彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏

湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=百済寺

湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=西明寺
湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=金剛輪寺

湖東三山巡りの最後に、十一面観世音菩薩をご本尊とする百済寺(ひゃくさいじ)へ向かった。

18・百済寺石碑
途中に百済寺の石碑

百済寺に向かう細い参道にベンガラを塗った家並みがつづく。何だかここから別世界へ入ってゆくような気がしてくる。

19・ベンガラの家並みがつづく
ベンガラ塗りの家並みがつづく

百済寺は飛鳥時代・推古14年(606年)、聖徳太子の発願により百済国の梵閣龍雲寺に擬して造られた。標高772mの押立山の山腹にあり、戦国時代に城塞化された城郭寺院だった頃の石垣遺構も残る湖東三山の中で最も古い寺院である。


平安時代に天台宗に改宗してからは300余坊の塔頭を構え、「湖東の小叡山」と云われるほどの大寺院として栄えた。


その後、大火事や兵火によってほとんどが焼失、その後、本堂などの再建は果たしたものの往時の殷賑を取り戻すことはなかった。


さて、駐車場で車を降りると大規模な石垣のようなものが見える。

20・中央が本坊の裏門。両脇に石垣がつづく。
石段の上に本坊裏門(受付)

その一画を割るように設けられた石段を昇った先に喜見院本坊(不動堂・書院・庭園)の建つ境内に入る裏門(受付)がある。

21・本坊・裏門受付
本坊・裏門

裏門をくぐると眼前に平坦地が広がる。

22・百済寺・本坊の建つ平坦地
裏門より表門をみる。左建物が不動堂、その左側に書院がある

遥か昔、二百を超える僧坊が林立していたかのと思うと、意味合いは異なるが、これもひとつの“兵どもが夢の跡”なのだとの思いが胸に去来した。


往時をしのぶ唯一の縁といえば、本坊辺りを二百坊跡、表門を挟んだ反対側を百坊跡と呼びならわす呼称のみである。

23・本坊横の庫裡と裏紋を見る
表門から庫裡・裏門を見る。庫裡の右側に書院

不動堂脇から書院横を抜けて池泉回遊式庭園へ出る。

24・本坊手前に不動堂
不動堂

切り出した自然石を池の周りに幾何学的に配した庭園である。

25・切り石が池泉を廻る
左の軒が書院、自然石の道が池泉をめぐる

切石を伝って池の反対側の狭い石段を昇ると、そこが天下の絶景を見渡せる自然の展望台となっている。

26・喜見院・池泉回遊式庭園と本坊(書院)
展望台への途上、書院を見る

展望台に立ち、前方を見はるかすと書院の甍の向こうに湖東平野が広がる。その向こうに初夏の陽光に白く光る琵琶湖をわずかに見下ろすことができる。

27・喜見院展望台から湖東平野を望む

さらに視線を凝らすと、とおくに薄墨を掃いたような比叡山の山容が認められる。

28・遠くわずかに琵琶湖、比叡山

その比良山脈の遥か先にこの地に多く住みついたという百済人の母国、百済国があるという。悠久の歴史を見つめてきた壮大な浪漫に満ちた望郷の丘である。



そして庭園を抜けて、いよいよ本堂へと向かう。長い石段が上っている。

29・百済寺の階段

この百済寺城の石垣の大半は織田信長が築城した安土城の礎とするため“石曳き”され、途中にわずかに城郭寺院時代の石組みも残されている。

30・百済寺城の石垣遺構

なかなか雰囲気のある味のある参道である。


そして、巨大な草鞋を掲げる仁王門に到達する。

31・仁王門
仁王門

そこから石段がまっすぐに本堂へと登っている。急勾配の石段を一歩一歩、踏みしめながら歩む。

32・仁王門からまっすぐ石段を昇ると本堂の石垣

やはり中世の一時、百済寺城であったことを偲ばせる苔生す石組みが圧倒的存在感を示している。いまにも鬨の声が頭上より響(とよめ)いてくるようなそんな気分になってくる。


そして石段を登り切るとそこは標高350mの押立山の中腹。突当りに城郭の石垣のような石組みにぶつかる。

33・本堂を支える城塞のような石垣
石垣の上に本堂が見える

石垣を右に迂回して、重要文化財の本堂の側面へ出る。

34・本堂横から
本堂の側面

百済寺は唐破風付き庇を掲げる正面から堂内へと入る。

35・本堂
唐破風庇付きの本堂

堂内は簡素かつ剛健な造りである。

36・本堂内・格子の奥に十一面観音立像
堂内・格子の奥に秘仏

その正面をふさぐ格子の内にお目見えが叶うご本尊、十一面観音立像が安置されていた。

37・釈迦山百済寺・十一面観世音菩薩
十一面観音菩薩

高さ3・2mにおよぶ大きな観音様である。

御開帳記念・百済寺


百済国の龍雲寺と百済寺の本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わっている。巨木の上の部分が龍雲寺、下の根っこの部分から彫り出したのが百済寺の観音様であるという。そのため、秘仏・十一面観音立像は“植木観音”とも呼ばれているのだそうだ。


湖東三山最後の秘仏をゆっくりお参りし、しずかな境内へ出る。本堂左手に千年菩提樹が植わっている。

千年菩提樹と本堂
千年菩提樹と本堂

信長の焼き討ちの際に本来の幹は焼け崩れたものの、樹霊が命をつなぐかのように、その蘖(ひこばえ)は成長し、いまも本堂の脇に立っている。


絶対権力者の暴挙により形ある大伽藍は姿を滅したものの、百済寺の菩提樹は連綿と時を刻み、その命を紡いできている。


こうした姿を見せられると、ひょっとして神様、仏様はやはり存在しているのだ、人の心の中に秘かに棲まわれているのだと、そんな心持ちに捉われていったのである。


湖東三山・秘仏巡り、思いがけず一挙にその礼拝が叶い、また一段と仏像の魅力に魅かれてゆく老夫婦であった。



湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=金剛輪寺

湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=西明寺
湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏一挙公開を廻った=百済寺

西明寺のそんなしっとりとした気分を乗り越えて、次に聖観世音菩薩をご本尊とする金剛輪寺(こんごうりんじ)へ向かった。新緑がすばらしい。

9・明寿院書院・緋色と新緑
金剛輪寺・明寿院書院

金剛輪寺は奈良時代・天平13年(741)に聖武天皇の勅願により行基が開山した。


黒門(惣門)から本堂までまことに味わい深い石段が続いている。

10・金剛輪寺・黒門
金剛輪寺・黒門

苔生した石垣の真ん中に自然の石を敷いた参道がつづく。風のそよぎにつれ石畳に緑の影がゆらゆらと映える。

11・新緑の石畳・金剛輪寺

そよ風も山気も石畳も碧色一色に染め上げられたような新緑の隧道をくぐって本堂へ向かう。緑陰とはこれを言うかという涼やかな道である。

12・参道の両脇に千体地蔵がならぶ

参道の途中からは庶民の祈りをつなぐように千体地蔵が参道の両脇にずらりとならぶ。一歩、足を進めるにつれ粛然とした心境になってゆく。


やがて、石段の上に室町時代に建立された重要文化財の二天門が見えてくる。

13・重文・二天門
草鞋を吊るす二天門

二天門をくぐるとそこに本堂がある。鎌倉時代に建立されたどっしりとした本堂である。国宝に指定されている。

14・国宝・金剛輪寺本堂
国宝 金剛輪寺・本堂

堂内に安置されるご本尊・聖観世音菩薩から衆生を救うべく導きの紐が外界へと伸びている。

15・本堂のご本尊から導きの紐が延びている
秘仏・聖観世音菩薩と繋がる導紐を境内で握る

われわれ衆生がこの紐を握ることで菩薩と結ばれるのだという。早速、われわれ夫婦もその紐を握り、家内安全・家族の健康を祈った。

御開帳記念・金剛輪寺

そして、本堂の横から堂内に入る。ご本尊の正面に坐る。

16・松峰山金剛輪寺・生身の観音・聖観世音菩薩
聖観世音菩薩

秘仏の観音さまをひたすら拝む。


明寿院・緑雪崩れる
明寿院書院・碧雪崩れる

このご本尊については次の言い伝えが残されている。


行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進めたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちた。この時、魂が宿ったとして粗彫りのまま本尊としてお祀りしたというのである。


その故、この聖観世音菩薩は「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになったと伝えられている。


薄暗い堂内から初夏の日差しが眩い外へ出て、頭上に広がる新緑を見上げた。

17・新緑に埋もれる三重塔
新緑に埋まる三重塔

その先に新緑の葉叢に埋まるようにして建つ三重塔が見えた。とても爽やかで素直に美しい光景である。

新緑のなか
新緑に透ける本堂

そして、最後にうしろを振り向くと目にも眩い新緑に透けて、観音さまを守る本堂がひっそりと鎮まっていた。





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