荒川静香選手フィギュアー金メダル万歳!
荒川選手の演技は見事であった。素人目にもロシアのスルツカヤ、米国のコーエンと較べて、荒川選手の滑りは美しく優美に見えた。フィギュアースケートと云えば、夏季オリンピックで云う陸上100メートル競走にあたる競技の最大演目、注目競技である。その花形競技で堂々とした演技で金メダルを手にした。二月十日に開会したトリノオリンピックだが、この2週間ほどの鬱屈した気分が一挙に吹き飛んだ。
日本のメディアが視聴率獲得という報道の使命から外れた目的の為に、事前に垂れ流されたメダル期待の報道の嵐には辟易としたが、開会後、その無節操な事前報道が確かな情報分析に基づかぬ「視聴率」の「為にする」報道であったため、開幕後の国民のしらけ方は尋常ではなかった。今後、こうした報道は全て眉唾、メディアが唾棄してきた大本営発表と寸分違わぬ報道姿勢であったことを我々は今回、目の当たりにした。今後、この点は充分肝に銘ずべきところであろう。
NYTimesでは、抑々、日本のメダル獲得はスピードスケート500メートルとフィギュアーの銅メダル二つとの予想があったが、自国には甘くなるとはいえ、確実な情報分析もせずに悪戯に期待感だけを煽る日本の報道機関のはしゃぎ過ぎは目に余るものがあった。報道とは何か、彼らが何かと云うと振りかざす「国民の知る権利」とは何かを考えるべき時期に来ていると、今回のオリンピック報道を見ていて本気で思わずにいられなかった。
まず国民に冷徹なFactを知らせて欲しい。判断は場合によっては国民自身が行う。報道機関に誘導してもらう必要はこれっぽちも思っていない。
ただ、そうした下らぬメディアの報道とは関係なく、この金メダルは素直にうれしい。荒川選手にありがとうと云いたい。恵まれた素質だけでは駄目で、やり続ける意志力の強さとたゆまぬ努力があれば世界のトップの座につけることを今の日本人に彼女は教えてくれた。どんな報道の言葉より、表彰台に立った彼女の笑顔こそがそのことを我々に強烈に伝えてくれた。