彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

November 2020

大覚寺・大沢の池 秋景色は一幅の絵画(2020.11.18)

京都二日目はわが老夫婦にしてはめずらしく朝も早い?八時半にホテルを出立。一路、嵯峨野の大覚寺を目指した。9時直前に明智門前に到着、開門と同時に清冽な空気に満ちた宸殿大玄関へ一番乗りを果たした。

大覚寺・明智門  大覚寺・表門
明智門              大覚寺表門
嵯峨野は東山よりも冷え込みがきつく、紅葉も進んでいるのだろうと思って訪ねることにしたが、2020年は東山の方が、もみじの色づきが早く発色もきれいだとのタクシー運転手の証言を車内で耳にしたとおり、大覚寺境内の紅葉も11月18日現在ではまだ盛り前というところであった。

大覚寺・御影堂 安井堂から
大覚寺の御影堂
大覚寺は十数年前に訪れたのが最後で、久しぶりの拝観である。宸殿から御影堂、安井殿、大沢の池を一望する五大堂と、それらを折れ曲がってつなぐ村雨の廊下。時代劇の映像で一度は目にしたことのある光景が眼前に展開する。

村雨の廊下から紅葉もチラホラ
村雨の廊下からチラホラと紅葉を観る
宸殿の広縁や村雨の回廊から色づいた紅葉がチラホラ見えて嵯峨野の秋もこれから深まってゆくのだろう、本格的な紅葉狩りには今一歩のところである。11月の下旬から12月上旬にかけてが、大覚寺・大沢の池の秋を愉しめるよい頃合いだと感じた。

宸殿・襖絵
大覚寺・宸殿の襖絵
そこで、これまで大覚寺の拝観はしても時間の関係で省いていた大沢の池の回遊に今回は挑戦してみた。
大沢の池 天神島の紅葉
大沢の池 天神島の紅葉
まずは、小倉百人一首・第55首の“滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ” で有名な“名古曽の滝”を目指した。歌が詠まれた千年前、既にこの滝は枯れていたことになるが、この和歌によって永遠の名声をこの世にとどめることになった。滝そのものは石組みを当時のまま伝えるのみで、千年のときを枯滝のまま過ごしてきたという奇妙な顛末となっている。ようやく名古曽の滝と対面がかなったものの、その滝石の造作に千年の風雪や風雅をしのぶ縁(ヨスガ)など一片も認められず、潔いまでになんの変哲もない石組みであったのは、時を超越して一切の感傷を拒絶しているように思えて、逆に痛快ではあった。

色づきはじめた紅葉のむこうに名古曽の滝
中央の石組みが名古曽の滝
その名滝をあとにして、大沢の池の東岸をなぞる紅葉の回廊へと足を向けた。堤の両端にはもみじの樹々が植えられ交錯する葉叢によって紅葉の隧道ができている。
大沢の池 もみじの隧道
大沢の池 もみじの隧道
まだ青紅葉が多いものの、一部に色づくもみじ葉が最盛期になれば土手道いっぱいに朱色の日差しをおとし、そのさまはさぞかし美しかろうにと、感じた。

大沢の池 秋景色
大沢の池の秋景色
また、樹間から大沢の池越しに見る大覚寺や紅葉の回廊を遠望すると、それはもう嵯峨野の秋の静寂を十分満喫できる一幅の絵画であった。


いよっ!! もみじの永観堂(2020.11.17)

“奥山の岩垣もみぢ散りぬべし照る日のひかり見る時なくて”

永観堂多宝塔の黄昏
この古今集の収録歌はいまから1200年ほど昔に永観堂の地に建っていた山荘を彩る紅葉を詠じたものである。爾来、洛中近境のもみじの代表的景勝地として“もみじの永観堂”とながく呼び習わされるようになった。

永観堂門前で息をのむ紅葉の競演
永観堂(禅林寺)は平安時代の初期、弘法大師の弟子真紹により藤原北家の公卿、藤原関雄の旧宅を譲り受け開基された。先の和歌は秀才の試験(中国でいう科挙)に合格した関雄が官途を厭い琴歌酒賦(キンカシュフ)の日々をすごした山荘から見た紅葉を、わが身の行く末に重ねて詠ったものだという。

紅葉トンネルの石橋
そんな奥ゆかしい由緒をもつ永観堂とは露知らず、わたしはこれまで、「もみじの〇〇」なんぞと称されるところなど俗臭ぷんぷんたる雑踏を見に行くようなものと嘯(ウソブ)き、足を遠ざけていた。

ところが古希を目前にし、わが人生を顧みることが多くなった。そして思ったのである。わたしの人生、スノッブそのものじゃないかと。そんなら、残り少ない時間をスノビズム礼賛で駆け抜けてみようじゃないかと。ひらきなおりの人生とでもいうのだろうか、肩が軽くなったような気がするから不思議だ、誰も見ていないのに・・・笑止である。

満艦飾の永観堂境内
という次第で、初めてもみじの永観堂なるところへ足を踏み入れてみた。門前に立った。山門に差し掛かる紅葉だけで心が震えた。

永観堂 甍越しにもみじの色模様
境内に植わる紅葉は三千本を数えるというではないか、そう聴いただけで眼前に紅蓮の炎は大袈裟にすぎるが、ひと筋の緋毛氈がす〜っと横にながれていったような気がしたのである。

息をのむ永観堂のもみじ
境内に歩を進めてゆくにつれ視界に映る紅葉の占める程合いは弥(イヤ)増しに増す。そして黄昏時へむかって秋のつるべ落としの光芒は三千本のもみじ葉に時の移ろいを燈(トモ)してみせ、色もようを赫々(カクカク)と滑らして大向こうを唸らせた。まさに千両役者の貫禄で“もみじの永観堂”を見事に演じきってみせたのである。

永観堂紅葉狩りの人々
境内に参集する観衆はカメラ片手に、「あの多宝塔のところ、綺麗ですよ」と、こみ上げる感動を伝えたくて、傍らの見知らぬ人につい声をかけてしまう。語りかけられたわたしも、つい、「あそこの紅葉も夕日に映えて美しい・・・」と、昼日中であればとても恥ずかしくて口に出せぬ言の葉で応じていたのである。

永観堂多宝塔 秋景色
黄昏時にしか訪れぬ面妖な永観堂の紅葉狩りのひとコマであった。
いよっ! 永観堂!

2020年京都の紅葉狩り 洛北・圓光寺の額縁に映える紅葉(2020.11.17)

コロナ禍のなか遠出は控えようと自粛三昧の日々を過ごしてきたが、秋の訪れとともにどうにもこうにも辛抱できず今年初の京都への旅を紅葉狩りとしゃれこんでみた。紅葉真っ盛りの京都を訪ねるのは久しぶりである。

圓光寺 竹林のむこうにもみじ模様
圓光寺 竹林ともみじ
ピーク時に訪れても観光客の頭頂を拝観させていただくだけで京(ミヤコ)の風情も情緒もあったものではないと永年にわたり避けてきたが、老夫婦に残された時間はそれほどないのだと悟ることこれあり、晩秋の京都を二泊三日で訪れた。

大原・宝泉院 額縁におんな
大原・宝泉院 額縁におんな(2003.12)
初日は最近、人気の紅葉スポットとして脚光を浴びる洛北の圓光寺へ向かった。HPに拝観前には事前に拝観予約を入れてからとあったので午後2時からの予約を取っていた。
予約なしの拝観可能だった圓光寺
予約無拝観可の看板(写真のどこかに💛印が・・・)
ただ当日は平日で人数制限の1時間当り300名という拝観者数に達していなかったのだろう、予約なしでも拝観は可能であった。

圓光寺 境内を彩る紅葉  圓光寺定番の子地蔵ショット
圓光寺境内               定番の小地蔵ショット
さて、わたしも初めての拝観となる圓光寺であるが、京都大原に名高い宝泉院と趣向を一にして、座敷奥に坐り縁側越しに額縁を覗き込むように紅葉を観るのだというではないか。そこで、いの一番に本堂にあがり額縁庭園を眺めることにした。この日は自由に拝観できるくらいだから・・・人はすくな・・い・・・と高をくくって座敷に足を踏み入れ・・て・・・。

圓光寺 額縁庭園ブログ2
それが・・・なん・・・なんと目に飛び込んできたのは・・・座敷奥に坐りこむ人、人、人・・・、それに縁側に坐りこむツワモノまでいて・・・千牛之庭(センギュウノニワ)に色づく紅葉が零す幽(カソケ)き聲に聴き入る静謐とはほど遠いものであった。

額縁庭園の実態は?
そういうことなら・・・自慢の腕で傑作写真をとタイミングをはかるも、視界を過ぎる人影の連鎖・・・シャッターチャンスは訪れない。そんななかわずかに巡ってきた刹那、デジカメのシャッターを切る。室内に一斉にとどろくシャッターの連写音・・・。

圓光寺 額縁庭園ブログ4
慌てていたので、額縁がない・・・
その彦左の手練れ?の写真が緋毛氈と縁側と軒先の構図に嵌まる圓光寺のもみじである。構図がいま一、いや、いま三ではあるが・・・人の映り込みを避けアングルを工夫したその苦労をくみ取って欲しい・・・。

額縁庭園ブログ1
軒の庇と縁の柱・・・額縁完成!!
額縁に映る紅葉を摘まみ食いのように玩味し尽くしてからようやく千牛之庭へおりた。こじんまりした庭園をぬけて裏山へ上る。中腹に当寺を創建した徳川家康の歯を埋葬したお墓がある。傍らには東照権現のお堂が祀られていた。
圓光寺開基の徳川家康の墓(歯を埋葬)
徳川家康の墓
そこからは境内のもみじ模様が眼下に見下ろせ、ところどころに紅葉を配する洛北の街も一望できた。

境内の紅葉模様
初めての圓光寺はまずはこんなものか。そして、次に紅葉の時季に来られる機会があれば70名限定の7時半からの早朝拝観を事前予約して紅葉を独り占め、いや、70人占めにするのも一興だと思ったところである。




 
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