古都散策−−葛城古道
標高960メートルの葛城山のロープーウェイで6分ほど登ると、頂上の少し手前までゆける。以前より雄略天皇がその山中で一言主神(ヒトコトヌシノカミ)に出会ったと云う霊山に登ってみたいと思っていた。そして、そこから大和盆地を見下ろすとどういう光景が眼前に展開するのかを確かめたかったのである。
葛城山から大和三山 ロープーウェイから葛城山
葛城山から大和盆地は一望に収められる。その意味で意外と小さな盆地ともいえるし、しかしその盆地で古代国家が繁栄したと思うと、その大きさは単純に物理的感覚だけで捉えてはいけないのかとも感じた。現に視界の右手には盆地の突き当たりに立ちはだかるようにして吉野の山並みの緑が深まっていく。
一言主神社石碑 一言主神社拝殿 境内の土蜘蛛塚
一言主境内の大銀杏 無患子(ムクロジ)の樹
あまりに素朴で簡素な村の鎮守様のようなたたずまいに、かえってこの神社の格式の高さを感じ取った。大和の王がひれ伏した神が、こういう形の祀り方であっても今の世まで命を永らえてきたことに、先祖の人々の厚い信仰心と、簡単には時の権力には屈しない民衆の雑草のような生命力を見たような気がした。
そのあと、長柄(ナガエ)神社へ向った。天武天皇がそこで日本で始めての「流鏑馬(ヤブサメ)」を催した場所と言われている。流鏑馬をやったくらいだから大きな境内があると思ったが、本当に猫の額ほどの場所が拝殿前にあるだけの小さな小さな神社であった。往古は当然大きな参道、境内を擁していたに違いない。訪れる人もなく静かな時間の流れが境内を支配していた。
長柄神社 境内の苔むした狛犬 高天原迷い道
それから金剛山の麓を少し登ったところの高天彦(タカマヒコ)神社を訪ねた。大和王朝の前の王であった葛城族の氏神を祀った神社である。この脇から高千穂とは異なる高天原(タカマガハラ)に登れるが、途中まで行ったが道に迷い、辿りつけなかった。残念であるが、一言主がもう一度ゆっくり来いといってくれたような気がしたから不思議である。
高天彦神社参道 高天彦神社 説明看板
最後に高鴨(タカカモ)神社を訪れた。京都の上加茂神社、下鴨神社や全国の鴨社のここが発祥の地である。ひなびたところにゆったりといかにも悠然として高鴨神社はあった。参道左手に広がる池には神社の象徴である鴨(カム=神)が泳いでいた。水面にしずかに広がっていく波紋が、往古から連綿とつづく悠久の時の流れを伝えてくれるように思えた・・・。
階段から高鴨神社拝殿 拝殿の大太鼓 拝殿正面
拝殿から池 波紋をわずかに描き・・ 高鴨神社参道を
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