彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

ひと夏の忘れ物 足摺岬

今年も残すところあとひと月余。この一年もコロナ自粛の間隙を縫って、残り少ない余生、思い残すことのないようにと数多旅へでた。

旅に出かけてもどっては次の計画を練ってまた旅先へ移動と忙しく、まだお薦めしたい旅行先や泊まってみたい宿などブログ掲載が間に合っていないのが不甲斐ない。

白骨温泉・湯元斎藤旅館
今年4月に訪れた白骨温泉・湯元斎藤旅館
そこでまず、ぜひ訪ねてみてほしい高知県南西部、四国最南端の足摺岬と大堂海岸など土佐清水ジオパークの壮大な自然の景観をトップバッターとしてご紹介したい。

海上から大堂海岸をみる
海上から大堂海岸を探訪
季節は8月21日から23日にかけての二泊三日の夏旅である。

高松市内にある細君の実家が常々、わたしの四国探訪の橋頭保となっている。義父母も既に鬼籍に入り、時々の法要と風通しのため年に数度の高松行きであるが、四国を知れば知るほどその歴史と自然の景観の奥深さに驚かされている。

そもそも2021年3月30日に5年半に及ぶ四国88ヶ所の霊場めぐりを終え、車遍路ではあったが四国一周を果たしている。

女体山と第88番札所・大窪寺本堂
88番札所・大窪寺
88番札所の讃岐・大窪寺から反時計回りに1番札所の阿波・霊山寺(りょうぜんじ)まで巡礼するいわゆる「逆打ち」をおこなった。

一番札所霊山寺
1番札所霊山寺
途中、式内社を中心に神社や名所旧跡、温泉を訪ねながらのぶらり遍路旅であったが、まだまだ四国の魅力を味わい尽くすまでには至っていない。

高野山 満願成就御朱印
満願成就の高野山奥の院の御朱印
そこで、この8月は仁淀川の透き通るような仁淀ブルーを鑑賞したいと計画を立てたのだが、至近の宿、「中津渓谷ゆの森」の予約が満杯で、急遽、予定を変更、遍路旅の際に雨に見舞われ突端まで足をのばせなかった足摺岬に再チャレンジしようとなった。

ついでに細君が20歳のころ訪れた足摺岬の西方、大堂海岸の懸崖の景観をもう一度見てみたいということになり、此度は海上から仰ぎ見ようと計画を練った。

そのため、一泊目は土佐清水市足摺岬の「TheMana Village(ザマナヴィレッジ)」を、二泊目は幡多郡大月町の「ベルリーフ大月」を予約した。

ザマナヴィレッジ
TheMana Village(ザマナヴィレッジ)
一日目は高松市内を9時に出立、四国横断自動車道と高知自動車道を経由、途中、道の駅「かわうその里すさき」でランチ休憩。

金剛福寺 本堂と大師堂
金剛福寺の本堂と大師堂
午後2時過ぎに第38番札所金剛福寺前の足摺岬駐車場に車をとめた。

お参りのまえに前回、雨で断念せざるを得なかった足摺岬の突端へとまずは向かった。

細君に云わせるとここは2月が椿の花がきれいなのだというが、その日は8月21日。

つばきロード
足摺岬へ椿のトンネルをくぐってゆく
赤い花を想像しながら「つばきのトンネル」をくぐり、岬の突端の見晴らし台へと急いだ。

思いのほか狭い足摺岬の見晴らし台
思いのほか狭い見晴らし台
実は半世紀前、わたしは社会人としてのスタートを高松の地で3年間過ごした。その間独身寮の先輩たちと確かに足摺岬を訪ねている。そのはずなのだがなぜか見晴らし台からの雄大であったであろう景色の記憶は寸毫も脳味噌の襞に刻まれていない。

夏の大海原
足摺岬からみる太平洋
今度こそ渺渺たる太平洋の醍醐味をこの目にしっかり焼き付けてこようと思った。幸いかな当日は絵にかいたような真夏の晴天である。


夏の陽光にきらめく太平洋
夏の陽光にかがやく海原
駐車場からつばきトンネルを抜けてほんの数分で突端の見晴らし台へ到着。

足摺岬見晴らし台
途中に白い灯台があった。

⓪足摺岬灯台
足摺岬灯台
南国の蘇鉄を随えて真っ青な夏空にニョキッと伸びた灯台は美しい。

宏大な太平洋を睥睨するには、思いのほか狭い見晴らし台であった。

⓪足摺岬から
拡がる大洋
ただ、目の前に広がるどこまでも碧いパノラマは、まさに大海原という言葉がぴったりの胸のすくような眺めであった。

一望千里、海と空の境に一気に引かれた水平線がいさぎよい。

見晴らし台から太平洋の大海原を
真一文字
遮るものがなにもない、真一文字がすがすがしい。

その真一文字の頭上にのびやかに浮遊する白い雲。


夏の強い日差しのなか頬を打つ海風が殊の外心地よい。

胸一杯に遥か波浪をこえてきた潮風を吸い込む。

肺のすみずみまで仄かな塩気が染みわたったようで身がきりりと引き締まった。

足摺岬の海とキスゲ
キスゲ科の黄色い花がターコイズブルーの海に映える
そして一転、眼下をのぞき込むと陽光をすいこんでトルコ石のように青緑色に透けた海面に絶壁に咲くキスゲ科の黄色い花が鮮やかに映えて、美しい。

そう、遠いあの日も海風が崖下から吹き上げてきて火照った顔を弄(なぶ)っていった・・・そんな半世紀前に覚えた感覚がよみがえってきた・・・。

大堂海岸
飛沫を浴びた大堂海岸
この日、わたしは四国最南端の岬の突端に立ち、20代のころ置き忘れてきた探し物をようやく見つけだし記憶の棚にそっと納めることができた、そんなおだやかな思いにとらわれたのである。

かそけき冬の跫音とともに訪れる蓼科の秋

蓼科の秋は冬のかそけき跫音とともにおとずれる。

エコーラインから八ヶ岳と棚田
エコーラインから棚田をみる
おそらく今年最後になるであろう10月上旬の蓼科行であった。

ウインタースポーツから遠退いてからは、寒冷地ならではの管理事務所による水抜きが実施される体育の日の前に蓼科の秋を満喫することが多くなった。

山のいえ 駐車場より
樹林の中の”山のいえ”
いまではこの時季、子供たちが同行してくれることもなくなり、小さな山荘内には老夫婦の穏やかな時間が流れるだけである。

ただ、今年は伊豆に半定住しておられる知人夫妻が来荘してくれるとあって、いつもとはひと味違う賑やかな蓼科の秋が愉しめると心待ちにしていた。

⓪八ヶ岳の裾野
来荘日に散策路より八ヶ岳山麓を見る(M氏夫人撮影)
およそ蓼科の秋は楓の紅の世界というより、深緑色の山肌が斑(ぶち)をうつように徐々に黄ばみを見せてゆく、時の流れもゆったりとしたおだやかな秋景色をみせてくれる。

そんな涼やかで透きとおった山の秋が最も魅力的であると、わたしは考えている。

標高1600mに位置する山荘のテラスから見あげる樹々も10月の時分にはまだ深緑色の葉叢をゆらしている。

10月上旬はまだ葉叢が頭上を覆う
10月上旬はまだ緑の世界
天空のみをめざしてひょろひょろと伸びたブナの幹に絡まった蔓の大ぶりの葉っぱのみが橙色や紅色に衣替えを急ぎ、蓼科のはかない秋の到来を告げてくれている。

クヌギに絡まるツタが紅葉
ツタの色づきが秋の跫音を告げる
今年もツタの葉の色づきが足早な蓼科の秋の訪れを知らせてくれていた。

そして11月に入ると庭の様子は一変する。

葉叢は一挙に茶褐色の斑をうち、庭の土へと先を争うようにして舞い落ちてゆく。

2011.11.16 11月には夏には見えぬ山並みがテラスから見える
11月になると向かいの山並みがみえる
生けるものが一斉に気配を消し去ったような荒涼とした景色へと姿を変える。

ところがそんな蓼科の秋景色のなかでも、息をのむような「茜色」の世界が訪れる瞬間がある。

それは夕暮れ時のそれも雲の状況、光の角度といった条件がそろったときにだけ出現するのだろう。

その日、山荘にもどる八子ケ峰山腹の道筋から八ヶ岳連峰を遠望した・・・

八ヶ岳を遠望
八ヶ岳を遠望
くすんだ青緑色の世界が視界一杯に拡がっていた。

その直後である。夕暮れの陽光が手前の山からひろがる樹林の上をす〜っと嘗め尽くしていった。

蓼科東急リゾートタウンの秋景色
光の造形
そして目の前の景色は緋色の内掛けを擲()げ出したかのような茜色に燃え立つ世界へと瞬時にして妖変したのである。

夕暮れのころ須臾(しゅゆ)にして消え去る神様からの神々しい贈り物であった。

あかまつ6号線より 初冬の八ヶ岳と夕焼けに燃える紅葉
茜色の神々しい世界
そんな曜変天目(ようへんてんもく)の蓼科の秋を堪能してもらいたいと思っていたが、来荘される数日の天候は生憎の空模様のようである。

一日目はまずまずの天候であったが、翌日からは雨模様ということであった。

当方としてはせっかくのおもてなしもこれでは台無しだと、ヤキモキしていた。

それではせめておいしい蓼科のインド料理(ナマステ)やイタリアン(イル・ポルト)でも愉しんでもらおうと、アートからcuisine(クイジン)へと大きく接待の目的を転換させたところだ。

そして翌日、リゾートタウン内のホテルへ泊まられた友人夫妻を秋雨に煙るなか訪ねた。

ホテルが建つタウンセンターの標高は1300m。

標高差300mは気温も天候もかなり違う。

気温は3度違い、山荘のあたりが小雨でもセンターでは一切、雨が降った痕跡がないなどということはこれまでもよくあることであった。

だが当日は下界へ降りて行っても靄の帳のもようは変わらない。

ロビーラウンジ アゼリア
ロビーラウンジ・アゼリア
大きな暖炉のあるロビーラウンジで待ち合わせ、そこでランチをとった。

「せっかくの蓼科の秋が愉しめず・・・」と言いかけると、

「朝、ホテルの庭にひろがる池を散策したが素晴らしかった」と、ご夫妻ともに言われるではないか。

「靄で何も見えなかったでしょう。秋晴れの空を見てほしかった」と重ねて云うと、

「いや、幻想的で、等伯の世界に游ぶようで素晴らしかった」とおっしゃる。

「えっ! そうでしたか?」と、こちらに気を遣われてそう言っておられるのではと恐縮したところ、奥様から次なる写真を見せられた。

蓼科東急ホテル朝靄のなかカラマツの池
MY女史撮影
「幻想的でしょう」と女史撮影の水墨画のようなショットである。

それを目にして「すごい!」と、当方はひと言。

カラマツの池 朝靄のなか
蓼科東急ホテル・カラマツ池 MY女史撮影
長谷川等伯の世界を蓼科の朝靄のなかに見出すとは、ご夫妻の心持ちのあり方と鑑賞眼の深みに感心しきりであった。

長谷川等伯 - コピー - コピー
長谷川等伯・松林屏風図
まだまだ当方、修行が足りぬと翌朝、早速、雨に煙る樹林の水墨画の世界をテラスから激写した。そして水墨画の世界も捨てたものではないと一人、悦に入った。

テラスより 朝靄の世界
小雨に煙る樹林
ただ、水面に映る樹影と手前の枝木の黒白のぼかしにはとても敵わぬと、これは技量の差というより、「心のありかた」の違いが映像に現れているのだと、素直に首を垂れた、

風雅な時間をお二人のお陰で逆に愉しませていただいた、そんな2022年の蓼科行であった。

「ミクニ伊豆高原」でランチが最高!!

伊豆半島最後の日のランチは知人が予約してくれた「ミクニ伊豆高原」で愉しんだ。

ミクニ伊豆高原
ミクニ伊豆高原
ミクニは、建築家・隈研吾氏と〈オテル・ドゥ・ミクニ〉三國清三氏のプロデュースで2019年に開業したレストランで、伊豆急行の伊豆高原駅前の小高い丘の上に建っている。

ミクニへの入口階段 右手は本日のメニュー
駅前のこの階段がミクニ伊豆高原入口
一部高床式になっている平屋建ての建物の外周は全面ガラス張りになっており、いたって開放的なレストランである。

ミクニ伊豆高原からの眺望
ガラス張が開放的 相模湾を一望
そんな館内には伊豆の紺碧の海から照りかえすまばゆい光の粒が縦横に飛び交い、まるで真っ白な世界に身をゆだねている気分だ。

コーナー席見晴らしがよい
コーナー席は眺望がすばらしい
またガラス越しにみえるテラス席はヒノキの木組み天井とそれを貫くように樹つ一本の松が印象的で、伊豆の軽やかな海風が吹き抜けているのが目に見えるようだ。

テラス席もありました
テラス席
当日はランチメニューの老夫婦向きの適度な量の「伊豆の輝き」(,655円)をオーダーしていた。

最初が、アミューズ (フレンチは難しい・・・) 鯵?の南蛮漬けか、もっと洒落た言葉で紹介されたが、覚えていない。

アミューズ 南蛮漬け
南蛮漬け・・・
次に、ポークのリングイッサ(生ソーセージ)・白いんげん豆のフェイジョアーダ

ポークの生ソーセージ・白いんげん豆のフェイジョアーダ
次の皿・・・
メインはお肉と魚のどちらかということで、わたしは魚料理を頼んだ。

鮮魚の炭火焼き ナージュ仕立て・ナス ズッキーニのグリエ・海老のラビオリ添え・・・これはメニューに書いてあったから・・・

メイン 鮮魚の炭火焼き・海老のラビオリ添え
メイン 魚料理

最後にデザートである。

⓪デザート 
年寄りにとってSimple is bestは至言である。

グリーンピースのソルベ・ルバーブのジュレ・柑橘とショコラのムースであったが、おいしかった。

ミクニ伊豆高原 外観
開放的なミクニ
広々とした館内で、厨房も見通しがきき、伊豆の陽光はどこまでも肌に心地よい。

愉快な仲間とうまい料理と笑顔のこぼれる談笑・・・

こうして伊豆高原の旅はおわった。

家族連れで行きたい赤沢温泉ホテル スパ・リゾート「赤沢温泉郷」

伊豆半島二日目の宿は知人の別荘から坂を下った海岸線に広がる伊豆高原のスパ・リゾート「赤沢温泉郷」のなかにある赤沢温泉ホテルである。

伊豆赤沢温泉ホテル
赤沢温泉ホテル エントランス
コロナ禍の影響で対面で談笑するのはほぼ三年ぶりとあって、互いの近況につき語り合うのが主たる目的であった。そのためホテル内の滞在時間がほとんどなく、スパ・リゾート赤沢温泉郷を味わい尽くすことができなかったのは残念であった。

ホテルエントランス
エントランス
ここにはスパ・エステ&マッサージ、プールハウス、ボーリング、テニスコート、フィットネスと多様な施設がそろっている。一泊ではもったいない機能が充実していて、そして、家族連れでにぎやかにやってくるのにふさわしい、そんなリゾートであるといえる。

ホテルから赤沢港をのぞむ
ホテルラウンジから赤沢漁港と別荘地を望む
またその広大なリゾート施設のなかには「赤沢迎賓館」なる豪勢な宿も併設されており、大人だけの財布に余裕のある方はそちらに宿をとって贅沢なリゾートライフを満喫することもできる。

といったホテル紹介はこれくらいにして、当方はというとその日は知人宅で話に花が咲き、また、広い庭に植わる果樹や野菜をもぎとったりと時間はあっという間に過ぎた。

伊豆赤沢・恒陽台別荘地 赤沢温泉ホテルから
伊豆高原の別荘群
そこで夕食は手間を省き赤沢温泉郷内にあるホテル横に建つ「ビストロ赤沢伊豆高原」でとることにした。飽くまでも会話が何物にも代えがたい馳走であったからである。

ということで、われわれはホテルは夕食無しの朝食付き一泊の予約をとっていた。

赤沢温泉ホテル・朝食ビュツフェスタイル
朝食・ビュッフェ形式
ビストロではアラカルトで確かピザやソーセージの盛り合わせなど何皿か注文したのだが、話に夢中となっていたので店内や料理の写真はただの一枚も撮っていない。

これまでの旅で食事の写真を撮影していないのは初めての経験であったと思う。

それほどにおしゃべりに夢中になっていたのだと思う・・・

このコロナの三年間、LINEの映像越しに何度か会話していたのだが、人という生き物は、どうも社会や他人との関わりのなかで異質で多様な事象・意識とぶつかりあうことで脳内細胞が活性化し、東京のミドリの狸ではないが自分の思考・意識を“アウフヘーベン”させることで知力をステップアップしていく生物なのだと、改めてそう感じたところである。

まぁ、そんな小難しいことは脇に置いて、互いに七〇歳という大きな節目を思い思いに超えて、それぞれ人生について深く思う日々が増えた仲間と語り合える時間はとても貴重であり、殊の外、愉しかったのである。

そしてそうした時間はあっという間に過ぎ去り、この伊豆の夜は更けていった。

その翌朝、好天に恵まれ、ホテルの部屋からは伊豆七島がよく見えた。

利島の島影とタンカー
神津島の島影とコンテナ船
前日は雲がやや多く午後ということもあり、高台にある知人宅からでもはっきりと島影を見渡すことができず残念な思いをしたばかりであった。

左利島  右 新島
左 利島 右 新島
それが伊豆半島最後の朝、こんな贅沢な景色を拝めたことは日頃の細君を含めた人生の仲間が積み重ねてきた功徳のお陰であると満腔からの感謝の気持ちでいっぱいとなった。

ホテルから新島の島影をみる
新島
そして伊豆半島最後のランチは別荘族の通う「ミクニ伊豆高原」である。楽しみである。

伊豆長岡温泉 若い女性客に手頃なお宿・香湯楼(こうゆろう)井川

その日最後の予定地、「鎌倉殿の13人」ゆかりの願成就院が、定休日の北條寺につづき、こちらは拝観受付が午後3時半までとのことで、われわれが4時過ぎに山門をくぐったときには国宝の阿弥陀如来坐像の安置された大御堂や宝物館は閉鎖され、境内の北条時政公の墓所のみをお詣りするにとどまった。

当夜はそこから10分ほどの伊豆長岡温泉の「香湯楼(こうゆろう)井川」を予約していた。

⓪井川・エントランス
香湯楼井川の玄関
HPから探し出したのだが、立地と宿泊料のお手頃感を第一に選考基準として選んだ。

加えて「香湯楼井川」に関しては、百年の歴史を誇る宿で「五感で楽しむゆらぎ」を謳うお洒落なHPから勝手に重厚ななかにも洗練された外観イメージを膨らませて選んだのも事実である。

その井川に到着してみると、いわゆるホテルかちょっとしたマンションのような外観で、正直、失望の感は否めなかった。

エントランス
モダンな椅子やオブジェが置かれたエントランス 
また中へ入ると、薄暗い空間にレセプションと洒落たラウンジが広がっていた。

百年の歴史の重厚さというのではなく、その対極にある現代アート造りのようなエントランスである。

アロマがひとつのコンセプトなので、空間をこのように落ち着いた薄暗い照明とほのかに薫るお香によって演出しているのだろう。

エントランス・ラウンジ
落ち着いたラウンジ
割り切って考えれば、こうしたリニューアルとアロマといったサービスがいまの若い人々にはふさわしいのかもしれないと思い直した。

チェックインをすませ、5Fのハリウッドツインルームへと向かう。

5F ハリウッド・ツインルーム40
40屬旅さのハリウッドツイン
広い畳敷きの部屋に大きなツインベッドが置かれていた。

ゆったりとした部屋で気持ちが良い。

井川・部屋から
5階から長岡温泉郷をみる
レセプションで貸切露天風呂を進められたので、夕食前に温泉を愉しむことにした。

この露天風呂は想像を超えて随分お洒落にできていた。

ドリンクでくつろげる貸切風呂
お洒落な貸切露天風呂
間取りはと説明するのも妙ではあるが、ここの脱衣所というのがいわゆる「次の間」といった感じで、板敷きの室内に白い二人掛けのソファが置かれ、広い窓越しに檜造りの木枠で縁取りされた露天風呂が見える。

井川 貸切露天風呂
お湯は熱くでも肌にやさしい・・・
ソファの前には氷の入ったボトルクーラーのなかに瓶ビールとミネラルウォーターが用意されていた。

まずは伊豆長岡温泉の源泉につかることにした。

さすがに「美人の湯」と称される井川の湯は肌にやさしく気持ちが良かった。

その証拠に、細君もちょびっと女っぷりがあがったと、報告しておこう。

こうした坪庭を眺めながらの露天というのも気持ちが落ち着きなかなか乙なものだと感じ入った。

そして湯浴みののちに冷えたドリンクでのどを潤したが、少々難を言えば貸切時間が一時間ということで、湯上りのボ〜ッとした時間があわただしく足りなかったのがもったいなかった。

雰囲気作りはなかなか秀逸であったので、もう一つ二つ、貸切露天風呂の数を増やして、もう少し利用時間を増やしてくれたら、香湯楼井川の大きな「売り」になると思った。


そして、いよいよ夕食である。

当夜のメニューは次の通りである。

食前酒 山桃酒

夏の彩り前菜 アサリのオイル煮・彩り野菜・鮭・バゲット

夏の彩り前菜 アサリのオイル煮・彩り野菜・鮭・バゲット
オードブル
コンソメ餡の茶わん蒸し

コンソメ餡の茶わん蒸し
茶わん蒸し
刺身4種 鮪・鯛・カンパチ・桜エビ

⓪刺身 鮪・鯛・カンパチ・桜エビ
地元の刺身
キンメダイの香草焼き

キンメダイの香草焼き
金目鯛の香草焼き
寿司 鰻棒寿司・パプリカ・井川ロール

寿司 鰻棒寿司・パプリカ・井川ロール
変わり種のお鮨
ビーフシチューパイ包

ビーフシチューパイ包
中身はビーフシチュー
トマト・チーズのハーブガーデン鍋

トマト・チーズのハーブガーデン鍋
これはヘルシー鍋
ハーブ塩鰹茶漬け

ハーブ塩鰹茶漬けのトッピング  ハーブ塩鰹茶漬けのトッピング
これをご飯にのせてお湯をかける
写真からわかるように野菜やハーブを多用したヘルシーメニューで、色使いなどちょっとお洒落感も演出して若い女性方が喜ぶ料理なのではと感じた。

さらにデザートが別途ラウンジに用意されており、これは食べ放題ということでこれも女性陣には好評のようであった。

デザートはラウンンジで食べ放題
だいぶ品数も減っていたラウンジに用意されたデザート
若いカップルがこれもよいあれも食べてみたいとじゃれあっている姿をみていると、年寄りも「そうそんな時代が自分たちにもあったなぁ」と自然と顔がほころんでくる。

そして旅は仲間内だけで愉しむのではなく、周りの人たちが喜び楽しむさまを眺めることで、その幸せ感が伝染してくる、そんな心豊かな気持ちになるのがいいのだなぁとあらためて実感させられた香湯楼井川のひと時であった。

その夜は広いベッドに潜りこむや二人とも瞬時にして完落ちしたのはいうまでもない。

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 蛭ケ小島・北条氏邸跡・願成就院・北條寺を巡る

先の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐり湯河原真鶴編につづき、その翌週、日を改めて二泊三日の「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐり第二弾を決行。

この旅の主たる目的は伊豆高原の別荘で月のほぼ半分近くを過ごす旧知のご夫妻を訪ねるものであった。

伊豆高原の別荘地
伊豆高原の別荘地
ただ、せっかくの伊豆半島の旅である。

好奇心旺盛といおうか、貧乏性の古希・古希夫婦である。

今日、伊豆といえばもちろん「鎌倉殿の13人」。

ということで頼朝や鎌倉執権の北条氏ゆかりの史蹟巡りもかねてのんびり参ろうと計画を立てた。

そこで、一日目は伊豆長岡温泉の「香湯楼(こうゆろう)井川」を予約した。

香湯楼井川エントランス
香湯楼井川のエントランス
まず、頼朝流刑の地、「蛭ケ小島」は見ておかねばなるまいと、最初に向かった。蛭ケ島のあたりはいまは田園の広がる平坦地であるが、鎌倉の頃は狩野川の蛇行も今とは大きく異なり、このあたりを流れ、中洲がそこここにあったようである。

⓪蛭ケ島公園
蛭ケ島公園
その故、「島」のつく地名も多く残っているのだという。

もちろん頼朝もそうした中洲のひとつに流人として囲われていたのだと思う。

その蛭ケ小島の位置は正確には分かっていないとのことだが、江戸時代の郷土史家・秋山富南が推定した地(現在の蛭ケ島公園)を韮山代官の江川英毅が購入し、「蛭ヶ小島」の碑を建立させたのが始まりだという。

蛭ケ島碑 寛政年間建立
蛭ケ島碑
現在野公園中央にその石碑が建っている。

また、平成15年に富士山を望んで立つ頼朝・政子の「蛭が島の夫婦」像が建立されている。

頼朝・政子夫婦像
源頼朝・政子夫婦像
往時を偲ぶ縁をこの公園内に見つけることなどもちろん無理な話だが、八百数十年前、源頼朝が確かに北面に日本一の山、富士山を日々仰ぎ見たであろうことは確かである。

頼朝像から望む 富士山は雲のなか
富士山は雲のなかだった
そして臥薪嘗胆の末か、それともそんな大望などなくただ運命の糸に引き寄せられるようにしてか、歴史の大舞台にその身をさらすことになり、日本一の男となった。

蛭ケ小島はそんなことを想起させる悠揚たる風のわたる宏闊な土地であった。

そこから「鎌倉殿の13人」とは無縁であるが、頼朝が興した武家政権の終焉の頃、攘夷擾乱の幕末に外敵排除のため大砲製造を目的として建造された世界遺産明治日本の産業革命遺産・韮山反射炉が至近であったので見学した。

韮山反射炉
韮山反射炉
さらに建造者の韮山代官であった江川英龍の屋敷も拝観した。

江川邸・門から大玄関をみる
江川邸屋敷門と奥に大玄関
いわば武士の時代という大河の流れの入口と出口がここ伊豆半島の根っこ近くにあるというのも、不思議な気がしたものである。

そこから標高100mほどの小さな山、守山の北西側の谷戸(やと)にある北条氏邸跡へと向かった。

30年ほど前に発掘調査され、この地が平安時代から住みついた北条一族の館跡であることが確認されたという。

北条氏邸跡入口
北条氏邸跡入口
その館群の規模はまことに狭隘で、北条氏が頼朝という取るに足らぬ流人を押し立てて大博打に打って出た田舎者の武士団であったのだと納得させる景観であった。

アナログバーチャル 往時の北条館群
こういう風に館群があった 発掘遺跡
負けてもともと頼朝の首を差し出し、尻尾を巻いて一族もろとももっと北方へと逃げ出せばよいくらいに思えるほどの貧相な地味(ちみ)であった。

北条館があった一帯
この狭い谷に北条氏が居を構えていた
そんな田舎者の北条氏がパトロンとなって築いた鎌倉文化が質実剛健であったというのも、このやぼったい景観を目にして妙に得心したところである。

この狭い一帯に北条氏の館が建っていた
遺跡がこの下に埋まっている
その守山の東側の麓に北条時政が造営した願成就院がある。

願成就院 山門
願成就院・山門から奥に大御堂
簡素で気負いのない山門をくぐると少し右に屈曲した石畳の先に大御堂が見える。

願成就院・大御堂
大御堂
その大御堂には、「鎌倉殿の13人」で仏師・運慶が掘り出す場面が描かれていた阿弥陀如来坐像が時を超えて現在国宝に指定され、祀られている。

願成就院・阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像・絵葉書より
薄暗い堂内で対面するご本尊は全体的にふくよかなお姿で、穏やかなお顔立ちをされていた。

大御堂に至る参道途中、大きな石燈籠手前の細道を左に入ると、茅葺の本堂が建っている。ただし内部の拝観はできない。

願成就院・本堂
願成就院・本堂
また山門から近い六地蔵堂前を左折すると、鐘楼前に創建者である北条時政公の墓所がある。

北条時政公墓所
北条時政公の墓所
角の取れた細身の五重塔のようなお墓である。その質朴な印象は大河ドラマで描かれる権謀術数を弄する人物の墓とはどうにもそぐわなかった。

時政墓 願成就院
時政公の墓石
でっぷりとした短躯の五輪塔のほうが、そうした奸智に長けた男には似つかわしい気がした。坂東彌十郎さん、ゴメン!

そして最後に控えしが、「鎌倉殿の13人」の主役、小栗旬演じる北条義時が創建した北條寺である。

北條寺御朱印
北條寺御朱印
実は前日に参拝しようと立ち寄ったのだが、山門前に「水曜日定休日 境内立入禁止」の立て札。

定休日の立て札
定休日の立て札
お寺にまさか世俗的な定休日なるものがあるとは正直驚いた。

だが大河ドラマの主役ともなるとそう簡単にはお会いできぬものだと妙に納得したところでもあった。

そういう事情で翌日改めて北條寺を詣でた。

北條寺・山門
北條寺山門
願成就院にくらべると小ぶりのお寺で、本堂もコンクリート造りになっていた。

巨徳山北條寺・本堂
北條寺本堂
本堂左手に広がる墓地を抜けると小四郎山と呼ばれる小高い丘がある。

小四郎山の頂上に北条義時夫妻の墓
ここを登ってゆくと義時公夫妻の墓所
その丘を斜面に沿って登って数分、頂上の平坦地に北条義時夫妻の墓が立っている。

⓪北条義時夫妻の墓
北条義時公夫妻の墓
二基の墓石の右手が義時、左手が怪演の光る菊地凛子扮する“のえ(伊賀の方)”のお墓だという。

北条義時夫妻の墓 右 義時 左 伊賀の方
右が義時 左が伊賀の方
新垣結衣演ずる八重姫ではなくて残念・・・って・・・菊池さんに失礼か。

伊賀の方の墓が現代まで義時に寄り添うように立ち続け、大切に供養されてきた丘上の様子からは、藤原定家の「明月記」に云う「伊賀の方が義時に毒を盛った」(安貞元年6月11日条)とのおぞましい風説は俄かに信じ

がたい。

今後の三谷幸喜氏のシナリオは如何に? 興味は尽きない。

そんなことを考えながら小四郎山から狩野川の先、蛭ケ小島の方向を見渡した。

小四郎山から蛭ケ小島方向をみる
小四郎山から
そしてこんな狭隘な地から七百年におよぶ武士の時代が誕生したのだと、歴史の群像が眼下に蠢くさまを想い描きながら、ゆっくりと石段を下り、当日の宿、伊豆長岡温泉の香湯楼(こうゆろう)井川へと向かった。

「鎌倉殿の13人」土肥実平ゆかりの地・湯河原町をめぐる

素晴らしいフレンチを堪能したラクラッセ・ドゥ・シェネガをチェックアウトし、まず4kmほど西に位置する五所神社(足柄下郡湯河原町宮下359−1)へ向かう。

五所神社鳥居から拝殿
五所神社
当社は天智天皇の時代に土肥郷の総鎮守として創建され、伊豆国で挙兵した源頼朝が石橋山へ出陣する前夜、社前において戦勝祈願の護摩を焚いた神社である。

五所神社石段の上に拝殿
石段の上に社殿
当日は平日であるにもかかわらず境内には参拝客が絶えることがなかった。
茅の輪くぐり 五所神社拝殿
茅の輪めぐり 拝殿
そのなかに地元の方だろう境内に散らばる七福神をお詣りする人もおり、今でも篤い崇敬を受けていることがわかる。

七福神廻り 大黒様
七福神巡り 大黒様
そこから今度は東に転じて1kmほどの湯河原駅へと向かった。

JR湯河原駅
JR湯河原駅
源平時代の頃、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を支配していた豪族が、頼朝挙兵に参陣して以来、平家討伐や奥州征伐に活躍した土肥実平であった。

湯河原駅前に建つ土肥実平夫婦像
湯河原駅前に建つ土肥実平夫婦像
湯河原駅前にはその土肥実平夫妻像と土肥氏館跡碑が建っている。

土肥氏館跡の石碑
土肥一族の館跡石碑
実平の妻女は石橋山の戦いで大敗した頼朝を真鶴から安房へ逃亡する際に、食糧の差入れや大庭景親手勢の探索の様子を知らせるなどの働きをしたのだそうで、駅前に夫婦像が建つのもそうした逸話に基づいたものであるという。


そして駅のすぐ北側傾斜地には土肥一族の菩提寺である城願寺(足柄郡湯河原町城堀252)が建っている。

城願寺本堂
城願寺本堂
城願寺の境内奥に広がる墓地に新しい墓石群と隔絶するかのようにして隈の暗がりの一段の高みに、古びた墓石が集まる一画があった。

高台に土肥一族の墓所
土肥一族の墓所
そこが64基の墓が鎮まる土肥一族の安息の場所となっている。

土肥一族64基の墓石が建つ
古い墓石がならんでいる
その中央部分に建つ五輪塔が実平の墓であると伝えられている。

実平中央、左に実平の妻、右が遠平とその妻の供養塔
土肥実平の墓 中央供花のある五輪塔
その左が妻女のお墓だそうだ。

右手が謡曲「七騎落ち」で有名な実平の嫡男・土肥遠平(とおへい)の墓だと伝わる。

この身を寄せるようにして64基もの墓石が集まり、いまなおその墓前に花が手向けられているのを目にすると、実平やその妻女が実直で人望が厚く信義の人であったに違いないと感じたものである。

質朴な人柄を後の世までも慕いつづける、そのことをまた忘れずに孫子の代に引き継いでゆく心根の優しさを想い、とても心鎮まる墓地であった。

その奥津城の高みから振り返るとすぐそこに相模湾を見下ろすことができた。

土肥一族の墓所からは相模湾が一望
そこに相模湾がみえる
また境内にはいろいろと頼朝や実平にまつわる史跡がある。

能・「七騎落」の舞台は前日に訪れた岩海岸である。

簡単なあらすじは安房の国上総へ逃れんと乗船しようとした頼朝主従八騎が、八という数字が源氏にとって不吉な数字であるとして(頼朝の父義朝が落ち延び落命した時、主従八騎・祖父為義が九州落ちの時も八騎)、一人を下船させることとなる。その結果、実平の息子遠平が泣く泣く浜に取り残される。和田義盛が遠平を拾い、頼朝一行に合流、無事、安房へ逃げおおせることになるという譚である。謡曲でも名高い譚だという。

七騎堂 岩海岸を出た頼朝主従七人を祀る
七騎堂
その七騎を祀っているのが、境内にある七騎堂である。

また本堂の前に謂れを伝える石が置いてある。

ひとつは頼朝が腰かけた石である。前日の貴船神社の頼朝腰掛石といい、この大将、行く先々でよっこらしょとよくよく腰を降ろしていたと見える。

伝 頼朝腰掛石
頼朝の腰掛石
そして、土肥実平が腰かけた石もすぐ傍らにあった。

伝 実平腰掛石
実平の腰掛石
仲良く腰かけて、はてさて安房国へ渡った後の算段でも語り合ってでもいたのだろうか。


そこから城願寺をあとにして西へ向かって、五郎神社(足柄下郡湯河原町鍛治屋724-2)を目指した。

五郎神社 鳥居から
五郎神社 鳥居奥に拝殿がみえる
石橋山の戦いに敗れて土肥郷に逃れた源頼朝が陣を張ったという鍛冶屋に鎮座する社である。

先の五所神社とくらべるとずいぶんと簡素な神社である。

五郎神社の拝殿
小さな拝殿
「鎌倉殿13人」が放映されているのだから頼朝とのゆかりの説明のひと言くらい境内のどこかに説明板がないかと探したが、見事なまでに何もなかった。
頼朝はさぞ命からがら逃げてきたのだから、ここにこそ「頼朝の腰掛石」があってもよさそうだが、その欠片もなかった。

五郎神社と灯籠
誰もいない、何の説明もない五郎神社境内
これはこれで清々しい神社であると感じた。

もちろん、参拝客も我々夫婦二人きりであった。

こうして湯河原真鶴岬めぐりはまず当所を最後とし、翌週、再度、蛭が小島や北条寺などを訪ねようとこの日は帰京の途に着くことにした。

京都通が通う亀屋良永で御池煎餅、買っていたぁ!!

2022.9.4掲載のブログ・「京都通が知る亀屋良永で清涼感溢れる葛羊羹・白瀧を買ったぁ!!」において、わたしは亀屋良永の紹介文で「次は亀屋良永の代表的銘菓である「御池煎餅」にチャレンジしたいと思っている」という言葉で結んでいた。

亀屋良永 扁額
亀屋良永の扁額
先日、細君がわたしのブログを読んだとみえて、「亀屋良永の御池煎餅に次はチャレンジしたいって書いてたけど、また、仏さま、ちゃんと拝んでいないんじゃない?」という。

耳に痛いいつもの小言である。

亀屋良永 御池煎餅
亀屋良永の御池煎餅
「どうして」と訊き返すと、「御池煎餅、仏さまにお供えしてあるのに」と、さらりとのたまう。

「え〜っ!」と、親不孝のわたしは呆けたように口をあんぐりとあけるしかない。

店内ショーケース
ショーケースに御池煎餅
わたしとて仏壇を蔑ろにしているわけではない。

朝起きて食卓上の菓子盆に「おめざ」が置かれていないときは、必ず仏壇のお供えから賞味期限の間近なものを選び失敬するのがルーティンであるからして、決して仏さまを粗末に扱っているわけではない。

「おりん」を一回、チーンと鳴らしご挨拶してから菓子をいただく。

ちゃんと仁義はきっているつもりだ。

そんな朝の勤行を務めているにもかかわらず、あの丸いスチール缶に気づくことはなかった。

海苔かお茶の丸缶くらいに思ったのか、どちらにせよまったく気づいていないのである。

だからこそ、目の前に版画家の棟方志功氏独特のデザインのラベルが刷られた御池煎餅の丸缶を見せられた時の嬉しさは一入(ひとしお)であった。

⓪版画家棟方志功のラベル 御池煎餅
棟方志功氏作のラベルのスチール缶
そして感を触って気づいたのだが、棟方志功氏のラベル、紙ラベルを貼ってあるのかと思いきや、直接スチール缶に印刷しているのには驚いた。

こんなトリビアを付け加えることで、先日のブログと併せて亀屋良永の紹介は完結ということにしたい。

そんな顛末をもつ御池煎餅であるが、米粉を原料とした蜜をうすく刷いた麩焼煎餅である。

ふんわりした歯ざわりとほのかな甘みが絶妙な煎餅である。

御池煎餅の亀甲紋様
麩焼き煎餅
敢えて難を言うとすれば、「カルビーかっぱえびせん」ではないが、食べ始めると『やめられない、とまらない』ので、ひと缶22枚入りというのではあっという間に缶の底をのぞき込む羽目になるということ。

御池煎餅 亀屋良永
やめられない、とまらない御池煎餅
御池煎餅をお買い求めの際にはそこのところくれぐれも御用心、御用心。

湯河原 ラクラッセ・ドゥ・シェネガで見た白日夢

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ていて真鶴岬、伊豆半島へ行ってみたいと突然思いたち、ネットで探して公式HPから予約を入れたのが「湯河原ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」という舌を噛みそうで、やたら覚えにくい名前のホテルであった。

ホテル ラクラッセ・ドゥ・セネガ
ラクラッセ・ドゥ・シェネガ
予約の決め手はおいしそうなフレンチ料理の写真であった。食いしん坊のわたしにとってそれはとても大事な宿選択の決め手である。

ということで、当日、真鶴岬に点在する源頼朝や鎌倉武士ゆかりの地をめぐって、午後3時半過ぎにホテルへ辿り着いた。

石造りの外観はやや黒ずんだ箇所があるものの、その曲線の造形と門前の椰子の樹はまさに南欧のリゾートホテル、たぶん・・・

コートダジュールあたりにはこんな小洒落た建物があふれかえっているに違いないとイメージしたのである。Never been なのだから想像するのは勝手である・・・

実際にホテル前の通りの先には地中海ならぬ相模湾が覗いていた。

相模湾はすぐそこ
確かに相模湾が見える
そして、眼前の電柱とおびただしい電線、カーブミラーにガードレールといった猥雑な障害物を取り除いてみれば、そこにはキラキラと陽光に照り映える群青の海原が瞼の内に広がっていく・・・南欧・・・南仏プロヴァンス・・・

想像の翼はどこまでもひろがってゆく

ラクラッセ・ドゥ・シェネガの入口
ここから入車
そして地下1階にあたる車寄せからどことなく小洒落たエントランスへ・・・

ラクラッセ・ドゥ・シェネガ エントランス車寄せ
ホテル入館の扉(ここが地下1階にあたる)
木製のドアを開けると・・・正面に南欧のホテルにはきっとあるに違いない優雅な曲線を描くサーキュラー階段が待ち受けていた。

エントランス
これはプロヴァンスのプチホテル
わたしは勇躍、期待に胸膨らませて1階のレセプションへとむかった。

温もりを感じさせるレセプション
レセプション 壁にはたくさんの絵画
木造りのぬくもりに満ちたレセプションの前がラウンジになっていた。

館内にはフランスの画家ルイ・イカールのアンニュイただよう絵画が数多く飾られ、この雰囲気は若い女性やカップルには最高なのだろうなと思ったりした。

さて、広い窓の向こうに水色の水が張られたガーデンプールが見えた。

ラウンジからガーデンプールを見る
ラウンジからガーデンプール、相模湾がみえる
そしてプールサイドに咲く赤紫色のブーゲンビリアが相模湾の海原をバックに映える・・・

ガーデンプール
ガーデンプールとブーゲンビリアと夏空
これが最近、若い娘たちがしばしば口の端にのせる“バエ、バエ”、“映えスポット”というのじゃなかろうか?

ラウンジからガーデンプールを
右手に伊豆半島が見える
・・・てな気分で脳内はう〜ん・・・ニースのプチホテル・・・

気分はアゲ!アゲ!・・・多分、これって死語・・・そしてチェックインをすませて3階のツインルームへと向かう。

オーシャンビュー ツイン
3階のオーシャンビューのツインルーム
室内に入るとオーシャンビューの窓際には長椅子が置かれ、ゆったりとした空間が演出されている。

レースカーテンに透けて小さなバルコニーが見える。

カーテンをあけて窓を開放するとプロヴァンスの白い太陽の光がまばゆい。

バルコニーから初島と伊豆半島を見る
バルコニーに夏の白い陽光がふりそそぐ・・・
しかもバルコニーに何気なく置かれた二脚の真っ白な椅子がふるっている。

室内から相模湾を一望
二脚の白い椅子
これはもう洋画「太陽がいっぱい」の世界である・・・

なにせ太陽がいっぱいなのである!!

ガーデンプールと円型レストラン
バルコニーから陽光に照らされたアクアブルーのプールを・・
真下にはブーゲンビリアが咲き誇るアクアブルーのガーデンプール、そして石造りの円形レストランが見下ろせる。

映画の舞台はナポリとかイタリアだったような気もするが、それはそれ、脳内はコートダジュールである・・・

レストランと湯河原の町
ナポリならぬ湯河原の町が見える
長椅子に寝そべる細君はさしずめマリー・ラフォレ・・・

バルコニーの真っ白な椅子に坐っているのは、何を隠そう、アランドロン・・・

いやはや妄想は海原の涯てをつきぬけて水平線から夏空へと飛揚してゆく・・・

室内から初島と伊豆半島を一望
すばらしい眺望 右に伊豆半島 正面に初島が・・・ 

正気に返って・・・やっぱり・・・目の前には青い海が広がっている・・・

相模湾のとおくに伊豆半島の山並み
うつくしい・・・
う〜ん、やはり・・・ここはコートダジュールいやニースだ!! NEVER BEEN TO・・・

そしてはるか遠くに地中海に浮かぶ島影が見えている・・・

そんな白日夢をみせてくれるラクラッセ・ドゥ・シェネガはまさに大人のホテルである。

フランス語で灯台を意味する“Le Phare(ル・ファール)”が当夜のディナーをいただくレストランである。

Le Phare(ル・ファール)
レストラン“Le Phare(ル・ファール)
当夜のメニューは次の通り。

ディナーメニュー
メニュー
そのスターターに本日のシェフからの「ひと口小皿」ですと差し出されたのが、驚愕の一品料理。

駿河湾朝どり鯵のエクレア
鯵のエクレア?
「相模湾で当日採れた鯵のエクレア」というではないか。

誰でもそんな料理・・・生臭さとチョコレート“鯵”ならぬ“味”は想像できない。

おそるおそる口に入れてみる。

本日のシェフのひと品 駿河湾鯵のエクレア
イケル!!
鯵というより白身魚のような味にカカオの苦味がうまくまざった、イケル!!これは表彰物の一品である。

このサプライズで一挙にディナーへの期待が膨らんだのはいうまでもない。

すばらしい演出である。

それからきれいにデコレートされたオードブル・・・「伊豆天城産軍鶏プレステリーヌと赤パプリカムースとビーツジャム」がはこばれてきた。

オードブル
オードブル
次に魚料理の「鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味」

鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味
鮎のコンフィ
夏本番前の鮎、塩焼きだけが鮎じゃないと知らせる一品、おいしかった。

このあとにメニューにはない箸休めなるこれまた遊び心の一品が供された。

箸休め お稲荷さん
ソーセージ?
目の前の包みを開けて・・・エッ!! えぇえぇ〜!!なのである。

フレンチの箸休めが・・・お稲荷さんだなんて・・・

お稲荷さん
シンプルなおいなりさん
Le Phare(ル・ファール)”のシェフはお客を驚かし小躍りさせる名人であると彦左は喝破した、お見事!!のひと言である。

その興奮冷めやらぬなかお肉料理がやってきた。「黒毛和牛静岡育ちフィレ肉にグリル夏野菜と生姜香る仔牛のジュ」である。

肉料理
フィレ肉料理
もちろんお肉はやわらかく量もほどほどで助かった。

当日は繁忙期直前ということもあって、ほかに一組のみのお客であったのでゆったりとした雰囲気のなかで心落ち着く食事が愉しめた。

また宴たけなわの頃、ハッピーバースデイのメロディーがピアノから流れてきた。もう一組のお客さまの誕生日なのだろう。

もちろんアランドロンとマリー・ラフォレは惜しみない祝福の拍手をおくった。

そして・・・「ショコラムースとメロンのゼリーに紫陽花仕立てヨーグルトのソルベ」なる長〜い名前のデザートが供され・・・

デザート
デザート
南欧のフレンチの宴はしずかに終焉を迎えた。フレンチのしつこさをおさえたとても上品な味付けと適度な量にわれわれは満足!

ディナー前に
雰囲気、最高です
くわえてスタッフのスマートなおもてなしに・・・Merci beaucoup(メルシー・僕!!)と叫んだのはご愛敬である。

ところでラクラッセ・ドゥ・シェネガには2019年にできた温泉もある。

ここは湯河原である、温泉がなければと・・・ここはドロンも日本人・・・

この日の男湯はわたしの貸し切りであった。

ゆったりと温泉につかり、ミストサウナなる変わったサウナにも入り?至福のひと時を愉しんだ。

そしてベッドにはいるともう夢見心地。

翌朝の朝焼けも素晴らしかった・・・

相模湾の朝焼け 初島の先に大島が見える
大島も見える朝のバルコニー
・・・と、細君が写真を見せてくれた・・・

早朝の大気のなか遠くまで視界がひろがり、初島の先、大島の島影が見えた・・・

・・・と、話してくれた。

もちろん私だって夢の中で地中海に浮かぶ島影をいくつも見ていたのだが、その話は宝物なので、細君にも話はしてあげていない。

気分は南欧
まさに南仏のバルコニー・・・
これから本格的な夏になるとガーデンプールには白いパラソルがいくつも開くという。

この静寂の支配するプールサイドも南欧の気分がアゲ!アゲ!の生気あふれた若者にこそふさわしい世界へと姿を一変させてゆくのだろう・・・


そして真夏のまばゆい太陽の日差しに無防備に身を投げ出すアランドロンの世界、そんなシーンのなかに老夫婦が身を横たえる真っ白な椅子はもう用意されていない・・・

そうそのとき悟らされた・・・

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 湯河原・真鶴岬をめぐる

現在放映されている大河ドラマ、三谷幸喜脚本の「鎌倉殿の13人」が面白い。鎌倉武士が武士政権の時代を切り拓いてゆく最中、さまざまな人間が駆使しあう権謀術数や生臭く欲深で飾らぬ生身の人間の性が描きこまれていてとても魅力的だ。

鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
そこで物見高い老夫婦は、源頼朝が流人として過ごし、彼の庇護者となって、結果、武家政権を確立した北条氏など鎌倉武士ゆかりの伊豆の地を訪ねることにした。

まずは桓武平氏の一党である土肥実平が勢力を張っていた湯河原町、真鶴町をたずねた。

その最初の訪問先が石橋山の合戦に敗れた頼朝が従者7人とともに安房国へと船出をした岩海岸である(源頼朝船出の浜:真鶴町岩957-1)。

頼朝が小舟で漕ぎ出した岩海岸
頼朝船出の浜・岩海岸
小さな浜辺であるが、ひっそりと舟を漕ぎ出した浜辺というには、思いのほか見通しの良いところであった。

現在はその湾口というか相模湾へ出てゆく辺りに橋がかけられている。

しかし、当時は人影もない鄙びた浜であったのだろう。

そこから落魄した頼朝主従7人が安房国へと逃げ出した。

その時の頼朝の心情を表しているかのようなまことに頼りなく儚い海辺である。


その浜辺から2kmもいかぬところに、一行が身を隠したと伝わる「鵐窟(しとどのいわや)」がある。

鵐の窟(しとどのいわや)
鵐の窟(しとどのいわや)
専用の駐車場がないので、真ん前の「真鶴 魚座(さかなざ)」(真鶴町真鶴1947)の駐車場に車を止め、ついでにランチをとった。

魚座 真鶴漁市場2階にある食堂
魚介料理の魚座
わたしは刺身定食を注文した。さすが相模湾で採れたての鯵、身がふっくらとしておいしかった。

ほっこりなアジフライ、絶品
このアジフライ、おいしかった!

海鮮丼
細君が注文した海鮮丼

さて「鵐の窟(しとどのいわや)」であるが、魚座の真ん前を走る県道・真鶴半島公園線を挟んで斜め前にある。

切り立ったかつての石切り場の根っこに小さな洞穴があった。入口はステンレス柵で閉ざされていて、覗いても奥行きは2、3mほど。

鵐の窟内部
鵐の窟内部
しかし説明板を見てびっくり。

小舟の先に隆起前の鵐の窟
海の上にあった鵐の窟
大正11年に撮影された鵐の窟は海水が這り込む奥行11mもある洞窟で、海に雪崩れ込む崖の裾にあった。翌年の関東大震災の際に隆起して現在の陸地になったと説明があった。

その隆起は数メーターにもなろうか、震災の規模がいかに凄まじかったかがわかるジオパークである。

そんな海水に洗われる洞穴に頼朝は隠れ、そっと抜け出し、岩海岸に用意された小舟に載って海上へと漕ぎ出したのである。

どう贔屓目に見てもそんな人物がのちの七百年におよぶ武家の時代を創り出したとは思えぬ洞穴と海辺の矮小さではあった。

そこから真鶴岬を南下すると、すぐに貴船(きぶね)神社がある。

真鶴町の貴船神社
貴船神社
社伝は、889年、三ツ石(真鶴岬)沖に木像12体と書状が流れ着て、社殿を建て村の鎮守として祀ったとのべる。江戸時代まで「貴宮(きのみや)大明神」と称し、明治元年に貴船(きぶね)神社に改称したといい、京都の貴船(きふね)神社とは無関係だということであった。

ただ、そんな貴船神社も頼朝ゆかりの地となっている。

縦に建てられた頼朝の腰掛石
由緒板の横に建つ頼朝の腰掛石
なんと「源頼朝の腰掛石」という貴重な石が史蹟として建てられているのである。

頼朝が休息した岩を「鵐の窟」付近より当地へわざわざ移設したのだそうな。

その腰掛石は直立して神社の由緒書きの横に麗々しく立っていた。

頼朝様に敬意を表し、その前で手を合わせた。

社殿はそこから急な石段を昇った高台にある。

真鶴貴船神社 拝殿
拝殿 茅の輪がつくられていた
丁度、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の時期であり、社殿前には大きな茅の輪が作られていたのでぐるりと廻って今年の無病息災を祈った。

参拝をすませて次に三ツ石なる名勝のある真鶴岬の突端へと向かった。

真鶴岬の三ツ石
真鶴岬突端にある三ツ石
今回の目的のひとつに夫婦ともども、伊豆へ旅する機会は度々あれど、その途上にある真鶴はいつも通過地点でしかなかった。

要は「真鶴岬ってどんなとこ?」という単純な興味がたまたま「鎌倉殿の13人」にゆかりの場所であるとの知識を得て、一念発起、ホテルを予約して自動車を駆ってやってきた。我ながらこの歳でご苦労なことであると、つくづく思う。

さて、神社から車で10分もいくと「ケープ真鶴」に着く。岬といってもほんとうに小さな岬なのだと実感する。

ケープ真鶴
真鶴岬突端に建つケープ真鶴
その岬の突端から少し階段を下がった先に「カフェ・真鶴見晴らし台」があった。

相模湾が一望 カフェ真鶴見晴らし台
カフェ真鶴見晴らし台
旅行ガイドにある三ツ石海岸を見下ろし、相模湾が一望できる絶景の場所である。

真鶴岬 三ツ石
階段の途中からみえる三ツ石
いかにも“夏到来!!”という風情のカフェである。

岬のカフェ パラソル
夏!! カフェ!
幾枚か写真をとったところで、わたしが軽い熱中症で気分が悪くなり、館内で休憩させていただいた。

それを知ったオーナーであろうか女性の方が凍らせたペットボルや氷をいれたビニール袋で腋の下や首筋を冷やすようにテキパキと処置をしてくれた。

その手際の良さに感心しきりでしばらく休ませてもらった。そのお陰で事なきを得て、当夜の「ホテル ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」へ早めに向かい、ゆっくりすることにした。

ホテル ラクラッセ・ドゥ・シェネガ エントランス車寄せ
ホテル・エントランス
ホテルは真鶴岬の西の根元あたり、真鶴道路の真上にあった。

あの伝説のフレンチレストラン「半文居(はんぶんこ)」、八丁堀に降臨!!


約4年におよぶ睡りから醒めて、伝説のフレンチレストラン・「半文居(はんぶんこ)」がこの8月2日に八丁堀にてリ・スタートした。

⓪お店入口にスタンド看板
半文居(はんぶんこ)
新・「半文居」は地下鉄日比谷線の八丁堀駅から213m、徒歩3分と至近の群成舎MBSビル2Fにある。

⓪お店は二階にあります
2階のフロアー全部が半文居です
と〜い、と〜い小学生の頃、明日から2学期がはじまる夏の日でもっとも憂鬱な日であった8月31日に「半文居」を訪れた。

この歳になってこんなにウキウキする8月31日は初めての経験ではなかろうか。

⓪夏の終わりに
夏のおわりに・・・足摺岬
店内に足を踏み入れると、多くの待ちかねた贔屓客から贈られたご祝儀の蘭の花々が咲き誇っていた。

⓪ゆったりとした店内
ゆったりとした店内
当日はひと組が体調を崩されたとこかでキャンセルが入ったおかげで(その方々には申し訳ないが・・・)、わが夫婦で「半文居」丸ごと貸し切りという贅沢な時間を思いがけず過ごさせていただくことになった。

⓪お酒の種類が豊富
当日は多彩なお酒がならぶカウンターで食事
最初の銀座のお店は云うに及ばず、築地のお店にくらべて、お店はオーナーシェフ長谷川圭さんご自慢の広々とした厨房に、客席のカウンターやテーブルもゆったりとしたレイアウトになっており、新装ということとあわせて清々しい店内である。

⓪赤ワイン
実は故あって久々のワインをこの日、いただいた
当日のメニューは以下の通りだが、当日、奥様の理恵子さんがひとつひとつ丁寧に説明されたのだが、覚えきれずに後日、再度、忙しいなか教えていただいたものである。トホホの71歳である・・・認知がはじまった・・・、が、これを転記しながら思ったのだが、理恵さんも当日、よくぞ一気にわたしどもに紹介できたものと、逆にこれをまくしたてるほうが特異な才能なのだと、思い直し、納得した。

 

当日のメニュー

「冷製桃のスープ

⓪冷凍桃のスープ
オイヒ〜!!この色合いも見事である
蒸し暑い日にぴったしのひんやりと冷たく、桃の薫りがさわやかにひろがってゆく。加えて、このスープの彩りが見事である。

桃によって桃色の濃淡がでるのだそうだが、この日はいい色がでたとのこと。

さて、次なる「オードブル」であるが、これぞ「シェフ・圭」さんが大好きなこだわりのひと品?のひとつなのである。

⓪多彩なオードブル
このオードブルは絶品!!
この名前を覚えるのが素人にはとても無理、いや、年寄りにはとても無理というもの。

お皿に載った13品目のひとつひとつの調理を想像すると、どれほどの仕込み、下ごしらえ、そして調理・・・、あしらえ・・・気が遠くなるのである。

さらに先ほどの一品一品のよどみない紹介と重なると・・・、これぞ夫婦合作でしかできぬ一品、いや、逸品であると言いたくなるのである。

⓪オードブル
下のメニューとチェックしてみて・・・
【オードブルの紹介】

・黒オリーブのパン

・トウモロコシのシュー

・ドライトマトとケークサレ

・信州サーモンのスモークと日本茶のチュイル

・小さな胡瓜と豚足の煮凝り

・ズイキのオレンジジュース煮

・トマトのコンポート 零余子(むかご)

・竹炭のパン粉をまぶしたレバーパテ

・パセドカンパーニュ

・パセリのパン粉をまぶした兎のリエット

・食用鬼灯(ほおずき)

・チーズのサブレ+タレッジオ+ドライイチジク


これで12種類となる・・・

でも、写真をよ〜く見ると、13品もお皿に載っている・・・

さて、もう一品はどこにあって、その料理名は・・・

あなたも探し当ててほしい・・・


次にサーブされたのが、「三重産魴鮄(ホウボウ)のマリニエール」である。

⓪魴鮄(ホウボウ)のマリニエール
ホウボウのマリニエール
淡白な白身魚とその上品なだし汁にトマトのほのかな酸味が加わり、深みのある味わいがでている。これも丁寧に時間をかけた一皿であることがわかる。

⓪ホウボウの煮込み
トマト味と白身魚の取り合わせ、蒸し暑い夏に最高でした
次が肉料理。「熊本アベル牧場黒豚・肩ロースのローストと自家製ソーセージ」である。

⓪黒豚の肩ロースと自家製ソーセージ
別腹の味 熊本産の黒豚肩ロースと自家製ソーセージ
ここまででお腹はかなり一杯になっているはずだが、味覚というものはおそろしい。味のフィールドが変わると、食慾にはよく言う。「別腹」というものが存在するらしい。

わたしの箸のすすみ具合(勿論、ナイフ・フォークのセッティングもあったが、同時に箸も添えられていた)が遅かったのだろう、「お腹がいっぱいであれば、遠慮なさらずに残してくださって結構ですよ」との奥様のひと言。

いつものしゃべり過ぎで口の数が少し足りないだけで、まだまだお腹に余裕はあったので、「いや、食べさせて」と、マイペースで箸をすすめさせていただいた。

豚肉といったら昔はあまり好みではなかったのだが、最近の黒豚などは「おいしい」と好んで箸を出すようになった。

勿論この夜もおいしいおいしいとペロリと平らげた。スピードはずいぶん遅かったけれども・・・

⓪イチジクのコンポートと白胡麻アイス
お口爽やか おいしかった
そして、〆めのデザートはといえば・・・「イチジクのコンポートと白胡麻アイス」

やはりオーナーシェフの圭さんの腕は見事であった。

そして、桃にはじまり桃に終わった久方ぶりの新・「半文居」のメニュー。

⓪晴明神社の安倍晴明像
京都・晴明神社の安倍晴明像
京都にある晴明神社の拝殿前に建つ「厄除け桃」が語るように、古来、神話の時代より桃は厄除けの果物として有名である。

⓪晴明神社の厄除け桃
晴明神社の厄除け桃
この夏メニューの故か、8月に入って都内のコロナ感染者数は目に見えて激減している・・・桃?半文居?真夏の夜の夢・・・

やはり、伝説の「半文居」は復活すべくして、復活を果たしたのだと確信したところである。

日本のフレンチはこうでなきゃの「半文居」

下町のフレンチ「半文居」

アットホーム満載の「半文居」

コスパ最高の「半文居」

何度も通いたくなる「半文居」

別腹がいくつあっても足りない「半文居」

仲良し夫婦のフレンチ「半文居」

まだまだ、ハッシュタグ#が尽きない「半文居」レポート・・・今回はこれで筆を置くこととしよう。

ゴチソウサマ!!

京都通が知る亀屋良永で清涼感溢れる葛羊羹・白瀧を買ったぁ!!

麸屋町通りの京扇の老舗、白竹堂へ娘に頼まれて扇を買いに行った。

⓪白竹堂
麸屋町通りにある京扇の老舗・白竹堂
御池通りからお店が並ぶ寺町へ入り、途中から西に入り麩屋町通りにぶつかろうと思ったのだ。

ところが、寺町通りの入口には天保3年(1832年)創業の亀屋良永がぱっくりと口を開けてわたしを待ち受けていた。幸い開店の10時少し前であったため難なく通り過ぎ、お目当ての白竹堂本店まで一目散。

途中から麸屋町通りに入ると、炭屋旅館があったので細君を門前に立たせ、いかにもいま高級旅館の炭屋さんから出てきた風のスナップショットを撮った。

炭屋旅館
いかにも高級そうな炭屋旅館
古希を過ぎた翁と媼も童心に戻るときもある、ちょっとした遊心である。


目的の白竹堂は享保三年(1718)、八代将軍徳川吉宗の時代の創業で、三百余年の歴史を有す京扇の老舗である。

開店と同時に暖簾をくぐり、一本の扇をもとめ入念に吟味した。

⓪富岡鉄斎揮毫の扁額
富岡鉄斎揮毫の扁額
お店の女性がこちらの好みにあった扇子をいくつか見せてくれた。

どれも素敵ないかにも京都の薫りをくゆらせる扇である。

そのなかの桜を意匠とした一本を購入することにした。

桜の花びらが意匠された白竹堂の扇子
桜が扇面・親骨・仲骨にもあしらわれた女性らしい京扇子

白竹堂では親骨の裏側に名前を刻んでくれるサービスがあった。

娘の喜ぶ姿見たさに、お店の方に勧められ、即行でお願いする自分に父親の威厳の欠片もなく、ほとほとなさけないと思ったものだ。

白竹堂購入の扇子
白竹堂の京扇子
桐箱に入った扇子の写真をと思ったが、娘はさっさとグループホームへと持ち去ってしまい、今度、持ってきてもらい写真を撮らせてもらうことにした。

桐箱に入れられた京扇子
撮りました、写真!
さて、重要なミッションを終えたわれらはホテルへ戻ることになったが、細君は通ったことのない道筋を歩いてみたいと往路と異なる筋を選ぼうとする。

ところが私の脳内にはあのお店、もう開店しているはず、「そうはさせじ」と微妙に通りを選んで戻ろうとがんばる。

その駆け引きやまことに達人の技。古希を超えてこそなせる熟達の技といってよい。何せ自然に、いかにも偶々といった感じでそこの前を通らなければならないのだから・・・

そして、シャッターがあがった亀屋良永の前を偶然、通りかかった・・・のである。

亀屋良永 店構え
亀屋良永
「買って帰る?」と、細君が訊く。

「うん」と、ほんとうは欣喜雀躍の態でスキップしながら入るところ、ひと呼吸おいて悠然と足を踏み入れた。

店内は広くはないが、菓子の種類は多い。目移りする。

おいしそうな菓子がならぶ
ショーケースにはたくさんの京菓子が・・・
六代目当主の下邑修さんが出てこられて、これおいしいですよと試食もすすめてくれて、もうお買い物モードは全開。

このアットホームな雰囲気・・・タマラン!!

そこで、目に付いた菓子を三種類買ってしまった。

細君も人が悪い。二品ですまそうとぐっと我慢していたが、「これなんかどう?」と悪魔の囁き、いや、天使の囁き。

もちろん、即行、頷いた。

そして、購入した三品が次なる銘菓である。

第一にわたしの大好きな落雁。

和三盆の落雁 月
桂離宮の襖の引手を模した落雁
月の名所である桂離宮の月の形状をデフォルメした襖の引手を模した餡入りの和三盆使用の落雁、「月」である。


和三盆を使った落雁 月
和三盆の上品な甘味がきいた落雁である。

亀屋良永 茶菓と落雁・月
落雁のなかに餡子が・・・
次に「茶果」という、江戸時代の禅僧で画家でもあった仙冢他阿痢△□の図案をモチーフにした儚いくらいに薄く焼かれたウエハースのような食感を醸す餡をうすく挟んだお薄色と白色のせんべいである。

茶果 仙崖禅師の墨跡とともに
茶果 揮毫は仙崖禅師
表面には△と□が刻印されているが、〇はせんべいそのものの形ということなのだそうだ。

茶菓の中身
餡子が上品
最後に猛暑の夏にぜひお薦めなのが、「白瀧」といかにも涼やかな名をもつ葛羊羹である。

葛羊羹・白瀧
葛羊羹 白瀧
半透明の葛羊羹のなかにブルーの小さなサイコロのような寒天が散りばめられ、あたかも流れ落ちる水色の瀧と瀑布に煙る白い霧と飛沫が目に浮かび、口に入れると今度は滝壷のマイナスイオンが口腔から胃の腑へと沁みわたってゆく。

竹皮のなかに白瀧
竹皮に包まれた葛羊羹
屋内にて一瞬にして山深い瀧のほとりに立つようで、その爽快感は別格である。殊に冷やされた「白瀧」は絶品である。

夏に涼し気な白瀧
寒天のブルーが涼やか
亀屋良永の菓子は味の上品さはもちろんだが、「月」といい、「茶果」といい、その意匠に優れたものを感じた。

次は亀屋良永の代表的銘菓である「御池煎餅」にチャレンジしたいと思っている。


最後に「かめやよしなが」という同じ音読する京菓子の老舗がもう一軒ある。以前にブログで紹介した、昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した「和菓子特殊銘柄18品」のひとつ「烏羽玉(うばたま)」を今に伝える享和三年(1803年)創業の亀屋である。

亀屋良長店内
亀屋良長の店内
同店は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に店を構えているが、この良永と源は異にするという。
ただ亀屋良永といい、亀屋良長といい、両店とも京菓子の伝統を上手に現代に伝え、そのなかで巧みにモダンを絡めとって続く世にも伝承していく、老舗と呼ばれるお店に共通する「しぶとい商い」の神髄を垣間見るようでもあり、京扇の白竹堂も同様であるが今を逞しく生きてゆく老舗とはまことに興味深い存在だと感じ入ったものだ。

東本願寺南端、名代おはぎ松屋の巨大おはぎは甘党の夢!!

東本願寺(おひがしさん)の御影堂門を出て烏丸通を京都駅へと南下し、東本願寺の東南角、烏丸七条交差点をわたった右手に京菓子司・松屋製菓がある。

東本願寺・御影堂
東本願寺・御影堂
京都では歴史は浅く新参者の昭和二〇年一二月の創業である。

「名物おはぎ松屋」と書かれた暖簾がかかる店頭には、「名代おはぎ」と記されたショーケースが置かれている。

名物おはぎ松屋の暖簾
名物おはぎの暖簾がかかる
覗き込むと大きな「おはぎ」というより「あんこの塊」が紙箱に無造作に入れられているだけに見えた。

そのときの時刻は、新幹線のぞみの出発時刻まであと1時間の正午前。

駅弁を買ってお昼にするつもりだが、この「巨大おはぎ」、いや、「巨大あんこ」はあまりにも魅力的である。

京の暑さにやられたのか、ついふらふらと店内に入ってしまった。

2022.8.27 おはぎ松屋
つい、入ってしまった松屋
そして気づいた時には、「おはぎ、ひとつください」と夢遊病者のように口の端から言の葉が跳び出していた。

「330円です」

「お箸、入れますか?」

「お願いします」

と、商いの遣り取りはよどみない鴨川の流れのように終わった。

そしてわたしの手元には巨大おはぎの入った正方形の紙箱がぶら下がっていた。

その間、ほんの数分の真夏の出来事であった。

後に調べたら、おはぎの重さはおよそ250gはあるというではないか。

大きいはずである。

東本願寺菊の門
東本願寺・菊の門
新幹線内で食べようと思い描いたとき、口咥内には唾がじわっと充ちてきた。

だが、ランチには品数も量も多い特製幕の内弁当を購入してしまった。

おはぎにまでわたしの食慾はゆきつかない。

よって自宅までブラリブラリと袋が振り乱された結果、紙箱のふたを開けたときの無残な姿のおはぎの写真はない。

名代おはぎ 成分表
箱の包み紙にあった成分表
細君にお皿に盛り付けを頼み、撮った写真がこれである。

2022.8.27 名代おはぎ 松屋
おはぎ、調えました!! 横の百円玉と大きさを比較してください
真横から見ると、餡子の盛り上がりといおうか、豪気な餡子のおふるまいが何とも言えず、甘党には堪えられぬ様子なのである。

餡子の盛りは半端ない!
このあんこの盛り上がり、堪らぬ!!!
写真を撮ってから遅いおやつということで、一日早く京都を発っていた細君にもおはぎの容姿を調えてくれた功績としてチョピッとお裾分けをしてあげた。

そういうことなら、二個入りを買ってくればよかったと思ったものだ。

東本願寺 御影堂門と京都タワー
東本願寺御影堂門と京都タワー
わたしはその日、地下鉄烏丸線の五条駅からお東さんをお詣りし、京都駅を目指したのだが、「巨大おはぎ」を入手するだけであれば、京都駅から400mほど北上してゆくのが便利である。

餡子好きには堪らぬ「京風のお澄ましをせぬ、松屋の巨大おはぎ」、騙されたと思って、ぜひ、食されよ!!

初夏の京都グルメ旅 三日目その3 グルメ旅の大トリ・割烹まつおか

京都グルメ旅の最後の晩餐に用意したのが、「割烹まつおか」である。

割烹まつおか
割烹まつおか
木屋町通りの名店「割烹やました」で揚げ方・焼き方を担っていた松岡さんの知己を得てからもう20年が過ぎようとしている。

2009.10.15 割烹やました 松岡さん
2009年、割烹やましたで松岡英雄氏
昨年8月に寄ったとき、オーナーシェフ、いや大将の松岡英雄氏とその付き合いも20年ほどになると語り合ったところだ。

2021.8.3 割烹まつおか
2021年8月、割烹まつおかで松岡英雄氏
さて、此度は長崎の叔母やその娘夫妻を案内しての京都グルメ旅となったが、その大トリを「割烹まつおか」で飾ることができたのは幸いであった。

当日、割烹というスタイルの料理屋は初めてだという長崎組を松岡さんはもちろん、大槻さんはじめスタッフの皆さんは一丸となっておもてなしをいただいた。

割烹まつおか 大槻敬之さん
大槻敬之さん
食材の説明から調理法まで丁寧にご教授いただき、お客どもは大満足。

こざっぱりと飾られた先付にはじまり、まずは軽いジャブ!

先付
先付
最近よくお願いするカワハギの薄造り、これはみんなに変わっていると好評。

カワハギの薄造り
カワハギの薄造り
それからどういった話からそうなったのか分らぬが、ウニが大好きという女性陣のために、淡路島産と北海道産のウニの豪勢な競演を演出してくれた。

淡路島産と北海道産のウニの食べ比べ
豪勢な盛り付け
箱ごと盛り付けを匙で掬って口に運ぶ、女性陣の嬉しそうな顔と言ったらなかった。やはり笑顔はいいものだ。

ちょこっと、この私もお裾分けをいただいた。おいしかった。私は淡路産より北海道産の方が好みだったように思えた。

私にもお裾分け
ウニのお裾分け・・・おいしかった
その後も当方の食慾と好奇心に応えるように次々と食材を繰り出し、調理法も飽きが来ぬように目先を変えて料理を供してくる。

車海老の立派に奴があったので、塩焼きにしてもらう。

海老塩焼き
この反りをだすのが肝だとか・・・
そう言えば、この姿焼の調理法を根掘り葉掘り訊ねていたが、その後、長崎で調理してみたのだろうか・・・

人数が多いと便利なのは、種類を多く頼んで、それを小分けにしていろんな料理をたのしめる。

もちろん、これって板場は手間がかかり大変。

それを楽しそうにやってくれる「割烹まつおか」に従妹たちは大満足。

そうこうしていると、誰が頼んだのか山菜と海老の天ぷらがでてきた。

山菜と海老の天ぷら
山菜と海老の天ぷら
そして、これはわたしがお願いしたのだが、牛肉の炭火焼。

牛肉の炭火焼
このお肉、本当においしい
「割烹やました」同様、まつおかも肉料理とワインが実はおいしいのだ。

それに春の定番、鰆の西京焼きは飽きがきたとか生意気をいったところ、松岡君はこれも西京焼きによく合うのだ、ふっくらと焼けた魚を供してくれた。

謎の魚の西京焼き
このお魚、何だったけかな・・・
ほっこりとしてとてもおいしかったのだが、魚名を失念した。

今度、訊いておこう。

酒のアテに魚の骨の唐揚げが出てきた。

骨の唐揚げ
始末の一皿
そして、小魚、名前は確か・・・忘れた・・・南蛮漬け。

小魚の南蛮漬け
酒のアテに南蛮漬け
多彩な味と調理法により、食慾が衰えないのには驚いた。

日頃、小食で有名な叔母も出された料理に箸をつけていたのはびっくりした。

「割烹まつおか」、おそるべしである!!

最後にサクランボと西瓜のデザートが出てきて、これもおいしいおいしいとにぎやかに京都の最後の夜の晩餐会は終焉を迎えた。

松岡君を入れてみんなで記念写真を撮るのに忙しく、デザートの写真は撮り忘れた。

それと、わたしは独り、岩ガキを頼んでいたことを写真を整理していて思い出した。岩ガキの殻の写真が残されていた・・・

よくぞこれだけの料理を食べつくしたものであると、今になって驚いている。

そして従妹たちは「割烹まつおか」は「これまで経験してきた食の世界で最高!!」と、大将に激賞の言葉を残し、塒(ねぐら)へと戻っていった・・・

もちろん、案内したわたしは鼻高々であったことはいうまでもない。

初夏の京都グルメ旅 三日目その2 奥嵯峨にある二つの念仏寺

此度、初めて知ったのだが、奥嵯峨に念仏寺は二寺あり、それもお昼をいただいた平野屋を挟んで南北に各々300mほどの距離の場所に位置していた。

2022.5.16 平野屋
白洲正子が愛した鮎茶屋・平野屋
化野(あだしの)の念仏寺は境内に広がる無縁仏の光景であまりにも有名だが、今度初めて訪ねる愛宕(おたぎ)の念仏寺を訪ねた人はあまり多くないのではなかろうか。

化野念仏寺 無縁仏
化野(あだしの)の念仏寺の西院の河原
仁和寺から平野屋へのルートをGOOGLE MAPで調べていた際にわたしは念仏寺が化野のほかにもうひとつあることを知り、興味を抱いた。

そこで、まず平野屋前の愛宕街道を奥へほんの少しゆくと天台宗寺院である愛宕(おたぎ)の念仏寺がある。

愛宕念仏寺・ふれあい観音堂と本堂
愛宕(おだき)の念仏寺 手前 ふれ愛観音堂 奥 本堂
細い坂道を登った先の小高い丘の上にわずかな平坦地がある。

そこに小さな御堂が建っていた。

愛宕(おたぎ)念仏寺・本堂と石像群
本堂と羅漢像
本堂は鎌倉の質朴さそのままのたたずまいで建っている。

鎌倉中期の建造となり、重要文化財に指定されているという。

ひんやりとした堂内に足を踏み入れると、雪洞の灯りのなかに浮かぶようにご本尊の千手観音像が安置されている。

愛宕念仏寺 二重折り上げ格天井の本堂
粛然とする本堂内
森閑とした山気のなかで手を合わせると自然と厳粛な気持ちになる。

そして薄暗い堂内に目が慣れ、堂内に目を凝らすと、天井が最も格式の高い二重折上げ格天井となっていたのに驚く。

⓪千手観音像 愛宕念仏寺・ご本尊
ご本尊・千手観音像
ずいぶんと大切にされている立派なお堂であると、感じ入った。

それから境内へ出て、羅漢像を見て回る。

愛宕念仏寺境内の千二百羅漢
無数の羅漢像
愛宕(おたぎ)の念仏寺は「千二百羅漢の寺」とも呼ばれるのだそうで、境内至る所に苔むした羅漢像が数多建っている。多彩な表情をした羅漢像が境内に所狭しと充ち、その霊魂がそれぞれに言の葉を紡いでいるようで、愛宕は化野に負けぬ京都・奥嵯峨のパワースポットといってよい。

愛宕念仏寺・石像たちと多宝塔
愛宕念仏寺の苔むした羅漢像
石像に注意深く目を向けると、寂しげな羅漢像や剽軽な表情をした羅漢様などほんとうにさまざまであり、その寄進者、人の願いや煩悶に果てはないのだとつくづく思ったものである。

千二百羅漢像 愛宕念仏寺
剽軽な表情の羅漢像
また中にはご夫婦であろう、仲良く肩を組んだ二体の羅漢像・・・などなど。

ご夫婦の羅漢様
肩を組み合う夫婦像
その鄙びた境内の趣きは一度足を運ぶ価値は十分にあると思った。

愛宕念仏寺の羅漢像 - コピー
鄙びた境内
様々な思いをこめてこれらの羅漢様を寄進されてこられた人々。

愛宕念仏寺 哀しげな羅漢様
哀しげな表情の羅漢様
その真摯な無数の祈りが正しく仏様の元に届いていることを心から願うばかりである。

寝転んで休憩中の羅漢様
寝転んで夢を食む羅漢様
この寝転んで楽しい夢でも食()んでいる態の天下泰平の羅漢様が境内一杯に埋め尽くされる時代がはやく到来してほしいと思いながら、次の化野念仏寺へと向かった。

化野・西院の河原
化野の念仏寺 西院の河原
浄土宗寺院である化野(あだしの)の念仏寺は確か最初に詣でたのは高校生の修学旅行ではなかったかと思う。

化野念仏寺の竹林
化野念仏寺の竹林
その後、大学生になってすぐ神護寺辺りから清滝川の川沿いに嵐山まで歩き通したことがあるが、その時に化野へ立ち寄ったのかもしれないが記憶は定かでない。

2009年に鮎茶屋・平野屋へ寄ったついでと云っては申し訳ないが、その時に久しぶりにお参りしたのが最後であった。

化野念仏寺・仏舎利塔 2009.1.16
2009年 インド式仏舎利塔(ストゥーパ)
此度は83歳の叔母は初めてだというので案内したのが主な理由であったが、愛宕(おだき)と化野の念仏寺ってどう違うのかという素朴な興味があったのも事実である。

化野念仏寺・ご本尊阿弥陀如来像
化野念仏寺のご本尊・阿弥陀如来坐像
化野は、平安時代あたりから死者の風葬の地であったとのことで、当寺開創の伝承にも空海が放置されたご遺体を供養したことにはじまったとある。

化野の無縁仏
無数の無縁仏
そのため、境内には無数の無縁仏が所狭しとならんでいる。

本堂前の一画は三途の川の手前の広がる賽の河原に似ているとのことで、「西院の河原」と呼ばれている。

化野念仏寺
西院の河原
フジTVの人気シリーズであった「赤い霊柩車」の冒頭場面で片平なぎささんがお決まりの述懐をするのが、この念仏寺の西院の河原である。

例年8月下旬に河原に蠟燭がともされる「千灯供養」が催されている。

まだ行ったことはないが、さぞかし幻想的な光景であろうと思う。

ただコロナの影響で、今年も3年連続で中止の憂き目にあっている。

昼日中の念仏寺はどことなくその神秘性を欠き、やはり闇夜に月あかりか燈明の灯りのなかで夢か現の態で参拝するのが、中世の葬送の地の風趣が感じられるようである。
さて、われわれは葬送の地をあとにして、ちょっと晴明神社に立ち寄りホテルで小休止、そして京都グルメの〆となる割烹まつおかへと出陣することとなる。

初夏の京都グルメ旅 三日目その1 奥嵯峨 鮎茶屋・平野屋

文化の薫り高い葵祭鑑賞、転じて、食慾の赴くくまま京のグルメ旅、三日目は奥嵯峨の鮎茶屋・平野屋で昼食をいただくことにした。

平野屋俯瞰
平野屋全景 絵ハガキより
当日は奥嵯峨まで足を延ばし、途中、寺院を巡ることからMKタクシーの6人乗りのアルファードを一日貸切にした。内装が織物仕様の5人がゆったりと坐れるなど一行の評判は良かった。
MKタクシー 特別仕様アルファード
MKタクシーHPから
さて平野屋であるが実は2011年の6月に訪れ、鮎料理に舌鼓を打った。
2011.6.14 平野屋母屋にて
2011年6月、平野屋母屋にて
それから夏の訪れとともに、その時味わった「鮎の背ごし」をもう一度食べてみたいと口にするのがここ数年、常のこととなっていた。そんな魂胆もあり、83歳になる叔母の京都観光案内で、菩提寺の本山である仁和寺をお詣りしたいとの要望にかこつけて、嵯峨野の奥まで足を延ばし平野屋の鮎を所望しようという算段となった。
2011.6.14 平野屋鮎の背ごし
2011.6.14 鮎の背ごしをいただく
電話予約の際に、5月中旬で「鮎の背ごし」は大丈夫かと確認を入れたくらい、「背ごし」への我執は半端なかった。お店の方はその場で料理人に訊ねてくれて、当日、手頃な鮎が入ったら準備させてもらうとの返答であった。舌のうえに載っけた瞬間のあのヒヤッとした触感!凍てたシャーベットを嚙み砕くときのシャリっとしたあの爽快感!この10年余、「夏がく〜れば思い出す♪ はるかな鮎 と〜い空♪♪」と、必ずわたしの口の端に上ってくる「麗しの背ごし」である。そのたびに、細君は「一度、行ってきたら」とあきれたようにおざなりな反応を示すのである。そして、今年、ようやく長年の希望が叶うというわけである。
2011.6.14 愛宕神社一之鳥居と平野屋
愛宕神社一の鳥居と平野屋 2011年
叔母たちにはあの白洲正子さんが絶賛していた平野屋の極上の鮎をぜひ紹介したいからと言ってあった、という裏事情はさておき、その日はまず仁和寺近くの龍安寺を拝観。
青モミジが美しい龍安寺の石段と龍安寺垣
龍安寺の石段と龍安寺垣
昨年12月から石庭の「油土塀(あぶらどべい)の杮(こけら)葺き」の張替えが終了、この3月19日から拝観が再開されたということでなかなかこの5人、運が強い。
杮葺きを葺き張替えた龍安寺の油土塀
龍安寺の油土塀と葺き替わった杮(こけら)葺き
わたしは石庭の石の配置の妙など何度みても、その良さが分からないのであるが、白砂と石組の背景となる油土塀の色合いについてはかねて好みのものであった。
龍安寺 石と油土塀
石庭の石と油土塀
そしてこの度、土塀の杮葺きが一新されていた。
2003.12 葺き葺き替え間前の石庭
2003年12月 古い杮葺き
かつての侘びの風情の枯山水とは異なり、少々驚いたのだが、陽光の降り注ぐ屋根は銅板を張ったように金色に光り輝き、これはこれで美しかった。
龍安寺石庭の石と油土塀と杮葺き
杮葺きが輝く石庭
意馬心猿の日々をおくる己を、禅の世界に閑に身を置くことでその性根を叩きなおし、心静かに稚鮎に箸をつけようと・・・殊勝な心持ちで石庭の一五個を数える石を心眼で観ようと努めた。
ミニ石庭 模型
石の配置がわかるミニ石庭
やはりすべての石を観ることは不可能であった。ところが、縁側を行きつ戻りつしていた従妹の連れ合いが一五個の石が見えたというのである。そんな馬鹿なと思ったが、彼は180cmを超える偉丈夫である。縁側中央に立って石庭を仁王立ちで見下ろしたら、かろうじて全ての石が見えるようなのである。
龍安寺・石庭
龍安寺石庭 15個の石は見えない
帰京後調べてみたら、龍安寺石庭の15個の石、本当は一度に見れます」というブログを見つけた。なるほど何とか一五個の石が見えている。そんな瞑想どころでない「見えた」、「いや見えるはずはない」といった他愛もない話題で盛り上がり、次の仁和寺へと向かう。
仁和寺仁王門
仁和寺・仁王門
雄大な仁王門はいつも訪れるものを圧倒する。
仁和寺・金堂
仁和寺・金堂
ここの金堂はもともと御所の正殿・紫宸殿で、江戸の寛永年間に移築されたとのこと。国宝に指定されている。
仁和寺・御室桜
御室の桜
また背丈の低い御室(オムロ)桜の葉叢が青々と茂っていたのが印象的だった。本山のお詣りをすませ、一行はいよいよ奥嵯峨を目指す。

仁和寺から平野屋へは距離にして6km、車でわずか10分余といたって近い。あながちわたしの我欲のみではない、平野屋での昼餉は当日の観光ルートであればごく自然な成り行きであるといってもよいのである。
2022.5.16 平野屋
やはり茅葺は風情がある 平野屋
苔むした茅葺屋根の平野屋のたたずまい。ここに降り立つだけで、詩情溢れる鮎茶屋のおもてなしが思い起こされた。
平野屋 離れの間
平野屋 離れの間
当日案内されたのは離れの間である。11年前にはなかった新しい建屋である。そこから以前に通された母屋と庭の池を見ることができる。
平野屋離れから本館を見る
左手の手すりが母屋の間
これはこれでひとつの風情である。いよいよ鮎料理が供される。夢にまで見た?鮎の背ごしである。
平野屋・鮎の背ごし
紀州の鮎の背ごし
この季節、まだ保津川の鮎は解禁前で、当日は紀州の有田川の鮎であるとのこと。一同に素人講釈をし、ありがたく戴いたことは言うまでもない。
鮎料理はもちろんまずは塩焼き。
平野屋 鮎の塩焼き - コピー
三尾の鮎の塩焼き
白洲正子女史は来るたびに五匹、六匹と塩焼きのお替りをしたという。
鮎粥
鮎のお粥
鮎粥も名物の一つ。最後に別途豆ごはんとみそ汁もあった・・・
志んこ 平野屋
名物・志んこ
愛宕神社への九十九折の岨道を模してつくられた捻じれた団子・「志んこ」は愛宕山の名物である。
平野屋・野菜の炊き合わせ
野菜の炊き合わせ
江戸時代、愛宕詣での参拝客が麓の茶屋で「志んこ」でお茶を喫し、山道へいどむ英気を養ったのだという。
野菜の天ぷら 平野屋
野菜の天ぷら
ランチといってもそれ以外に、野菜の炊き合わせや天ぷらなど次々とお皿がとどき、少々、年寄りにはきついくらいの平野屋の多彩なメニューであった。
そして、初夏の鮎茶屋・平野屋でのひと時を過ごしたわれわれは、次に奥嵯峨にある二つの念仏寺にお参りし、晴明神社経由でホテルへ向かい、夜の「割烹まつおか」に備えることとなる。

初夏の京都グルメ旅 二日目その2 鴨川納涼床・京フレンチきしもと

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースと洒落てみた。

昼は貴船の川床(かわどこ)で昼餉を愉しんだことは先のブログに書いた。

貴船川に設営された川床
貴船川の川床
そして、その日の夕餉であるが、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)「京フレンチきしもと」の予約をとっていた。

京フレンチ きしもと看板
京フレンチきしもと
時季は五月中旬とちょっと気は早いのは承知だが、貴船・鴨川・高雄の「床」はいずこも5月1日から営業が開始されている。

そこで京の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)文化」を83歳の叔母に味わってもらおうと思った次第である。

鴨川の納涼床 - コピー
鴨川の右岸に連なる納涼床
夕刻に一同、ホテルを発ち、木屋町通り沿いに歩いて10分ほどのところにある先斗町にある「京フレンチきしもと」へ向かう。

鴨川納涼床
京フレンチきしもと 納涼床
途中、維新の激動の時代、若き志士たちが残した歴史の痕跡を案内しながらそぞろ歩いた。

「割烹やました」のすぐ近くで今を去ること150年前、佐久間象山が暗殺され、ほぼ同じ場所で大村益次郎が襲われたという。

佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
高瀬川対岸に佐久間象山暗殺・大村益次郎遭難の地の石碑
いま歩く通りにそうした陰惨な雰囲気は一切感じられない。

これから百年後の木屋町通りは果たしてどんな姿を人々に見せているのだろう・・・。

そんななかで桂小五郎と芸者幾松が過ごした処にあった料理旅館幾松がコロナ騒動のなか2020年10月で廃業となっていたことを、今度、知った。

料理旅館幾松
かつての幾松
各地で老舗といわれる旅館や料亭が廃業の止むなきにあっているとニュースなど耳にしていたが、いつか行ってみようと幾松が閉店となっていたとは誠に残念である。

新選組が旅籠池田屋に集結した志士たちを襲撃した池田屋騒動の舞台となった処は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」となっているが、三条通りに面する店頭に「池田屋騒動の址」と刻む石柱が建っている。


池田屋跡に建つはなの舞
池田屋騒動の地
また、三条大橋の西詰めは日本橋を起点とした東海道五三次の終点となるが、二つ目の擬宝珠(ぎぼし)には池田屋騒動時に傷つけられた刀傷がいまなお生々しく残っている。

池田屋騒動の刀傷三条大橋の擬宝珠
三条大橋の擬宝珠の刀傷
また西詰の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の剽軽な表情をした弥次さん・喜多さんの銅像が建っている。

弥次さん喜多さんの銅像
弥次・喜多像
そこから鴨川沿いの少し下り、龍馬通りから先斗町通りへ入ってゆく。

狭い通りにはぎっしりと飲食店が軒を連ねているが、その軒先には先斗町の紋章である千鳥をあしらった提灯がさがり、すでに灯がともされていた。

先斗町通り
先斗町通り
夕食時ということで結構な人出である。

「京フレンチきしもと」はもともとお茶屋であったというが、改装された店内はカウンター席が細長く連なるシックな造りとなっている。

きしもと店内
きしもと店内・突き当りが納涼床
突き当りのガラス戸を抜けると鴨川に面してテーブル席の納涼床が設営されていた。

’捨綻欧でた鴨川 三条大橋から
納涼床が連なる
河原に面する一等席がわれわれ五人用に用意されていたが、シッティング前の写真を撮り忘れたので、以前、訪れたイタリアン・ルンガモ(廃業)の納涼床の写真を載せることにする。

納涼床 ルンガモ
イタリアン・ルンガモの納涼床の風情
納涼床のイメージはおよそこんな感じである。

「京フレンチきしもと」はそもそもコース料理のみのお店のようで、納涼床は店内で頼む料理の二割ほど高い値段設定になっていた。

当夜はBコースを予約していた。

オードブル四品。

オードブル  オードブル4品のひとつ
オードブル4品のうち2品
メインが甘鯛のムニエルか、

ディナー 甘鯛ムニエル
甘鯛のムニエル
牛フィレのステーキ生わさび添えのどちらか一品。

⓪きしもと ディナー牛フィレステーキ
牛フィレ肉のステーキ
それと最後にデザート。

デザート
ちょっと・・・寒すぎた・・・
それにしても年寄りにはこれで十分の量であった。

午後六時の予約で、料理がスタートした納涼床のひとときであったが、実は夏の夕涼みにはやはり時季が早すぎた。

皆さん、サービスされた料理はテキパキと処理し、おいしかったんですよ「きしもと」さん!!料理は。

7時40分には食後の余韻を味わう余裕もなく、この時季、川風はさすがに年寄りの身に応えた。早くホテルで暖まりたい?とお店を後にすることとなった次第。

夜の先斗町
8時前でこのとおり
先斗町通りに出ると、まだ8時前というのに人通りはまばらであった。

やはりコロナの影響で、人々の夜の行動様式は一変したのだと、かつての先斗町の賑わいを知る男のひとりとして、人の心の移ろいといおうか、時代の変遷とでもいおうか、一抹の寂しさを覚えたところである。

そして京都の「床(とこ)と「床(ゆか)」をあわただしく堪能した一団は先斗町通りをワイワイといっぱしの感想を述べながら北へと上がっていったのである。

「出町ふたば」の“豆もち”と春季限定の“本よもぎ餅”を食べた!!

かねて出町柳の「ふたば」の大福は一度は食べてみたいと願っていたが、いつもタクシーから店前にならぶお客の行列を目にしては、「名代豆もち」を口にするのは今生ではむずかしいとこの20年間、半ば諦めていた。

―伉ふたばの豆もち
出町ふたばの”名代豆もち”
ところが此度の京都行でその夢が図らずも叶うことになった。

というのも、貴船の川床の帰り、出町柳駅で下車して叔母とわたしども夫婦は先にホテルへ戻ったが、従妹夫妻はそんな著名な和菓子屋あるならちょっと覗いてから帰ると別行動となった。

70代、80代組はホテルでのんびりと休んでいたが、(還暦+1year)組の夫妻はエネルギーを持て余しているのかなかなか戻ってこない。

待つこと1時間半、ようやく戻ってきた彼らの手には夢に見たあの「名代豆餅」のシールが貼られた「ふたば」の薄緑色の包みが二つあるではないか。

―伉ふたば本店豆もち・本よもぎ餅
夢見た出町ふたばの包装紙
えっ!

今生で「豆もち」にありつけるとはと、その喜びはなんと表現してよいかわからぬほど二人には感激のあまり感謝の言葉もみつからなかった。

話を訊けば、十重二十重は云い過ぎだが、折れ曲がり五列ほどならんでいた客の最後尾について待つこと一時間余、ようやく、注文ができたのだという。

そして、「豆もち」を購入。

さらに、季節限定の「本よもぎ餅」が最後の一個、残っていたので、それも購入してきてくれたという。

―婬┯堕蝓λ椶茲發餅
春季限定のレアもの・本よもぎ餅
「ふたば」の「名代(なだい)豆餅」は当たり前だが“本日中にお召し上がりください”ということなので、大福大好きの私でもこれまでは貴重な京都滞在の時間の中で、長時間、ならんで購入し、当日中に口にするのには抵抗があったし、無理があった。

(歛故岨藩僂擦困瞭μ
本日中食せの注意書き
ところが、今回は年寄り組が夜に備え、ホテルで休憩をする間に、長蛇の列をものともせず、若者?夫妻が“名代”な豆餅購入に果敢に挑戦してくれた。正直、頭が下がった。

豆餅、おいしかった。

―伉ふたば 豆もち
豆餅、おいしかった!!
柏餅もおいしかった。

)椶茲發餅・桜餅
本よもぎ餅と柏餅
そして、春季限定の「本よもぎ餅」もおいしかった。

その日の彦左の両頬が床に届きそうなまでにたるみこんだことは言うまでもない。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 二日目その1 貴船の川床(ランチ)喜らく

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースを選んだ。

京都の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)」をしゃぶりつくそうという魂胆である。

⓪貴船の川床
貴船の川床
そういえば、6月18日土曜日のNHK番組「ブラタモリ 京都・鴨川〜川をたどれば京都がわかる!?〜」で野口葵衣アナウンサーが京都の水の考え尽くされた利活用を「しゃぶりつくす」と表現した際、「一滴残らず」という方が適切かなとタモリさんがやんわりと指導していたっけ。

‐絏賁仗声辧〔誠誓遒噺翳忌川の合流点
ブラタモリ・上賀茂神社の明神川と御物忌川の合流点
さすが「言葉の力」で人生を切り拓いてきた人物の言葉へのこだわりと日本語に向き合う真摯な姿勢に感じ入ったところだ。

余談はこれぐらいにして、当日はまず京の奥座敷・貴船(きぶね)の川床(かわどこ)で昼食をとり、夜は鴨川の納涼床(のうりょうゆか)で夕食という、「床」づくしの企画である。

ヽ川の納涼床がはじまる
鴨川の納涼床
まず出町柳から叡山電鉄鞍馬線に乗って貴船口(きぶねぐち)まで目にやさしい新緑を愛でながら30分弱。

ゝ船口駅
貴船口駅
駅前に川床を予約していた料理旅館「喜らく」の車が出迎えてくれた。貴船神社本宮前の「喜らく」まで2KM、5分の距離だが、脚に不安がある方は送迎をお願いするとよい。

ヾ遒蕕
貴船神社総本宮前の喜らく
昼食の予約時間までの1時間を利用して本宮から貴船川上流沿いに800Mほどいった先に鎮まる奥宮を参拝した。

ゝ船神社・奥宮
貴船神社・奥宮
海神・豊玉彦の娘で、神武天皇の皇母でもある玉依姫が淀川を遡上、鴨川の水源地であるこの奥宮の地に祠を造り都の水守りとして鎮まったとの伝説が貴船神社に伝わっている。

その時、坐乗してきた黄色い船(貴船の名の由来ともいわれている)を積み石で囲み匿(かく)したものと伝わる「舟形石(ふながたいわ)」が奥宮の脇にある。

―形石
舟形石
その傍らには朝廷の飲料水の管理をつかさどる主水部(もひとりべ)であった鴨族の祖神である味鉏高彦根命(あじすきたかねひこ)、別名、迦毛(かも)大神を祀る末社・吸葛(すいかずら)社が玉依姫の守人のごとく鎮座している。

)社・吸葛社(味鉏高彦根命)と船形石
舟形石のそばに吸葛神社
貴船山と鞍馬山に挟まれた渓谷に位置する貴船神社・奥宮の後背には鬱蒼と木々が繁っている。

その古木の所々に人形(ひとがた)に五寸釘を打ちこんだ痕が今でも残っているとかつて誰かがわたしに囁いた。この奥深い森には幾多の女が丑の刻参りを重ね、心変わりした男と新たな女を呪詛する風習が残っていたのだという。

能の演目・「鉄輪(かなわ)」は夫に捨てられ嫉妬に狂った女が貴船神社に丑の刻参りを重ね鬼に変貌、夫と後妻を襲うという禍々しい人の業を描いたものである。

2009.10.14 厳島神社・観月能
厳島神社・観月能 鬼に変じた女
この譚(はなし)には陰陽師・安倍晴明が登場し、その鬼女を追い払い二人を救うところで終わる。

ところがこの女、「まずこの度は帰るべし」と再度の襲来を予告し恨みを深く心に秘めたまま、一旦、身を匿(かく)しただけで、安倍晴明をもってしても止めは刺させなかったというものである。女の情念のすさまじさに背筋の凍る思いがし、その怨みはいまなお四条河原町あたりをうろついているのである。

\果誠声辧Π打楡果請
晴明神社の安倍晴明像 

そんな怪異譚の一方で、貴船神社はいまや恋人の聖地のようにいわれている。

奥宮への途中にある結社(ゆいのやしろ)のご祭神・磐長姫命が縁結びの神という。

〃觴
結の社
多くのカップルがその小さな祠の前で仲良く手を合わせている姿は印象的である。

恋多きスキャンダラスな女流歌人・和泉式部が、再婚した夫・藤原保昌の愛を失い、貴船神社で密教の秘儀・敬愛の祭りを執行、女性のたしなみを失わなかったことで、撚りを戻した? もとい、愛を取り戻したとの話が鎌倉時代の仏教説話集の「沙石(しゃせき)集」に載っている。

]太式部・歌碑
結社に建つ和泉式部の歌碑
平安時代から「貴布禰」神社が男女の愛を叶えさせるパワースポットだと信じられていたことをしめす譚である。

ゝ船神社総本宮
貴船神社・総本宮
また、総本宮では湧き水のご神水で水占いをするカップルが列をなす。
/綫蠅ぁΔ澆じ
貴船神社の水占い
清冽な貴布禰の渓谷には恋のキューピッドとともに、安倍晴明の神通力をも打ち返す嫉妬に狂う鬼女が夜の闇の底に潜んでいるということなどつゆも知らぬ若人たちに、老婆心ならぬ老爺心で「人間の業の闇は深いよ」とつい、耳打ちしたくなった。


そんな愚かで意地悪な白昼夢を見せてくれた貴船でいよいよランチである。いや、昼餉の時間である。

本宮前に店を構える「喜らく」に川床(かわどこ)の予約をとっていた。

ヾ遒蕕の川床
喜らくの川床
当日はまだ川床が設営されて間もないこともあり、涼風というより寒さが克つのではと、料理は湯豆腐コースを頼んでおいた。

川床の下を貴船川の清流が勢いよく流れている。

[辰笋な喜らくの川床
川床の下を清流が流れる
川筋を吹き抜ける山気ととどろく水音はコロナで鬱屈した気鬱病を一気に吹き飛ばしてくれる。しかし、さわやかというよりかなり肌寒い。

そんななかでいよいよ川床料理をいただくことに。

京の夏の定番、鱧の湯引きとお造り。

£腓療魄き・お造り
鱧の湯引きとお造り
鮎の塩焼き。

^召留焼き 喜らく
鮎の塩焼き 一人分ではありません
鮎の天ぷらまでも出てくる。

ヾ遒蕕の湯豆腐コース
お待ちかねの湯豆腐
そしていよいよ温かい湯豆腐の登場。このころには皆、早く暖をとりたい気分が横溢。

急ぎ小椀に湯豆腐をとりわけ、ようやく身体も心の中もほかほかと緩んでくる。

5月の中旬、湯豆腐料理。京の奥座敷では大正解との皆さんにお褒めをいただいた。

以前7月に細君と貴船を訪れた際には、老舗の「ひろや」で川床料理をたのしんだ。

⓪ひろや川床料理
ひろやの川床
その時、氷をアレンジした器で涼を演出した料理にはビックリ。暑さも吹き飛んだ。

涼をさそう氷器に盛られたお造り ひろや
氷器のお造り
そしていかにも涼感をさそう洒落た鮎の塩焼きも供された。

,劼蹐笋領担桐兇Π召留焼き
盛り付けが美しい鮎の塩焼き
夏本番にお昼からしっかりとした懐石料理を所望したいと思われる方は、「ひろや」の川床料理はお薦めである。

 

こうして風流な川床料理に舌鼓を打ち、一方でいつの世も変わらぬ男と女の情景に思いを馳せた貴船神社・・・

ゝ船神社・本宮石段
貴船神社本宮の石段
作家水上勉は短編小説「貴船川」のなかで「貴船は女の執念を考えさせる神社」であると書いた・・・そんな貴船を、夜の鴨川納涼床にそなえて、食慾という煩悩に病む一行は早めに退散することとあいなった。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 一日目

長崎市在住の83歳になる叔母からかねて京都を案内しろと命じられていた。これまで延ばし延ばしにしていたが、元気印の叔母が一時体調を崩したこともあり、そろそろ手形を落としておかねばなるまいと今般の京都行きを決行した。

”屋から東山と比叡山
ホテルオークラ京都から比叡山と東山連峰をみる
叔母には従妹夫婦が付き添いで来ることとなり、わが夫婦と併せ総勢5名、平均年齢69歳となる「黄昏老人の修学旅行」となった。

コロナウイルスの猛威も沈静化した5月14日に京都で落ち合い、3泊4日で「葵祭」を愉しむ旅の計画を練った。

ところが旅の眼目であった葵祭であるが、コロナ禍のなか斎王代が行列をなして京都御所から下鴨・上賀茂神社へと巡行する「路頭の儀」は早々と2月頃には中止が発表された。

2014年・斎王代の参進
2014年葵祭・社頭の儀
そこで2014年に参列した「社頭の儀」に参加できたらと思い、下鴨神社に連絡を入れたが、今年は列席者の人数を絞っておこなうということで、5名もの一行は難しいと丁重に断られた。

_竺神社・神楽殿
下鴨神社・神楽殿
といった事情これあり、急遽、旅の目的は千四百年つづく「聖なる神事」に参列することから、急転、「食い意地」という「業の世界」にどっぷりつかることと相成った。

ゝ毒軌
菊乃井・本店(2019.1)
老い先短い人生、享楽に現を抜かし、京都の初夏を思いっきり「食い尽くす」ことにしたというわけである。

その一日目は二時頃にホテルで落ち合い、コロナ禍もあり上京もままならなかった叔母の元気な姿に安堵し、まず葵祭の下鴨神社に参拝を済ましておくことにした。

「五月一五日 賀茂祭」と大書された柱聯(ちゅうれん)がかかる燦爛たる楼門をくぐり本殿境内に入る。

_竺神社・楼門
下鴨神社・楼門
橋殿前には「社頭の儀」参列者用の椅子が整然とならべられていた。

ー卞の儀の列席者用の椅子が橋殿前にならぶ
橋殿前に参列者用の椅子
翌日の参加が叶わぬわれわれは、せめてもと本殿への昇殿参拝をさせてもらうことにした。

_竺神社・昇殿参拝
下鴨神社・本殿
本殿内の祈祷所で「黄昏老人一行」は権禰宜の方にありがたい祝詞をあげていただき、巫女さんに玲瓏な神楽鈴の音でお祓いをしていただいた。

_竺神社の巫女さんに修祓をうける - コピー
下鴨神社・巫女
その際に従妹の夫君は清冽な風が吹き抜けたのを感じたと社殿を退出してから興奮気味に繰り返し語った。

それに対し他の黄昏四人組は誰一人、神気など感じなかったと微塵の畏敬の念も見せぬ不逞ぶりであった。

そのあと女性陣は、京都の夏の風物詩である「足つけ神事」が斎行される「みたらし池」で「水占い(みずみくじ)」に興じた。

,澆燭蕕契遒醗羮綣
みたらし池と井上社
どんな卦()がでたのか、このお二人さん・・・

 匹澆燭蕕契遏匹膿綫蠅い鬚垢
水占いに興じる女が二人
どこか可愛らしくおだやかな人生の一景ではあった。

 

下鴨神社でのそれなりの敬虔な?ひと時を過ごした一行はホテルへと戻り、「煩悩の食慾」に身を焦がす「割烹やました」へ出陣する英気を養うことにした。

.曠謄襯ークラ京都・スーペリアツイン
ホテルオークラ京都のスーペリアル・ツイン
割烹やましたは昨年の三月下旬、醍醐寺の花見の際に訪れて以来、ほぼ一年ぶりである。

ヽ篷やました 押小路橋から
押小路橋から割烹やました
この夜は話に夢中となり、夏の定番の鱧の炙りをはじめ細君が取り仕切った料理が皿に盛られてきたというのが実際で、写真もあまり撮れていない。

〔5い覆ぅ灰蹈並弍のカウンター
コロナ対応の味気ないカウンター
ただ、何かいつもと趣向の異なる珍しい料理にお目にかかったので、これはこれでよしとするのであろう。

ゝ都の夏の定番 炙り鱧と大将
夏の定番・鱧の炙りは絶品
その中でも、やましたで鰻を食べようとは驚きだった・・・

,笋泙靴燭留靴粒焼
鰻の蒲焼
そんなことで、八時半頃には一日目の晩餐が終了。

店の暖簾の前で、大将と黄昏老人一行と記念写真を撮り、ホテルへと戻った。

,い弔發里出迎えの折り鶴
オークラのいつもの折り鶴のおもてなし
かつて八時頃から第二陣の客が押し寄せ、十時前まで賑わっていた超人気店の「割烹やました」ですら、八時を過ぎると入れ替えの客もほとんど来る気配もなく、コロナにより人の夜の行動パターンが確実に変わってしまったと実感させられた京都の夜でもあった。

 

そして、帰京後の6月18日に放映されたNHKの「ブラタモリ 鴨川編」の「川をたどれば京都がわかる?」を観てビックリ!!

我々が廻った行程をほぼそのまま辿った番組となっていたからである。

東京と長崎の間でスマフォのビデオ通話で旅のあれこれ会話が盛り上がったことは云うまでもない。

最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

  • ライブドアブログ