「WBC初代チャンピョンに! だが・・・?」

 

 これほど、当初の関心が薄く、試合の展開とともにその興奮度と注目度を増していった大会は珍しい。この前のトリノオリンピックにおけるカーリングのチーム青森に起きた現象と瓜二つである。TV視聴率が準決勝の韓国戦で36.2%、決勝戦のキューバ戦では、43.4%、瞬間視聴率では56.0%に達したと云うから、その注目度は半端ではない。さらに今回は優勝した際に、街頭に号外までが飛び出す始末である。そして、その号外を貰おうとして殺到する人たちのなかに怪我をする人まで現れ、救急車までが呼ばれると云うおまけつきである。熱しやすく冷めやすいのは日本人のお家芸とは云え、私の目に今回の現象は異様に映った。一体何が原因でこれほどの爆発的な熱狂を日本人に引き起こしたのだろうか。

 

 今回はあのトリノオリンピックの時とは、比較にならないほどに事前のマスコミの注目度は低かった。一次リーグで日本の属するA組の顔ぶれやその全試合が東京ドームで行なわれることすら、知らない人が多かったのではないだろうか。私はほとんど関心がなかったと云ってよい。ヤンキースの松井秀喜選手やホワイトソックスの井口資仁選手が日本代表を辞退したと云ったニュースは耳に入っていたが、プロたる者、本シーズンに全精力を尽くすのは当然と軽くその件も受け流していた。そして、日本のプロ野球界の選手出場に対する協力姿勢も冷たかったように記憶している。こちらも球春を間近に控えたこの時期の世界大会に素直に賛同できなかったのだろうし、シーズンでの優勝を狙うのがチームを任せられた監督の責任であり、オーナーの望むところであるのは当然であり、そのことに目くじらを立てる気も勿論、起きなかった。しかし、そうした私ですらWBCが始まり大会のルールもよく分からぬなかで、一次リーグで韓国戦に惜敗したあたりから何となくこの大会が気になり出した。ただ、米国での二次リーグに入ってからも緒戦の米国戦の日程すら直ぐには頭に浮かばない程度で、14日のニュースで米国戦に敗戦したことを知った。

 

そして、ボブ・デービッドソンと云う主審の西岡選手のタッチアッププレーでの大誤審の判定を知った。TVで繰り返し放映される「何事も米国のジャッジ、ルールが正しいのだ」と云わんばかりの傲慢な顔つき、典型的なアングロサクソンの顔をした男にこのWBCの本質とは一体、何なのかとの思いに駆られるとともに、変な話し、逆に猛烈な興味が湧き出てきたのである。後は一気呵成?のTV観戦である。16日の韓国戦。イチロー選手は一次リーグにおいて韓国戦で敗れた際、「屈辱的」とコメントしたが、まさかの再度の敗戦であった。ロッカールームでずいぶん荒れたと云う。何故、日本人には珍しいクールで誇り高いアスリートがこれほどまでに熱い言辞を吐き、感情を露わにしたのか不思議に感じた。そして、メキシコの米国戦における奇跡の勝利。決勝トーナメント進出が決まった。この時点で日本人の耳目を集める条件と環境が完璧に整った。

 

準決勝の相手はまたもや韓国。この大会のルールは一体全体どうなっているのか、怪訝に思った日本人が多かったはずである。最低、決勝リーグでは二次リーグで戦っていない組のチームと当たらせるのが、常識的な組み合わせであろう。後日、米国はメジャーリーガーで構成されたドミニカと決勝戦までは当たらない組み合わせで大会の運営を考えたと一部で報道されたが、あのボブ・デービッドソンの顔を思い浮かべてその推論は外れていないのだと頷いた。

 

ところで、イチローが熱い言辞でアピールし、試合の消化につれメディアの報道も徐々に熱を帯びて来た経過を冷静に思い起こしてみた。最後に王監督の劇的な胴上げで締めくくられたWBCに対する一連の国民の反応、メディアの報道を時系列で振り返って見て、あることに気づき、そして背筋に悪寒が走るような気分に陥った。戦後、日本人にはポッカリと心に空ろな穴が開いたまま、その穴は徐々に広げられてきた。そうした虚しさと背骨のない国という諦念のようなものを覚えながら、この国は国際社会の激動の大海を漂流してきた。その心の飢餓状態のなかで、今回のようなマグマは突然、猛々しく噴き上げる。常に角突き合わす韓国との因縁試合。ボブ・デービッドソンの米国こそ正義と強弁する大誤審。一度は諦めた決勝リーグへの奇跡の進出。いやがおうにも愛国心に火がつく。

こうした劇的かつ巧妙な脚本は勿論、意図的に作られた訳ではない。たまたま、こうしたことが偶然に合わさって起きたに過ぎない。しかし、この舞台設定が整った時に、一挙に愛国心というか、日本人のアイデンティティーと云おうか、日本国民は暴力的なほどの熱いマグマに襲われ、最高瞬間視聴率56%と云う化け物を生み出した。このことは、戦前、知らず知らずにファッショの波に浸食されていき、ある条件が整った時に一挙に愛国心が鼓舞され、その勢いのまま戦争の渦の中に突っ込んでいった舞台設定と酷似しているのではないか、そんな薄ら寒い、肌が粟立つような嫌悪感に私は襲われたのである。ファッショとは揮発性のガスが徐々に大気中に充満していき、ある偶然の出来事からショートした火花で点火され、大爆発を起こす。

 

WBCというたかが野球大会に対する私を含めた国民の感情の移ろいを振り返って、いつの世も社会の底には、隙あらば地表に、時代の表舞台に噴き出そうとしているどす黒いマグマが燻り続けているのだと改めて気づかされた。そして私は、時代を見る冷静な眼を持つ緊張感と冷徹さを常に忘れずに、身に備えていなければとの思いを今更ながら強くした。