景福宮光化門
景福宮・光化門

8月17日、野田首相は李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や天皇謝罪要求発言に「遺憾の意」を伝え、竹島問題を国際司法裁判所に共同提訴することを提案する内容の親書を出した。


それに対し韓国政府は23日に、この親書を返送する方針を表明、同日、在日韓国大使館員が親書を持参、外務省を訪れた。わが国は同員の省内立ち入りを拒否し、受取を拒絶したところ、今度は書留郵便で親書を郵送したという。そうした非礼に対し、日本政府が受け取らぬ方針であることは言を俟たない。

8月10日に李明博(イ・ミョンバク)大統領が島根県竹島に上陸したことに端を発する一連の対日外交強硬姿勢は、あれよあれよという間に、現実感はないが事実は国交断絶にあと一歩といった危機的局面へとヒートアップしてきた。

その原因はひとえに李明博大統領(以下、相手の外交レベルに合わせ、“李明博”と呼び捨てにする)および韓国政府の理屈と礼儀をわきまえぬ外交とも呼べぬ幼稚で稚拙で下品な政治姿勢にある。

また一方で、野田首相は親書返送という例を見ない韓国の遣り口に対し、天皇訪韓をめぐる大統領発言について謝罪・撤回すべきだとの考えを表明した。

そこで、謝罪撤回を要求する李明博の“天皇謝罪要求発言”について、われわれはしっかりとその正確な事実を理解しておかなければいけない。

大手新聞、テレビがこれまで伝えているのは、8月14日、李明博大統領が忠清北道清原(チュンチョンブクド・チョンウォン)の韓国教員大学校で開かれた教育関連の会合において、天皇訪韓の条件として「(日本の植民地統治期に)亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」と発言したというものである。

この発言内容だとしても、そもそも天皇が訪韓を希望した事実はなく、国家元首に対する一方的な“無礼”発言であると断じるべきものだが、実際はそんな生易しい表現ではなかったのである。

8月14日、李明博は忠清北道清原の地において発言した真実をわれわれ日本国民は正確に知っておかなければならない。なぜならこれからの対韓外交姿勢の基軸を誤ることになるからである。

実際に語られた部分の直訳は次の通りである。

「日王(日本国天皇)は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない。(痛惜の念という)言葉で謝るだけならふざけた話しだ。そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さないぞ」(引用:2ちゃんねる

これが大韓民国の現職大統領たる李明博の口から出た実際の言葉である。

あまりに非礼極まりない、低俗・下劣な発言であったためにこれを伝えた韓国記者も、当初のオリジナル記事を冒頭の「亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」といった形に後刻、削除・訂正して、いわば意訳?した記事を流したのが事の真相だという。

日本の大手メディアは事実の報道というメディア本来の使命を果たしていない。

事実を伝えるといたずらに反韓感情を煽る、あるいは韓国政府のご機嫌を損ねるとでも下衆が勘繰ったのか、李明博の実際の発言内容を隠ぺいしている。

報道機関は政府ではない。メディアが外交関係に配慮し事実を事実として伝えぬことは、わが国の国益を毀損し、対韓外交の考え方を誤った方向へと向けさせてしまうことにつながることを、十分に自ら認識すべきである。

また政府もここに至っては、ただ天皇に謝罪を要求した発言に対する謝罪・撤回要求というだけでは、国民にはちょっとやり過ぎではとの懸念も持たれかねない。

李明博が正確にどう発言したかを、野田総理、いや、さすがに礼節をわきまえて玄葉外務大臣は国民に説明すべきである。

不法占拠の島根県・竹島へ大統領までが上陸、“重罪人に相応しく(日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の)手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる”との言語道断、無礼発言、首相の親書返送といった厳然たる事実を踏まえての対応であれば、やるときはやる、理屈の通らぬ子供には、“ならぬものはならぬ”と一喝するのが外交の王道であると、品格ある国家のなすべき筋であると国民も全面的に支持するはずである。

この局面において“大人の対応を”などと云うのは、国家の誇りを汚すことにほかならず、外道には外道の相手の仕方があることを政府も国民もよく肝に銘じて、今後の対応に万慰労なきようせねばならぬ。

“冷静に”などとこの期に及んで言うのは苛烈な決断のできぬ怯懦(きょうだ)な輩の妄言であって、いまは国益毀損の切所にあるのだから、沈着にして峻烈な、戦後初めての果断、勇断が求められる局面であるといってよい。怒らねばならぬ時には思いっきり怒るのは事の道理に適っているのだということを、日本人も思い出す時期が来たということである。

今後、国家としての誇りをもった毅然たる行動に出ることを政府に祈ってやまぬところである。