彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

November 2007

心に届かぬ広瀬民放連会長の「正念場」=民間放送全国大会3

10月31日、グランドプリンスホテル新高輪「国際館パミール」において「第55回民間放送全国大会」が開催された。その式典において広瀬道貞日本民間放送連盟会長(テレビ朝日会長)が挨拶を行ったが、その冒頭で放送界は「正念場にある」との現状認識を示した。そのうえで次の二つの課題を乗り越えなければ、「この先長いイバラの道を歩かねば」ならないと語った。その二つの課題とは、一つは2011年に迫った「デジタル化」であり、二つ目が「放送倫理」の問題であった(民放連HPより)。

 

まず「デジタル化」についてはデジタル波の世帯カバー率は全国5,000万世帯の85%に達しこの年末には90%を超えるとの見通しであり、これまでの準備は順調に推移していると評価した。反面、今後の問題としてハード面の整備で山間や海辺の小集落の難視聴地域の解消といった限界コストが膨大にかかる段階に差し掛かっており、デジタル波世帯未カバー率のラスト1%の解消には国や市町村の協力が欠かせぬことを強調した。

一方でデジタル受像機の普及率はメーカー努力による価格低下もあり28%(総務省3月調査)へと着実に上昇しているもののまだ買い替えに慎重な世帯も少なくないとし、全国の福祉施設や経済的弱者に対しても受像機器設置の政府支援への期待を表明した。さらに2011年のアナログ停波が仮に先延ばしとなると、放送各社にサイマル放送継続のための追加コストや投資が発生し、経営的負担が重なることを強調した。

そしてデジタル受像機の普及が不十分なままアナログ停波が実施されれば大混乱のなかテレビ離れが進む極めて深刻な事態が予想され、その意味においてテレビ業界は「正念場」にあるとの認識を明らかにした。

 

二つ目の課題、「放送倫理」については、2007年を「テレビの『放送倫理』を改めて考えさせられる年」と位置づけてみせた。そして今国会で継続審議となっている放送法改正案については「近年の一部の放送番組での演出過剰、情報歪曲がないのかなどの指摘を行政から受けるケースが増加、また視聴者からもその種の声が少なからずあった。そうしたなか年明けに関西テレビ放送による『捏造番組』が発覚し、新聞、週刊誌に連日大きく取り上げられ、それを追い風とするようにして政府は『再発防止を放送局の手に任せておくわけにはいかない』と判断」したとの見方を示した。さらに「改正案にある行政処分の導入については賛否両論あるものの『放送局経営者は日常の番組制作に、もっと真剣に取り組んでもらいたい』と注文をつける気持ちにおいて、与野党を問わず一致しているように見受けられ、私たちは厳しい反省を迫られている」と苦しい胸中も語ってみせた。

 

その一方で、「実際に番組の中身にまで政府の目が光ることになれば、民主主義のインフラとも言うべき表現の自由という根幹の問題に触れてくる。そこで改正案に対し反対を表明したが、ただ反対を叫ぶだけでは、世間の理解は得られない」と、現状のテレビ界を取り巻く厳しい環境認識も示したうえで、「私たちは、虚偽や捏造の再発防止策を政府に委ねるのではなく、自分たちの手でキチンとやっていこうと決心いたしました」とその決意を述べた。

 

その具体的手段として放送倫理・番組向上機構(BPO)の中に『放送倫理検証委員会』を新設したことに言及し、この検証委員会が政府の案よりも数倍強い権限を持つ監視機関を作ったと胸を張った。さらに政府による監視が行なわれる軍事政権・一党支配の国や、独立行政委員会を設ける英米と比較して、わが国がいまだ世界に例のない「自分で自分たちの監視機構をつくるという第三の道」を選び、それは「大いなる実験、価値ある挑戦」であると自画自賛した。そして「第三の道の成否の鍵」を握るのはもちろん放送事業者自身であり、放送番組制作にあたって経営陣から現場までひたすら真摯でなければならぬとし、「実績を重ねることで公権力の介入が不要であることを、国民の皆さまの前に証明していきたい」との覚悟を披歴した。

 

それほどの覚悟と自負心をもって「自分で自分たちの監視機構をつくるという第三の道」であるBPOを今年、強化したばかりだったのである。

 

それでは問うが。

 

BPOの擁する3委員会の一つである「放送と青少年に関する委員会」の副委員長という要職の立場にある人物が大麻取締法違反で現行犯逮捕、起訴された事実を民放連は一体、どう説明し、今後どう自己規律を課してゆこうとするのか。この事件は9月21日、大会のほんのひと月前に起きた事件である。そして当該事件に対するBPOの最終的見解と対応と言ってよい「BPO青少年委員長交代および『斎藤次郎氏解嘱に対する青少年委員会の対応』について」は10月25日付けで公表されたばかりである。その新生BPOの不祥事についてひと言も挨拶のなかで言及せぬどころか、テレビ業界を監視すべき組織、自らが作ったと自負する組織自身の対応策、自浄作用の甘さに何ら触れぬことに、この業界が本当に「言論と表現の自由」を死守しようとの覚悟をもってこれからどう臨もうとしているのか疑わざるを得ず、真面目な姿が見えて来ぬのである。

 

広瀬会長は最後に「放送局は何を社会に提供するか」と若いテレビ局の社員に問いかけた話を紹介して挨拶を締めくくっている。返答は「人が良い行いをするとき、背中を後押しする風を提供しているのではないでしょうか」であった。模範的な答えである。

 

しかし、遠くモンゴルまで追っかけて朝青龍を取材したり、全局をあげて亀田一家報道に狂躁(きょうそう)しているのがテレビ局の日常的なひとコマである。「背中を後押しする風」を提供するコンテンツが、まさか「亀田一家」や「朝青龍問題」であると本気で制作現場や放送界の若い社員が考え、経営者が考えているのだとは思いたくはない。ただ、その若い社員の言葉と日常放映されている番組との間の乖離(かいり)が余りにも大きいのも残念ながら事実である。

 

その実態を見せつけられるわたしに、今回の会長挨拶は「正念場」に立つ経営者の覚悟の声としてはとても心に届いては来なかったのである。

 

こうした甘い認識と対応で今後とも突き進んでゆけば「アナログ停波を実施すれば、大混乱が生じテレビ離れが進む」などといったハード面の問題などではなく、メディアとして価値がないのだという本質的な「レーゾンデートル(存在意義)」の問題として「テレビ離れ」が生じる、いやすでに生じているのだということをテレビ事業に携わる人々は強く肝に銘じるべきである。



自民・民主大連立破局に透ける真の筋書き3

 11月4日夕方、小沢一郎民主党代表が10月30日、11月2日の両日にわたる福田首相との党首会談において自民、民主両党の「大連立」協議を進め、民主党内の反対で挫折した結果、「私が選んだ役員に否定されたことは不信任を受けたに等しい」として党内混乱の責任をとる形で代表辞任を表明した。

 突然の党首間協議から大連立構想の公表、その破談、そして急転直下の小沢党首の辞任。この数日間、永田町の住人をはじめメディアや国民も時々刻々と変わる情勢に加え、真偽も定かならぬ情報がさまざまに飛び交うなかで翻弄(ほんろう)され続けた。このシナリオを誰が書いたのかは分からぬが、最近では幼稚なシナリオの政治劇ばかり見せられて辟易(へきえき)としていたわたしには、久方ぶりによく錬(ね)られた面白い筋書きを見せられているような気がする。

 そもそも二大政党の「大連立」との話が駆け巡ったことで、永田町やメディアは一挙に上を下への大騒ぎとなった。今回の「大連立」は一瞬、55年体制を築き上げた保守大合同を想起させた。しかし、よくよく冷静に考えて見れば昔の保守大合同とはまったく似て非なるものであり、非現実的な構想であることがわかる。

 かつて日本民主党と自由党が保守合同し自由民主党を結成した1955年のときは、選挙制度は一選挙区の議員定数が基本的には3人から5人の中選挙区制を採用していた。しかし、現在は1996年の総選挙から実施されている一選挙区一議席の小選挙区制(比例代表併用方式)である。

 現実問題としてここで「大連立」を果たした場合、次の総選挙ではどういう選挙となるのか考えてみるとよい。300におよぶ小選挙区において、連立を組む二大政党が同一選挙区でもしおのおのが候補者を立てることになれば、選挙民は何を基準に投票をしたらよいのか。二大政党という大連立が閣外、閣内協力であれ成立するということは、両党の政策が限りなく近いものとなり差別化が非常に分かり難いというか、どっちでも構わぬことになりはせぬか。要は政党選択の必要性がなくなるのではないのか。現在の自公連立は民主党という第二政党が存在することで、キャスティング・ボートを握る公明党の存在意義があり、連立という政治手段にその意義なり正当性が認められると言ってよい。

 しかし、第一党と第二党が連立を組むと言うのでは、おのずからその意味合いは大きく異なってくる。今の自民、民主の両院勢力の連立では民主主義のチェック機能が議会という場で働かぬことになり、その意味でもこの大連立というのは無理筋と言える。また一選挙区に自民・民主から仮にどっちか一人を立てるとなれば、郵政民営化で賛成・反対候補のどちらを公認するかでさえ、大もめにもめている自民党を見るまでもなく、その公認作業は実務的にも至難と言わざるを得ない。

 要は「大連立」などという構想ははじめから非現実的な話であったと見るべきである。ではなぜこうした話が両党首協議から出てきたのか。それはもっと異なった事柄が福田・小沢両氏の間で話し合われたから、それも現段階では決して外へは出せぬ門外不出の話であったからではないのかと推理するしかないのである。その目眩(めくら)ましとして「大連立」というホットな話をぶち上げて見せた。老練な福田総理と策謀家の小沢氏二人だけの密談である。子供じみた策で手を握ることなど考えにくいのである。

 それでは門外不出の話とは一体何か。この政治局面であれば、それは政界再編成でしかありえないのではないか。そしてただでさえ政界の「壊し屋」と呼ばれ、権謀術数に明け暮れた経歴にいろどられた小沢代表にとって、民主党を割って出るにはそれなりの大義がどうしても必要である。だから反対されるにきまっている「大連立」を持ち出し、当然のように反対され、そのことを民主党執行部から不信任されたと辞任の理由として語ったのであろう。自分が不信任された党にいる必然性はない。そういう理屈である。

 現在の衆参両院の会派別所属議員数は次のとおりである。衆議院が自民305、民主113、公明31、共産9、社民7、国民6、無所属9の合計480名である。また参議院は自民84、民主119、公明21、共産7、社民5、国民0 、無所属6の合計242名となっている。

 いまの衆参の勢力関係を見れば、ねじれ現象を解消するのに必要な数字は次の通りである。

 自公連立に小沢党(小沢氏と共に民主党を離脱する派閥)が合流するケースを見ると、小沢・自公政権は参議院から17名(民主党参議院議員総数の14%)の民主党議員を移籍させれば、参議院過半数の122議席を確保できる計算となる。またさらに突っ込んで公明党を排除した政権与党構想(小沢・自民連立)では、38名(同32%)の民主党議員を離脱させ、自民党へ移籍させればよい計算となる。

 現在の衆議院は自民・無所属会派のみで衆議院議席総数の64%にあたる305名もの議席を有しており、民主党からの移籍がゼロでも自民党単独で多数党であることに変わりはない。したがってねじれ現象を解消し、政権運営を安定化させるためには参議院議員の政権与党への移籍が必須ということになる。

 そこで単純計算をすれば、小沢・自公連立政権は、わずかにと言うのか多数と表現するのかは評価の分かれるところであるが、民主党参議院議員17名の移籍によって成立をみるのである。

 このように大連立構想破局の裏には次の一手というより、当初からの筋書き通りの小沢・自公連立か小沢・自民連立という政権の姿が透けて見えてくる、そう思えて仕方がないのである。


亀田一家に埋もれた放送事業の番人BPOの不祥事(下)5

BPO青少年委員長交代および『斎藤次郎氏解嘱に対する青少年委員会の対応』について】

 

「斎藤次郎・BPO放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)副委員長が大麻取締法違反で逮捕・起訴され、委員を解嘱(103日付)されたことを受けて、青少年委員会は109日および1023日の会合で、対応を協議しました。その結果、下記のとおり、青少年委員会としての考え方のとりまとめが行われました。」(概略)とあり、その考え方は1023日付けで委員長(当時)の「放送と青少年に関する委員会委員長 本田和子」名で「今回の斎藤次郎前委員の『大麻取締法違反』疑惑をめぐる一連の出来事に対して、当委員会としては、心から遺憾の意を表明する。そして、視聴者および放送業界など関係方面の委員会に対する信頼の失墜を憂え、一日も早いその回復を願って、以下の対応を試みるものである。今回の事態への対処として、当委員会は、委員長の自発的辞任と交替という自浄措置により、『結果責任』の一端を明らかにしようと考える。当委員会は、これまで、委員会設立の理念と与えられた目標に即して、視聴者意見と制作者側との回路形成という責務を忠実に履行してきたが、以後、委員長交替による新体制の下、一層、その責務がまっとうされ、関連各位の信頼と期待に応え得ることを切望している。」(全文)

 

この内容空疎な「考え方」と「問題処理能力」には唖然とするしかない。そして委員の危機意識のなさと文中の「自浄措置」が具体的には委員長の交替というだけということに、その文字がしらじらしく映るのみである。さらにこのお粗末な協議結果をBPOの公式見解として世間に公表する無神経さと厚顔無恥ぶりにはただただ感服するしかない。

 

そして捏造問題のときにあれだけ総務省の介入阻止と騒ぎ立て、新生BPOへと機能強化を果たしたはずの組織のこの度し難い能天気さにはただあきれるしかない。いつもメディアが声高に標榜(ひょうぼう)する「言論と表現の自由」を死守する「あるべき姿勢」とは対極にある今回のあまりに無責任な姿勢に強い危機感を覚えざるを得ない。

 

 そうした民主主義の根幹にも関わる重い事件であるにも拘らず、責任ある対応と今後の対処策が何らとれなかったBPOについて、「放送事業の番人」としての適格性を大きく欠くとする議論なり批判がとくにテレビ界においてはなされるべきであった。ほぼ時を同じくして発生した「亀田一家」問題に、異常とも言うべき時間を割き、狂奔したテレビ各局がこの本源的問題を今回大きく取り上げなかったことは、報道のチェック機能を自主的に、独立した第三者の立場から」果たさせるのだと、今後、いくら声高に叫ぼうとも説得力を持ってわれわれ国民の耳に届くことはないことを知るべきである

 

いったん事あれば、放送界は「言論と表現の自由」を錦の御旗として標榜(ひょうぼう)する。それを担保する一つの重要な仕掛けであるBPOのこの体たらく。さらに場合によっては当局の介入を許す不祥事であるにも拘らず、それを大きく問題として取り上げぬテレビ業界。「亀田一家」に常軌を逸したとしか思えぬほどの時間をかけて報ずるテレビ業界。

 

「亀田一家」報道に異様に狂騒する一方で、BPO不祥事には沈黙にも近い姿勢をとるこうしたテレビ業界を見ると、どうひいき目に見ても「言論と表現の自由」という標語はテレビ業界の自己利益のためにのみ便宜的に使っているとしか思えて来ぬのである。「言論と表現の自由」は言うまでもなく、メディアにのみ保障されたものではなく、国民に保障された権利なのだから。【上にもどる

亀田一家に埋もれた放送事業の番人BPOの不祥事(上)4

 関西テレビの「発掘!あるある大事典」の番組捏造やTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」の不二家問題でにわかに脚光を浴びた「BPO(放送倫理・番組向上機構)」の「放送と青少年に関する委員会」の斎藤次郎副委員長が大麻取締法違反で921日に現行犯逮捕、101日にさいたま地検により同法違反で起訴された。

 

 BPO機構規約の第一章第三条で、同機構の「目的」は「放送事業の公共性と社会的影響の重大性に鑑み、言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的とする」と謳われている。

 

 本年38日、BPOは冒頭の捏造問題を契機に「放送番組委員会を発展的に解消、放送倫理の確立と再発防止のために『放送倫理検証委員会』を設置」し、「新委員会が放送局に対し調査や報告を求め、その審理結果を『勧告』または『見解』としてまとめ、当該局に通知し公表する権限を持つ」ことを骨子とする「放送倫理の確立等に向けてBPO機能強化へ」を公表、新体制への移行を果たしたはずであった。

 

 しかし「独立した第三者の立場」で「放送事業の番人」として重責を担うBPOの各委員会の委員選任については、たとえば「放送と青少年に関する委員会」の場合はBPO規約35条に「青少年委員会は、評議委員会が有識者(放送事業者の役員および従業員を除く)の中から選任する7名以上の委員で構成する」と規定されているのみである(第12章附則において同委員会の構成について「平成191025日から平成20331日までの間は、『6名以上の委員』と読み替える」旨規定されている)。

 

 当然のことながらそうした番人の構成員たる委員には、相応の高い見識と高潔な人柄が求められるのは言うまでもない。それなくしてBPOの拠って立つ「自主的に、独立した第三者の立場」を堅持し、「言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護」する目的を達成することなど到底、不可能だからである。

 

 斉藤次郎(本名・水谷次郎)容疑者のHPTop ページの最後の言葉は「あした平和になーれ。あした天気になーれ!」といかにも教育評論家らしい子供心に満ちた表現で終わっている。そしてプロフィールに記されている座右の銘は「Easy Going My Way!」である。その教育評論家であり、BPOの「放送と青少年に関する委員会」副委員長という表の顔の裏側に隠されたもうひとつの顔は、長男と一緒に大麻にEasyに手を染める犯罪者(斉藤容疑者は「普段からパイプを使って使用していた」と大麻吸引を認めている)というあまりにも醜い顔であった。

 

「『放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)』は、視聴者から寄せられる青少年に対する放送のあり方や放送番組への意見をもとに、各放送局への意見の伝達と審議を行い、その審議結果と放送事業者の対応等を公表し、さらに、青少年が視聴する番組の向上に向けた意見交換や調査研究を通して、視聴者と放送事業者を結ぶ回路としての役割を担う」とされている。青少年が視聴する番組向上をはかるその回路上に大麻を吸飲するどす黒い犯罪者が介在していたのである。「放送事業の番人」として言い訳が立つ話でないことは、明々白々である。国民の信頼を大きく揺るがし、期待を無残に裏切る深刻な事態である。

 

 今回の斎藤次郎副委員長の逮捕・起訴という不祥事は、何度でも言うが、「独立した第三者の立場」にある「自主的」な組織であるBPOに対する「国民の信頼」の大前提を覆す重大事件であったはずである。しかるに事件発生以降、テレビを初めとするメディア報道は他人事のようであり、とくに当事者とも言えるテレビ局に本件を「BPOの問題」ひいては「言論と表現の自由」を担保する仕組みに大きな亀裂が生じたとして大きく取り扱った気配がない。

 

 BPO自身の対応は事件発生以来、926日に飽戸弘BPO機構理事長名で本文わずか441字の「放送と青少年に関する委員会の斉藤副委員長の逮捕について」とのコメントを公表した。ついで103日には、「斎藤次郎・放送と青少年に関する委員会副委員長の解雇について」を発表、1025日付けでBPO青少年委員長交代および『斎藤次郎氏解嘱に対する青少年委員会の対応』について」を公表している。この25日に発表されたものが、BPOならびに青少年委員会の本事件に対する最終的な見解と対応と考えてよいが、その内容は「放送事業の番人」たる自覚がまったく欠落したものであると断じてよく、これでよく麗々しく機構の「目的」など掲げられたものだとあきれ果ててしまうのである。以下にその公表文の概略を転載する(BPOHPより)。【下に続く

昭和は遠くなりにけり3

 読売新聞に「子供の声『騒音』の時代、自治体への苦情増加」(10月22日)という記事がのっていた。その記事の冒頭にもあったが、10月1日、東京都西東京市にある「西東京いこいの森公園」の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、翌2日から市が噴水を止める事態となったとのテレビ各局の報道に接したわたしは正直、驚きを隠せなかった。

この西東京市の公園の噴水と子供の騒音問題については、公園の設計思想そのものが周辺地域への配慮を欠いている等の指摘もなされているので、この件を「子供の声が『騒音』の時代」の象徴的な事例として取り上げることはふさわしくないのかも知れぬ。

しかし、それを契機とし読売新聞社が全国の県庁所在地や政令市等73自治体を対象に調査を行った結果にはまたまた驚かされた。何と48もの自治体において子供の声や部活動で生じる様々な音に対する苦情が寄せられていることがわかった
。そしてその実態を知って、正直、驚きを隠しきれなかった。

 

もちろんこの調査結果のなかに西東京市の例のように何らか特殊事情が絡んでいるケースも含まれていると考えられるので、一概にその数字を鵜呑みすることは危険である。しかし、やはり子供の声を騒音と捉えるか否かについて議論がなされること自体、最近の世相を表したものとしてやはり戸惑いを隠せぬのである。

 

開発後40年ほどが過ぎたわたしの住宅地では小さな子供の姿を見かけることが珍しくなり、近所の公園をたまに訪ねてもそこで遊びに興じる子供たちの姿を見ることもここ久しくなくなった。子どもたちの歓声を耳にすることやその活気を肌で感じることが少なくなったことに、最近では共同体としての活力の減衰を思うことの多かったわたしには、「子供の声が騒音の時代に」はやはりショックであり、その世相の移り変わりにある意味で「脱力感」を覚えてしまった。

 

昭和の高度成長期の時代、この国は燃え上がるような熱気やエネルギーを放ち、そして子供心にもなにか夢にあふれた社会が自分たちの将来に待っているように思えたものである。子どもたちだけでなく大人たちの瞳もキラキラと希望に輝いて見えた。日本全体に成長という槌(つち)音が響き、その果てに夢がかなう現実があると信じた社会全体の大きな鼓動を刻む躍動という音にまぎれて、大人たちの耳や心に子供の歓声などは「騒音」として入りこむ余地などなかったのかも知れぬ。

 

時代は成熟し、少子高齢社会となり、格差社会と呼ばれる時代の閉塞感から街角から夢という槌音を拾い採ることが難しくなったこの時代、次の日本を背負う子供たちの活力を「騒音」と聴いてしまう今の大人たちそして社会。いつのまにかこの国は大事なものをどこかに置き忘れ、不健康・不健全な社会を作りあげてしまったのではないかと、この読売新聞の記事を目にして考えさせられた。そして「昭和は遠くなりにけり・・・」と思ってしまったのである。

 



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