安倍晋三官房長官の総理の資格

 

読売新聞92日「改憲・教育・美しい国・・・安倍氏が出馬表明し政権構想」

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060901it12.htm

 

 安倍晋三官房長官(51)が1日、広島市の広島プリンスホテルで記者会見した。大本命と目される人物が、ついに自民党総裁選(9月8日告示、20日投開票)への立候補を正式に表明し、そして政権構想を発表した。

 

 まだ、「小泉施政5年の総括」の最終章に予定しているジニ係数が0.498H14実績)までに悪化している「格差の固定化」について語り終える前に、安倍氏の総理就任がほぼ、決定を見てしまったようだ。小泉総理の総括を踏まえて次期総理の資格を問おうと思っていたが、福田康夫氏の「立候補せず」の発言により永田町は一挙に、猟官運動の場へと先生方の関心は移ってしまった。まず、ひと言ここで安倍氏について私見を述べておきたい。

 

 国民は次期総理に何を求めるべきか?

 

 いや、われわれ国民がそれを言う前に、国民は何を自民党に対し、新総理に対して望んでいるのかの議論が、本来、総裁選では具体的に議論されるべきである。しかし、今の永田町からは全く聞こえてこない。耳障りのいい言葉と、何となく「よさ気な映像」だけは新聞、TVなどを通じ流れてくる。それは相も変わらず芸能ニュースと政治家の政策論を同列に扱うメディア得意の「お笑い」の乗りで、国民の耳に届くから尚更始末が悪いと言ってよい。

 

 特に安倍氏が立候補を表明してからは、貴種を好むこの国の国民性に媚びるかのように、安倍晋三氏の動向が、際限なく無批判に垂れ流されている。自民党が総裁選を盛り上げようと各地方で行なっている麻生外務大臣、谷垣財務大臣を加えた3候補者による地域ブロック大会をちらっと見たが、討論の中で最も具体性を欠いているのが安倍晋三氏である。抽象論でもよいのだが、国家ビジョンというにしても、ある種のコアになる具体的柱、芯がなければ、国民の心には目指すべき国家のイメージすら浮かんでこない。小泉内閣の過ちを二度と繰り返してはならぬことは当然であり、この5年間で国家の基盤、社会規範をメチャクチャにされた、その修復について具体的項目を挙げて政策論と具体的手順を明示すべきである。

 

 ムードばかり相変わらず先行しているが、現在、この国は五年前の経済危機の時代よりも、「独立国家としての存亡の危機」というもっと重大な危機に直面している。そうした現状認識から総裁選の議論はスタートさせられるべきであろう。その意味で安倍官房長官の政権構想とこれまでの靖国、改憲論を含めた言動には、大きな不安と危惧に加えて頼りなさを覚えざるをえない。国家の舵取りを託すには、その見識や実績を評価するに当たっての材料が余りに少な過ぎるのである。国民が判断しようにも、これまで示された政治的・政策的実績が極端に少なすぎる。熱に浮かされるようにして国家の指導者を選ぶ愚かさと怖さは、既に小泉純一郎氏でこの国民は嫌と言うほど学んだはずである。同じ過ちを犯したくないものと強く感じる。

 

 ただ、若い、何となくソフト、何となくハンサム、何となく品がよさそう、何となく幸せにしてくれそう・・・なだけで、指導者を選ぶような民主主義を体現しているはずの自民党の先生たちであったとしたら・・・。

 

 自民党に将来はないというより、この日本と言う国家に将来はないと言わざるを得ない。その意味で安倍氏にはそうした懸念をぶち破る若い力を発揮し、堅実な政策議論を誠実に積み重ねていくことを強く願って止まない。

 

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