広島平和記念資料館を訪ねる=原子力平和利用の国民的議論を(2011.3.31)


浦上天主堂側壁の被爆再現模型


1945年8月9日11時2分で止まった掛け時計
 

 

 たぶん、この資料館を訪ねたのは、今を去ること四十数年前の中学生の頃ではなかっただろうか。被爆した展示物の数々が多感な少年の心に原爆の残酷さを深く刻み込んだことは想像に難くない。

 


巨大な長崎型原爆ファットマン模型 

 

 30004000度の熱線により投影された人影が残る一片のコンクリート壁、ガラス瓶と人間の手が一緒に溶融した奇怪なガラス塊の姿は、これまで幾度も鮮明に目蓋に浮かんできた。

 


板塀に熱線で投影された梯子と人影
 

 

 今回、訪れた資料館は半世紀前とは打って変わって、ドーム状の近代的な建築物に変貌を遂げていた。1996年に原爆被爆50周年記念事業として、それまで被爆資料を展示していた長崎国際文化会館を建て替えたものだという。昔の、たしか三階建てくらいの簡素なコンクリート造りの建物とは大きく異なる、芸術的な建造物に様変わりしていた。

 


  

ドーム状の原爆資料館


資料館入口 

 

 それは、その後の日本社会の平和と繁栄を象徴したものなのだろうか。死者73,884人、負傷者74,909人、原爆の被害を受けた人120,820人(半径4km以内の全焼、全壊の世帯人数)〔1950年 長崎市原爆資料保存委員会調査〕という人類史上でも稀な大量殺戮の悲劇を語るには、どこか美しく整い過ぎているようで、私は違和感を禁じ得なかった。半世紀前の建物の方が原爆の残虐さ、非道さが、憤りとともに荒々しくストレートに伝わって来るように感じられたのだ。

 

 ただ、国際社会へ訴える力やプレゼンテーションの力がかつてより増していることは今回、強く感じたところである。

 

ひとつは展示側の工夫である。核兵器の悲惨さを伝える被爆者の方々のビデオコーナーや展示物の英語やハングル、中国語の説明板も丁寧で、核兵器使用による悲惨さを二度と繰り返すなという強いメッセージは十分に内外の見学者の心に届いてくる。

 


英語・中国語・ハングル併記の説明板


頭蓋骨が溶けて付着した鉄カブト 

 

二つ目は海外の見学者の核兵器に対する意識の高まりである。被爆者が語る英語テロップの流れる映像の前で、欧米の若者たちが長い間、熱心に立ちつくす姿は印象的であったし、展示物の英語説明板を食い入るように見つめる若者たちの横顔は真剣そのものであった。

 


 

展示物や説明板に熱心に見入る欧米の若者


被爆者の証言ビデオをじっと見詰める欧米の若者たち 

 

 

被爆した遺物のなかには、あまりの残虐さや悲惨さから展示を控えざるを得ず、倉庫に収納されたままのものも多いという。

 


黒こげとなった少年(掲示写真) 



原爆投下翌日の煙の昇る長崎


原爆の威力を視察するために造られた米軍飛行場(右の斜めの矩形)
(真中右上から左下に真っ直ぐの筋は国鉄の線路跡)
(その左手の稲妻型に白いのが国道跡) 

 

 

 我々はそうしたことも念頭において、この資料館の語り継ぐ声に耳を澄ませ、訴えかける心に自らの心を共鳴させなければならないと、あらためて感じた。

 


人間の手の骨とガラスが高熱のためくっついている 

 

 半世紀前に衝撃を受けたガラス瓶と人間の手が溶融された塊は、今回、目にすることはなかった。しかし、誰の指であろうか、その骨がへばりついたガラス瓶の塊が、半世紀後の私を待っていた。言葉を語らぬそうした遺物の姿は、逆に私に声にならぬ衝撃を与えた。こうした類の遺物は4千度の地獄の世界では当たり前の出来事なのだと、言葉で「平和、平和」、「非核三原則」と叫ぶ我々に、「平和の覚悟」の意味を問い掛けているようにも思えた。

 


熔けてくっついたガラス瓶


熱線を受けた神社の玉石・爆風の方向で焦げ方が異なる


一瞬の熱線で溶けて泡立つ瓦やコンクリート 

 

 

 

 溶けてグニュグニュになったサイダー瓶が展示されていた。「触ってください」と、説明板に書いてある。私はそっとそのガラスに指を触れた。数千度という想像を絶する熱線の世界にあったサイダー瓶は、ひんやりと冷たかった。


熔けたサイダー瓶に触る
熔けたサイダー瓶はヒンヤリしていた・・・

 

「つらかったね・・・」と、私は指で何度も撫でながら、心の中でそっと呟いていた。

 

 そして、サイダー瓶の輪郭が、じんわりとぼやけて見えてきた・・・。

 

 資料館を出た。

 


資料館の頭上には青空が・・・ 

 

 上空には原爆投下の194589日のように青空が広がり、ギラギラした夏の日差しが鋭く私の肌を刺した。

 


平和祈念像

天を指す右手は原爆の怖さを示し、水平に伸ばす左手は平和を願う


被爆者の鎮魂を祈る折鶴の塔 

 

 

黙祷!

 

また最後になったが、当ブログにて館内で撮影した展示物の写真を掲載した。入場受付でその旨申し出て、住所、氏名を記載のうえ撮影許可の腕章を腕に巻いて入れば、自由に撮影が可能である。こうした運営上の姿勢もより多くの人々に原爆の悲惨さを語ってもらいたい、伝えてもらいたいとの長崎市民の気持ちの表れであり、大切なことだと感じ入った次第である。