猪瀬直樹東京都知事が、昨年11月、都知事選挙前に医療法人「徳洲会」グループから5千万円を受け取っていた問題で、同知事の発言が二転三転し、世の中を甚だしく騒がせている。

この胡散臭い男がこれまで発してきた言葉の数々などいちいち覚えてはいない。ただ、これまでの傲慢な言動のなか、時折見せた人の顔色を窺う卑屈な所作がわたしに嫌悪感を覚えさせた。

そもそも猪瀬直樹が作家なのか評論家なのか、それとも政治家なのか、何者であるのかはっきりせぬが、一応、言論をもってして糊口を凌いできたジャンルの人種であることは確かである。

そんな男が東京都副知事として、2010年4月に若者の活字離れの問題を解決するためと称して、知事本局内に横断的プロジェクトチーム“『言葉の力』再生プロジェクト”を立ち上げていた。

「日本人に足りないのは論理的に考え、議論する『言語技術』」であるというのが、この男の上から目線による持論であり、愚民啓蒙についての問題意識であったようだ。

具体的にそのプロジェクトとして、「言語」の専門家を招き若手職員向けの講演会を開催、新規採用職員を対象に言葉の表現力を高める研修を行うほか、本人も識者の一人として参加したシンポジウムの開催などの活動を行なっている。

その“『言葉の力』再生プロジェクト”の活動報告書(2010年11月26日付)を東京都知事本局HPの下部バナーをクリックすると読むことが出来る。

その冒頭で猪瀬副知事(当時)が署名入りで次のように述べている。

『最近、若者の「活字離れ」が社会問題になっています。かつては知識欲や好奇心に駆られ、または趣味や娯楽の一つとして、本を手にする若者が多く見られました。その中で、感性を育んだり、他国の文化や宗教を理解したり、あるいは社会で必要な規範や常識といったものを自然に学んでいたのです。また、新聞・雑誌や書籍を通じて日本や世界の動きを知ることで自分が社会とつながっているという当然の事実を自覚するとともに、社会を構成する一員として、自分がなすべきことについて、思いを巡らせていました。

しかし、最近、自分の周囲のことにしか関心をもてない若者が増えています。

・・・』と続き、最後に、次の言葉で締めくくっている。

今後は東京からはじめた「言葉の力」の再生に向けた取組を拡充し、国際化・情報化が進む現代社会を生き抜くために必要な技術と感性、そして情熱を若者が身に付けることができるように、必要な施策を講じていく考えであります。』

この赤字の部分に猪瀬直樹が該当し、今の若者はそれがまったくできていないので、俺が啓蒙・教育してやると言っているのである。

また、2010年11月3日に東京国際フォーラムで開かれたシンポジウムにおいて、猪瀬直樹は次のようにも語っている。

日本人同士は、なあなあでも通じてしまいます。例えば「サッカーは好き?」と聞かれて、「ビミョー…」とか「フツウ…」と答えてもなんとなく通じてしまう。そのため、自分の意見を説明できない若者が増えているのではないでしょうか。しかし、欧米では、きちんと伝わらないことを前提として、効果的に伝える方法を、技術として教育しているということです』

そんな自分の意見を説明できる・ご立派な男が引き起こしたのが今回の事件である。

徳田毅衆議院議員から借りたとする5千万円。

ちゃんと借用書があると、26日の記者会見で実物を示しながらの説明を聞いて、その説明内容、借用書なるもののおよそ貸借契約の社会常識からかけ離れた実態。

「社会で必要な規範や常識といったものを自然に学んで」きたはずの男の発言とは思えぬ、幼児とも思える言い逃れ、いや、最近の幼児は少なくとももっと気の利いた言い逃れをする、それほどに稚拙で醜悪な会見であった。

「自分が社会とつながっているという当然の事実を自覚するとともに、社会を構成する一員として、自分がなすべきことについて、思いを巡らせて」いる男であれば、これまでの自分が社会に対して発してきた言葉に対して責任をとるのは明々白々である。

そして、自らの立場、つまり曲がりなりにも言論を糊口としてきた社会人として、また東京都知事という公人として、今回の事件が、国民、就中、啓蒙しようとする若者たちに多大な影響もたらしていることを自覚すべきである。

“だから大人の言うことなんか信じちゃいけね〜んだよ”

“これまで他人へ言ってきたことと、ど〜してテメェ〜だけは違うんだよ”


一刻も早く、自分の社会的責任を全うすべく、猪瀬自身が言う“言葉の力”・“言語技術”で、論理的な明快さをもって、愚かな若者、愚昧な国民にも分かりやすく説明してほしい。


一刻も早く、このあまりにも醜く、卑屈で卑怯な振舞いを社会の面前で見せることを止めてほしい。

今回の医療法人徳洲会グループの公職選挙法違反事件の捜査から飛び出してきたこの幼児的借用書事件。もう、ウンザリである。