家内が友人と秋川丘陵のハイキングを楽しんできた。
野の花や高山植物をこよなく愛する二人が、道々、撮った写真があるので、この網代・弁天山コースの路傍に健気に咲く春の花に敬意を表し、ここに記録するものとする。
お二人は、小峰ビジターセンターからJR武蔵増戸駅手前の山田大橋辺りまで3時間ほどかけての行程だったそうな・・・。
本来であればもっと短時間のコースだが、立ち止まってはパチリ、歩き出しては道端の花に目が留まりパチリと精確さを期す撮影に、まぁ、それはそれは余念がなかったということのようでありました。
山路はこの季節、ヤマツツジが咲いていたそうで、写真を見ても爽やかな春山のそよ風が伝わってくるようで心地よいことかぎりない。
さて、そんな牧歌的山路も、実は戦国時代、ここに網代城という山城(標高330m)があったという。
もちろん大きな城などではなく、どちらかというと見張りと狼煙場を兼ねた出城のような小さなものであったそうな。そうした城址も廻って、弁天山に着いたんだと・・・。
標高292mという弁天山からの景色は低山のわりになかなか壮大といってよい。サマーランドの観覧車なども見下ろせて気分の良さげな光景である。
弁天山からちょっとゆくと貴志嶋神社の奥宮である弁天洞穴があったという。
そのぽっかり空いた穴のなかに石造の大黒天像や毘沙門天が安置されていて、お二人はちょっと岩をよじ登って撮影をしたそうな。今どきの女性の逞しさや如何に!!
その貴重な写真の大黒天像の背面には“文明九年(1477)・・・正月六日”の紀年銘があるのだそうだ。
その事実から、この山がかなり昔から、貴志嶋神社の存在とも併せ信仰の地であったことがうかがえる。
そして、貴志嶋神社からの下り坂の脇に小さな棚田があったという。
そんな写真を見て、こんな狭隘な場所にも昔の人々は生きる糧を求めて棚田を作ってきたのだと思うと、人間の“生”へのひたむきな姿勢、“生”に正面から立ち向かう敬虔な心が感じ取られるようで、自然と頭が下がって来た。
そして二人は一般道へ出て、山田大橋近くの信州安曇野手打ち蕎麦と銘打つ蕎麦屋・“たか瀬”で昼食休憩をとったのだそうだ。その時、家内からなぜか沖縄の“島らっきょう”の天ぷらがおいしかったとのメールが届いた。写真の添付もなく、謎めいたメールであった。
それからまたビジターセンターへと、一部、一般道を経由して戻っていったという。
そんなことで・・・まぁ・・・のどかな春の一日を野の花を愛でながらのんびりと過ごしたのだそうな、目出度し目出度し・・・。
そして、帰宅後、わたしは家内の撮った花の写真につき説明を受けたわけである。
その際に名前不詳の花もあったが、前世は冒険家であり植物学者でもあったはずとわたしが睨んでいるところの家内の友人から、後刻、精査後の正確な名前がメールされてきたことに鑑み、ここに敬意を表し秋川丘陵“春の植物図鑑”として掲載するものである。