この日は朝方は雲量の多い空であったが、徐々に青空が顔をのぞかせ、午後には一面に青空が広がるまさに観光にはうってつけの日となった。

ゞ眤城には青空が似合う
青空のもと金沢城
当日のルートは「金沢市観光公式サイト」掲載のモデルコース・加賀百万石前田家の史跡めぐりを素直になぞることにした。

まず、前田利家とお松の方を祀っている尾山神社である。

“山神社・拝殿
尾山神社・拝殿
駐車場は至近の北國新聞赤羽ホールの地下駐車場(39台)を利用した。

)猛⊃景浩岷ホール・地下駐車場
土曜日にもかかわらずガラガラの駐車場
その日は土曜日とあって人出も多かったが、あまり金沢の人にも知られていないのか利用している車も少なく穴場の駐車場を見つけることができ幸いであった。

尾山神社の建つ高台は昔、金沢城郭の金谷出丸があったところだそうで、6代藩主の時代に隠居所として「金谷御殿」に模様替えされたという。

廃藩置県後に藩士一同が藩祖の利家公と松殿の勲功を永く祀るために御殿跡地に尾山神社を創建したのだという。

(谿疉霄垰僂料暗塚家公銅像
境内に建つ母衣武者姿の利家像
もちろんお目になどかかったこともないご人物だが、“利家とまつ“。

\擬次,松殿
境内に建つ賢婦人の”まつ”のレリーフ
誠に徳の高いご夫婦であったのだなと、心より感服した次第である。

尾山神社を訪れて驚いたのは、石段を昇った先に待ち受ける異色の建物である。和漢洋の折衷様式の神門だという。


“山神社・和漢洋3様式混用の神門_LI
尾山神社・神門
明治維新の進取の気性の横溢した建築物であり、神社様式とは一線を画す一見の価値ある神門である。


さて尾山神社境内を通り抜けると、20207月に復元された鼠多門橋と鼠多門を通って金沢城の西郭に入城できる。

“山神社から鼠多門へ
尾山神社から鼠多門橋へ
鼠多門橋は江戸時代当時の橋長16・5間(27・2m)のまま復元されており、往時の加賀百万石の威容をみるようである。

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鼠多門橋と鼠多門
その鼠多門を潜り、石段をのぼると平成27年に整備を終えた玉泉丸庭園を見下ろすことになる。

池泉回遊式の美しい、なかなかの絶景である。

“夕腓瞭眥蹐寮格が強い玉泉院丸庭園
玉泉丸庭園
そこからゆるやかな坂をのぼってゆく途中に、加賀百万石の文化の香りを髣髴とさせる「色紙短冊式石垣」を目にすることができる。

/Щ翆産式石垣
趣きを見せる色紙短冊式石垣
お城の石垣にも斯様な意匠を凝らす前田藩とはなんと教養あふれる藩であったのか、百万石も伊達に大きかっただけではないのだと改めて思い知らされたところである。

そこを過ぎると一挙に視界が広がり、現在発掘調査が進んでいる二の丸広場へと出ていく。

正面に五十間長屋が見える。

‘鵑隆盜場から五十間長屋
二の丸広場から五十間長屋を見る
そして右手の丘の上に修復なった三十間長屋が見えてくる。

ゞ乏擽兇ら三十間長屋を見る
極楽橋と三十間長屋
木の香りが漂ってくるような新調なった極楽橋をわたるとそこに海鼠壁の美しい三十間長屋(重文)が建っている。

〇綾輯崢慌
三十間長屋
当日は日頃はクローズされている内部の見学が許されているというので立ち寄った。

〇綾輯崢慌案睇二階
三十間長屋の二階内部
わたしは階段がきついので1階のみで、細君が二階内部の写真を撮ってくれた。


そしていよいよ橋爪門から表側といおうか、兼六公園へ向かう三の丸広場へと出てゆく。

TVなどの映像でよく目にする有名な金沢城のあの景観、五十間長屋の威容を三の丸広場越しにみることができるのである。

まさに「イヨッ!百万石」、「前田家!!」と歌舞伎の大向こうを張る名場面ではあった。

青空を後ろに控えさせ、白色と銀色に映える“なまこ壁”を前面に纏い、一直線に空を切り裂く五十間長屋。

ゞ眤城三の丸広場と五十間長屋_LI
青空を裂く金沢城・五十間長屋
その両端を切り美麗に立つ菱楼と橋爪門続楼の様子は見事としか言いようがない。

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橋爪門続楼
十四年前に訪れた際は雨中の見学となったので、じっくりその景観を愛でる余裕がなかった。

ゞ眤城の菱楼
五十間長屋を切る菱楼
しかし逆に内部は、その時ゆっくりと拝観した。

仝渊輯崢慌案睇(2007.9)
五十間長屋の内部(14年前)
今度こそはと、じっくりその美麗な海鼠壁で装飾された五十間長屋を、思いっきりの青空の下、十分に堪能しつくすことができた。

ゞ眤城には青空が似合う
左楼が橋爪門続楼 右楼が菱楼
金沢城には青空が殊の外、よく似合う、そう思いなした一日であった。

そして、次はいよいよ私だけ行ったことのなかった兼六園である。

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石川門を出て、この橋を渡っていよいよ兼六園へ
14年前に案内していただいたお偉い先輩に、「ここは見飽きているからいいよな」とあっさりスキップされていた(わたしは観たことはなかったのだが・・・細君は若い頃にしぶといことに拝観していた・・・)因縁の兼六園である。

だから「兼六園」は“金沢・その2”でじっくりとご紹介することにする。