高句麗は375年に仏教を公認。百済には384年に仏教が伝来したと云われ、新羅は両国に遅れること150年ほどたった527年に漸く公認されたという。
ただ、公認を果たした第23代法興王(在位514-540)は律令制の導入など中央集権的統治機構の整備を強力に推し進め、仏教も護国宗教と位置づけられ王権強化の舞台装置としてその影響力を急速に増していくこととなった。
そうした護国宗教のシンボルのひとつとして創建された(528年)のがこの仏国寺であり、当時は華嚴仏国寺、また“法流寺”とも呼ばれていた(因みに日本の“法隆寺”は607年創建と伝えられる)。
そして新羅文化の黄金期である8世紀半ば、第35代景徳王10年(751年)に時の宰相、金大成により大がかりな拡充・整備がなされ、建造物60余棟を擁す現在の10倍もの壮大な規模を誇る大寺院となった。それを機に現在の“仏国寺”と寺号を改めた。
なお先に紹介した石窟庵も金大成による同年の設計・創建となるものである。
その後、高麗、李氏朝鮮王朝時代の“尊儒棄仏”という仏教衰退のなかでもこの仏国寺だけは補修、維持が続けられていたが、1593年の豊臣秀吉による壬辰倭乱、いわゆる文縁の役で全ての木造建築物は焼失したという。ガイドの趙さんの話では、敗色濃い李氏朝鮮の兵がここに逃げ込み、立て籠ったため加藤清正帥いる軍勢が大伽藍共々一網打尽に焼討にしたという。わたしはその時、織田信長が行なったあの凄惨な比叡山焼討のことを思い描いていた。
だから創建時のものとしては石造の多宝塔・釈迦塔や建物の基壇が残っているが、基壇の多くが黒く煤けているのは当時の無残な焦土の痕跡であるという。
その後、1604年(宣祖 37)頃から1805年にかけ四十数回に渡って部分的補修も含め建物の再建がなされてきた。そして1969年の仏国寺復元委員会の下で、ようやく現在、われわれが目にすることのできる“新羅仏教芸術が一堂に会す韓国随一の仏教古刹”・仏国寺が復元された。
それでは、能書きはこれぐらいにして仏国寺の境内へと足を踏み入れることにしよう。仏国寺の伽藍配置は以下の写真の通りであり、ここでの案内は写真を主に説明をすることにする。何しろ当日は雨の中グルグル昇ったり降りたり境内を廻ったため、帰国後に配置図を見て、ああ、ここが○○殿だったんだってな調子でありまして・・・、シュン・・・(;´Д`)
さて、「仏国寺」と書かれた扁額の掛かる“一柱門”をくぐって仏国寺の広大な境内に入る。
まず、般若蓮池に架かるアーチ型の解脱橋を渡る。渡り終わるとすぐ正面に十数段の階段の上に天王門がそびえる。
般若蓮池には回遊式日本庭園にある鶴島のような松が植栽された島がひとつ浮かんでいる。紅葉が始まり雨の中とはいえ見事な景色である。
天王門の両脇には広目天・多門天、持国天・増長天の四天王が参拝者に睨みを利かす。しかし、写真をご覧になって分かるように、日本の四天王よりずいぶんと愛嬌のあるお顔をしている。写真では分かりにくいが、四天王に踏みつけられている小鬼がまた実にかわいくて、ちょっと可哀そうな気がした。
怒髪天を抜く形相の京都・東寺の立体曼陀羅の四天王とその足元に踏みしだかれる憎々しげな鬼の相貌とは似ても似つかぬ心持ちの良さを感じた。
天王門を抜け、小さな般若橋を渡ると正面に紫霞門、左手に極楽殿に通じる安養門を備える寺というよりどこか城塞のような石造りの宏壮な中核部分が聳え立つ。
右手正面の大きな門が大雄殿に向かう紫霞門である。石の階段の下半分を「青雲橋」、 上半分を「白雲橋」と言うのだそうだ。階段をなぜ橋と呼ぶのか不思議であったが、趙さんの解説を聴いて納得。俗世から仏国に渡る橋なのだという。 青雲橋は17段で人間の青年時代、白雲橋は16段で老境へ向かう壮年・老年時代。合計33段は帝釈天が統治する「三十三天」を表すのだそうで、人間は年を取りながらその功徳を積み、これを昇り切って紫霞門をくぐると、そこが仏の世界だというのだ。
大雄殿は日本で云う本堂である。わび、さびの日本の古色蒼然とした寺院と異なり、大雄殿をふくめ各伽藍は極彩色で彩られ、仏の世界の美しさを競っているように見えた。
平等院鳳凰堂の堂内彩色の復元を見たが、まさに仏国寺の各伽藍の華やかさの通りであった。かつての日本の寺院もこのように絢爛豪華であったかと思うと、“わび・さび”の文化が、創建時の彩色に復元する努力を行なわなかった“ズボラ”の産物であったともいえ、何とも白けて来るのも正直なところである。
大雄殿のご本尊は釈迦牟尼仏である。
大雄殿の前庭には東に多宝塔、西に釈迦塔が立つ。どちらも10.4mの高さの石造で創建時(751)のものである。
多宝塔の造作は見れば見るほどその石工の造作は見事の一言につきる。一層目に一頭の獅子が配されているが、もともとは四方に四頭あったという。
大雄殿の真正面に石灯籠が置かれているが、その灯り取りからご本尊の御顔が見える。
これらも東大寺や平等院鳳凰堂などの窓や扉の格子越しにご本尊の尊顔を拝するのに似ている。