2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!(2016.8.23)
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2014年7月17日、気温35.5度の猛暑のなか、1100余年の歴史を有する祇園祭の目玉のひとつ、山鉾巡行・前祭(さきまつり)を観覧した。
今年からは49年ぶりに後祭(あとまつり)が復活。これまで33基の山鉾が17日に一斉に巡行していたものが、17日の前祭に23基、残り10基が24日の後祭と、2日間に分けての巡行となった。
そもそも祇園祭の本義は、八坂神社のご祭神(素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神)を三基の神輿に遷し、洛中の厄神をかき集めながら御旅所へと向かう神幸祭(17日)と、
その厄神を神泉苑へ流し去った神輿が御旅所から八坂神社へ還る還幸祭(24日)にある。
山鉾巡行は神輿の先触れとして京の町衆が自発的に実施したものであり、本来、神事の外にあるが、美麗に飾りつけられた巡行が八坂神社の祭礼に賑わいと華やかさを添える大きな役割を持つに至ったことから不即不離の関係へと変わっていった。
そういう由来に照らせば、前祭と後祭に巡行が分けられたことの方が、祇園祭本来の姿に立ち戻ったということになる。
その49年ぶりの前祭が復活した祇園祭を、15日の宵々山から18日までの4日間、目一杯、堪能した。
宵山や山鉾建てなどの様子、そして神輿渡御については別稿に譲るとして、ここではまずは祇園祭のハイライトである山鉾巡行について記すことにする。
当日は注連縄切りがよく見える四条麩屋町より少し西に陣取った。7時半に現地到着、すでにその周辺は道路に面した一列目が長く伸びており、何とかわれわれもその一画にスペースを見つけた。
いよいよ午前9時。
四条通り烏丸から “くじ取らず”の長刀鉾を先頭に巡行が四条通りを西へと進んでくる。
そして神域との結界である四条麩屋町角に張られた注連縄の前に長刀鉾が止まる。
四条通りに渡された注連縄を長刀鉾に載った生き稚児が太刀で断ち切る“注連縄切りの儀式”が執り行われる。
今年の生き稚児の大役を務めるのは、まだ愛らしい平井誠人君(9歳)。
この厳かな“注連縄切り”が山鉾巡行の一番のハイライトと云ってもよい。
注連縄が切り落とされた瞬間、沿道の見物客から拍手と歓声が挙がった。
“生き稚児”が結界を破ることでいよいよ山鉾が神の領域に入ってゆく。
我々の目の前を2日の“くじ取り式”で決まった順番で山鉾が曳かれてゆく。
常に先頭をゆく長刀鉾(なぎなたほこ)と5番の函谷鉾(かんこくぼこ)、21番の放下鉾(ほうかぼこ)、22番岩戸山、23番船鉾は、“くじ取らず”といって、巡行の順番は常にその位置となっている。
次々と目の前を過ぎてゆく山鉾を以下、順に紹介する。
2番目が山一番を20年ぶりに引き当てた占出山。占出山の順番が早い年は安産が多いといわれているとのこと。
3番目は芦刈山。
4番目が孟宗山。
5番目は“くじ取らず”の函谷鉾。鉾頭は月に山形。
6番が山伏山。
7番が囃し方を擁する綾傘鉾。
8番は伯牙山。
9番目が菊花の紋様が鉾頭の菊水鉾。
10番目が太子山。山には松の木が取り付けられているが、太子山のみ杉が立てられている。聖徳太子が大杉の霊木で六角堂を建立されたとの六角堂頂法寺の縁起に拠っているという。
11番目が霰(あられ)天神山。小祠と鳥居が飾り物。
12番は人形と鳥居が載る油天神山。
13番は鶏鉾。
14番は木賊(とくさ)山。
15番目が囃し方のいる四条傘鉾。
16番が飾り物の蟷螂(カマキリ)の羽や脚が動き、子供たちに人気の蟷螂(とうろう)山。
17番が鉾の天王が月読尊(つきよみのみこと)の月鉾。
18番が白楽天山。
19番が保昌(ほうしょう)山。
20番が唯一、屋根のある山、郭巨(かくきょ)山。
21番目からが“くじ取らず”になるが、その21番目が放下(ほうか)鉾。
22番が山でありながら形態は鉾と同じ岩戸山。真木として松を立て、高さは15mにおよぶ。
そして、前祭の殿(しんがり)が23番目の船鉾。曳き鉾のなかで唯一、真木がないのが特徴。
巡行は先頭の長刀鉾が眼前を過ぎてからちょうど2時間が経過する炎暑のなかの長丁場であった。
翌日の京都新聞によると、山鉾の基数が10基減少した今年の巡行時間は、結局、15分の短縮がなったのみという。
原因は35・5度の炎暑により巡行関係者を中心に体調不良者が相次ぎ、救急搬送など対応に時間を費やしたためと説明された。
当日の人出は例年より3万人少ない11万人。後祭に分散したのではないかとのことであったが、われわれが陣取った四条通りの混雑は半端なものではなかった。
そして、23基の山鉾を見送った後、巡行行列を追いかけて四条河原町での辻回しも郭巨山からどん尻の船鉾まで4基を観ることができた。
祇園祭山鉾巡行の観覧は待ち時間を含めて5時間におよんだが、注連縄切りに辻回しも目にすることができ、実り多い時間を過ごせた祭りの一日であった。