自公連立による「教育基本法改正案」の限界

 

 与党の教育基本法改正検討会の大島理森座長は十二日の会合で、自民、公明両党間で対立していた「愛国心」の表現について、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とする座長案を提示、了承を得た。文部科学省は直ちに法案化作業に入り、月内にも国会に同法改正案を提出する。(産経新聞4.13

 

 「愛国心」の表現をめぐって公明党は「戦前の国家主義を連想させる」として、改正基本法から「愛国心」の言葉を外すよう抵抗を続けてきた。その結果、上記のような法案文となったとことである。愛国心の「心」という言葉も「態度」と変更された。「心」でなく「態度」であれば「内心の自由、心の問題に踏み込まない」のだと公明党は主張したと云う。

 

 いやぁ、何をか言わんやである!ここで言葉遊びをする気はないが、人の行動・態度とは意思すなわち心の動きが外的な形で顕れたものである。態度という言葉であれば心の問題に踏み込まないから大丈夫というのであれば、態度・人の行為は一体、何がなさしめるのであろうか。神がなさしめるとでも云いたいのであろうか。

 

 国を愛する心を持つこと自体、本来、健康な国民としては自然な感情の発露であるはずである。健全な精神を持つ国民を育てるにおいて、「国を愛する心」を教えることが何故、おかしいのか私にはわからない。「愛国心」=「軍国主義」というドグマの桎梏からはこの国もそろそろ卒業すべきである。世界中でどこを見たら、国を愛することを教育で教えることはおかしいなどと叫ぶ国があろうか。国を愛することはすなわち家族を愛することであり、友人、隣人を愛することに等しい。世界中で国を愛する心を育てることに逡巡する国などない。

 

 この国はもうそろそろ軍国主義の呪縛から解き放たれるべきである。徒に軍国主義の影に脅え、健全な精神、心を育む気持ちを社会や大人たちが、積極的に表に打ち出し、主張することを躊躇うべきでない。本当に軍国主義の台頭を懸念するのであれば、健全な心を育て、その純粋な目で社会情勢を検証、分析する力を子供たち、いや大人たちにもつけさせることこそ、最も大切な対策であると考える。健全な心で権力をチェックする力が国民にあれば自らを軍国主義という暗黒のブラックホールに放り出すようなことはしない。そして健全な心こそ「国を愛する心」の宿る普遍の精神であるのだと私は考える。

 

 そう云った意味で、今回の教育基本法改正案の「愛国心」の取扱いについては、もっと素直に、健全な精神で普遍的議論を進めていくべきものであったと悔やまれ、残念でならない。小沢一郎民主党がどうこの改正教育基本法に挑むのか見ものである。