長野県伊那市高遠町西高遠1632

TEL 0265-94-2018

営業時間 11001430 17001900

休み 不定休

高遠そば・入野屋
入野屋入口

“高遠そば”は「つゆ」に特色を持ち、一味も二味も違う蕎麦が楽しめる。この”高遠そば”を秋から春にかけての期間限定で食べれる入野屋は、日露戦争が終わった翌年の明治39年創業の老舗である。

その独特のつけ汁とは、辛味大根をおろした絞り汁に囲炉裏で焼いた味噌を溶き入れた「辛つゆ」と呼ばれるものである。

店内

高遠の藩主であった保科正之(三代将軍家光の異母弟)は蕎麦好きで有名であったという。涼しい気候と水はけがよく(保水力がない)やせた土地の高遠は一般的な農業には適さぬ地域であった。しかしその欠点が蕎麦の栽培には逆に好条件となり、蕎麦栽培が奨励されることとなった。

高遠そば

ただ保科正之が高遠藩主であった(1631-1636)江戸初期の頃は、つけ汁の主たる調味料である醤油がまだ一般的調味料として使用されることはなかった。しかも貴重であった醤油も“たまり醤油”といわれるものが主流で、現在の濃い口醤油や薄口醤油が考案されたのは1640年代から1660年代と言われている。 


そういうことで、その頃この高遠で蕎麦をおいしく食べるために工夫されたのが、辛味大根のおろし汁と味噌でつくった“辛つゆ”というわけである。   

焼き味噌とネギ

辛味大根をおろした絞り汁

辛つゆ
辛つゆ

この食べ方が当時、どれだけ珍重されたかは、保科正之が転封された会津の地において現在もその辛つゆ蕎麦が食文化として残っていることでもよくわかる。実際に、江戸時代の宿場町が残る会津・大内宿の“三澤屋”などが大根おろし汁の蕎麦を“高遠そば”と呼んで食べさせている。とくに三澤屋は長ネギを箸代わりに使って蕎麦を食べさせることで有名となっている。

 そして驚くことに、”高遠そば”という呼び名はそもそも会津地方でそう呼ばれていたもので、今から約20年ほど前に高遠のライオンズクラブの方々が会津を訪れた際に初めて知ったのだそうだ。だから”高遠そば”という名称は350年の時を経て、その発祥地の高遠で”辛つゆ”で食べていた蕎麦に冠されるようになったという奇しき因縁をもつ名前なのである。

 それまでの高遠では、蕎麦は”そば”で、辛味大根のおろし汁を使ったつゆを”辛つゆ”と呼んでいただけで、食文化や言葉の伝播(でんぱ)を考える意味でも、非常に面白い、興味ある話である。

大内宿
会津・大内宿(2010.11.4撮影)
高遠そばを食べさせる大黒屋
大内宿の高遠そば・三澤屋
長ネギで高遠そばを食べさせるので有名な三澤屋


 当日(1116日)、高遠では秋の味覚である“天然きのこおろし”ともちろんお目当ての“高遠そば”を注文した。きのこおろしは、家内と仲良くシェアをした。結構、一人では量が多いので、注文される場合は腹具合と相談された方が賢明である。

 この”天然きのこおろし”という食べ方も実は会津地方に伝播しており、それを会津では「きのこのたかどおろす」と呼び親しんでいる。遠く高遠から伝わった辛味大根(会津では”あざき大根”と呼ぶ)のことを日常的には、「たかど」と呼んでいるそうである。高遠と会津には庶民の食文化の継承を通じて、「たかど」が「高遠」の意味だったことなど、深い深い関係があったことを知らされたのである。

天然きのこおろし
焼き味噌と辛味大根をおろした絞り汁
結構な量の焼き味噌

写真で分かるように、焼き味噌とネギがかなりの量が出て来る。これを「全部、絞り汁に入れて混ぜて食べてください」と店員さんに言われたので、指示通りにつけ汁を作り、おそるおそる蕎麦をつけて口へ運んだ。 

「美味である」

「珍味である」

「痛快である」

そして・・・、Good Taste!であった。  

入野屋さん、ごちそうさまでした・・・

天然きのこおろしも、同様に秋の味覚満載で、見事であった。ちょっと遅めの時間帯だったが、おかげで家内と二人だけのディスカバー・ランチをEnjoyできた穏やかな秋のひと時(アップが遅くなり過ぎて、スンマセン!!)であった。