前政権党の自民党の組んだ2009年度補正予算の切り込みが、まさにいま胸突き八丁のところにある。この6日、政府はその削減額の一次集計数字を公表した。補正予算総額14兆6630億円に対し、執行停止がかけられたのは2兆5169億円であった。17.2%の切り込みである。これまでの政治手法、利権構造からすると、各省庁が分捕った予算を返上することなど考えられないことであった。その意味でも無駄をなくす政治の大きな第一歩が踏み出されたのだと、政権交代の意義を実感する。
この一次集計の削減率17.2%という数字は、これまでの自民党政治を前提とすれば、とてつもなく大きいものだと言えるが、民主党のいう新規政策の財源目標である3兆円にはまだ足りない数字であることも明らかである。
再度の積み上げに必死に努める国政の大きな変革の動きを好感する一方で、正直者が損をする社会にしてはならぬというそんな事例を目にしたので、ここに怒りとともに告発することとする。
それは中央の補助金行政にタカル、これまでの意識を変えられぬ地方自治体の実態である。国の財政危機の実情を知りながら、相変わらず土建国家の利権構造にどっぷりとつかり、箱もの行政を姑息に遂行する地方自治体が今なお存在することである。無駄をなくす政治の貫徹には、ひとつひとつの地方自治体もこれまでの意識を根本から変えてゆかねばならぬことは言うまでもない。
しかし、ここに紹介する事例はその真逆の行政行為であり、地方議会の実態である。
日野市の広報「ひの」(10/1付)の一面に「平成23年度完成に向けて(仮称)市民の森ふれあいホールの建設に着手」というヘッドラインで、建設費約25億円の箱もの着工が謳われている。そのなかで建設費「約25億円」の調達について「国や都などの補助金約12億円、基金(預金)約3億円、起債その他約10億円」と記載されている。国が補助金削減に躍起になっている最中の出来事である。
この箱ものは平成20年12月に「昨今の経済不況の影響から、法人市民税等の減収が見込まれるため、20年度に予定していた建設工事発注を取りやめ、休止を決定」と建設休止宣言が行なわれていた事案であった。それを市の行政側は「市税収の落ち込みは変わらず、補助金の見通しは未だはっきりせず、景気動向についても厳しいまま」と財政窮乏の現状を語りながらも、「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」と答弁し、議会最終日の9月28日に建設着工を与党賛成多数で可決したという。それも議案上程期限直前に市長が突然に提案、わずか数時間の議論がなされただけである。(「」内の引用等は大高哲史日野市議会議員の市政報告冊子No178より参照)。
この「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」という行政側の答弁にこそ、そして強行採決にも似た議会運営で可決した「箱もの行政」にこそ、今の日本の地方自治体の実態が表れていると言える。地方自治体すなわち、地方議会・与党議員の意識改革は、国政が大きな変革の波の中にあるというのに、なんら旧来の意識を変えようとしていない、そう思えるのである。もちろん、変革を標榜する首長を戴く自治体が職員の意識変革をはじめ、「チェンジ」に苦闘している事実はあるが、大概の地方自治体は依然、旧来の思考回路にあるのではないかと、日野市の事例を見て思わざるを得ない。
そしてこうした無駄な公共事業が監視の目をかいくぐり強行される一方で、削られた予算の中に、国民の命にかかわるものも含まれていることを知ると、正直者が損をするというか、公平な社会に早くしなければならぬという思いを強くしたのである。
例えば優先すべき公共事業とは、9日に執行停止された阪和自動車道御坊IC―南紀田辺IC間(27キロ)の4車線化である。現在、この御坊―南紀田辺間は上下2車線での暫定供用で、対面通行の中央線上にはポールが立つだけで、正面衝突など3件の死亡事故が発生しているという。補正予算規模は745億円と先の日野市の25億円とは大きく隔たりのある大規模工事であるが、本当に必要な公共工事はもちろんのことだが、今後も実施すべきであることは言を俟たない。
だからこそ、この4車線事業化の執行が停止された田辺市(和歌山県)がある一方で、姑息に「補助金」目当てに不要不急の箱もの建設を急いだ日野市のような地方政治がいまだ跋扈していることが許せぬのである。
国政を変革するには、まず、国民自身が日々の生活を営む社会基盤である共同体の政治を変えなければならぬ。それがなくて、「地方分権」などという大層な歴史的大事業の成就などとても覚束ない。その意味で地方選挙への国民の投票行動、投票率の低さは問題と言わざるを得ない。まず、投票所へ足を運び、地方自治の主権者たる自分の意見を投票という行為で表すことが、この国を本当に変革してゆく大事な一歩であり、地に足の着いた「チェンジ」への一歩なのだとわれわれ自身が再度、自覚する必要がある。革命は「地方」から「中央」へ。これは、これまでのわが国の、いや世界の歴史が示してきたことである。