節理がよくわかる東尋坊に立つ謎の人物
柱状節理がくっきり見える東尋坊の絶壁 謎の人が立つ
さてそのアプローチなのだが、駐車場から絶望の断崖絶壁へと向かっていくはずなのに、どうも想像していたのとは様子が違う。

いかにも観光地然とした道幅の狭いお土産屋街を、店員が発する溌剌とした呼び込みの声を背後に聞きながら通り抜けていくのである。

,いにも観光地の土産屋を抜けると東尋坊_LI
これが絶望の果てに行きつく道・・・
季節が夏であればあたかも海水浴場へでも出向いているような遊興気分が身内にみなぎってきているではないか。

絶望と期待のはざまを振り子のように揺れ動く想いを胸に、漁の解禁をむかえ越前ガニがおいしそうにならぶ店頭を俗物的な横目でしっかりと確かめながら進んでゆくと・・・、

 ̄杼哀ニのならぶ店頭
越前ガニがならぶお店
あっ!と、一挙に視界が開けた。

‥攣魂阿途切れた先に東尋坊
土産屋の果ては、一挙に視界が開けた
陰々滅々とした険しい崖はこの下の方になるのだろうか、峻烈な景観が視界のなかには確認できない。

おそろしい情念の風景とは真逆の、のびやかで渺渺(びょうびょう)たる日本海を一望する見晴台がすぐ下にひろがっている。

仝晴らし台が整備された東尋坊_LI
東尋坊の見晴らし台
幅広の石段を下りると庭の飛び石のような化粧石を敷き詰めた広場には柵が廻らされていた。

高所恐怖症のわたしでも平常心でその突端に立つことができた。

‥貎卷傾馗蠍園碑と日本海
国定公園越前海岸・東尋坊
そこから舗装された石段や小径がいわゆる“こわ〜い”絶壁へと続いているのだが・・・

わたしは杖をしっかり衝きながら、慎重に・・・慎重に・・・足をはこんでいく。

途中で足元から目を海原の方に転じると、絶望の懸崖を目指す観光客の方々・・・なんと笑顔でおしゃべりしながら軽やかに歩をすすめているではないか。

〃崖へは安全な小道が整備されている_LI
整備された東尋坊の観光ルート
まるでランランとスキップでもしているような・・・

(慎い播貎卷靴両径を闊歩する人
断崖の横を闊歩する観光客
ところで細君は・・・と見回すと・・・あっ、無謀にも崖の突端とはいわぬが先っぽの方へと、人生の殺所を目指してゴツゴツとした岩場を突き進んでいるではないか。

‥貎卷靴寮茲辰櫃某佑いっぱい_LI
岩場をすすむ勇気ある女が一人・・・
命知らずと云おうか、能天気で浅はかな行動をと・・・舌打ちでもしたい気持にもなったが・・・その岩場の先に若者たちが屯(たむろ)し楽しげに談笑しているのを目にしては何をか云わんやである。

一歩、足を踏み外すと人生のシャッターは一瞬にしておりて漆黒の冥界へと真っ逆さまに落下してゆくのに、暢気なものである。

‥貎卷
東尋坊
そんな不条理な光景を目にして気持ちがざわついてきたのだろう・・・突如、「北陸の暗鬱な雲とくろい海」、「遥か下の方で海が鳴っている断崖」・・・

ヾ笋紡任蘇佞韻詛
東尋坊に打ち付ける日本海の荒波
わたしの想いは松本清張の推理小説の世界へと浮遊していった。

そしてわたしの脳裡にひとつのどす黒い想念がむくむくと浮かんできたのである・・・

「細君にはいくらの生命保険がかかっていたんだったっけ・・・」

そして・・・

「あぁ〜、高齢者になって付保額はガクッと減額されたのだった・・・」と、脳内で算盤をパチパチと弾いて無為の衝動は瞬時におさまった。

‥貎卷靴量燭療渡奪椒奪ス
自殺を思いとどまらせる「救いの電話」ボックスがあった
傑作「ゼロの焦点」の断崖絶壁は能登半島の「ヤセの断崖」が舞台だといわれているそうだが、東尋坊でわたしは小さくなってゆく細君の背中を目で追いながら、「ゼロの焦点」ならぬ「眼(まなこ)の焦点」がなかなか合わず見にくくなったものだと自嘲したものだ。

‘本海の水平線
日本海の水平線が見事
すると一陣の潮風が断崖に吹き渡り、どす黒い企みはきれいさっぱりと吹き飛ばされていった。

鬱陶しいマスクを外してみたことで、二年にわたるマスク生活で澱んでしまった脳内に大海原からの清新な風が吹き込んできたことが幸いしたに違いない。

‐紊ら見ると何の変哲もない柱状節理の海岸
東尋坊
わたしは杖を両手でつかみ思いっきり背伸びをし、深呼吸をしながら大空を仰いだ。

すると、空高くに一台のドローンが游泳しているのが目に入った。

‥貎卷靴防發ぶドローン
日本海を游泳するドローン
その自在、闊達な動きに見とれているうちに私たち夫婦がゆく北陸路には、清張の云う「暗鬱な雲」なんかでなくこの日のような「蒼天」が一番似合っているのだ・・・と思えてきた。

そして蒼穹に揺曳するドローンの映像のなかにはきっとこれまでのわれわれ老夫婦の人生が豆粒のようになって映り込んでいるに違いないと、思わず笑みがこぼれおちた。

コキコキドライブ旅 5日目 金沢その2・兼六園・珠姫の寺天徳院

金沢城の石川門を出て百間掘りを跨ぐアーチ状の石川橋をわたり切るとすぐに日本三名園のひとつ、兼六園の桂坂入口がある。

茶店から百間掘越しに石川門を望む
旧江戸町から百間堀を跨ぐ石川橋と石川門をみる
その受付の手前右手に百間掘りに沿って茶店が立ち並ぶ筋がある。

江戸町の跡に茶店がならぶ_LI
旧江戸町・お土産屋、飲食店がならぶ
そこは金沢の地でありながら、かつて江戸町と呼ばれていたところだそうで、加賀藩第二代藩主・利常の正室・珠姫(徳川秀忠の次女)が江戸から輿入れしてきた際の随従三百人の長屋が建っていたことに由来するという。

その江戸町にならぶ一軒の蕎麦屋に立ち寄り腹ごしらえをして受付へ向かうと、先ほどはまばらであった観光客が列をなして並んでいたのには少々驚いた。

兼六園入場券購入にならぶ観光客_LI
兼六園の券売所にならぶ観光客
コロナ感染が落ち着いてきた秋の好日である。人々は久しぶりに解放感を味わおうと押し掛けてきたのだろうと、納得!納得!

ところが入園してすぐに今度は池の手前の人だかりである。

ゝ軫灯籠の写真撮影にならぶ若者たち_LI
園内進入を塞ぐかのように列をなす人だかり
さすがにこの混雑が続くのであれば、園内を歩きまわるのは御免こうむりたいものと周囲の様子を仔細に観察したところ、どうも若いカップルや友達同士で石橋のうえで記念写真を撮ろうとそこだけにたむろしていることがわかった。

徽軫灯籠で記念写真を撮ろうと人だかり_LI (2)
対岸からもこの人だかり
そのフォトスポットに目をやると、兼六園と云うと映し出されるあの有名な二股の石灯籠があった。

その名を「徽軫(コトジ)灯籠」というそうで、お琴の弦を支える二股の琴柱(ことじ)に形状が似ていることから名付けられたのだそうだ。琴柱などという言葉すら聞いたこともなかったわたしである。

徽軫(コトジ)灯籠と霞ケ池
徽軫(ことじ)灯籠と霞が池
なるほど雅な名前に趣のある灯籠に違いはないが、何もここまで群がり寄って写真を撮りまくるほどのことかと、若人たちが思い思いにポーズをとるのを半ば呆れながら、半ば眩しい思いで眺めたものだ。

「若いという字は、苦しい字に似てるわ・・・♪」などと、と〜い昔に口ずさんでいた老人は“時”というものの無慈悲さと冷徹さを思い知らされたひと時でもあった。翻ってわたしの青春時代も時のご老人からは「“わかもの”は“ばかもの”という言葉に似てるわ」と思われていたのに違いないと首をすくめたところである。

兼六園の風物雪吊り
雪吊りを施された松が随所に
さて、11月ということで園内の松の枝々には円錐形に縄張りされた雪吊りが設えられていた。

兼六園といえば「雪吊り」というほどに、代表的な景観である。

この情景に積雪でも加われば、その風情は弥増しに増すのだろうが贅沢はいうまい。

今様のインスタ映えの景観がここにも、あそこにもと展がっていた。

霞ケ池
霞が池と対岸に雪吊りの唐崎の松
だから都度、立ち止まっては写真をパチリ。

細君は呆れ果てながらも先に歩いて景色をじっくり堪能しては、要所々々で立ち止まりわたしが追いつくのを辛抱強く待ってくれている。

それをいいことにわたしは性懲りもなくパシャリとデジカメを鳴らしては杖を握り直しコチョコチョと急ぎ足、といったことを繰り返す。いつも通りのわれわれの旅のお約束事である・・・とわたしは理解している・・・。

兼六園の土はさぞかしわたしの摺り足で、この一日で2cmは削り込まれたにちがいない。

辰巳用水
清流の流れる辰巳用水
それでもなお、またパチリ。

∪稍澆蠅汎本武尊像
日本武尊像と雪吊り
そして、また、パチリ。

唐崎松と雪吊り
銘木・唐崎の松
あぁ! 忙しい・・・

‥盧蠅両(2016.5.17)
近江八景・唐崎神社の本物の唐崎の松(2016.5.17)
そして、なんと兼六園にも“親知らず(子知らず)”があった。

⊃特里蕕
兼六園の親知らずをゆく細君
ここはわが夫婦にとっては“夫(つま)知らず”とでも命名すべき石畳ではあった。

さらに兼六園には虎もいた。

 虎石  兼六園を守護する魔除け石の一つ
虎石
そして雁も雁行していた。

雁行橋
雁行橋
想像以上に広い園内、斯様なまでにいたるところに巧みな意匠や遊び心があったのには驚いた。

こうして1時間半におよぶ散策を終え、タクシーで北國新聞赤羽ホールへと戻り、次に珠姫を偲ぶ天徳院へとマイカーを駆った。


天徳院は二代藩主利常が建立した正室・珠姫の菩提寺であるが、のちの寛文年間にその遺骨は利家以下前田一族が葬られている野田山墓地へと改葬されている。

その珠姫は3歳で江戸から嫁いできて三男五女をなし、二四歳という若さで亡くなった。江戸創世の混乱の時代、二代将軍の次女の立場にありながら前田家のために多くの子供を産み、家中の抗争のなか徳川家との融和をはかり、加賀百万石の繁栄の礎を築いたお姫様として加賀の人々にいま尚、愛されている人物なのだという。

⊆酩韻鮗鼎峪・天徳院 山門修復中
修復中の天徳院山門
その天徳院で威容を誇る元禄6年建築の山門は現在修復中とあって、覆いがかけられ残念ながら目にすることはできなかった。

廻廊から山門を見る 天徳院
本堂廻廊から山門を見る
そこで本来は山門をくぐりまっすぐに向かう本堂へ長い廻廊をめぐり入ることになった。

天徳院の長い廻廊
薄暗い廻廊を通り本堂へ
本堂内は撮影禁止ということで写真がないが、奥にからくり人形・「珠姫・天徳院物語」を上演する舞台が常設されていた。

天徳院の庭園
天徳院の日本庭園
毎日午前10時から2時間ごとに午後4時まで上演されるとのことだったが、当日は2時半過ぎに到着したため、午後4時の上演まで待つこともできず、お抹茶をいただき、庭園を散策させていただくことにとどまった。

∋殻腓鯒愀覆箸垢譴个気眸しかろうに・・・
山門が背景となればこの紅葉もより美しかろうに・・・
こののち野田山の前田家墓地を訪ねるのだと受付の男性に告げたところ、「そこまでお参りいただけますか」と、野田山墓地の苑内図を手渡された。

前田家墓地マップ 写真版 - コピー_LI
朱色:天徳院と利長(微妙院) 橙:利家とまつ
実はこの地図がないと、とても初めての人が前田家の墓所までたどり着くことは至難であることをのちに知った。

墓地に到着したのが午後四時頃で、園内の一本道を奥へ奥へと行った行き止まりに大きな門柱があった。そこから山上の方までが前田一族の墓所となっている。

¬酖鳥格菽蓮α暗腸畔莉蠅悗寮价
前田家墓所への石段
そこここが苔生した石段を登って行ったがなかなか墓所に辿り着かず、日も暮れ出したため墓所参拝は断念することとし、ホテルへの帰路についた。

当夜は金沢駅の金沢百番街の「香港飲茶の店 菜香楼」でおいしい中華をいただいた。たくさん食べた。おいしかった!!

香港飲茶の店・菜香楼
菜香楼
そして次の日から、いよいよわたしの旅の主目的である、継体天皇の伝誦の多く残る「越の国」の西域、福井県へと入ってゆくこととなる。
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