此の度、ようやく念願かなって蘆山寺の桔梗を鑑賞できたが、そのほかにも京都には花をたのしむ神社・仏閣がたくさんある。
そこで、ここでは花の寺社めぐりを紹介しよう。季節は2年前のやはり6月。家内とともに京都の花めぐりをした際のものである。
まず平安神宮である。
平安神宮は東西に池がめぐらされている。東が東神苑といい、泰平閣(橋殿)で有名である。
西が西神苑である。
6月は花しょうぶなどが美しくこの神苑を彩る。
その水辺の河骨、睡蓮、花しょうぶの花の競演は見事である。
睡蓮が咲く。
河骨もまだ多くはないが、緑の葉のなかから黄色の花をいくつかのぞかせていた。
河骨の花はどこか印象的であり、一度見たら忘れない花である。
次いで、花の寺あるいは蓮の寺の名で有名な法金剛院である。
ここは蓮がとくに有名だが、6月なので、沙羅双樹と菩提樹の花が見られるはずと、家内の強い希望で訪れた。
平家物語の書き出し部分のあのあまりに有名な条(くだり)。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
沙羅の木の高みに花芯が黄色のくっきりとした白い花、樹下にその花びらが数片、散華しているのを認めた家内はいたくご満悦であった。
もちろん、わたしも、“盛者必衰の理をあらわす花の色”とはいったいどんな花で、どんな色をしているのか興味津々で観察した。
そして、菩提樹の花も見つけた家内は、今日はラッキーと喜色満面であった。
そこで、ちょっと薀蓄を・・・
釈迦が亡くなったのは“沙羅双樹”の下であるが、わが国では“夏椿”を間違って、沙羅双樹と呼んでいるそうである。だから、インドの沙羅双樹は法金剛院のものとはまったく別物ということだそうだ。
ただ、平家物語に謳われている沙羅双樹はまさにこの“夏椿”のことなのだから、日本人の感性でいう盛者必衰をイメージさせるのは、まさにこの花の色なのである。
さらに云えば、釈迦が悟りを開いたのは“菩提樹”の木の下ということだが、これも正しくは“インド菩提樹”の下であるとのこと。
これもわが国では、“菩提樹”を“インド菩提樹”と混同しているのだそうだ。
だから、この法金剛院の菩提樹の下に坐っていても凡人はなおさらに悟りなど開けぬということになる。
いやぁ、つまらぬ理屈をいって申し訳ない。「本当に無粋なんだから」とつぶやく声がすぐ耳元で聴こえてきそうだ。
法金剛院には“苑池”と呼ばれる平安時代の浄土式庭園が残されており、季節は異なるが蓮の花が水面に咲いたらさぞ美しかろうと思ったものだ。
ただ、この時季、花しょうぶが咲いていて、さすが花の寺と呼ばれるだけあって、花が尽きず、来る者の目を愉しませてくれる。
花しょうぶといえば、洛北の“しょうざん庭園”も訪れる価値はある。此の時はまだ一面というわけではなかったが、静かな園内をゆっくり散策するのもよい。
紅葉の季節などは人出も多かろうが、季節の節目節目で訪れても面白いところである。
あと、以前アップした建仁寺の両足院の半夏生はぜひご覧になるとよい。
これだけの株数の半夏生が植わるのはここだけだという。
いつ見ても、半夏生は不思議な謎めいた植物である。とくに雨がしとしと降っているときの濡れた白い葉と緑の葉のコントラストは何ともいえず清らかで美しい。
最後に、おまけで、蘆山寺の桔梗の花の写真を掲載して、“京の花めぐり”を終了しよう。
二年越しのブログのアップとなったが、前から気になっていた“花めぐりの記”であったので、これでようやく小さな肩の荷を下ろすことができた。