彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

May 2010

東京の「ほたる狩り」=うかい鳥山(八王子)6月3日〜7月13日

美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
京料理・「粟田(あわた)山荘」で「蛍の夕べ」を愉しむ(2011.7.1)
“辰野・ほたる祭り”に行って来た=松尾峡・ほたる童謡公園(2012.7.2)

八王子市南浅川町3426(電話:042661-0739

 

東京でホタル狩りができる。それも自然の懐に抱かれて・・・。ちょっと、書き過ぎだが、ミシュランの最高の三ツ星に選ばれている高尾山の山麓に、蛍狩りを愉しめる「うかい鳥山」はある。

玄関正面
うかい鳥山の入口・この奥に6千坪の敷地が広がる 

今年も蛍狩りの季節が近づいてきた。昨年、家族で行ってみたので、ご紹介する。

 

「うかい鳥山」は高尾山山麓の自然を活かし、その山気のオゾン豊富な六千坪におよぶ場所に茅葺屋根の合掌造りの古民家を点在させている。

朱塗りの橋
朱塗りの橋を渡り離れの古民家へ
萱葺きの古民家
窓外の古民家
うかい鳥山離れの室内
和室にセットされたテーブル席
炉に熾った炭
炉に熾った炭火 

料理は和室のテーブル席で地鶏の炭火焼をいただく。テーブルに炉が切ってあり、仲居さんが赫々と焼けた炭を運んできて、灰の上に並べて会食が始まる。串刺しの大振りの地鶏肉から脂が滴り落ち、香ばしい匂いが部屋に満ちる。食事は地鶏の自在焼コースを頼んだ。

鳥焼
脂がこれからしみ出てくる
鯉の洗い
佐久鯉の洗い
鮎の塩焼き
川魚の塩焼き
竹の酒
青竹に入れられた生酒、おいしかった・・・
黄昏の古民家
黄昏が近づきお腹もいっぱいに 

食事が一段落する八時ころ、各建屋の電気が一斉に消される。漆黒の闇が奥高尾の深山を実感させる。その静寂の中に各建屋の住人が息をひそめる気配を感じる。

蛍火の飛行線
左上に蛍の飛行線が・・・
木の枝にホタルの灯りが・・
拡大して下さい。蛍火が枝の上に見えます 

真っ暗な闇にホタルの灯りを見極めようと、息をつめると、しばらくして、ボ〜ッと小さな灯りが点滅しはじめる。

 

「あっ!」

「あそこ!」

「わ〜っ!」

 

と、抑えてはいるが、興奮気味の声が闇の奥から聴こえてくる。ホタルが山中に一斉に放たれたのだ。枝にとどまり点滅する蛍火、ゆるやかに光の飛行線を描いて見せる蛍、開け放った窓のすぐ傍まで近づいてくる人懐っこいホタル・・・。

人工的に放たれた蛍とはいえ、渓流の流れの音を聴き、大樹の陰から現れ出でては夜空の闇に消えてゆくホタルたち・・・。それはそれで、時間が止まったような錯覚に陥った。

 蛍の円舞が終わって
蛍の饗宴が終わって
家路へ
家路へ
入口提灯
また、参りましょう! 

四年前に京都の花背で自然のなかの蛍狩りを経験していたが、都会近くでこうした大自然の中でホタルの悠々と遊ぶ様を目にできるのは、それはそれで、意味のあることと感じたし、ひと時の憩いを味わえたと満足した。

蛍袋の花弁に入る蛍
蛍袋の花弁に入る蛍(京都・美山荘にて)
京都花脊に寄り添い舞う蛍
京都の花脊の渓流で寄り添う蛍火 

今年は「ほたる狩り」が63日〜713日、「ほたる鑑賞の夕べ」が714日〜815日となっている。詳しくは「うかい鳥山のHP」でどうぞ。

福島消費者・少子化担当大臣の署名拒否問題、閣内不一致明らか!5

 普天間問題で福島瑞穂社民党党首が閣議決定や閣議了解への署名拒否の場合、首相発言に止めることもあるとした平野官房長官発言は、国民の政治不信に拍車をかけるだけのあまりに姑息で国民を馬鹿にした所行。なぜ、いま、民主党内に良識ある声があがらぬのか。筋をなくした政治に明日はないし、そうした国は滅亡の道を辿るしかない。背筋を伸ばした政治を期待したい。

さよなら歌舞伎座=写真で思い出残したぞ!!

  昭和26年に復興した今の歌舞伎座が、2013年の春竣工予定で建て替えのため、この4月公演を最後に閉館となった。

 

 私と歌舞伎の出会いは、昭和42年のたぶん第1回の国立劇場での「高校生のための歌舞伎教室」が初めてであったが、歌舞伎座へは大学に入って歌舞伎好きの先輩に誘われて行ったのが最初である。もう、そうとう昔の話になる。


歌舞伎座正面
晴海通りを挟んで正面から(2009.12)
 

その歌舞伎座も、最近は高齢化の進行から「エレベーターがない」とか、入館してすぐの階段が狭くて危険だ」とか、「座席が狭くて窮屈」とか、色々、文句を言われていたが、いざ、壊されるとなると懐かしく、「その古さがいいのだ」なんて勝手なことを言い出す始末。本当に、人間って勝手な生き物だとつくづく思う。そこで、思い出の為に写真を残しておこうと思い、撮った写真のいくつかを以下にアップする。


晴海側から
晴海方面から

正面より一幕見席入口、弁当屋
正面玄関から一幕見入口・弁当屋を

一幕見席入口
一幕見席入口

正面
正面

銀座側から
銀座側から

二階席、三階席
桟敷席と二階、三階席を

正月公演
2009年正月、「さよなら公演」スタート

二階席から定式幕を
二階席から定式幕を

花道
花道

揚幕
揚幕

 

こうして一枚一枚の写真を眺めているうちに、学生時代から時折、通っていた歌舞伎座の一場、一場の情景が、甘酸っぱい思いとともに脳裡をよぎってきた。また、団十郎襲名披露のとき、桟敷席で初めて歌舞伎を観た。四歳になるかならぬかの娘が、分かりもせぬのに、うまいタイミングで拍手をして、「なかなか、こ奴、やるな!」などと親馬鹿ぶりを示したことなど、ふっと思い出した・・・。

やはり「辺野古付近にお願いせざるを得ない」って、鳩山首相?

鳩山首相は、523日午前、沖縄県庁を訪れ、仲井真弘多知事と会談。普天間基地移転問題の政府の具体的案を伝えた。移設先は事前の報道で流れていた「辺野古」であった.


そして「最低でも県外」が沖縄県内、しかも自民党政府が米国と合意した辺野古にせざるを得なくなった理由について、鳩山首相は以下のように釈明した。

 

朝鮮半島の情勢、東アジアの安全保障環境に不確実性が残る中で、在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない。普天間所属の海兵隊のヘリ部隊を沖縄の他の部隊から切り離して国外、県内に移設すると、海兵隊の機能を大幅に損なう懸念がある。現在の安全保障環境の下で、代替地は県内に置かざるを得ないという結論になった

 

前回訪沖した54日、鳩山首相は沖縄の海兵隊の抑止力効果について「考えが浅かったと言われれば、その通り」と、己の安全保障についての浅薄な思索を認めた。


しかし、今日、「在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない」ので、海兵隊を県外・国外へ移転できぬと言い、その一方で米軍基地の75%が集中する「沖縄県民の負担軽減」を繰り返し強調する首相は、今後の安全保障体制をどう考えているのであろう。

普天間の海兵隊のヘリ部隊のみの移転が無理であれば、「沖縄の負担軽減」のためには、全体としての抑止力を低下させぬ、「より大きな戦略単位」の米軍部隊の県外移転なり国外移転を行なわなければならぬことになる。

その目算が首相なり民主党政府はついているのだろうか。その具体的な案なり構想がない限り、「負担軽減」という言葉を、軽々に繰り返すべきではない。

どうも鳩山という人物はヘリの騒音量が減ったり、訓練による軍用機の離着陸回数が減れば、県民の負担軽減となると考えているのではないのか。それを本質的負担軽減と言うのであれば、沖縄の戦後の基地問題の歴史、沖縄県民が負わされた負担の重みに対し、あまりにも無頓着で、無神経で、そして不誠実な態度でありはしないか。

今日のような、話せば分かる、真心で語れば通じる式のルーピー・ワールドで、沖縄問題、安全保障問題は当然だが、解決せぬ。日米安全保障条約の是非、すなわち自国軍隊による防衛にまで踏み込んだ安全保障のグランド・デザインがベースにしっかりあって初めて、本質的な沖縄問題の解決へ向けた議論が始まるのだと考える。

その場合にも、現状の北東アジア、東南アジア等の国際情勢が続く限り、地政学的に軍略拠点としての沖縄の重要性は変わらぬのではないのか。

沖縄から米軍の姿が仮に消えたとしても、代わって自衛隊が進駐してくる可能性が高いのであれば、鳩山首相は「負担軽減」という言葉を軽々に乱発すべきではない。

そして、どのようにしてこの国の安全保障を担保するのか、民主党政府は腹を据えた本質的議論を行ない、その考えを国民の前に具体的に提示すべきである。


「日本は(有人宇宙船開発を)やらないのかね」=そりゃないぜよ、鳩山さん!

 鳩山首相は、520日、国際宇宙ステーションでミッションを果たしてきた山崎直子宇宙飛行士の表敬訪問を受けた。タイトルの発言はその時、山崎さんに対してこの国の首相から発されたものである。

 

首相官邸のHPの「会議等一覧」のなかの「政策会議等の活動」をクリックすると、「宇宙開発本部」のタイトルの下に、下記文言が記されている。

 

「宇宙基本法(平成20年法律第43号)に基づき、宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、宇宙開発戦略本部が設置されています。宇宙開発戦略本部においては、

1.宇宙基本計画の作成及びその実施の推進に関する事務

2.その他宇宙開発利用に関する施策で重要なものの企画に関する調査審議、その施策実施の推進及び総合調整に関する事務

を実施しています。」

 

 そして、国の宇宙開発の基本方針、総合的な施策と計画を定める「宇宙基本計画」を策定する「宇宙開発戦略本部」の本部長こそ、誰あろう、内閣総理大臣たる鳩山由紀夫、その人である(ちなみに副本部長は、内閣官房長官たる平野博文と宇宙開発担当大臣たる前原誠司(国交大臣との兼務))。

 

「宇宙開発戦略本部」設置の根拠法である「宇宙基本法」は20085月の第169回国会にて、時の政権与党であった自民党、公明党の両党に加え、野党であった民主党も賛成して成立した法案である。

 

 その基本法の第3章第24条において「宇宙開発戦略本部は、宇宙開発利用に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、宇宙開発利用に関する基本的な計画(以下「宇宙基本計画」という。)を作成しなければならない。」と、「基本計画」の作成が義務付けられている。

 

 基本計画案が平成21428日付で内閣官房宇宙開発戦略本部から公表され、広く国民からの意見が募集された。

 

 その基本計画案なかの「第3章 宇宙開発利用に関し政府が総合的かつ計画的に実施すべき施策」において有人宇宙活動についての基本的な考え方や施策が述べられている。概略すると、以下の通りである。

 

「有人やロボットを活用した宇宙活動の推進により、人類の活動領域を拡大することを目指すこととし、長期的にロボットと有人の連携を視野に入れた、平成32年(2020年)頃のロボット技術をいかした月探査の実現を目指した検討を進める」、「有人を視野に入れたロボットによる月探査の検討を進める(第324)?(b)項に記載)」(22/51頁)と。

 

 そして、第3の2各分野における具体的施策の推進の(4)「世界をリードする先端的な研究開発の推進」(30/51頁)のなかで、「世界をリードする先端的研究開発」として、主として以下の3つのプログラムで対応するとして、


 F 宇宙科学プログラム

有人宇宙活動プログラム

H 宇宙太陽光発電研究開発プログラム

 

を挙げている。Gの「有人宇宙活動プログラム」こそ、鳩山首相の言う「日本はやらないのかね」に対する答えだと思うのだが・・・。

 

 その有人宇宙活動プログラムの推進のために、「有人を視野に入れたロボットによる月探査」を重要な目標と位置付け、

 

・ 第1段階(平成32年(2020年)頃)として科学探査拠点構築に向けた準備として、我が国の得意とするロボット技術をいかして、二足歩行ロボット等による高度な無人探査の実現を目指す。

・ その次の段階としては、有人対応の科学探査拠点を活用し、人とロボットの連携による本格的な探査への発展を目指す。

 

と、基本的な考え方(案)がしっかりと示されている。

 

 山崎直子宇宙飛行士の表敬訪問を受ける前に、ひと言、首相の側近たちがこうした概略を説明しておれば、タイトルのような「おバカな質問」など、しなかったのではないかと、ブレーンにも恵まれぬ鳩山首相に同情しないわけでもない。

 

 それにしても、首相としての自覚の前にあまりにも勉強不足であり、国を運営する責任の欠片もその言葉に「皆無」なのをここまで見せつけられると、やはり、もう、国益のために鳩山由紀夫という人物には、首相の座から降りてもらうしかない。いや、政治家という彼にはどうみても不適な仕事から引退してもらわねばならぬ。

 

「日本はやらないのかね?」

 

山崎さんもさぞかし答えに窮しただろうなぁ・・・。そして、日本の総理の資質に、唖然としたに違いないことは明らかである。

公務員の新規採用数の削減より、議員定数削減が先!

21日、四年制大学の2009年度の就職率が2年連続で低下、91.8%(前期比マイナス3.9%)であったことが、文科省、厚労省両省の調査で分かった

 

その一方で政府は、同日の閣議において、2011年度の一般職国家公務員の新規採用人数を2009年度(7,845人)比で39%削減し4,783人とすることを決めた。

 

 2213月期平均の完全失業率は5.1%と前年同期に比べ0.5%の悪化、大卒の就職率も91.8%。日経平均株価も一万円を割る(5/21終値9,784.54)といった厳しい経済環境、社会不安の時だからこそ、公務員の採用数は最低でも前期並み、さらには増員とすべきである。

 

 政権公約に掲げた国家公務員人件費の2割削減を守るために、こうした削減を閣議決定したのだろう。

 

 しかし、この民主党政府、鳩山首相はどうも政治の根本を履き違えているとしか思えぬ。

 

 普天間問題で「最低でも県外」という自らの党首発言を守れぬことで、窮地に追い込まれたことに懲りたのか、事もあろうに若者の雇用機会を国が奪って、公約を守ったとでも言うつもりなのか。

 

 人件費2割削減が公約であれば、まずは国が率先して一人当たり人件費を削減し、ワークシェアリングを行なって見せるのが筋ではないか。それでこそ、経世済民という民のための政治なのではないのか。

 

 若者の雇用機会を奪って公約を果たすというのは、本末転倒である。

 

 そして、雇用機会を奪い国家公務員の新規採用をここまでドラスティックに削減するのであれば、もっと先に率先垂範すべきことがあろう。

 

 国会議員の定数削減である。一人当たりの議員歳費は年間、一億円を超える(政党助成金を含む)。議員定数の削減がどれだけ国家財政に寄与するかはいうまでもない。

 

なぜ、永田町は議員数の削減を実施しないのか。司法においても一票の格差の観点で現状が違憲であるとの判決が出ている。

 

すなわち、2010125日、広島高裁は、一票の格差が最大2.30倍となった昨年8月の衆院選について「1票の格差が2倍を超すのは法の下の平等を定めた憲法に違反する」とし、国会はその「是正を怠った」と批判した判決を下したのである。

 

 今度の参議院はそうした司法の判断をも無視し、意図的なサボタージュで、現状の選挙区で実施しようとしている。

 

 議員数削減という自らの血を出してみせるリストラがあって初めて、国民は政治家が言う社会保険料の負担増や消費税のアップといった痛みに耐え得る、納得をするのではないのか。

 

 米国の上院議員定数は100名、下院定数は435名である。それに対し日本の参議院定数は242名、衆議院定数は480名である。

 

 米国の人口は32千万人、日本が13千万人である。人口1単位当り、日本は米国の3.3倍もの議員を抱えているのだという現状をもっと国民は知るべきである。

韓国哨戒艦沈没=おい、おい鳩山さん、「先頭切って走るなよ」

20日、韓国政府は、哨戒艦沈没したのは北朝鮮製の魚雷によるものとの調査結果を公表した。

 

その公表を受けて、鳩山首相が記者団の質問に饒舌に答えた言葉が、次の通りである。

 

「もし韓国が国連安全保障理事会に決議を求めるということであれば、ある意味で日本として、先頭を切って走るべきだと、そのように考えておりまして、強くその方向で努力をしたいと思います」

 

「今日まで私は、韓国の政府が極めて冷静に行動をされたということは、評価を申し上げたいと思います。中国においても、この冷静という意味がまた別のところにあるかもしれません。私は、事実は事実としてこれは認めるべきでありますので、その中で、やはりこういった信じられないような行為というものが2度と起きないようにしていくために、私は国際的な場裏の中で、しっかりと訴えていく必要があると。中国に対してもそのように臨みます」

 

 この短絡的な人物には、外交のような相手の心の機微をうかがい、複雑な心理戦を展開するのは無理である。

 

 というより、国運をこの人物にゆだねるには、この二つのフレーズを読んでも、怖くてとても任せられるものではない。

 

 「先頭を切って」なんて、まずは韓国、米国、中国の判断や動きを見つつ、日本の憲法内で、対応するんでしょう。もし、今後、北朝鮮の軍事的活動が活発化していったとき、日本は国連安保理で決議されれば、多国籍軍の先頭を切って参戦し、戦闘行為も辞さぬつもりなのか。

 

簡単に「先頭を切って」などと、危険な言葉を軽々しく口にすべきではない。

 

また、中国の対応についての発言も大きなお世話である。外交において自身の胸中をあからさまに語ることだけで、国の最高権力者としての資質はゼロである。

 

「私は国際的な場裏の中で、しっかりと訴えていく必要があると。中国に対してもそのように臨みます」なんて、中国と北朝鮮とのこれまでの関係を考えれば、それがどんなに困難なことかわかるはずだが。

 

 そして、この人物は、朝鮮戦争が、まだ、休戦中のステージにあるという重大な歴史的事実をひょっとして知らないのではないかと、本気で心配してしまう。

 

 もうどこの国もこの国の首班の言葉をまともに聞くことはしないのだろう。日本国民としても、お願いだから鳩山という人物は何も分かってないので、相手にしないでくれと言うしかない。

 

 あとで、お前のところの首相は「先頭切って」と、言ったぞ。だから、まず、日本が北朝鮮に先陣として侵攻しろと、国際社会から言われようもんなら、本当に、大変なのだから・・・。

西麻布 京料理「かねき」においでやす

番菜亭(ばんさいてい)=西麻布グルメ・地酒「元文」
流山の京料理“かねき”はホンモノの職人の味!!
港区西麻布1-4-40 篠ビル1F

電話:03-5411-1070

定休日:日・祝日

営業時間:昼1130-1400 夜:1730-2300

 

かねき開店
つなぎ団子の提灯も乙な「かねき」入口
 

 西麻布の「番菜亭」がこの5月、京料理「かねき」として装いも新たに、スタートした。あの「かねき」の流麗な字体が看板にうっすらと浮かび上がる黄昏時、新装なった「かねき」を訪ねた。
 

 5月一杯は謎の美女がおもてなしをしてくれると言うので、急遽、仲間とその真偽を確かめに行った。

 

 表の暖簾も新たに、祇園を思わせる「つなぎ団子」の赤い提灯が、「京」の趣を添える。そして、階段脇に飾られた蘭の鉢植えが初々しく開店を祝っていた。

 

 店内に一歩、足を踏み入れて、どこかすっきりした、清々しい印象を持った。よく見ると、窓側にあった丸テーブルの席が簡素な個室に別れ、テーブル席も従来より使い勝手の良い形態に変わっている。

渡辺昭一郎氏と篠宮信之氏
オーナーの渡辺昭一郎氏と板長の篠宮氏と新たなカウンター
番菜亭時代のカウンター
番菜亭時代のカウンター
個室
こじんまりとした個室
すっきりしたテーブル席
テーブル席もすっきり
番菜亭時代のテーブル席
番菜亭時代のテーブル席
 

さらにカウンターの上部に木目も美しい皿置きの部分を取りつけたことが、店の統一感と清潔感を生みだす効果を生み出しているのだと気づいた。

 

カウンターでの料理と一献がますます愉しみとなった。

 

当日はオーナーの渡辺昭一郎氏も板場に入っておられたが、これからも従来同様、月曜のみ西麻布に入り、ほかは流山の本店「かねき」で包丁を取るという。西麻布はこれまで通り篠宮信之氏が板長として、一名増員の四人体制で運営するそうだ。

相方待ちの一品
相方待ちの間に心憎い一品が・・・
豪勢な先付け
これが、なんと先付けです!
お造り
鯛と鰹のお造り、碗は烏賊そうめんです
アワビのあえ物
鮑のあえ物(スッポン鍋がダメな私用に作ってくれた一品)
鯛の塩焼き
焼き魚
おいしかった!
う〜ん、なんだっけ・・・、おいしかった!
「あいなめ(京ではあぶらめ)の煮おろし」とのことでした
鮎の揚げ
苦みがほどよい稚鮎の揚げ物
からすみ
お酒のおともにカラスミのサービス
かき揚げ
かき揚げまで出てきちゃいました・・・
わらび餅
〆はわらび餅、おいしかったです! 

当日の料理はまぁ、写真を見ていただきたいが、素材、意匠、味、創意工夫と、客の舌と目を楽しませてくれる、絶品ぞろいであった。最後にわらび餅が供されたのも、一瞬、京都の夜を堪能しているような気分になり、その心遣いに感服した。
 

ところで、謎の美女にもお酌をいただき、そのしなやかな手つきにいたく心踊り、恐縮したものである。写真には手しか映ってないのが残念であるが、その妖艶な?着物姿をご覧になられたい殿方は、ぜひ、5月中に足をお運びください。

開店大サービス
謎の美女のお酌です・・・

平成21年中における自殺者32,845人の自殺の概要

 5月13日、警察庁より「平成21年中における自殺の概要資料」が公表されたが、それによると、H211月〜12月の一年間に自殺した人数は、32,845人であった。前年比一挙に8,472人も急増したH10年に、32,863人と初の3万人台に上ってから残念なことに、これで12年連続、その大台を割ることがない。

 

今回の自殺の原因・動機別状況でも分かるように、自殺の原因で最も多いのは「健康問題」である。H21年で46.7%(15,86733,987人)と、約半数を占めており、前年が47.5%(15,15331,921人)であったことからもその傾向に大きな変動は見られない。順に「経済・生活問題」24.6%(前年23.2%)、「家庭問題」12.1%(同12.3%)、「勤務問題」7.4%(同7.6%)、「男女問題」3.3%(同3.5%)、「学校問題」1.1%(同1.2%)などとなっている。


【遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかにできる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上可能としたため、原因・動機特定者の原因・動機の和(H2133,987)と原因・動機特定者数(2124,434)とは一致しない】

 

ただ、その中身をより詳細に眺めると、健康問題の内訳に「うつ病」の項目があり、H21年で6,949人に上っていることは、原因・動機を考える際に、留意が必要である。「うつ病」を起因とする自殺者は、「健康問題」の43.8%を占め、全体(33,987人)のなかでも20.4%と1/5をも占めている。

 

長年の不景気によるリストラへの不安や過重労働、職場環境の悪化など、次に述べる「経済・生活問題」に起因する自殺者とも不即不離の関係があると見るべきである。仮に「うつ病」の1/3(2,316人)が「経済・生活苦」から来るものと仮定して再計算すると、H21年の原因・動機別の比率は「健康問題」の39.9%に対し「経済・生活問題」は31.5%と、3割台で並ぶことになる。

 

現に過去最高の自殺者を出した平成15年(34,427人)は、小泉内閣による市場原理主義への急激な舵切りから、日経平均株価がバブル期以降の最安値の7,607円を記録し、名目国内総生産も490兆円と当時の最低水準に下落した。また労働環境も非正規雇用者数比率が30.2%と、初めて3割を超えるなど社会不安が世に蔓延した時機であった。

 

ここで、戦後の自殺者数の経年別推移を概観すると、昭和30年に野村芳太郎監督の映画「大学は出たけれど」が公開された時分の昭和29年に、初めて20,635人と、2万人台に突入した。

 

そして高度経済成長が始まった昭和35年に18,446人と6年ぶりに2万人台を割り、16年間、1万人台で推移した。

 

その後、オイルショックや狂乱物価、地価高騰などの経済の大激変のなか、昭和52年(1977)に復び20,269人と2万人を超えてから1997年(平成9年)までの20年間は2万人台の自殺者数が続く。

 

そして、実質GDP成長率がマイナス2.0%を記録し、また、現金給与総額伸び率もオイルショック以降初めてのマイナス(−1.4%)になり、その後7年間マイナスが続くことになった最初の年、平成10年(1998)に、自殺者数は32,863人と、3万人を超える事態となった。

 

それから今回の平成21年の32,845人まで、12年連続で自殺者3万人台が続いているのである。

 

過去の経緯を簡単に分析してみて、政治、とりわけ、われわれの生活に密着する経済情勢の動向如何が、自殺者数の節目となるような上下変動に大きく関わっていることが分かる。

 

まさに国政、就中、経済運営の巧拙が、国民が自ら尊い命を絶たざるを得ない悲惨な決断を惹起する重い鍵を握っているのだということを、政治家はもっと肝に銘じて知るべきである。

 

振り返って見て、直近の普天間問題や政治とカネの問題に収斂(しゅうれん)する政局は、残念ながら「経世済民」を政治の原点とする立場から見ると、国民を毎年3万人ずつ虐殺してゆく政治のあり方に、「やはり、それはおかしい!」と、言わざるを得ない。

 

そして、政治に携わる人々は、毎日100名に近い国民が自らの手でその命を絶たざるを得ない冷徹な社会を、この12年間の間、放置し続けていることの怠慢と無責任と国民の命を軽んじる自らの深層心理を、真摯に恥じるべきであると、強く訴えたいのである。

高橋尚子、民主党の出馬要請拒否=Qちゃんと柔ちゃんの違いは何だ

シドニー五輪女子マラソンの金メダリストの高橋尚子さんこと、Qちゃんが、民主党からの参院選出馬要請を断っていた。

 

10日に、柔道金メダリストの柔ちゃんが民主党からの出馬表明をしたところである。

 

その谷亮子氏が出馬表明する騒動のなか、なぜか北海道伊達市で農業活動をスタートさせた高橋尚子氏の動向が伝えられた。わたしは、この報道に接し、これもタレント・アスリートのパフォーマンスの一種なのだろうと余り気にもせず、一瞥したのみであった。

 

そして、その直後にQちゃんが民主党の出馬要請を拒否していたことが分かった。伝えられるところによると、

「政治の勉強をした人が国民の代表になるべき」、また、国民栄誉賞を受賞した者として、従来から「どこかの一党の議員にはなれない」として、これまでも同様の要請があったものの、この考え方に基づき今回も断ったと云う。

 

 その見識やアッパレである!

 

 今回も民主党や自民党など、恥も外聞もなく、名の売れたアスリートやタレントらを続々と擁立している。その有名人頼りの選挙姿勢を見ていると、自らの政策やこれまでの政治姿勢では国民に評価されぬとでも、言っているようなものである。

 

前回も言ったが、前職が何であろうが、政治を志すことに不都合はないし、国民として被選挙権は当然の権利である。

 

現に、評価は分かれようが、私は、お笑いタレントであった東国原宮崎県知事の最近の活躍と時機に応じた国政批判はなかなかのものと考えている。

 

ただ、彼にしても政治を志してからは、早稲田大学に入り直し(元々は専修大学経済学部卆)、第二文学部や政治経済学部で「選挙活動」や「地方自治」について学び、政治の世界で始動するための研鑽を積んでいる。

 

そうした準備があって初めて、地方自治や政治の基本的哲学に対する自身の見識を備え、実際の政治の成果を挙げ得るのだと思う。

 

そうした意味において、Qちゃんの「政治の勉強をした人が国民の代表になるべき」との発言は、久しぶりに一服の清涼剤を呑んだような、そんな爽やかな気分に、わたしをさせてくれたのである。

 

Qちゃんの唐突とも見える農業への思いも、調べてみると、そう半端でないことも知った。頑張ってもらいたいと思う。

 

Qちゃんの思いについては、「農業生産法人 のぐち北湯沢ファーム」のHPの「Qちゃんよりごあいさつ」から、次の言葉を引用しておきたい。

 

「私は現役時代からアスリートとしてカラダに良いものを食べよう、という強い気持ちがありました。良いものとは、決して高級なものということではなくて、カラダが喜ぶもの、本当においしいものということです。環境問題も含め、今、私たちは生活のさまざまな面を見直す時期にきているのだと思います。そうしたことを実際に体感するためにも、ここ数年の間、自分の手で農作物を育ててみたい、収穫したいと思うようになりました」

 

Qちゃんの言葉からは、まさ言葉どおりの「地に足の着いた」懐かしい土の匂いが漂ってきた。

その一方で、柔ちゃんの「地球に覆うほどの愛で頑張りたい」、「ロンドン五輪で金メダルを目指す」との会見場での言葉からは、ドブに落ち込んだときの饐(す)えた臭いがしてきたのである。

普天間移転発言の迷走で国語を辱める鳩山首相

いよいよ「決着」の時が近づいた。

 

これまで鳩山首相は、事あるごとに普天間基地移転について自らが言い出した5月末決着を明言し、それに拘(こだわ)ってきた。

 

その首相が5月末決着を断念せざるを得ない状況となった10日夕方、「沖縄と移設先、米国、連立与党の皆さんが『この方向でいこうじゃないか』ということでまとまることを、私は合意と呼んだ」と釈明した。

 

しかし、そんなことを聴く耳を私は持たない。

 

昨年末の移転問題先延ばしから始まった首相の一連の発言から、「決着」とは「沖縄県民と移設先、米国および与党が合意する」という明解な意味と国民は理解してきたからである。

 

現にこれまで首相は、事あるごとに沖縄県民や移設先、米国などの「合意」を得て5月中に決着させると繰り返してきたはずである。

 

128日の参院予算委員会では、米軍普天間飛行場の移設問題に関する自民党の山本一太氏の質問に対し、「5月末までに覚悟を持って決めると言っている。覚悟を持って臨むということに尽きる」と答弁、5月末決着を断言した。

 

そう言えば5月末決着の前に3月末に案をまとめるとの話があったのを思い出した。324日の官邸前で「3月いっぱいにまとめる。それは約束する」と明言した。そして、その僅か6日後の330日には、「1日、2日、数日ずれることは何も大きな話ではない。大事なことは5月にしっかりとした案を理解してもらうことだ」と事も無げに約束を反故にした輝かしい実績をこの鳩山由紀夫という男は有している。

 

そして、415日の総理官邸前での記者団からの「5月末に米国と地元の合意を得た唯一の案が発表されるのか」との質問に対し、「決着は決着だから、その通りだ。もうこれで行こうと、その方向がお互いに認められる状況を指す」と、最後の足掻きのような、発言の後半部分が大事だよと姑息な逃げの答えを用意した。

 

卑怯な男である。

 

そうした迷走発言の末にたどり着いたのが、冒頭に記した10日の夕方の発言である。

 

「方向性」が一致すれば、自らが設けた「5月決着の期限」や明解な「決着の定義」に矛盾はない、反故にしたことにもならぬ。何とまぁ、自らが手前勝手な解釈を示したのである。

 

一国の総理ともあろう人物が、自分が口にした言葉、約束を、言葉の使い方や微妙な言い回しで姑息に意味をすり替えてゆく。こんなマヤカシやゴマカシは、豊かな表現力を誇る日本語という国語を、国の最高権力者が先頭になって破壊し、辱めているのに等しい。

 

5月末になってこの鳩山という男は、「職を賭して」とまでいった己の発言を、どのように解釈して見せ、誤魔化して見せるのだろうか。

民主党公認、谷亮子の大きな考え違い

谷亮子氏が隣に小沢一郎民主党幹事長を従え、「(参議院議員になっても柔道選手として現役を)もちろん続ける。ロンドンオリンピックで金メダルを目指す」と胸を張った。どこの記者かは分からぬが、「国会議員でも金ですか?」との質問に対しての答えであったのだろうか。

国会議員の歳費は「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける」と、憲法第49条で保障されており、その細目は「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」(昭和22430日法律第八十号) で定められている。

ちなみに通常の国会議員で年間にかかる歳費は、丸めた数字で、月給+ボーナスで3100万円、立法調査費で800万円、文書交通費で1200万円、その他に公設秘書3人分として2300万円が支給される。つまり、議員一人に対し直接、7400万円が歳費として毎年、税金が使われる。それから政党助成金がその枠外でだいたい議員一人当たり4千数百万円が税金から各党に対し交付される。

国民は国政に携わる国会議員にそれだけの多額のコストをかけているのである。この厳しい国家財政のなか、高額の税金を一人の議員に対し使う理由は何か。それは議員が為政の目的である経世済民を成す責任を担うからに他ならない。

(当選し、)国会議員になってもオリンピックで金メダルを目指すという谷亮子氏。「スポーツ選手やタレントは国会議員になるな」などと言うつもりはない。「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」のだから(憲法第44条)。

しかし、国会議員は言うまでもないが、国権の最高機関であり、かつ唯一の立法機関である国会の構成員である。だから、国政に対する深い造詣と、高い見識が求められることは言うまでもない。内外に多くの難題を抱える今日、国民の代表たる国会議員には、国民のために身を削るような努力をしてもらう必要がある。

国会会期日数をこの23年で見てみると、平成20年が264日、平成19年が279日、平成18年が235日と、年間の23から34の期間、国会が開かれている。閉会中も当然だがいろいろな国政に懸る仕事は山積している。まさに365日、常在戦場の日々を過ごすのが、本来の国会議員のはずである。

だから、多額の税金を一人の国会議員に使うことを憲法でも保障しているのだ。

然るに、この谷亮子という人物は、議員になっても柔道選手として「次のオリンピックで金メダルを目指す」と無邪気に胸を張った。

国会議員になったら為すべきことは違うだろうと、大声で言いたい。二足の草鞋をはいてやれるほど、政治家は甘くはないし、そんなことを国民は許さない。横に座ってニヤニヤしている小沢幹事長もその発言に対して、苦言を呈することもない。何という国家であろうか、何という政治の堕落ぶりであろうか。

事は民主党に限らない。ここに来て参院選の公認候補が次々と発表されたり、名前が取りざたされている。新党「立ち上がれ日本」が元巨人軍の中畑清氏の擁立を決定した。また自民党も元プロ野球選手の石井浩郎氏や女優の三原順子氏などの名前が取りざたされている。

わたしはその人々が政治家としての素養があるのかどうかを知らない。だから、不用意に言うのは避けねばならぬだが、公認選考の基準が、どう考えても知名度優先で行われているように思えてならぬし、そうした思考方法を取る政党が本気で国民の為を思って政治を行なおうと考えているとは、決して思えぬのである。

わが国の国会議員定数は衆議院480名、参議院242名である。米国は上院100名、下院435名である。国民人口は日本が13千万人、米国が32千万人であるので、人口百万人当り国会議員数は、日本が5.7名、米国が1.7名で、人口1単位当りで、米国の3.3倍の議員を日本は擁していることになる。

タレントや知名度が高いからという理由で公認候補を決めるような愚行を重ねるのであれば、まず、国会議員の大幅削減を行なうのが先決であろうし、谷亮子氏のように思い違いというか、あまりに国民を馬鹿にした物言いを平然と笑いながら胸を張って言うなど、止めにしてもらいたい。

蓼科聖光寺のGWの桜は、七分咲き

2012年・聖光寺の桜、GWにあっぱれ満開!!

蓼科の聖光寺の桜は、だいたい5月のGWの最後あたりに満開というのがここ数年の傾向である。


蓼科聖光寺
蓼科聖光寺
 

今年も51日に聖光寺に様子を見に行った。茅野市街のビーナスライン沿いの桜は満開から葉桜に変わろうとしていたが、境内の桜はまだ一輪も開花していなかった。

 

54日に再度、訪れると、境内の景色は一変。薄ピンクの雲がかすむようにして見えた。まだ、蕾も多く、七分咲きといったところか。でも、1日には人影もなかった境内には多くの人々が、高原の桜を鑑賞に訪れていた。蓼科の桜の醍醐味である、白樺と桜のツーショットも、今年はちょっと、早すぎたようである。


聖光寺の開花
七分咲きかなぁ・・・

額縁の桜
ちょっと構図を工夫してみた「額縁の桜」

池辺の桜
山門を入った左手の池辺の桜も乙なもの

白樺と桜
いまいち、迫力を欠く白樺と桜でした
 

でも、帰京の帰りに聖光寺に立ち寄り、今年も桜の花に出会えたことは、この一年間、無事に過ごして来れた証しなのだと、五月晴れの青空を眺めながら、その思いを心に刻んだものである。

そして、やっぱり、境内であの蓼科高原チーズケーキ工房の「チーズケーキ」を買ってしまった家内と娘でした。さらに、今年は、言い得て妙の「花よりだんご」も奨められて、車に持ち込んで来ました。

意外と、この「花よりだんご」がピンク色の団子の中に追分団子の甘からいタレが入っていて、すぐれものでした・・・。

オシマイ!!

諏訪大社、7年に一度の奇祭、「御柱祭」の里曳きを見た

諏訪大社御柱祭の上社木落(きおと)しを見る(2010.4.7)

ザ・ババリアン・ペーター タテシナ―――グルメ蓼科編?



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2日から4日の3日間、諏訪大社上社の御柱祭の里曳きと建て御柱があった。

 

 2日は高部東の信号のところで、本宮一之柱、二之柱の里曳きを歩道の塀の上に座り、見物した。


太い縄を里曳き
曳き子が木遣唄に合わせ一斉に曳き綱を曳く
 

 3日は午前10時半に建て御柱見物に前宮へ出かけた。鳥居をくぐるともう、参道にはたくさんの人がいた。坂を登り始めると途中に、警察官が黄色いテープを引いて、「氏子以外の人はこれ以上、中へは入れません」と、観光客を制していた。ここから御柱が建つのは見えるのかと問うと、「人家が邪魔になり見えないと思う」という。


前宮建御柱
正面櫓の右手奥に前宮一之御柱が建つはず・・・

押しかける見物客
ぞくぞく押しかける見物客
 

 仕方がないのでわれわれ家族は、本宮の方に向かった。本宮への御柱の曳行が続いており、その日に4本の柱が諏訪大社の境内に入ることになっている。翌日が本宮での建て御柱だ。


里曳き本宮二之柱
本宮二之御柱曳行の後尾より
 

 本宮の三之柱と二之柱の曳行を追い抜き、途中で休憩中の御柱に腰かけさせてもらい、記念撮影を行なう。当日はまさに五月晴れの絶好の里曳き日和であった。


境内へ入ろうとする本宮一之柱
表参道にひしめく曳き子や見物客
正面に本宮一のメドデコとその奥に大鳥居が見える
 

 1日にバーバリアン・ペーターでいつものベーコンとアイスクリームを買い求めた際、今年に入って初めて坂本オーナーにお会いした。

 

「明日からの里曳きを見物に来た」と言うと、「本宮の表(東)参道の鳥居から150mほどに桟敷を用意している。よかったらどうぞ」と言われたので、すごい人混みではあったが運よく見つかればご挨拶だけでもと思い、本宮へ向かったのである。

 

 そして本宮一之柱の曳行の最後尾のあたりで、右側に見慣れたペーターの旗印の模様を見つけた。鉄パイプで造作された二階の仮設桟敷に坂本氏がいた。

 

 裏から階段を昇り桟敷内に入ると、坂本さんを知る人々がテーブルを囲み、祭りを楽しんでいた。もちろんレストランピーターのワインやペーターのソーセージ、それにお弁当が振る舞われた。正直、びっくりした。気分は一挙に自分も氏子になった気分で、祭りの雰囲気に馴染んでいった。

 

 桟敷のパイプ越しに表参道を真下に眺め、右手先に青銅製の大鳥居が見える。その鳥居下のアーチ型の石橋に御柱が乗り上げ、鳥居をギリギリ潜り抜けるのが、里曳きの最後の大きな見せ場となる。

 

 冷えたビールとおいしい弁当を食べている時に、柳平茅野市長が桟敷を訪れた。その後も坂本さんを慕う人たちがひっきりなしに桟敷に出入りし、にぎわった。


坂本氏と柳平茅野市長
坂本家の桟敷で坂本氏(左)と柳平茅野市長(右)
 

こっちは参道に面した席に陣取り本宮二之柱の里曳きを心行くまで堪能した。正面の桟敷では子ども木遣りがひっきりなしに、オンベを右手にかざし、木遣りを「鳴く」。右斜めには旧藩主の諏訪家の桟敷があった。ここが一等席であることがそのことでもよくわかった。坂本さん、感謝!感謝!


旧藩主諏訪家桟敷前を曳行する氏子と観光客
諏訪家の家紋入りの桟敷。諏訪家所縁の方も見物していた
 

「山の神様、お願いだ〜」、「もう一息だでお願いだ〜」、「どうでもこうでもお願いだ〜」と、本木遣りの甲高い声が騒音を突き抜けて響きわたる。その声が曳き子の先頭まで届くと、それに合わせて参道の曳き子たちが「ヨイサ、ヨイサ」と一斉に掛け声をあげる。そして、太い曳き綱を思いっきり引っ張り、御柱は本宮へ一歩、また一歩と近づいてゆくのである。


御柱通りを近づく本宮二之柱
やって来た本宮二の御柱
 

 参道一杯にひしめく曳き子やメドデコに乗ってオンベを振りかざす若衆たちのイナセな姿に祭りの気分は最高潮に達した。
 

 メドデコが手を伸ばすと届く位置に来た時には、知らず知らずわたしも「ヨイサ!ヨイサ!」と、大声を挙げていた。


本宮二が桟敷前を曳かれてゆく
まさに目の前をメドデコが過ぎて行った・・・
 

 二之柱が過ぎて、坂本さんにお別れをし、本宮へ向かった。そして、境内の内から二之柱の大鳥居潜りを見た。一之柱の翌日の建て御柱の準備も、布橋の廻廊を抜けた塀重門の前辺りでゆっくりと眺めることが出来た。


曳行の縄が御柱を離れる
本宮二の曳行終了で、曳き綱を相撲土俵の脇に置く

建御柱を待つ本宮一之柱
本宮一の御柱・樅の木
この先端が冠落しといって尖らされ、反対端が土に埋められる
 

長い伝統というものは、年齢や職業といった様々な日常生活の違いを超えて、同じ空気を吸う共同体といった一体感を、この熱病のような雰囲気の中で、自然に醸成してゆくのだと感じた時間であった。今回はあまりの人数と氏子以外の進入規制もあり、建て御柱を見る機会に恵まれなかったが、7年後の次は何とか建て御柱の見物ができるよう、健康にも留意し、用意を周到にしたいと思った。

 

山岡賢次国対委員長の「雲の上発言」に民主党の本性を見た

教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!(沖縄集団自決問題)(上)2007.4.4

教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!(沖縄集団自決問題)(下)2007.4.4

二つの資料館が語る戦争の異なる実相――ひめゆりの塔を訪ねて(上)2007.4.4

二つの資料館が語る戦争の異なる実相(下)2007.4.4

 

 われわれは、54日の鳩山首相の沖縄訪問で、「最低でも県外」が素人同然の軍事知識や安全保障の考え方に基づいたものであったことを知り、愕然とさせられた。そして、「最低でも県外は公約ではない」との発言には、その無責任さに唖然とさせられたところである。

 

その直後の6日、今度は山岡賢次国対委員長が、「女性議員ネットワーク会議」の最後の挨拶で、「国会は、国民の生活を守るための立法府。普天間の話や政治とカネの話は、直接国民の生活には影響していない。間接的にはあるかもしれないが」と述べ、「(公立高校無償化や子ども手当は)大きな評価をいただいている。普天間の問題に掻き消されているようで残念だ」と語った。そして、「地方の人に聞くと、普天間は雲の上のような話で、子ども手当は自分たちの生活の話だという思いがあるように感じる」と驚くべき暴言を吐いた。

 

それに対し即座に、沖縄県の伊敷郁子糸満市市議会議員が発言を求め、「沖縄県民は国民じゃないのか」、「(沖縄)県民を冒涜(ぼうとく)している。民主党は国民の生活が第一なんでしょう。なぜ私たち県民の生活を守るためやらないんですか」と、声を荒げて抗議した。

 

会議後も報道陣に囲まれた同市議は、「私たちにとって普天間は政局でなく、生活の問題。生活が破壊されているから早めに撤去して欲しいと、生活者の視点で言っている。私たちは国民じゃないのか。沖縄の人はずっと差別され続け、これでいいのかと申し上げたかった」と、山岡国対委員長の発言を激しく批難した。

 

『ひめゆりの塔』の悲劇の舞台となった糸満市の伊敷議員が、歯軋りするように怒りを露わにしたのは当然である。先の大戦において創氏改名まで強いられた(「ひめゆり平和祈念資料館」に当時の新聞等と共にその実態資料が展示されている)沖縄県民のこれまでの深くて辛い思いが、伊敷議員の言葉の内に迸(ほとばし)っているのが痛いほど私の胸に伝わって来た。

 

「沖縄県民は国民じゃないのか」、「沖縄の人はずっと差別され続け」と咽喉から絞り出された言葉はあまりに重く、切なくわたしの心に突き刺さったのである。

 

この批難の対象となった山岡議員は過去においても色々と暴言を吐いている。特に200710月の大島理森自民党国対委員長(現幹事長)との会談において、「私らはアイヌ人の血を引く蛮族だ」と、差別的発言を行なったことは、今回の差別発言とその源を一つにするように思う。

 

それは、この山岡という人物がそもそも日本という国の成り立ちや歴史をちゃんと理解し、納得しておらぬ証拠ではないのか、そう考えるしかないのである。そうした発言を繰り返す人間が一方で、外国人参政権(「永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案」)には極めて積極的であることが、また、この人物の政治的立ち位置を不可解に見せる。

 

 そして、鳩山首相といい、この山岡国対委員長といい、民主党幹部の相次ぐ沖縄県民軽視の発言に、この民主党政権の底の浅さ、政権担当責任能力の欠如を認めざるを得ない。そこに民主党の国民目線とはほど遠い、痩せ細った本性を垣間見た気がしたのである。

鳩山首相に告ぐ=沖縄訪問のあまりの軽さ

 今から10年前の721日から23日、沖縄県名護市の万国津梁館で第26回主要国首脳会議、通称、沖縄サミットが開催された。

 

 その日、議長ポストには森喜朗総理が座っていた。しかし、札幌、千葉、横浜、大阪など八地域がサミット開催地として手を挙げたなかで、前評判で一番不利と見られていた沖縄に決定したのは、時の総理大臣小渕恵三(2000514日現職総理のまま逝去)であった。国際会議開催の難易度が高い沖縄を開催地とした決断を各報道機関は英断であると評し、「久々に政治を見た」と書いた新聞もあったほどである。

 

 小渕総理は早稲田大学在学中から沖縄東京学生文化協会に所属、毎年夏休み期間は沖縄に滞在した。沖縄決戦で12万人余(うち民間人9万4千人)の県民の死者を出した沖縄の人々の複雑な日本政府への心情、そうしたなかでの本土復帰への強い思いなどを自分の行動と肌で感じ、沖縄の痛みを地元の人々との交流の中で分かち合って来たのだという。

 

 その沖縄との深くて長い関わりについては、衆議院本会議での村山富市元首相(当時社民党衆議院議員)が行なった追悼演説(530日)のなかで、「サミット開催に当たって無難を大事にするなら、若い頃からの思いに目をつぶることでした。だが、易きにつくため信念を曖昧にし沖縄の人々の痛みを無視することは、君には到底できない相談でした。だから、困難を承知で、あえて沖縄サミットに踏み切ったのです。その熱い思いが沖縄の人々をどれほど勇気づけているかは、立場こそ違え、長年沖縄問題に取り組んできた私には痛いほど分かります」と語った言葉でよりよく窺い知ることができる。

 

 そして、首相経験者への追悼演説は野党第一党党首が行なうのが慣例であり、時の野党第一党である民主党党首は鳩山由紀夫現総理であったが、遺族の強い拒絶から、沖縄への思いを共有する村山氏の追悼の辞となったものである。

 

後日の国会で前総理への哀悼の意を表明した鳩山党首に対し、野中広務自民党幹事長(当時)が「前首相の死の一因があなたにあったことを考えると、あまりにもしらじらしい発言」と痛烈に批判したことは、現在の普天間移転問題での鳩山首相の一連の言葉と行動の「寸毫(すんごう)の軽さ」を暗示していたように思えてならぬ。
 

 鳩山首相は昨日(54日)の稲嶺進名護市長との会談のなかでも、「沖縄の方々の負担を軽減させることは不可欠な要因」とか、「きょうは今、外で(県内移設反対の)活動(を)しておられる方々の思いというものも勉強させて、拝見させていただきながら、また政府がアメリカともしっかり交渉できる態勢を作る一助にして参りたいとも考えております」といった軽くて空虚な言葉を連発している。

 

 はっきり言って、殊勝らしさを装う臭い演技や言葉面だけでその場凌ぎをするのは、もうやめて欲しい。

 

 沖縄の基地問題は言わずもがなだが、国の安全保障の要諦に関わるものである。ここに来て、「北東アジア情勢がどうの」、「海兵隊の抑止力の認識が浅かった」、「環境が大事」、「辺野古の海を汚したくない」なんて、もう「ど素人」じゃあるまいし、滅茶苦茶な発言、暴言、妄言が飛び出している。

 

 正直、この人物は沖縄問題について真剣に考え、県民の痛みに本気で思いを致した経験は実際のところ一度もないのではないか。でなければ、これまで繰り返し、呪文のように首相の口から発された沖縄県外への基地移転を期待させる言葉の意味が理解できないのである。

 

 今回のたった一日の訪沖で、「気持ちは今でも県外なのだ」と直接伝えることで、沖縄県民の理解を少しでも得ようと考えたのかも知れぬが、あまりにこの人物の常識のなさと現実味のなさに返ってあきれ果ててしまった。県外移転へ期待をふくらませてきた沖縄県民の怒りはいかばかりであろうか。本当に国民、就中、沖縄県民を愚弄し、人の気持ちをもてあそぶにもほどがある。今度という今度は、わたしも心の底から怒りを覚える。

 

 政治は冷徹な現実世界の問題を理想と折り合いをつけるところに、その意味がある。そして政治家はそれを実際に決断、実行させる者として、存在意義を有する。

 

 その意味において、今の民主党政治は政治の体をなしておらず、鳩山由紀夫という人物は政治家としての要件を著しく欠いた人間であると言わざるを得ない。

 

沖縄問題に真剣に取り組んできた故小渕総理の10年目の命日を約一週間後に控えた本日、寸毫の軽き言葉を発し続ける鳩山という人間と較べ、政治家の本質とは何かをしみじみ考えさせられたのである。

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