「靖国合祀中止訴訟にかかる韓国人遺族の請求棄却の理不尽」

 

東京地裁は25日、第二次世界大戦中に旧日本軍に徴用された韓国人の元軍人・軍属や遺族414人が「日本の英霊として靖国神社にまつられ、被害者としての人格権を侵害された」などとして、合祀(ごうし)中止や計約44億円の賠償を国などに求めた訴訟で、原告の請求を棄却した。(毎日新聞)

 

さらに、占領国たる日本政府により強制徴兵され、派遣先の中国広西省で戦病死、昭和34年に日本人名で靖国神社に合祀された父上を持つ原告のお一人、李煕子(イヒジャ)さん(63)は、訴訟と並行して靖国神社へ七回も足を運ばれ、合祀中止を求め続けてこられた。そして、その度に靖国神社側から断られているという。

 

本人・遺族が望みも、頼みもせぬのに勝手に神社側が神として祀ったものを、遺族がその事実を知り、「止めてくれ」と要求した。それを拒絶する権利が靖国神社にある理屈は何か?そんなもの、屁理屈すらないのは、当り前のことではないか。当事者の意向がないものを勝手に祀っておいて、それを外してくれと言ってきたら、「それは出来ぬ」と・・・。

 

これはまるで、何か時代劇の悪代官か悪徳御用商人が吐くセリフのようで、この平成の御世に現実に行なわれている光景とはとても思えぬし、こんな理不尽が許されて良いわけがない。また、その解決を原告たる韓国人が、日本の司法の場に求めたことは、きわめて冷静でかつ良心的な行為であると言える。

それに対しての本日の請求棄却(原告の全面敗訴)は、日本の法曹界の良心・客観的公平性の面で重大な危機が訪れていると考えるしかない。また、そうした非常識で不見識な司法官を日中、大手を振って闊歩させているこの国の一員として、恥ずかしく、申しわけなく思わざるを得ない。そして、こんなことで、本気で先の大戦を起こしたことを反省しているのか。答えは、全く反省はしていないのだとやっぱり思わざるを得ない。

 

おそらくA級戦犯の分祀問題に波及したら大問題として、靖国神社は組織防衛のために個人の尊厳である死後の祀りを「私(ワタクシ)している」としか思えぬ。その行為は断じて許されるべきものではない。このようなことは論ずるまでもない。当然、民間の宗教法人である靖国神社は、個人の信教の自由を束縛または誘導する権利など有しもしないし、そのようなことなどあってはならないからである。

 

加えて、本日の地裁判決で国に責任はないとするのであれば、合祀を無断で行なった靖国神社に、「肉親を自らの信教の自由で祀ることを排斥・拒絶した」責任があるということになる。日本は政教分離の国家である。国はA級戦犯の分祀を靖国神社に命じることが出来ぬという建て付けになっている。だとしたら本件は靖国神社が、自らの意志で(でなければ司法の裁きにより)、即刻、この原告の要求を実施すべきであろう。個人の信教の自由を無視し、妨害してきた責任は国ではなく靖国神社という一民間宗教法人にあるというのだから。