心身障害者扶養年金の一方的廃止に福祉行政の本質を問う
8月14日、自宅に東京都の福祉保健局より一通の封書が届けられた。中身は、障害者扶養年金制度が財政的破綻に直面し、廃止せざるを得ないということで、審議会で中間報告をまとめたことを知らせるものであった。そして、年金加入者に対し、審議会の制度廃止の方向での中間案について意見を伺うという体裁であった。平成18年5月12日から東京都心身障害者扶養年金審議会を開催し、知事から諮問を受け「東京都心身障害者扶養年金制度の社会的役割の変化を踏まえた今後のあり方」について、議論を重ねてきたとのこと。
しかし、中間報告までに(と言ってもこれまでの審議会のあり方からすれば、制度廃止がほぼ最終結論であることは、ほぼ確実)、たった3ヶ月の議論(審議会開催4回。総審議時間は僅かに4時間58分)である。この手続き自体が、「利用者・障害者の方々の意見は広く聞きました」と、申し開きするための行政のアリバイ作りと云われても仕方あるまい。障害者の立場に立った障害者の財政基盤確立の議論が、親身になされたか東京都(在宅福祉課)のHPで開示されている議事録を読む限り素直に頷くことは出来ない。
わたしはこの身勝手な行政の、障害者とその関係者に対する冷淡かつ無責任な対応に怒りと憤りを覚えた。もちろん、ただこうして怒ってばかりでは行政の思う壺である。「ご意見は拝聴したが、この財政難の折、制度廃止は止むを得ない。加入者からも大きな反対の声は届いていない」と、ご意見〆切の9月8日以降の審議会で、都庁の役人が委員にこう説明する姿が目に浮かんでくる。
この無責任で冷酷な行政の責任は、誰が、どうとるのか、そして生活保護者よりも少ない障害年金額しかもらえぬ障害者にささやかでも金額の上乗せをと願って、この扶養年金制度に入り20年間にわたり掛け金を払いつづけてきた親の立場から、しっかりとした行政の答えを引き出すべく、意見書をしたためようと思う。
そもそも、この年金制度は昭和44年から「東京都心身障害者扶養年金条例」を根拠法としてスタートしたものである。それから37年の月日がたち、財政的に立ち行かぬということで、廃止せざるを得ないとの中間報告がまとめられた。報告書にある「扶養年金制度(東京都は、加入者=親が亡くなれば、障害者に対し月3万円(全国ベースは2万円)の年金支給。都はその分、掛け金が高い)の果たしている役割は、障害者施策全体の中で相対的に小さくなっており」とは、誰が云った言葉か? 先に言ったように、障害者(特に知的・精神)は一般企業への就労の道がほとんど閉ざされ、収入の道がない。親なき後、わたしの子供を初めとした(知的)障害者たちは、どうやって生きていけばよいのだろうか。
報告書に云う「障害者施策全体のなかでこの扶養年金制度の役割が相対的に小さくなっている」との文脈は、生活を保障する障害者施策全体が充実してきて、こうしたサポートの必要性が低まったとの認識をベースにしている。昭和61年創設の障害基礎年金などのことを言っているのであろうが、その年金額は私の子の場合(愛の手帳3度)で月6.6万円(基礎年金20歳から支給開始)と東京とから別途1.5万円の育成手当てで、年間で96万円にも満たない。
これで、他に収入を得る術のない(現在授産施設で月一万円の工賃のみが娘の収入)障害者が、憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」で保障されている最低限の生活をどうやって営むことが出来るのか。
ただでさえ、この4月からの障害者自立支援法の施行により、応益負担と称し授産施設(作業所)へ通うにあたっても(福祉サービスを受ける)施設利用料として上限3万7千円を限度として支払うことになった。従来よりも金銭負担が増大するという障害者を取り巻く厳しい時代環境を、審議会の委員はどうして「障害者施策全体のなかでこの扶養年金制度の役割が相対的に小さくなっている」と、判断できたのか。自立支援法が今、福祉の世界で大きな問題になっていることを、まさか知らないような方々が審議委員などをなさっているわけではなかろう。「親亡き後」の生活保障の一助として、「政策」として導入された「扶養年金制度」のはずである。福祉政策を審議するというより、保険制度諮問委員会の様相を体した審議会の姿に、現状の行政の福祉に対する取り組み姿勢、本質を見たような気がする。
「親亡き後」の障害者の生活をこの国、そして直接の行政責任者たる自治体である東京都はどう担保するつもりなのであろうか。
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