彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

September 2007

「岸和田だんじり祭」宵宮の「勇壮」に酔う=共同体の連帯感5

(当ブログの写真等一切のコンテンツの転用を禁じます) 

 915日、22台の地車(だんじり)の曳行がなされる勇壮な「やりまわし」で有名な「岸和田だんじり祭」を心ゆくまで堪能した。今年の祭は15日の宵宮、宮入りのある本宮が16日と三連休前半の二日間の日程にも恵まれ、58万人もの多くの人出があった。

 

「岸和田だんじり祭」の由来は赤穂浪士討ち入りの翌年、元禄16年(1703年)にまでさかのぼる。時の岸和田藩主である岡部長泰(ながやす)公が京都伏見稲荷を岸和田城内の三の丸に勧請(かんじょう)した際に催した稲荷祭に端を発すると伝えられる。

 

 府道臨海線の岸和田港南側のT字路、「カンカン場」と呼ばれる場所に設えられた観客席から次々とやってくる地車(だんじり)を俯瞰(ふかん)した。高さ4メートル、重さ4トンほどの地車の大屋根に大工方(だいくがた)と呼ばれるいなせな法被(はっぴ)姿の男が乗っている。テレビなどで一度は目にしたことのある有名な光景である。臨海線の左右からやってくる「だんじり」は、いったんT字路の手前で停止したあと、交互にスタートをきる。

 

熱気に包まれるカンカン場

曳行の順番待ちをする曳き手や大工方

出番待ちの藤井町曳き手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大太鼓、小太鼓、鉦(かね)といった鳴り物が「半きざみ」から「きざみ」と呼ばれる旋律へと急速にリズムを高揚させてゆく。そして大勢の曳き手の「そ〜りゃ」の掛け声がひとつになり「きざみ」が最高潮に高まったとき、「だんじり」は一挙にスピードを上げ、直角に方向を変え、岸和田駅方面へ向かう本通りへとなだれ込むように曲がってゆく。

 

これが勇壮な「やりまわし」である。

 

やりまわし、ポーズ!

曲がりきって跳んだ!

よし、やりまわしは無事成功

 

 

 

 

 

 

 

 

大工方が路上を走る「だんじり」の大屋根でバランスをとりながら、跳ね上がり、踊るその様はあまりにも有名である。その危険でドキドキする光景が今、まさに自分の目の前で展開されていた。団扇を両手にした大工方の華麗な舞いが決まったときには、観客席から「ワーッ!」とうねるような歓声があがった。

さぁ、跳んでやるぞ

やりまわし、成功、さぁ跳ぶぞ!

静か・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日は4時過ぎから20分ほど強いスコールのように叩きつける雨が降ったが、「だんじり」は意にも介さず次から次へと「カンカン場」にやってきては、「やりまわし」を披露しては去ってゆく。傘をさすことを許されぬ観客もびしょ濡れになって、大工方の勇姿に酔いしれ、熱い声援と拍手を送っていた。

 

うまくいった!

スコールのような雨の中で

柱に衝突、軌道修正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カンカン場」という奇妙な名前の由来を隣席に座る地元の宮本町の男性が語ってくれた。男性が子供のころの560年前、府道臨海線の向こう側は海であったという。その当時は、この辺りはコークスの陸揚げ場になっており、コークスの重量を計る「カンカン」という機械が設置されていたので、この地を「カンカン場」と呼ぶようになったという。

 

雨上がりの飛行機雲

大工方の跳び上がり

よし決まった、ポーズ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 また宮本町は宮座の中心的な役割を占め、くじびきなしの「宮本一番」といわれる格式があるのだという。宮入りの順番は毎年、『くじ』により決められるが、宮本町、沼町、上町などくじなしで優先的に宮入りが決まっているいくつかの町がある。宮本町はその栄誉ある先頭ということだそうだ。その説明をしてくれたときの70歳近くに見える男性の顔は誇らしげに輝いて見えた。

 

そして、その話を聞きつつ目の前を通りゆく「だんじり」を眺めながら、祭りが本来持つ伝統の意味合いについても考えさせられた。こうした祭りを300年間も大切に町中で守ってきたこと、そのことを町に育った者として誇りにできることに、現代、すでにほとんど失われ、崩壊したといわれる共同体というものの存立意義をそのとき見出せたように思えたのである。



安倍後継内閣が早急になさねばならぬこと3

安倍晋三総理大臣の突然の辞任表明で12日午後からこの日本は、上を下への大騒ぎとなった。自民党の有力者たちも記者の問い掛けに対し、言葉がすぐには口を突いて出てこないといった状況で、永田町の混乱振りがテレビを通じて国民の目の前に曝されることとなった。

 

また小沢一郎民主党代表も当日の記者会見では驚きと戸惑いの表情を隠さなかった。テロ特措法の延長問題で手ぐすねひいて政権交代のシナリオを練りに練っていたところに、正面の敵が忽然(こつぜん)と消え去ったのである。鳩山由紀夫民主党幹事長の「一番打者としてバッターボックスに入ろうと思った瞬間に、投手がいなくなった」との表現はまさに言い得て妙である。小沢代表は会見で「自民党の総裁が代わったからといって、民主党の考え方が変わることはありえない」旨の発言を行なったが、そのことは当然であり、事の道理でもある。

 

 一方、自民党は即日、次期総裁候補選びに向けて走り出した。そして安倍総理の辞任表明から一夜明けた13日、メディアも一斉に後継総裁が誰になるのか、その取材合戦はヒートアップしている。

 

 しかし、そもそも729日の参議院総選挙の自民党大敗を受けた衆参両議院のねじれ現象から政局は混迷を深め、今後の国会運営の見通しも定かでない状況にあった。そうしたなかでの辞任表明である。わが国の政治は一挙にその不安定さを増幅させることとなった。

このままの「ねじれ国会」の状態で自民党の後継内閣が出てきたとしても、今後、整斉と政策論議を闘わせることはきわめて難しいと言わざるをえない。

 

民主党は小沢代表の言うように「できるだけ早い機会に総選挙の実施」に持ち込むためあらゆる手段を弄してくることは必至である。北朝鮮の核保有問題やイラク戦争の帰趨、米国大統領選の本格化、温暖化防止、信頼を失墜した年金制度、格差社会の拡大等々、わが国をめぐる問題は内外を問わず山積している。その置かれている政治環境から一時の政治の空白、政策判断の猶予も許されないことは明らかである。

 

自民党内での総裁選日程決着に至る綱引きや駆け引き、さらには与野党ふくめたいたずらな「政局ごっこ」をする暇(いとま)は寸時もないと心得るべきである。政治の混乱を一刻も早く収拾し、内外の懸案解決にむけて議論を重ね、その成果をひとつひとつ挙げてゆくことこそいま政治に求められているもっとも大きな使命のはずである。要はあらたな政権はその拠って立つ正統性を具備してなければならないということである。

 

 そのためには、特にこうした唐突な形で首相が辞任した場合には、まず後継内閣の性格は選挙管理内閣でなければならぬ。そして速やかに衆議院の解散、総選挙を行なうことで国民に政権選択の道を与えるのが、議会制民主主義の本来の筋というものではなかろうか。今この時期、自民党政権の延命という党利党略だけで国民の意思をないがしろにしたまま、いたずらに政治の混乱を続けさせるべきではない。

 

国の主権者たる国民が総選挙によって選択した政権にこそ「正統性」が与えられる。ちょうど二年前の熱に浮かされたような郵政総選挙の結果は、そもそも安倍自公政権そのものに正統性を与えたものでなかったことは自明である。自民党は早急に選挙管理内閣を準備し、そのうえであらためて政権選択を国民に問うべきである。その結果が自民党政権になるのか、民主党政権になるのか、いずれにせよ総選挙によって選ばれた政権には、国会のねじれ現象が残るか否かに関わらず、その正統性が国民によって与えられたことだけは紛れもない事実なのだから。そうした国民の強い意思をたとえ自民党であろうが、民主党であろうが、無視することなどできようはずはないのである。安倍後継内閣のなさねばならぬことはただひとつである。


猛暑の夏が去り、信州には足早に秋の気配5

長野県・霧ケ峰でもっとも高い山、標高1925mの車山。その山頂を眺めるのに絶好の場所が、車山肩にある山小屋「ころぼっくるひゅって」である。1956年に開設されているので、もう半世紀もこの霧ケ峰の自然の移り変わりを見続けてきた小屋である。

 

コロボックルの遠景

コロボックルより車山の稜線を

車山肩より八島湿原を遠望

 

 

 

 

 

 

 

 

ころぼっくる遠景   テラスから      車山肩から八島湿原

 

 

 そのテラスからぼんやりと車山山頂に設置されたレーダーを眺め、なだらかに下る稜線の上空をかすめるようにして流れていく綿雲やうす雲にぼ〜っと目を投げる。ぜいたくな時間がゆったりと過ぎてゆく・・・。

 

今年の夏は高原も暑かったという。ウェイターのアルバイトに毎年来る学生が、「今年はハズレでした。こっちはクーラーもないし、こんな夏は初めてでした」と語った。

 

そんな夏も9月に入ると足早に過ぎ去り、霧ケ峰高原のあたりはすでに秋の気配が濃厚である。そこへ向かう街道からの景色も、「秋、あき、アキ・・・」であった。

 

街道より黄色みを帯びた棚田を望む

街道より稲穂を

車山高原に群生するススキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい棚田     稲穂が・・     すすきが・・・

 

 

 高原をわたる秋風は肌に爽やかである。日本という国には四季があるといわれるが、この夏を経験して、秋の気配を感じられるようになって、「あぁ、日本の自然はすばらしい」「もっと、この国の自然を愛でるべきだ」と、あらためて思ったものである。

 

コロボックルのテラスに休む赤とんぼ

コロボックルテラス

薄越しに秋の空

 

 

 

 

 

 

 

 

 テラスの精霊蜻蛉    ひゅってテラス     秋の気配が・・

 

石原慎太郎都知事の公約違反は「公約の進化」だってさ!5

 ダーウィンの進化論じゃあるまいし、あまりにも都民、選挙民を馬鹿にした話である。

 

4月の都知事選を前にして厳しい票読みが伝えられる3月の定例記者会見で、石原都知事は突然、「生活保護受給水準の低所得者を対象にした都独自の個人都民税減免」をぶち上げた。その時期は四選を目指すなか豪華出張など都政の私物化が批判され、決して状況が好ましくない頃の話であった。その減免策が唐突にでてきたときにも、選挙の票目当ての「バラまき」政策で「眉に唾」と思ったが、やはり見事なまでに詰めの甘い、思いつきの口から出まかせのスカスカの「デマカセ」であった。

 

「おぼれる者は藁(ワラ)をもつかむ」というが、3月の同氏は中身が空洞の藁のストローを都民に示し、藁の中身にはさも社会的弱者を救う策がしっかり詰まっているかのように、得意の饒舌さで語ったものである。

 

 選挙戦中はそれまで都民が目にしたことのない別人のような腰の低さで通したアナタ。そして、それまで疎かにしてきたと都民が考える「弱者に手を差し伸べる施策」にもしっかり力を入れると、あんなに熱っぽく、そして胡散臭く語っていたアナタ!

 

それから半年たったこの日(97日の定例記者会見)、やはり不実な人でしたね、アナタって人は。「税減免では、本当に困っている低所得者をピンポイントに支援するのは困難」として、「就労支援や手当支給などの施策充実の方が有効である」と、先の公約をいとも簡単に破棄してしまいました。

 

記者団の「公約違反では?」との、短くそして少し腰の引けた口調の質問に対して、アナタはそれを強引にさえぎって、「公約違反ではない」と恫喝し、「公約が進化したと捉えてもらいたい」と言ってのけた。そしてそれでも恐る恐る食い下がる記者に対して、「やらないと言ってるわけじゃない。(それに代わる)十分、効力のある政策をちゃんとやると言っているんだ」と一喝し、ねめつけた。いつもの自分に都合の悪い質問が出たときのワンパターンの見飽きた光景である。

 

 それなら3月の時点でしっかりと詰めた有効な政策を提示すればよかったではないか。公約に掲げたものを、このように二枚舌を使ったような結果となったことを「公約破棄」と表現した記者を、あるときは文学者の顔で蘊蓄(うんちく)を傾けるアナタは、本来、「うん、実にアッパレ!」と、誉めてやって見せてこそ、四選目の都政を担う大物知事、アナタがおそらく内心で自負している大政治家というものではないのか。

 

「公約破棄」・「公約違反」を「公約の進化」とごまかすアナタって、これまでだってアタシャ、信用してたわけじゃないけど、都民が選んだ人ですもの少しは心を入れ替えたのかなって思ってみたくもなるじゃありませんか。それがたった半年で・・・、「公約の進化」だって?

 

 それじゃ「公約」したことにまったく手を着けずに、店晒(たなざら)しにしていれば「公約」はどんどん進化していって、素晴らしいものになっていくってことですよね。オリンピック招致や東京マラソンなど下らぬことも何もしなければ、この東京はどんどんよくなるってことなんですよね。

 

 一応、小説家の顔も持つ人なんですから、「進化」って言葉を子供たちに誤って覚えさせるようなことだけは、本当にやめてもらえないでしょうか、ア・ナ・タ!



「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(下)4

「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(上)(2007.9.10)
「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢――格差社会(中)(2007.9.12)

たとえば厚労省は所得再分配で格差を平等化しているというが、世帯間格差の視点からは、再分配所得で
29歳以下が年収で1世帯平均259.0万円、3034歳で463.9万円となっている一方で、75歳以上の世帯当たりの平均再分配所得は498.6万円である。少子化を解消すべき最も重要な責任を担うべき世代の若年層の世帯年収を75歳以上の高齢層が上回る形となっている。世代間格差の問題は、「安心できる老後」という名のもとに根の深い形で歴然と存在している。

 

 さらに地域間格差の観点からは当初所得で見ると、最高位にある東海ブロックの550.3万円と最低の北海道ブロックの308.9万円では、241万円の所得格差が存在する。また所得の再配分を行なった後で見ても、最高位の北陸ブロックの632.1万円と最低の南九州ブロックの410.6万円で221万円もの大きな格差が存在している。地域間格差もかように存在しているのである。

 

 824日に発表された「所得再分配調査」は単なるジニ係数のみでなく、社会問題化している格差社会を多面的に捉えるのには、まさにタイムリーできわめて重要な報告書である。その報告書の報道に当たって、常々、「ネットカフェ難民」といった社会事象には飛びつくメディアも、こうした報告書の詳細な中身についてはほとんど触れることなく、当局の「調査結果の概要」といった5ページほどのレジメを参考にしたとしか思えぬ通り一遍の報道が多過ぎるのである。

 

 格差社会を本当に深刻な問題と受け止めているのであれば、報告書のデータをしっかりと読み込み、深堀りした報道がなされて然るべきである。しかし、大手新聞社、テレビ局のこのジニ係数が過去最悪の数値を記録したことの報道は、あまりにも表層的であり、当局発表をほとんどそのままなぞったような内容の記事、ニュースが垂れ流されるのを見ると、この国のメディアの権力チェック機能とは一体、何なのかと本気で首を傾げざるをえない。

 

 今回の調査では一世帯当たりの平均当初所得額は465.8万円、再分配所得額は549.5万円であり、両数値とも3年前の02年調査時よりもさらに減少している。職員の年収が40才で1500万円を超えるテレビ局や40代後半の新聞社の地方支局長の年収が1900万円といった職員厚遇の大手メディアにとって、ネットカフェ難民」が存在する格差社会は実は居心地のよい社会なのであろうか。そうも言いたくなるほどの今回の軽い扱いなのである。

 

 この冒頭で述べた給食費や保育料滞納問題については、あきれた保護者やイチャモン保護者の問題に話題が片寄って報道がなされることが多かった。しかし、今回のジニ係数「0.5263」を知ったからには、そしてその報告書の中身を子細に検証してみれば、保育料滞納理由の19.4%が「保護者の収入減少」を滞納原因としてあげている事実。社会保障給付を受け所得の均等化は進んでいるはずなのに、なお保護者負担額の少ない低所得層に滞納者が多いという事実。また給食費滞納理由で、宮城県の例では「保護者の経済的な問題」が39%に上っているという事実にこそ、大手メディアは目を向け、大本営発表を鸚鵡返しにするのではなく、常に権力のチェックを行う姿勢を忘れずに民主主義の「知る権利」を担保する国民の負託に堪える報道をするべきではないのか。今回の一連のジニ係数報道を一覧して強く思ったところである。



「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢――格差社会(中)4

「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(上)(2007.9.10)
「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(下)(2007.9.12)

要は平成17年(調査対象年)、今から2年前、この日本という国は社会の格差という観点から見れば危険水域に入っていたことが判明したのである。そして、「ネットカフェ難民」という言葉に象徴されるように、今日現在もその状態は日々刻々と悪化している可能性が高いことをわれわれはよくわきまえておかねばならない。なぜなら、平成17年以降も小泉・安倍内閣による格差是正のための有効な具体的政策は打たれていないからである。

 

さらに重要なことは、こうした格差拡大といった民主主義の基本的あり方に関する調査結果に対する大手メディアの報道姿勢である。今回の報道は概して通り一遍の表層的なものにとどまっているように思えてならない。

その報道は「社会保障の給付や税金による所得再分配効果により、世帯間の所得の格差は縮小、ジニ係数は26.4%の改善をみた」とか「厚労省はジニ係数が上昇した理由の9割を所得格差の大きい高齢者や単身世帯が増えたためとしている」といった、当局の記者会見での発表をそのままなぞったような、政府の国会答弁のような報道を目にすると、「格差は拡大しているはずだ」という仮説に立った検証・チェックがなされぬままにニュースが垂れ流されてゆき、「格差は所得の再分配によって是正され、高齢者世帯が増加したことによる見掛け上、統計上の格差拡大の調査結果がでたのだ」と、誤った意識を国民に植え付けてしまうのではないのかと懸念してしまうのである。当局が意図したとまでは思いたくないが、その片棒を担ぐような垂れ流し報道を大手メディアが行っていることに、彼らは本気で「格差拡大」という社会問題に取り組む意識があるのだろうかと残念ながらその姿勢を疑わざるをえない。そして権力との距離感の保ち方に疑念を抱かざるをえないのである。

 

そのことは、51ページにおよぶ平成17年の「所得再分配調査報告書」を仔細に見ると、厚労省の説明が都合のよい部分をつまみだした説明になっていることがわかるからである。

 

今回の結果に関し厚労省は、「過去最高となったジニ係数『0.5263格差拡大の結果では?」とのもっともな疑問に対して、「(当初所得に含まれぬ公的年金収入が多く、当初所得がきわめて低い結果となる)高齢者世帯の増加と、世帯の構成人数の減少による影響が(クロス分析の結果)約9割(高齢世帯増加要因80%・世帯人数減少要因12%)」であり、見掛け上の拡大であると強調している。

また近時、問題化している若者を中心とした非正規雇用の増加の影響などは「詳しく分析できない」と冷淡とも言える説明に止まっている。さらに調査対象年は02年、05年であり、両方とも小泉内閣の時期だが、格差の拡大傾向はそれ以前にさかのぼるとして、小泉改革路線がジニ係数悪化の直接的原因ではないとも説明している。

 

 そして報告書は「所得再分配によるジニ係数の改善度〔(当初所得ジニ係数−再分配所得ジニ係数)/当初所得ジニ係数〕は26.4%で過去最高になって」おり、「所得再分配によって所得の均等化が進んでいる」としている。その表現は、あたかも格差が縮まっているような錯覚を覚えさせてしまう。この報告書の中身を熟読し、その説明を聞けば、当局が牽強付会的説明を敢えて行なっているというのが、適切な感想であると思うのだが・・。

 

そこでまず事実をもう一度、確認してみる。05年の「当初所得ジニ係数」は「0.5263」、02年は「0.4983」である。次に「再分配所得(=当初所得−税金−社会保険料)ジニ係数」は05年が「0.3873」、02年が「0.3812」である。当初所得、再分配所得双方のジニ係数とも前回調査より上昇している、つまり所得の再分配を行なった後の数値においてすら格差は「着実に拡大」しているのである。

 

 その事実を正面切って言わずして「ジニ係数の改善度は26.4%で過去最高」(そしてこのことは紛れもない事実ではあるが・・)と、あたかも格差が縮小しているような誤解を与える説明をしていることに、厚労省の姑息さを感じざるをえない。過去最高のジニ係数改善度であっても再分配後所得のジニ係数が過去最高の数値であったことは、「それだけ当初所得の格差が大きくなったということであり、社会保障給付等により所得の平等化を行なってもなお、再分配後所得の格差は残念ながら拡大した」ということなのである。これを「改善度は過去最高」になっていることを喧伝するのは、実態から国民の目をそらさせるまったくの筋違いの説明であり、またそれを鵜呑みにしたような報道は結果として国民に誤った意識を植え付ける片棒をメディアは担いでいることになる。



「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(上)5

「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢――格差社会(中)(2007.9.12)
「0.5263」を大きく報じぬ大手メディアの報道姿勢(下)(2007.9.12)

 

昨年末から年明けにかけて厚生労働省の調査で明らかにされた小中学校の給食費滞納額問題がメディアの話題をさらった。全国で約20億円にものぼる未納額の大きさに国民は一様に驚くとともに、経済的余裕がありながら子供の給食費を払わぬ非常識な保護者に批難の声があがったことはまだ記憶に新しい。

 

そしてこの822日、厚生労働省は全国認可保育所において平成18年度の保育料滞納額が約90億円にのぼることを初めて公表した。昨年度までの5年間で滞納が増えていると答えた1019市区町村のうち、65.9%の自治体が「保護者の規範意識の問題」であると、19.4%が「保護者の収入減少」をその滞納原因としてあげている。

 

各自治体は経済的余裕のある確信犯的保護者に対しては、督促状送付や財産差押えといった法的措置に訴えるケースも出てきた。また保護者からの理不尽なクレームなどで教職員が法律的トラブルに巻き込まれることを防ぐため、東京都港区が「顧問弁護士制度」を用意し、契約弁護士と区立の小中学校が直接相談できるようにするなど、あらたな動きも出始めている。まさに保育所をふくむ広い意味での教育界をめぐる保護者と教職員の問題は、「イチャモン保護者」の一方で、指導力不足教員いわば「ダメ教員」の免許更新制度議論とも併せて、家庭内や地域内での教育・指導もふくめた広い意味での教育の原点に立ち返った議論の深まりが求められている。

 

そうしたなかのほぼ同時期の824日、厚労省は「0.5263」という数値を発表した。

 

同省が3年ごとに行なっている「所得再分配調査」の報告書で明らかにされた2005年の「当初所得のジニ係数」と呼ばれる数値である。

 

ジニ係数」とは所得分配の格差を示す代表的な指標として、小泉内閣時代、国会で格差社会の拡大がとりあげられた際に、国会質疑や答弁のなかで頻繁に使用された用語である。要は全世帯の所得が同額の場合つまり絶対的平等社会を0(ゼロ)として、1に近づくほど格差が大きくなってゆくことを示す指標である。因みにジニ係数が1の社会とは、国民が1000人いる国家を想定した場合、所得を稼ぐ国民が1人のみで、残り999人は所得0(ゼロ)の奴隷という国家。つまり究極的独裁国家のような社会である。

 

格差社会を計るひとつの代表的指標とされるその「ジニ係数」が2005年の日本の社会では「0.5263」であったことを厚労省は公表したのである。

 

「ジニ係数」の数値の意味合いは一般的には次のように説明されている。

ジニ係数が「〜0.1」の範囲のときは「平準化が仕組まれる人為的な背景がある」。「0.10.2」は「相当平等だが、向上への努力を阻害する懸念がある」。0.20.3」は「社会で一般にある通常の配分型」。0.30.4」は「少し格差があるが、競争の中での向上には好ましい面もある」。0.40.5」の範囲内にあるときは 格差がきつい」。0.5〜」は「 特段の事情がない限り是正を要する」。

 

 今回の0.5263」という数値は「格差がきつい」レベルを超えて「特段の事情がない限り是正を要する」つまり早急に所得再配分の手立てを講じなければならぬ格差が社会に生じていることを語っている。

 

報告書は原則として3年に1度まとめられているため、これまでは前回の2002年の「0.4983」が最大の数値であった。それ以前からジニ係数つまり社会の格差は徐々に拡大傾向を示していた。

過去の「当初所得のジニ係数」は、19780.365019870.404919900.433419930.439419960.441219990.472020020.498320050.5263と、一貫して上昇し続けている。

1978年から2005年の27年間を9年毎の3期に分けて、その上昇率を見てみると、1978年から87年までの9年間で10.9%、87年から96年は9.0%となっている。そして96年から2005年の直近の9年間は19.3%と過去2期の9年間の約2倍という異常な上昇を示している。1978年から96年までの18年間の上昇率は20.9%と、この直近の9年間の上昇率とほぼ同一の水準となっている。これは96年までの18年間に経験した格差拡大のスピードがこの9年間では倍になっているということになる。近年、社会のなかで格差拡大が進んでいると感じることと、この数値は皮膚感覚にピッタリくるものと言える。

 

今回の調査は、公的年金などを含まない世帯単位の「当初所得」(雇用者所得・事業所得・財産所得など通常所得+企業年金+一時退職金+生命保険金等)の「ジニ係数」が過去最大の0.5263と初めて0.5の水準を超えたことを明らかにした。



テロ特措法反対で占う民主党の政権党としての資格4

 

 参議院選挙の大敗を受けて最初の本格的国会がこの910日に召集される。第168回臨時国会である。その最大の焦点が111日に期限切れとなるテロ対策特別措置法の延長問題である。

 参院選挙で大勝し、参議院で野党が過半数を占め、にわかにテロ対策特別措置法の延長問題に焦点が集まった。メディアも参院選終了後から民主党の小沢一郎代表や鳩山由紀夫幹事長の同法への考え方、対応につき、報道を繰り返している。

 

 参院選挙後の静養から復帰した民主党の小沢一郎代表は731日、テロ対策特措法の延長について記者団が質問した際に、いつもの何故そんな質問をするのかといった表情で、「これまで反対していたのに、今度は賛成というわけがない」と反対の方針を明言した。その映像はこれまでの民主党および小沢代表の首尾一貫した主張をあらためて表明したもので、国民に「筋を通す政治家」「筋を通す政党」をアピールする絶好の機会を与える形となった。

 

 テロ対策特別措置法は2001年の「9.11」米同時多発テロを受けて、「国際的なテロリズムの防止と根絶のために行われる国際社会の取組に日本として積極的かつ主体的に寄与し、日本を含む国際社会の平和と安全の確保に資することを目的」に2001112日に2年間の時限立法として制定されたものである。

 

 インド洋上で、「不朽の自由作戦」の海上阻止活動(武器・弾薬やテロリスト、資金源となる麻薬などの海上輸送を阻止するもの)に従事する米軍などの艦船に対して、洋上補給(給油)を行なっている海上自衛隊の補給艦派遣の根拠法となっているものである。

 

 これまで200310月に2年間の延長を決定し、0510月に1年、0610月にさらに1年の延長が行われ、この111日に期限を迎えるものである。

 

 参議院議席の与野党逆転の事態を受けて、シーファー駐日米大使(88日)や来日中のメルケル独首相(830日)が相次いで小沢民主党代表と会談を行ない、テロ対策特別措置法の延長についての協力依頼をするなど、ついふた月ほど前に自衛隊イラク派兵の2年間延長を認める「改正イラク復興支援特別措置法」を淡々と成立させた(620日)当時の政治情勢とは、国内外をふくめてその様相を大きく異にしている。

 

小沢代表は両国に対して「日本の最大の問題は、軍事力の派遣についての原則がないことだ」と持論を展開し、アフガニスタンでの対テロ作戦は国連の承認を得ていないと認識しているとして反対するのだと、これまで通りの説明をしている模様である。

 

民主党が参議院で比較第一党になって以来、秋の国会の一番の焦点となるテロ特措法延長に対する小沢代表、鳩山幹事長ら執行部の反対姿勢は一貫している。その頑ななまでの姿勢を見て、一部の政治評論家や大手新聞などが日米関係等外交面における民主党の政権担当能力に疑問符をつけ、心配する向きがある。しかし、そこは名うての策士、小沢一郎氏である。そう簡単に手の内を見せるはずがない。

 

憲法第59条「法律案の議決,衆議院の優越」で、法律議案の扱いについては次のような定めがされている。

(1)法律案は,この憲法に特別の定のある場合を除いては,両議院で可決したとき法律となる。

(2)衆議院で可決し,参議院でこれと異なつた議決をした法律案は,衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは,法律となる。

(3)前項の規定は,法律の定めるところにより,衆議院が,両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

(4)参議院が,衆議院の可決した法律案を受け取った後,国会休会中の期間を除いて60日以内に,議決しないときは,衆議院は,参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

 

 今後の国会運営を想定してみると、本当に民主党が廃案にしたい法律は、実は(4)に定めている規定を活用することが最も確実な方法である。つまり衆議院で可決され送られてくる議案を60日間以内に議決しないまま廃案に持ち込むという方法である。参議院で野党過半数であるからといって「否決」した場合は、(2)の規定により衆議院に差し戻され、2/3の衆議院議決を経て、法律は成立する決まりとなっている。現在の衆議院の勢力は前回の郵政総選挙(059月)の小泉マジックにより、自民党単独で総議席数の64%、自公与党で70%を占めている。つまり自民単独での成案は無理でも、自公連立が維持されている限り、法案は参議院で否決されても成立を見ることになるのである。また公明党が万一反対にまわったとしても、最低14名(国民新党・無所属の会5名、無所属9名)を取り込めば、法案成立は可能となる。

 

 現在、参議院において常任委員会の予算委員会など議長ポストの配分につき協議が行なわれている。しかし、参議院議長と議院運営委員会委員長の両ポストについては比較第一党である民主党が手に入れることで、早々と自民党とも決着を見ている。これは参議院本会議の運営、つまり日程、審議時間等をふくめた国会運営を民主党のペース、思惑で進めることができるようになったということを表わしている。

 

従ってテロ対策特措法について民主党が本気で反対するのであれば、審議スケジュールを調整することで60日間の時間を稼ぎ、廃案に持ち込めばよいのである。それが最も実効性のある反対の方法なのである。

 

 ところで小沢代表はテロ特措法については、早くから殊更に「反対」を強調してきた。それは、政治の「筋を通す」という強い政治姿勢を国民の目に焼き付ける一方で、テロ特措法が参議院に送付されてきたら、これまで「反対」と言ってきた通りに、同法案を粛々と「審議」し、粛々と「否決」することで、国会運営をルールに基づき行ない立法府としての機能を民主党が果たせるのだと国民に知らしめる効果も持つ。そのことは、数の力により強行採決を連発してきた自民党の強引な国会運営のあり方のアンチテーゼともなり、民主党はごり押しの国会運営など行なわず、粛々と審議を尽くしてゆく政権政党としての能力があるのだと国民に強くアピールする形がとれる。

 

そして衆議院に差し戻されたテロ対策特措法案は、自公与党による2/3の賛成で目出度く成立を見ることになる。このシナリオであれば、小沢代表とすれば反対と言い続けてきた政治信念は貫いたが、国会ルールにより海上自衛隊のインド洋派遣は継続のやむなきに至ったと胸を張って弁明できる。

 

 さらにもっとも重要なポイントである日米関係には最小限の亀裂が入るのみで、信頼関係を大きく損なうことなく「反対であるはずの」テロ対策特措法延長が認められることになる。こうして実は、民主党は衆議院で絶対多数を誇る与党が行なえなかったルールに則り「粛々と国会審議を進め」、政権を担う大人の政党たることを国民に知らしめ、海上自衛隊をインド洋上にとどめることができるのである。

 

 しかし、本気でガチンコ勝負にゆくときは、60日間の廃案の道を選択し、112日には海上自衛隊はインド洋を離れねばならない。当然、ブッシュ共和党政権との間に大きな亀裂が生じることになるが、泥沼化するイラク戦争で支持率を大きく下げた共和党政権の寿命も来年11月の大統領選挙までと、おそらく小沢代表は腹を固めているに違いない。イラク撤退を標榜する民主党候補が大統領になれば、テロとの戦いのあり方も大きく軌道修正されるはずである。それを展望したうえで、わが国の民主党が国際協調という名の下で、実効性あるテロ対策を具体的に準備し国民の前に提示できるのであれば、その政策が小沢代表率いる民主党が真に「政権を担うに足る政党」であるか否かの試金石となるのだと考える。付け焼き刃的な弥縫策(びほうさく)ではとても政権は担えぬことを肝に銘じて10日からの臨時国会に臨んでもらいたい。

 

 ただ単に粛々と「反対」ということでテロ特措法が延長を見てしまったりするのであれば、なぜ国民は民主党に参院選で大勝させたのかわからぬ。小沢民主党の「政権党」たる資格を占うポイントは、粛々と「反対」せぬことだと知るべきである。そしてどれだけ国民に分かりやすいテロとの戦いのあり方、国際協調のあり方を示せるかにあるのだということを、民主党の先生方が脳漿をしぼって考え、国民に目に見える形で提示することこそが、政権への大事な初めの一歩であることを胸に銘記すべきである。


 

えっ、「農」ってクリエーティブな「ワザ」!=八ヶ岳農場3

八ヶ岳中央農業実践大学校は中央高速小淵沢ICで降りて八ヶ岳の山裾沿いに通る鉢巻道路を20分ほど走ったところにある。新しい時代の農業者や農村の指導者を育成するのを目的とした農学校で、現在、六十名ほどの学生が全寮制による共同生活を送りながら、その研鑚に励んでいる。その大学のなかに八ヶ岳農場がある。と言うより、標高1300mの高原に広がる223haにおよぶ耕地や森林や草地のほんの一部に大学の建物が建っていると言ったほうが正しい表現だろう。その広大な八ヶ岳農場のさらにほんの一画に学生たちが作った農産物や畜産物を販売する直売所がある

鉢巻道路

農場近くの田園風景農場矢印表示

 

 

 

 

 

 

 

農場看板

直売所

休憩所

 

 

 

 

 

 

 

トンガリコーンのような屋根を冠したかわいらしい円形の小屋が数棟建っている。そこが直売所である。その円形の建物のなかに一歩足を踏み入れると、童心に戻ったようなワクワク感に襲われる。そこには都会ではなかなか味わえぬとりたて野菜や新鮮な鶏卵などいたく好奇心をそそる「農」の制作物、作品と言った方がいいのかも知れないが、たくさん並んでいるからである。

まさにクリエーティブ

カラーピーマン

紹介文段ボール

 

 

 

 

 

 

「こんなに野菜って、ひとつひとつに表情があったのか」

 これまで目にしていたスーパーや小さな八百屋の陳列棚や店頭に並ぶ野菜とは、明らかに顔つきや表情が違うのである。どう言えばよいのか、「自己主張する野菜」「個性豊かな野菜」とでも表現したらよいのだろうか、ひとつひとつの野菜がまるで語りかけてくるようで、つい食い入るようにそのつややかな肌や表現力豊かな姿に見入ってしまう。

オモチャカボチャ1

オモチャカボチャ2

宇宙人?

 

 

 

 

 

 

 直売所にならぶオモチャカボチャや色鮮やかなカラーピーマン、ズッキーニや青色の鶏卵などなどを目にするうちに、「農」というものに対する認識が変わってくる。「農」はきわめてクリエーティブな「業(ギョウ)」であり、エンターテイメントいやアートの視点から見ても、素晴らしい「業(ワザ)」であることを強く認識させられた。野菜の傍らに制作物である野菜の紹介文の書かれたダンボール紙が立て掛けられている。そして輝くような笑顔、誇らしげな表情をした制作者である学生たちの写真も一緒に貼られていた。まさにクリエーターの喜びを知っている人間の顔であった。

青い卵(南米チリ原産 アローカナ鶏)

 

右側の鶏卵が南米チリ原産のアローカナ鶏卵

 

いわゆる青い卵(左は通常の日本産卵)

 

 

 直売所前に広がる芝生広場では熱気球の体験搭乗が催されていた。信州の真っ青な空にふわりと浮かぶイエローとオレンジの色鮮やかな縦縞の気球が、今、目にしたオモチャカボチャに見えてきた。

空に浮かぶ熱気球

熱気球2

信州の雲

 

 

 

 

 

 

信州へ足をのばされた際には、ぜひ立ち寄って見てはいかがであろうか。一見の価値は十二分にある。そしてそこの野菜たちとの語らいを楽しみにまた訪ねてみたいと思うこと請け合いである。


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