彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

December 2021

コキ、コキ、ドライブの旅 二日目の◆[襟寺(りょうたんじ)

浜松城をあとにして、次は2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍有名となった井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)へと向かった。

山門
龍潭寺・山門
当寺は天平5年(733)、僧行基によって開創されたと伝わる古刹であり、浜名湖の北端、奥浜名湖のその北に位置している。
広い本堂廊下を庫裡から
庫裡から本堂の広い廊下
山門を抜け、庫裡の拝観受付を通り広い本堂へと入ってゆく。

東門と庫裡
正面が庫裡
見事な龍虎の襖絵などが描かれた部屋や井伊家代々の位牌を祀る御霊屋など順路に沿って拝観する。

龍虎の襖絵の虎龍虎の襖絵の龍
大きな本堂の裏手に回ると、そこに裏山の斜面を巧みに活かした小堀遠州の作になる龍潭寺の石組み庭園がある。

龍潭寺小堀遠州作庭園

細長い縁側に一段高くなった畳敷きが設えられている。そこに腰をおろしてゆったりと庭園が鑑賞できる。

小堀遠州の作庭
小堀遠州の庭
斜面を中心に巧みに配された置き石は裏山の樹間に響き渡る種々の小鳥の鳴き声や世の雑音をあたかも吸いこむ吸音器のようであった。

小堀遠州作 庭園
静寂のなか小鳥のさえずり
チク・・・タク・・・チク・・・タクと分解写真のごとくゆったりと秒針が時を刻んでいるかのような静謐の小世界がそこにあった。

わたしはしばしコロナ騒動や世の喧騒を忘れて、小堀遠州が命を吹き込んだスピリチュアルな世界に身をまかせた。そして、さすが、小堀遠州!!と、通ぶってみた。

小堀遠州の石組み
小堀遠州の石組み
ただ、これは冗談ではなく、コロナ禍に襲われたこの嵐のような2年間。火照りきった魂をこのように鎮めてくれる時間に包まれたのはほんとうに久しぶりだと感じていたのは偽りではなかった。

/硫μ腓ら龍潭寺本堂を見る
仁王門から龍潭寺本堂を見る
その後、本堂脇にひっそりと鎮まる井伊家歴代の墓所にお参りした。

井伊氏歴代墓所 左奥から二基目が直虎の墓
井伊家の墓所
左右に並ぶ墓石の左側奥から2基目が「おんな城主直虎」の墓である。

四百数十年という永い時間を摩り込んだその苔むした五輪塔は、歴代井伊家当主の墓石のなかに肩を並べ、何を語らんとし、そんなにひっそりと立ちつくしているのだろうか。

おんな城主直虎
龍潭寺に置かれた井伊直虎の像
墓所の前を通り過ぎると、突き当りに後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王の墓所がある。なぜ、この井伊谷(いいのや)という地に南朝の皇子の墓があるのか説明板を読むと、足利方(北朝)との抗争のなかで遠江国の豪族の井伊氏に身を寄せたことが縁とのこと。実は終焉の地はいくつかの説があるものの、明治政府が井伊谷宮の墳墓を陵墓と定めたため、現在、宮内庁の管理下にある。

宗良親王の墓所
宗良親王の陵墓
そして、宗良親王の陵墓に接して、明治維新の時、建武中興15社の一つとして井伊谷宮(いいのやぐう)を創建、親王をご祭神として祀っている。

井伊谷宮 拝殿
井伊谷宮の拝殿
井伊谷宮を後にして歩いて2、3分ほどのところに井伊家の始祖、共保(ともやす)公が出生したという井戸があるという。

出生した井戸とはこれいかに? 歴史上の人物の出生譚として、例えば弘法大師がここの水を産湯として使ったとの伝承を残す井戸など各地に多くあるが、この「井戸から生まれた」のだと伝えるものは初めてであるし、意味がよく理解できぬままに現地へ向かった。

案内板の通りにたどると、広々とした田んぼのなかに井戸らしき一画が見つかった。

井伊氏始祖が傍らで見つけられた井戸
井伊家始祖の出生した井戸
りっぱな漆喰塀に囲まれていたので、すぐにそれとわかった。

説明板によると共保(西暦1010年生誕)公はこの井戸の傍らで、当地の国司であった藤原氏に拾われ、そのやんごとない様子を認められ、養子とされたとの伝誦を残すとのこと。

井伊共保出生の井戸
現在は枯れ井戸
井戸から出てきたわけでなく、この井戸の脇に捨て子として置かれていたとのことらしい。ようやく、納得である。

そんな井戸が代々の井伊家当主によって千年もの間、大切に守られてきて、整然と整えられ今尚このように残されているというのは驚きであった。


そして、いよいよコキコキ・ドライブ旅も静岡県を離れて、今夜の宿、岐阜県の下呂温泉へと向かった。

コキ、コキ、ドライブの旅 二日目の ”余松(龍潭寺・下呂温泉)

二日目は、昨日、時間がなくて寄られなかった浜松城を見学していこうと予定を1時間早めて午前9時のホテル出立となった。当日の空が見事に晴れ渡り、天守閣から浜松の街を一望できたらさぞ爽快であろうと思ったからである。

⓪本丸跡を巡る小径
浜松城本丸跡を廻る小径
此度の旅程を立てるにあたって、大切なコンセプトのひとつに「古希、古希」を中心にすえていた。

訪ねる先を詰め込んだ長旅ではもう身体の方が言うことを聞かず、節々がコキ、コキいって、移動することが苦痛になる、そういった事態になることだけは避けたい。スケジュールをこなすことが旅の主目的となってしまっては、旅情や旅愁を翫味する「老いの旅路」という言葉が醸し出す風情からはほど遠いものとなってしまう。そこで、原則、宿のチェックアウトタイムギリギリに出立する鷹揚な時間割で旅の計画を立てていた。

浜松城天守閣
浜松城
そして、余裕をもたせたはずの時間を早々に浜松城見学に充てることにしたというわけである。

そうした経緯をもつ浜松城であるが、あの徳川家康が29歳から45歳までの17年間を過ごしたという戦国時代真っただ中ゆかりの城郭である。

秋空に映える天守閣
秋空に映える天主閣
そしてこの城を語るときによく持ち出される話が1573年の三方ヶ原の戦いの際の家康の行動である。武田信玄に完膚なきまでに負かされ、命からがら浜松城へ逃げ込むも、城門を開けたままにする「空城(くうじょう)の計」という奇策によって絶体絶命の危機をしのいだという家康の豪胆さと智略を伝えるものである。


そんな激越な戦さの痕跡など勿論どこにも留めぬ浜松城一帯であるが、現在、市民にとって恰好の散歩コースとして整然と整備された浜松城公園となっている。

浜松城公園
整備された浜松城公園
その一画の小高い丘の上にコンクリート造りの天守閣が建っていた。

小高い丘に建つ浜松城

真っ青な空に映える美しい天守閣を仰ぎながら、この美しさだけを体現するシルエットに四百年前の陰惨な戦さの絵柄を重ね合わせて視ることなど、平和な時代に生きる自分にはどうしてもできなかった。

16世紀後半の野面積みの石垣が残る
往時を偲ぶ石垣
だが、その歴史の一端を伝えるものとして、天守閣を載せる石垣に16世紀末の野面積みが一部残っており、その野趣あふれる石組みに掌を添えてみて、ただ往時を偲ぶのみであった。

四百年前の野面積み石垣
四百年前の野面(のづら)積み石垣
現在、本丸跡や二の丸跡の発掘調査が続いており、今後に、往時の実像を示す遺跡が発見される日を待つとしよう。

二の丸跡の発掘調査が続く浜松城
今尚、発掘のつづく浜松城
その日は風が強い日だったが、3階建ての天守閣に昇ってみることにした。
天守閣内に陳列された甲冑
天守閣内に陳列された甲冑
そこから浜松の市街が一望できたものの、高所恐怖症のわたしは天主を一周する外回廊を何とか廻ってはみたものの、写真はわずかしか撮れなかった。特に北面の三方ヶ原方面の写真を一枚も撮っていなかったとは・・・トホホ・・・

浜松城天守閣より南側を一望
南方を写す 遠くに遠州灘
それと忘れてならぬのが、天守閣前の本丸跡に建つ「若き日の徳川家康公」の銅像である。

浜松城本丸跡に建つ徳川家康公銅像
若き日の家康像
なかなかの美男であり、偉丈夫であった。三方ヶ原の敗戦直後に自戒を込めて描かせたという「顰像(しかみぞう)」と呼称される肖像画の貧相なお顔とは正反対の精悍な面構えをしたりっぱな銅像であった。
精悍な顔の若き家康像
美男子な家康だ
そんな浜松城をあとにして、次はNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍有名となった井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)へと向かった。

ドライブの旅 一日目 浜名湖を眼下に

第一日目は浜名湖をちゃんと見てみたい(新幹線の車窓を瞬時に横切る浜名湖しかみたことがない)という細君、もとい、観音様の要望で浜松のダイワロイネットホテル浜松とうなぎの老舗、「うな炭亭」を予約。

ダイワロイネット浜松  ダイワロイネットホテル浜松 ツインルーム
ダイワロイネット浜松        ツインルーム
当日の東京は朝から雨。ボランティアで首を突っ込んでいる公益財団のWEB会議が長引き、予定より1時間遅れの11時過ぎに自宅を出立することとなった。雨もひどくなってきたので、この日は浜松まで到着すればヨシ!と割り切りゆっくりと安全運転に徹して走ることにした。

しばらくはワイパーをフルに振り切り運転を続けていたが、静岡県に入るころだろうか雨が上がりはじめ、途中、富士川SAでトイレ休憩。そしてあろうことか浜名湖に近づくにつれ青空が広がってゆくではないか。もうビックリである。

青空が広がる浜名湖の舘山寺ロープーウェイに到着したのが、15時半過ぎ。

遊園地・浜名湖パルパルから大草山えロープーウェイ
舘山寺ロープーウェイ・山上が大草山展望台
早速、浜名湖上を渡るロープーウェイで大草山頂上へ。車中は我々夫婦の貸し切りである。

大草山展望台
大草山展望台
この日の日没は午後4時50分。ちょっと夕日鑑賞には早いが、まぁ夕景色のとば口でも味わえたらよいと展望台へ立った。

説明版の地図で確認すると、大草山は浜名湖の北東部に位置している。雨の後ということもあり晩秋の空気は澄み渡り、眺望は見事である。

東名高速が渡る浜名湖
東名高速も横切る浜名湖
頭上には午前中には考えられなかった青空が一面に広がっていた。

また展望台から俯瞰する浜名湖は予想と異なり、入江が複雑に入り組んだ汽水湖であったのには驚いた。

浜名湖を展望台より
入江が入り組む浜名湖
そして南方にじっと目をやると空との境は定かではないが遠州灘が見えてくる。

湖上を渡るロープーウェイと遠くに太平洋
浜名湖上を渡るロープーウェイと遠くに遠州灘
人影もいつしか消えてしまった展望台を右へ左へと移動しては浜名湖の異なる顔を堪能した。

そのうちにいつしか日が傾いてきた。秋の日は釣瓶落としとはこのこと。

湖面と大空にかすかに茜色の紅がさしてきたようだ。

夕日に映える浜名湖
浜名湖の秋の釣瓶落とし
いま振り返ってみると、朝方の長引く会議と強い雨という不調により、やむを得ず旅の出立を遅らしたことで、この澄み渡った夕景色を目にすることができたのだと思うと、人生とは巧みにその絵柄や色模様を転じてみせてくれる、万華鏡のようなものだとしみじみ感じ入ったところだ。

浜名湖の夕景色
茜色に染まってゆく浜名湖
さて、浜名湖の美しい風景を眼の肥やしにした老夫婦のその日の夕食といえば、当然、鰻にきまっている。

浜松・うな炭亭
老舗・うな炭亭
「うな炭亭」というホテルから歩いて7、8分のところにある創業70年の老舗をひと月ほど前に予約していた。

名物 うなぎまぶし
名物の”うなぎまぶし”
三回うなぎが味わえるという名物の“うなぎまぶし”を注文、いたく満足の態で第一日目を終えたのである。


会計をしようとレジに行くと、横に小澤征爾氏の写真が・・・

世界の小澤征爾さんも来店
小澤征爾さんも来店

世界の小澤さんも当店にしっかり足を運んでいるではないか!!

この旅、端から幸先が良い!!と、わがグルメ眼力の確かさに一人静かに唸ったものであった。

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