秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能
12月3日(火)、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられる“秩父夜祭”を観覧した。
夜祭見学を思い立ったのは、秩父観光協会が設営する桟敷席の抽選予約最終日の10月21日であった。家内と「秩父の夜祭もいいね」などと語り合い、ネットで調べたところ、その日が桟敷席の申込み最終日で、しかもメールにての申込み可というではないか。
午後11時も過ぎた頃とて、家内にも相談せず、まずもって申込み。
それから秩父夜祭のあらまし・歴史を調べ、交通アクセスを調べ・・・と、およそ計画的でない今回の旅の発端であった。
そして、夜祭が深更に及ぶということを知り、日帰りは無理と判断、宿を探しだす。
しかし、一月半前では会場から歩いて戻れる便利な宿はすべていっぱい。こりゃ困ったと、もう少し範囲をひろげてみたところ、“彩の森カントリークラブ”の“秩父夜祭り限定素泊まり宿泊プラン”を発見。ツインキングルーム・朝食付きで25,960円(2人)とちょっと高めだが、ネットですぐ申込む。
問題はその場所が西武秩父駅から車で30分ということ。そこで、最悪、当日は車で秩父へゆき、会場の駐車場へ置いて、祭りの終了後にクラブハウスまで夜道を運転してゆくしかないとの結論に達する。
翌日、クラブハウスへ電話を入れ、会場からのタクシー移動等を相談するも、当日の夜が何時になるか、翌日の行動などを考えるとやはりマイカーでゆくほうが確実で安全と判断。しかもクラブハウスのチェックインは午前零時を過ぎても問題ないとのことで、少々、宿まで遠いものの夜祭を堪能するには仕様がないということで、車利用に決定。
そして、難関の桟敷席二席が当選との連絡が11月1日のメールにて届く。斯様にして秩父夜祭観覧計画はドタバタのうちに進んでいった。
12月3日。秩父夜祭の当日である。
駐車場の確保のため午前6時半に車で自宅を出立。途中、トイレ休憩などとったものの、秩父夜祭会場に用意された“南小グランウンド”へは8時50分には到着、気抜けするほどにガラガラのグラウンドに駐車完了。
ただ、日帰りの秩父夜祭観覧であれば、西武池袋線の特急レッドアロー号など鉄道の利用が便利である。西武池袋線が夜祭にあわせ臨時便を増発している。
さて、秩父夜祭とは何かであるが、第10代崇神天皇(紀:BC97-BC30)の御代に創祀された古社・秩父神社の例大祭にあわせて催される“付けまつり”であるという。
例大祭そのものは太古の昔まで遡ることになるが、この夜祭も江戸寛文年間(1661-72)、今から350年ほど前にはじめられたという長い歴史を有するものである。
例大祭当日の12月3日には、市街地に2基の笠鉾(中近町・下郷町)と4基(宮地町・上町・中町・本町)の屋台が繰出し、賑々しく曳き廻される。
その屋台はただ曳行されるのではなく、秩父神社境内において年当番の町(2014年本町)によって興行される“屋台芝居”や曳行中の屋台上での屋台囃子や屋台踊りといった伝統芸能を演じる動く舞台ともなる。
これらは、「秩父祭の屋台行事と神楽」として、昭和54(1979)年2月3日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
日中は町中をそぞろ歩きながら、屋台曳行や催しを楽しむことになる。
そして秩父の町が宵闇に覆われる午後7時、例大祭の本義である御神行(ごしんこう)が花園の御旅所へ向け
秩父神社を出立する。
その御神幸の行列を盛大にお迎えするのが、羊山公園で午後7時半から打ち上げられる豪壮華麗な花火の数々である。
そして、午後8時頃から御神幸の行列の後に続き6台の笠鉾や屋台が御旅所前の広場へと集結し始め、秩父の夜祭は佳境へと入ってゆくのである。
ここでは、そうした秩父の夜祭の模様を当日の朝から昼、夜と順を追って、レポートすることにする。
さて、われわれはガラガラの南小駐車場へ車を置いてから歩いて、まずは徒歩数分ほどの西武秩父駅へ向かった。
駅前に観光情報館があったので、そこで曳行のルートなど秩父夜祭のパンフレットを入手した。
そこから歩いても10数分の距離なのだが、タクシーで秩父神社最寄りの秩父鉄道・秩父駅へ。
そこから歩いて秩父神社大鳥居前に9時半頃に到着。まだ人出がすごいというというほどではないが、境内から心躍るお囃子の音や祭りの喧噪が聴こえて来る。
境内に入ると、やはり当り前だが人出は多い。屋台が二基見えた。
ひとつが本町屋台である。境内において興行する屋台芝居の当番町である。
もうひとつが中近笠鉾である。
その豪華な彫物を見上げながら、まずは秩父神社へお参りせねばと、拝殿へ向かう。
屋台の集まる広い境内から階段を昇り、神門を抜けると、参詣客はパラパラである。
入ってすぐ右手に当夜御旅所へ御幸される御神輿が置かれていた。ラッキー!!
まずは拝殿にて落ち着いて参拝と、例大祭の準備の整う参道を歩む。
お賽銭をあげ、二礼二拍手一礼。
そして、東側からぐるりと社殿を一周する。
拝殿、本殿ともに見事な彫物が壁を覆い、その豪華さにちょっと驚く。
本殿東側の妻入り上部に、左甚五郎の作と云われる鎖で繋ぎ止められた“つなぎの龍”が見える。
本殿裏の天神地祇社には、この夜の御神行に同行する各町の供物籠が並んでいる。
本殿西側には素晴らしい彫刻が彫られている。
こちらは、日光陽明門の“見ざる言わざる聞かざる”と異なり、“よく見、よく聞いて、よく話そう”という“お元気三猿”が愛嬌たっぷりに参拝客を迎えている。
西側にもうひとつ変わった銀杏の樹がある。乳銀杏という変種で、澱粉が乳のように枝から垂れ下がる様は一
見の価値あり。
それから境内を出ようとしたところ、神楽殿で“神代神楽”が奉奏されていた。この神代神楽も現在三十五座あるのだそうだが、この日は朝から一日かけて12演目が奉納される。
その時刻はちょうど、“八握の劔”に続き、“御神前二本榊の舞”が踊られていた。
そして、秩父神社を出て、いよいよ屋台が曳行されている町中へ出た。
最初に本町交差点へ向かった。すると、上町屋台にぶつかる。
交差点で、高さ6・7m、重さ13トンもの屋台の方向転換を見学できた。いわゆる“ギリ廻し”というものである。
迫力満点である。こうして朝から歩き回り、さすがにお腹も減ってきたということで、朝の観覧はここまでと最寄りのジョナサンへ入って、腹ごしらえをすることとした。