彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

January 2022

幻の貝、赤西貝を食べた! 鮨・歴々金沢駅店

コキコキドライブ旅の4日目(金曜日 2021.11.12)にしていよいよ日本海側へ到達、能登半島を“ちょっと見”してから金沢には連泊することにしていた。

ダイワロイネットホテル金沢駅西口
ダイワロイネットホテル金沢駅西口 HPより
何せ、古希、古希ドライブ旅である。連日の車での移動、旅前半の疲れをこの金・土曜日でゆっくりとりつつ、ホテル内のコインランドリーで雨で濡れた服や汚れものの洗濯をすます。といっても細君がすべてやってくれたのであるが・・・、いつも申し訳ないと感謝している。

ホテルから金沢駅はすぐ
部屋から金沢駅がすぐ、真下に平岡野神社
投宿した「ダイワロイネットホテル金沢駅西口」は202012月に開業したばかりの金沢駅から徒歩4分のところにある新しいホテルである。

スーペリアツイン ダイワロイネットホテル金沢駅西口
ゆったりとしていましたよ! HPより
部屋はスーペリアツイン27屬鬚箸辰討い燭、ベッドもゆったり、トイレとバスもとても清潔で使いやすく、ビジネスホテルとしては充分である。

ダイワロイネットホテル金沢駅西口 バストイレがセパレートな設備
最近のビジネスホテルは気分が良い HPより
当日はしばらくベッドに寝転がってこれまでの疲れを癒した。

それから当夜のお目当てである鮨「歴々」へ向かった。

当初の予定では実は金沢市民の台所として有名な三百年の歴史を誇る近江町市場にある「歴々・近江町店」の予約をとっていたのだが、移動が大変だということでキャンセル、同系列の金沢駅店に飛び込んでみることにした。

鮨・歴々 金沢百番街あんと
「歴々」の金沢駅店
金沢駅構内には「金沢百番街あんと」という大きなショッピングモールとグルメ街があり、多くの人々でにぎわっている(写真はモザイクをかけるのが面倒なので、人が消えた瞬間を狙ったもの)

金沢百番街
「金沢百番街あんと」 土産・銘々菓子・グルメ街
鮨店・「歴々」の暖簾の前には二組ほど順番待ちの客がいたが、15分ほどで店内に案内され、カウンターに席がとれた。

駅中のお店ということで、お客の回転が速いようだ。わたしたちも電車の時刻はどうかと注文の前に訊かれた。客の都合に合わせて鮨を握ってくれるので、客も時間を気にせず安心していられるようだ。

わたしたちはとくに時間の制約もないので、まずは料理長厳選握り(12貫+のどぐろ手巻き(汁物付き)5,720)を頼んだ。

料理長厳選握り
料理長厳選握り
日本海の鮨である、「のどぐろ」ははずせないし、それを手巻きでというのだから堪えられない。

シャリが小さめで12貫といいながらペロリと平らげた。

何でしたかいのう・・・  おいしかった
どれも新鮮でおいしかった
そのあと、ちょこっと追加注文。そのなかで紹介したいのが、七尾湾でしかとれない珍品、「赤西貝」、コリコリして磯の香のするまさに絶品でありました。
七尾湾でしか獲れない赤西貝
幻の貝 赤西貝を握ってもらった
歴々のあと、明朝の「おめざ」を百番街で物色し、金沢の夜第一日目を終え、帰路についた。

コキコキ、ドライブ旅 4日目 能登半島 気多大社・千里浜なぎさドライブウェイ

富山県南西端の山間部の越中・五箇山(ごかやま)の合掌造り集落を後にして82km先の能登半島の西岸沿いを通る「千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ」を目指す。

千里浜渚ドライブウエイ(photo ACより)
千里浜なぎさドライブウエイ(photo ACより)
今を去ること14年前の2007年9月下旬、知人ご夫婦の案内で能登半島を二泊三日で一周した。

2007.9.28 能登 白米千枚田
白米千枚田(2007.9.28)
曽々木海岸の窓岩や白米(しろよね)千枚田、輪島の朝市など有名どころは反時計回りでゆっくりと観光して廻っていた。

2007.9.28 曽々木海岸 窓岩 2007.9.29 輪島の朝市
曽々木・窓岩          輪島の朝市
その時、「のと里山海道」を南下しながら「ここの海岸沿いの砂浜は車で走ることができるので有名なところだ」と紹介された。

その話にいたく興味を抱き続けていた細君が、能登へ行くなら「なぎさ」を走ってみたいと云う。

友人とのトレッキングや多摩88ヶ所巡りを開始するなど最近とみに行動派としての名を高めている細君のこと、どうしても8kmにおよぶ砂浜を、渚に打ち寄せる波を横目に見ながら疾駆してみたかったのだろう。

千里浜渚ドライブウエイ なぎさを疾駆
千里浜なぎさドライブウエイ(photo ACより)
ということで、東海北陸道を北上、「のと里山海道」へと入っていくのだが、その手前から天候が急変。なんと大粒の雹(ひょうが)が降り出したのには驚いた。無数の砂利が車上にぶちまけられたような凄まじい音が続く。これは愛車の天井がボコボコに凹んだに違いないと観念するほどの、まさに大粒の「雨あられ」であった。

雹がおさまってきてもフロントガラスを叩く雨はワイパーを止めてしまうほどの勢いで、あまりの激しさに道の駅の標識が見えたのを幸いに、急遽、海沿いの高松SA内にある「道の駅・高松」へと入線した。

だが、車外へ出ようにも強風と横殴りの雨。しばし呼吸を整え、気合を入れてからエイやっとドアを押し開けた。傘を広げ、不自由な足で駅舎を目指すも、身体は冗談抜きで吹き飛ばされそうで正直、身の危険を感じた。

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道の駅・高松から荒れる日本海を見る
開いた傘は瞬時にオチョコとなり、無残にも1本骨が折れた。

服もびしょ濡れ、命からがら建物のなかへと逃げ込んだ。フードコーナーがあったので、そこで風雨が弱まるまで休憩することに。昼時でもあり、中華そばで身体を中から温めることにした。

道の駅・高松にて 中華そば
道の駅高松の中華そば
天気さえよければ、窓際にセットされたカウンターテーブル越しに日本海の美しい景観が楽しめるはずである。また、海岸までの遊歩道もあるとかでなんとも残念である。

そして目的の「千里浜なぎさドライブウェイ」であるが、「石川みち情報ネット」で調べると、下り入口である今浜口から全線当然のごとく走行禁止をあらわす「規制有」が表示されていた。

ここを走らんがため能登半島を目指してきた細君の落胆ぶりは推して知るべしである。ああぁ!!

心を鎮めて熱い中華そばを啜っていると30分ほどで雨が上がり、日本海のうえに青空が広がってきた。

雨があがったが、海は荒れていた
雨が上がってきた日本海
早速、折れ傘を後部座席に放り込むと、18km北にある能登國一之宮の「気多大社」を直接目指すことにした。

この猛烈な風雨の後である。気多大社の大きな駐車場に車は3、4台ほど。

そして、頭上を見上げると青空が顔を出していた。

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大鳥居 気多大社の扁額
「これを神祐といわずして何ぞや!」ということで、勇躍、大鳥居をくぐった。

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気多大社 大鳥居 青空が広がる
まっすぐに神門まで参道が続くが人影は見えない。

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神門までまっすぐ。人影がない
さて気多大社は能登の国一之宮である。

/戚腓ら拝殿を見る
気多大社 神門から拝殿を
ご祭神を大国主命(大己貴命=おおなむちのみこと)とする式内社で、鵜祭や平国祭(=くにむけのまつり・別名おいで祭)という、古代史オタクには堪らない興味深い奇祭を執り行っている。

ゝぢ紳膽辧神門
気多大社 神門 重要文化財
その奇祭は気多大社のそもそもの勧請元とされる七尾市の気多本宮との深い繋がりを物語るもので、両社のご祭神である出雲系の神様、大国主命とその相棒ともいうべき少彦名命が能登國開拓に深くかかわっていたことを今に伝える証左となる神事である。

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気多大社・拝殿 重要文化財
そんな気多大社の本殿や拝殿など一連の社殿群はすべて国の重要文化財に指定されている。

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気多本宮・本殿を奥に 右は摂社白山神社本殿 共に重文
またその伝誦や氏子たちに守られてきた神事とあわせて、能登國一之宮としての格式と伝統を今に残すまさに由緒ある古社である。

ゝぢ紳膽辧/戚
神門
加えて本殿裏には3.haにおよぶ禁足の社叢・「入らずの森」が広がっている。
ゝぢ紳膽辧‘らずの森
鳥居の奥が入らずの森で禁足地
そこをうかがえる木造鳥居の前の参道を歩き、鬱蒼とした禁忌の社叢が醸し出す清浄な大気を胸いっぱい吸いこんで神門前へと戻っていった。

手つかずの”入らずの森”
鬱蒼と茂る社叢
すると、先行していた細君が云うには、またちょっとの間、雨が降っていたのだという。わたしがちょうど「入らずの森」の巨樹の葉叢が折り重なる参道を歩いている時であったそうだ。

入らずの森の大樹から張り出してきた分厚い枝葉がわたしの頭上を覆い、雨垂れを塞いでくれていたのだ。

この古の物語を伝える気多大社・・・。

わたしの参詣と時をあわせるかのように冬の荒天を一転、青空に変容してみせたり、境内を参拝する間の降雨は古より守られてきた社叢の葉叢が大きな傘となったりと、あまりにもタイミングがよすぎて、不思議な心持ちに捉われた。

神意というものを実感した気多大社であった。

「狃さんがいつもお見送り 気多大社
気多大社は常に巫女さんが参詣者をこうして神門で見送ってくれる
気多大社の参詣を終えたのは午後1時半、だが、当日の予定はこれだけであったので、早目ではあったが今後の行程も考えて、当夜の宿である、金沢駅前の「ダイワロイネットホテル金沢駅西口」を目指すことにした。
金沢百番街からダイワロイネットホテル金沢駅西口
金沢駅百番街出口からダイワロイネットホテル金沢駅西口を見る
夕食はかねて楽しみにしていた「歴々金沢駅店」で鮨を堪能することにしていた。

コキコキ・ドライブ旅 3日目 白川郷、世界遺産相倉合掌造り集落に宿泊

コキコキ・ドライブ旅の三日目(1111) 、下呂温泉を出立、国道41号線を富山方面へ北上、97km先の白川郷を目指す。

白川郷遠望
白山連峰を借景とした白川郷
白川郷は当日の宿泊先である五箇山(ごかやま)・相倉合掌造り集落と併せて、1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたが、それ以前から日本の原風景ともいうべき合掌造りの家がならぶ白川郷を知らぬ者はいなかったといってよい。

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紅葉に染まる白川郷
その絶景を高台から一望しようと、われわれは白川郷の展望台へと向かった。

白川郷には荻町城跡展望台と天守閣展望台と二か所の展望台がある。実は当初の予定では駐車場の少ない、したがって観光客も少ないに違いない萩町城跡展望台に着く予定で車を走らせていた。

そしてコンクリート道路に導かれるように急坂を上っていき、頂上付近の大きな駐車場へ車を止めた。駐車している車は少なかったからだが、前方の建物の壁には天守閣展望台と大書された看板がかけられていた。

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天主閣展望台
そこから小ぢんまりとした展望台へは歩いて直ぐ。食事も一緒にとれるお土産屋とファストフードを打っている小さな屋台があった。ただ、最近はコロナの影響で客数が激減し、お土産屋の方は休業中とのことであった。

昼時ではあったが、まずは、展望台へ向かいテレビや写真で何度も目にしたあの白川郷の景色を自分の眼でしっかりと鑑賞した。

┻念写真も撮ってうれる展望台
展望台
想像したままの美しい景色だった。

天守閣展望台より白川郷を一望する
紅葉が映える季節で、遠くに冠雪した白山連峰も見渡せた。

人々が白川郷へ押し寄せる意味が納得できた。展望台からの景観はやはり素晴らしいのひと言に尽きる。


柵の向こうには誰一人いない。

白川郷
白川郷
後方にどれだけの人が控えていたとしても、最前線に立ったその一瞬だけは、眼前の自然のパノラマは自分一人のものだと実感できるのだから。

白川郷の合掌造り
合掌造り集落の白川郷
とくに、この日、観光客はほとんどいないとあっては、このコロナ禍の緊急事態宣言及び蔓延防止等重点措置の期間をすり抜け、よくぞこの季節にコキコキ・ドライブ旅を設定したものだと、自分の英断を自画自賛したものだ。

そして、展望台の斜め上に設えられたテラス席に座り、白川郷を豪快に見下ろしながら、屋台で求めた飛騨牛の肉まんを頬張った。

この後、下へおりて白川郷を散策しようと里の入口まで行ってみたが、そこはさすがに観光客の車も多く、しかも合掌集落への進入は住居地区であるため当然のごとく禁止(広い駐車場は徒歩10分ほどのところ)ということで、足の悪いわたしは合掌造りを見上げながらの散策はあきらめることにした。


そこで、一路、34卆茲良抻蓋の南西端に位置する五箇山にある当夜の宿、相倉合掌造り集落の“なかや”へ向かうことにした。

仏様を拝むときに左右の掌を合わせた腕の形に似ていることから「合掌造り」と名づけられた家屋は白川郷と五箇山地方に限定して見られる民家形態なのだそうで、往時は1900棟ほどあったものが、現在では200棟ほどになっているという。

相倉集落のメインストリート
相倉合掌造り集落
そのなかで相倉合掌造り集落には20棟が建っており、そこに住んでいる方々が40名というほんとうに小さな山間の邑である。

相倉合掌造り集落
鄙びた相倉合掌造り集落
わたしたちは3時過ぎには邑の一番奥に位置する“なかや”さんに到着したが、エンジンを切るのと同
時に俄かに大粒の雨が降り出したのには驚いた。

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民宿なかや
何はともあれと合掌造りの風情に浸る間もなく、屋内へとあわただしく逃げ込んだ。

屋内に入ってみると、柱や梁に防腐剤は塗布しているが頑丈で素朴な木材が使用されており、古い民家であることには違いない。

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梁が曲がり、素朴な民家づくり
しかし、食事をとる囲炉裏のある部屋はコの字型にテーブルがセットされ、どうも伝統ある合掌造りの歴史の重みは感じられず、正直、思惑外れの態であった。

┛蕨裏を囲んでテーブルえ食事をとる
テーブルがセットされた食堂
その食堂の奥の客間に荷物を置き休憩をとるうちに雨も止んできたようなので、集落内をまずは歩いてみることにした。

集落入り口に設置された世界遺産と刻まれた石碑の脇から小径を上ってゆくと、この相倉集落が一望できるスポットがあるとのことで、霧雨模様の天気のなか、杖を衝きながらゆっくりと昇って行った。

相倉合掌造り集落入口に世界遺産の石碑
集落入り口にある世界遺産の石碑
すると、視界の広がるところへ出た。

先ほど見てきた白川郷の白山連峰を借景とした勇壮な景観とは打って変わり、まことに小さな集落である。

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箱庭のような相倉合掌造り集落
どこか手作りの箱庭でも眺めているようで、妙に愛おしく、また、なぜか懐かしく感じられてきたのだから不思議だ。

そうした感情のさざ波が立ったのは、わたしのDNAのなかにひそやかに埋め込まれていたはるか遠い祖先の記憶が蠢(うごめ)き出していたのかもしれないと、思った。

その日は霧雨が小雨に変わりはじめたので散策はそれまでとし、とぼとぼと“なかや”まで戻っていった。

身体が冷えたのでまずお風呂をいただいた。これもシステム・バスで、山間の集落に草鞋を脱いだという風情は正直、感じられなかった。残念である。

ただ夕食は素朴な山の幸が用意されていた。

┐覆のやの夕食
なかやの山の幸
とくに囲炉裏でじっくりと炙り焼きされたイワナには奥深い山里の趣を覚え、おいしかった。

┛蕨裏でイワナを焼いてくれる
じっくりと炙り焼きのイワナ
翌朝は雨も上がったので、集落内を徘徊してみた。

朝靄に煙る合掌造りの集落。これぞ相倉合掌造り集落!! 絵になる景観である。

朝もやの相倉集落
朝靄の煙る合掌造り集落
また石垣が積まれて湾曲してつづく田舎道・・・。

相倉集落の朝の散策
どこか来た道・・・
どこかで目にしたことがあるのだろうか、写真であったろうか絵画であったろうか、はたまた幼い頃にどこかで実際に目にした景色であったろうか・・・、そんな質量を覚えた心の風景であった。

静謐という落ち葉が折り敷いた集落を巡り歩くのに、そう時間はかからなかった。


しかし、この二年間、コロナによって国中が翻弄され、ささくれだってしまった社会の片隅に、われわれの先祖たちが築いてきた「日本」という共同体がこうして、慌てず騒がずひっそりと鎮まっていて、しかもどっしりと大地に根を張り息づいている風景を体感できて、この国もまだまだそう捨てたものでもないと、少し心の安寧を探し当てたような気がした時間であった。

さて、そんなセンチな気分を奮い立たせるようにして、次は一路、能登半島の千里浜渚ドライブウエイを目指し、11月12日午前11時前に郷愁誘う合掌造りの邑を後にしたのである。

カムカムエヴリバディ 「善女のパン」と「古パン」と「Witches' Loaves」

上白石萌音さん演じる安子と松村北斗さん演じる稔さんの切ない物語りで盛り上がったNHK連続テレビ小説の「カムカムエヴリバディ」であるが、今日、NHK・BSプレミアムで毎週土曜日の午前中に1週間分を一挙に再放送するカムカムエヴリバディを観た。


その42話(12月28日放映分)だが、弁護士の卵である片桐(風間俊介)と深津絵里さん演じる主人公のるいが、クリーニング店のカウンター越しに交わす会話のなかで、オー・ヘンリーの「善女(ぜんにょ)のパン」という噺が出てきた。


わたしのなかでオー・ヘンリーといえば、「最後の一葉」という短編である。

確か中学校の国語の教科書かなんかで初めて読んだのだと思うが、結末の数行に至って稲妻に打たれたような強烈な感情に襲われたことを思い出した。

そう!そう云えば、その後、オー・ヘンリーの短編集を買い求めたこと、薄っぺらな文庫本だったのでひと晩で読破して、最後に必ずどんでん返しが用意された巧妙なストーリーに魅了された遠い記憶がよみがえってきた。

しかし、「善女のパン」という噺の筋には覚えがなかったので、久しぶりに文庫本を収めている書棚をあさり、確認しようと試みた。

きれいに並んだ本の中から最初に探し当てたのが、岩波文庫の「オー・ヘンリー傑作選」(大津栄一郎訳・1979年第1刷発行)であった。

早速、目次に目を通したものの、「善女のパン」という名が見当たらなかった。やはり収載されていなかったのだ・・・と思った矢先、「古パン」なる題目が目に留まった。

古パン
岩波文庫 オー・ヘンリー傑作選 古パン
ページをめくり読み返すと、まさに深津絵里さんがモノローグした40歳で独身のミス・マーサの噺であった。テレビ小説だから脚本家の藤本有紀さんがわざわざタイトルを変えたのかもしれないと思った。

でも、この岩波文庫は息子の中学入学祝いに贈られた「1991年 NEW101」と帯封にあった文庫本101冊セットのなかの1冊であり、わたしが「最後の一葉」に感銘を受けて小遣いで買った文庫本ではなかった。

そこで今度は廊下の隅に追いやられている古びた本がならぶ本棚の方を上から下まで眼を皿のようにして探してみた。すると、「O・ヘンリー短編集()(大久保康雄訳・昭和44年第1刷発行)という新潮社発行の文庫本を見つけ出した。

善女のパン
新潮社 O・ヘンリー短編集 善女のパン
目次には、ぴったり「善女のパン」とあった。この噺、読んでいたのだ。

ただ、主人公のるいが一番のお気に入りといったのとは違い、高校二年生頃のわたしには多分、人生にたびたび訪れるアイロニーと言おうか人生の間合いのようなものが理解できず、印象のきわめて薄い作品だったのだと思う。

その結末で「例の彼女の画家」ならぬ「建築の製図家」がミス・マーサに放った「おまえみたいなやつを、おせっかいのバカ女というんだ」という辛辣な言葉に、「最後の一葉」から醸し出される人生の薫香のようなものは感じ取れずに、ただよくある浅はかな女の噺で、無理繰り脳天逆落としのような顛末に持ち込んだのだと、切って捨てたのに違いない。何しろまるで記憶に残っていないのだから。

ただ、いま古希をむかえてわが身を振り返ってみると、こうした独りよがりや夢想癖で痛い目にあった経験がひとつやふたつではなかったような・・・と思えてくる。

そして「善女のパン」なるタイトルが、原題の「Witches' Loaves」(魔女のパン)や「古パン」よりも言い得て妙だと思えてくるのだから、人生とはやはり生き続けてみなければわからぬことが当たり前だが多いものだと、しみじみ思った2022年の正月ではある。

コキ、コキ ドライブ旅の2―3日目下呂温泉・湯之島館

コキ、コキ ドライブ旅の2日目は浜名湖の龍潭寺を拝観したのち、一路、187km先にある下呂温泉を目指す。所要時間は約3時間の予定。

|羆道・恵那峡SA
中央道 恵那峡SA
途中、中央自動車道の恵那峡SAなどで休憩をとったりしながらののんびり旅で、日が短くなった11月、ちょうど日も落ちる頃、下呂温泉の街に入った。

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下呂温泉の高台にある湯之島館に到着
下呂温泉は室町時代の京都五山の僧・万里集九や徳川時代の儒学者の林羅山によって兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並び「日本三名泉のひとつ」と紹介されている紛うことなき天下の名湯である。

湯之島館 露天風呂
湯之島館 露天風呂
だが、日本書紀や古事記という勅命による最古の正史や史書を紐解くと、有馬温湯(ありまのゆ)【摂津の有馬温泉=舒明天皇631638)】や紀温湯(きのゆ=牟婁(むろ)温湯)【紀伊の白浜温泉=有馬皇子・斉明天皇657658年】へ行幸した記述を認めることができるが、そこに草津・下呂温泉の名は顕れない。

また風土記のなかでは、出雲風土記・意宇郡に「神の湯(=玉造温泉)」が「男も女も老いたるも少(わか)きも或いは道路につらなり、或いは海中を洲に沿い、日に集い市をなし、繽粉(まが)いて燕楽(うたげ)(歌い乱れて宴をひらく)。・・・万の病ことごとく癒ゆ・・・故に神の湯という」と詳細な描写がされている。

玉造温泉 旅館松の湯
玉造温泉 旅館・松之湯
さらに伊予国風土記逸文「湯の郡」には、少彦名命が豊後の速見の湯(=別府温泉)を地下トンネルで伊予まで引き大国主命の病を治癒させた「湯の岡(=伊佐尓波神社 道後温泉)」の話が登場するなど、1300年ほど前の世に、既に現在でも著名な温泉地が知られていたことがわかる。

‘燦絏浩 湯の岡 伊佐爾波神社
道後温泉 湯の岡 伊佐爾波神社
そのなかに、冒頭の三名泉の下呂温泉と草津温泉の名が挙がっていないのは単純に記紀などが編纂された八世紀初頭にこの両泉がまだ開湯されていないか(事実下呂温泉は平安時代の発見、草津温泉は日本武尊が発見との伝誦があるものの資料での確認は鎌倉時代初頭)、または中央にその評判が届くほどの知名度がなかったものと想像される。

“騨川支流沿いの下呂温泉街
飛騨川支流沿いに下呂温泉街
さて、前置きはそれくらいにして、下呂温泉についてである。

下呂温泉の呼称であるが、この独特な名前は実は昭和初期からのもので、それまでは「湯之島」と呼ばれていたという。

⊇蕕瓩禿鯒慧(下呂温泉)を天下に紹介した万里集九の銅像
室町時代に下呂温泉を知らしめた万里集九
実際、「三名泉」の生みの親である万里集九や林羅山も当地を「飛州の湯島」、「飛騨の湯嶋」の名前で紹介している。

下呂温泉の名を広めた林羅山の銅像
江戸時代に紹介した林羅山の銅像
それがどうして「ゲロ」などという、ちょっと引いてしまう名前になったのか?ということだが、下呂市の公式観光サイトには、「『続日本紀』宝亀7年(西暦776年)10月の条に、「美濃国菅田駅(※(1))と飛騨国大野郡伴有(上留)駅(※(2))と相去ること74里、岩谷険深にして行程殊に遠し。其の中間に一駅を置き、名付けて下留(※(3))という」とあり、この下留(しものとまり)が、下留(げる)、下呂となったといわれています。」と、転訛説を紹介している。

(1) 美濃国菅田駅・・・現在の下呂市金山町菅田 

※(2) 飛騨国大野郡伴有駅・・・現在の萩原町上呂 

※(3) 下留駅・・・現在の下呂


そして飛騨地方の名誉のために、この地方ではいわゆる吐瀉物(としゃぶつ)のことは「げぼ」と呼ぶため、「ゲロ」に汚いといった語感は覚えないのだという。

さらに、飛騨川沿いに走る国道41号線を富山方面へ走ると、中呂、上呂という地名が途中の道路標示に認めることができる。


そのため、「呂」が何か土地の特性を表す言葉なのではないかと、調べてみたがよくわからなかった。

そこから「風呂」にも「呂」の漢字が充てられているが、「呂」に「豊かな湯の出る場所」といった語源でもないかと探してみたが、これもハズレで、結局、地名の由来は消化不良のままとなっている。


さて、当夜の宿は湯ノ島温泉の名を冠する昭和6年創業の「湯之島館」である。本館建物が登録有形文化財に指定されているなど、下呂温泉を今日の繁栄に導くきっかけとなった旅館である。

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湯之島館 本館
私たちが泊まったのはその本館3階建ての建物であったが、なるほど趣きはあるものの、後方に山の斜面に沿って増築されたコンクリート造りの建物は何の変哲もない普通の温泉ホテルであった。

下呂温泉の街並を部屋から見下ろす
部屋から下呂温泉の街を見下ろす
しかも、増築を重ねていったのか、館内の廊下は迷路のように廻らされ、特に大浴場への行きかえりに方向音痴の私が迷子になるのは必定であったものの、常にナビゲーターとして私を先導してくれる細君までが帰りに迷ってしまったというのだから、これは意図してつくられた迷路であったに違いないと思ったものである。

湯之島館 夕食
湯之島館の夕食
翌朝、下呂温泉の街並みというか、中心部分にある白鷺橋に立ち寄った。

部屋から紅葉と下呂温泉市街
お部屋から
そこに下呂温泉を世に知らしめた恩人たちの銅像が三体、建っている。

万里集九と林羅山は得心がいったのだが・・。

実は、もう一体、脇に座って記念写真が撮れるように配慮されたチャップリンの銅像があった。

チャップリンは1932年の初来日以来、4度も我が国を訪ねている。そのどこかで、この下呂温泉を訪れたのだと、さすがは天下の下呂温泉と夫婦してチャップリンとならんでにこやかに記念写真を撮った。

下呂温泉のチャップリン像
哀しげなチャップリン像
ところが帰京後、調べてみてビックリ!! 一度も訪れてはいないという。

ではなぜ、銅像がということだが、2001年に町おこしではないが、映画を語り合いながら温泉街を散策できるとよいとの観光協会の発案で、第一号の銅像設置の栄誉を授かったのが、チャップリンだったというのである。

しかし、その後その運動は尻すぼみとなり、2番目のブロンズ像が建てられることはなく、そのためか哀愁に満ちたチャップリン像が縁もゆかりもない飛騨の国にポツネンとして据え置かれているとは、清少納言ではないが、ホンマに「いとをかし」な風情ではあっ た。

そして古希を迎えた老夫婦が嬉々として記念写真を撮りあっている姿こそ、「いと可笑し」な光景であったに違いない。



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