彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

明神岳

上高地・穂高神社奥宮の古式ゆかしい御船神事を参観する

(当ブログ・「彦左の正眼」内の一切の写真・記事等の転用を禁じます)

パワースポット・霊峰明神岳の下、明神池湖畔に鎮まる“穂高神社・奥宮”(2013.11.2)

穂高神社・奥宮の例祭で、毎年108日に催される“御船神事”を参観してみたいものとかねてより思っていたが、今年、ようやくその願いがかなった。

10月8日朝、神事の準備の進む奥宮
10月8日朝、御船神事の準備が進む奥宮
御饌の準備をする神官 御饌の岩魚
御饌(みけ)の岩魚を用意する神官

安曇野市穂高に鎮座する穂高神社本宮では、例年、92627日、例大祭として御船祭りと呼ばれる御船神事が執り行われる。

穂高神社・拝殿
穂高神社・本宮拝殿

海洋と遠く離れた急峻な山脈に囲まれた信濃という地で何故に船祭りかとまことに不思議ではあるが、その謎はいずれ謎解きに汗をかくとして、ここでは御船祭りについて簡単に説明しておく。


長峰山から安曇野を一望
長峰山から安曇野を一望

御船祭りの起源は定かでない。

北九州を本拠とする海人(あま)族の安曇族は6世紀頃にはこの安曇野へ進出したという。

海神である綿津見命(わたつみのみこと)とその子・穂高見命(ほたかみのみこと)をこの地に祀り、そして、海民としてのもだしがたいDNAかそれとも白村江の海戦を指揮した海人族の矜持なのか、船合戦の模様を後世に伝承すべく祭りという形で様式化したのか、いまにしてはもうその真相を推し量る術はないが、千数百年前へ遠く思いを馳せる壮大なロマンを感じさせる神事である。

穂高神社・御船会館
穂高神社本宮・御船会館

そんな本宮の御船祭りの10日ほど後に、奥宮の例大祭として御船神事が催される。毎年、108日の午前11時からその神事は始まる。11時から奥宮前で神官の祝詞や巫女の舞の奉納が30分にわたって行われる。そのなかに併せて、「日本アルプス山岳遭難者慰霊祭」も斎行されている。

アルプス遭難者慰霊祭も同時に執り行われる

これが当日の神事としてのメインなのだが、観光客の関心は、私を含め、明神池を龍頭鷁首の舟が廻る“絵になる”儀式の方に集まるのは、仕方のないところか。


そのお目当ての御船神事は11時半ころより執り行われる。
すでに湖畔にはたくさんの人たちがカメラ片手に待ちわびる。そのなかを、番いの鴛鴦が余興のようにして池の畔に寄って来て、参観者の目を愉しませる。

神事の前に鴛鴦が二羽

一瞬、どよめきが・・・
明神の神使(しんし)であろうか、明神岳の高みから一羽の白鷺が湖面すれすれに舞い降りてきたのだ。
対岸の木の枝に羽を休める白鷺が美しい。

枝にとまる白鷺

しばらくして、もう一度、湖面を滑空し、明神岳麓の一の池奥の湖面の枯れ木に停まる。

明神池の奥に羽を休める白鷺

その姿は端正で神々しくすらある。その様子はまるで神事の前触れでもあるかのようである。


明神池・一の池の桟橋に係留された龍島鷁首の二艘の舟に神官、巫女、雅楽師が乗り込む。

神官が船に乗り込みます

そして、いよいよその姿を明神池にあらわす。御船神事の一番の見どころのスタートである。

御船神事がスタート


その刹那、明神池奥から先ほどの白鷺がさ〜っと池の上を横切り、いずこかへ飛び去ったのである。

夢のような一瞬であった。明神さまのお使いだったことは、不思議なことに撮ったはずの写真に飛空する白鷺の姿がひとつもなかったことからそう信じるしかないのである。

御船神事は神官と巫女が乗り込む一艘目には氏子が幣帛を高く捧げている。

一艘に幣帛を捧げ、神官と巫女が乗船

二艘目には雅楽師が乗り込み、湖上に雅な雅楽の響きをわたらす。

二艘目に雅楽師が乗船


さぁ、これから、順次、写真で御船神事の一切をご覧いただくことにしよう。

湖面に映じる装束
池の中央左へと一列に舟が進みます
湖面を進む龍頭舟
池の中央よりに龍頭の舟がゆく。湖面に映る神官らの姿が美しい
明神岳麓で御船神事
明神岳麓をゆきます
明神岳麓をめぐる龍頭鷁首の二艘の舟
明神池の奥、明神岳の麓に沿い、龍頭鷁首の舟が進みます
明神池奥をゆく龍頭舟
明神池奥を厳かに進む龍頭の舟
雅楽師がゆく
雅楽師もゆきます
ここから異変
このまま、二艘目が流れに押され、池の奥へと・・・
方向転換
何とか方向転換しました
少々、距離があきすぎちゃいました
少々、距離があいちゃいました
大自然の中で行われる御船神事
大自然の中で行われる神事の迫力です
紅葉のなかをゆく龍島鷁首
追いつきました・・・紅葉のなか素晴らしい光景です
紅葉をゆく御船神事
紅葉をゆきます
御船神事もいよいよ終了です
そして桟橋へ戻ってきました

こうして、2013年の穂高神社・奥宮の御船神事は無事、終了の運びとなった。

御船神事の無事終了に満足気な明神岳
眼下で斎行された御船神事の一切を見届け終えた明神岳


終わってみると、舟が池を廻った時間はほんの10分余と短かったのだが、その厳かななかに雅な華やかさを感じさせる神事は、その物理的時間よりもはるかに永い時の流れを観るものに与えたから不思議である。


夢のようなひとときに酔い痴れた人々が明神池をあとにし始めたとき、この神事を参観した人々がこんなにもたくさんいたのかと、社務所脇の出口を埋め尽くす人の列を目にして驚いた。

神事を終え、社務所出口へ向かうたくさんの参観者
出口の混雑もひどかった
神事終了後の奥宮境内の人、人、人

そして、前日にあれほど静かだった奥宮の前が人で溢れかえるさまを見て、御船神事という古式ゆかしい例大祭への関心が、想像以上に高まっていることに嬉しいような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちに襲われたところである。




パワースポット・霊峰明神岳の下、明神池湖畔に鎮まる“穂高神社・奥宮”

上高地・穂高神社奥宮の古式ゆかしい御船神事を参観する(2013.11.4)

松本市安曇上高地明神


霊峰・明神岳(標高2931メートル)の直下、

霊峰・明神岳
霊峰・明神岳

上高地・明神池の湖畔に

明神岳を正面に明日の出番を待つ龍島鷁首の舟

穂高神社の奥宮は、ひそやかに鎮まる。

奥宮拝殿前に狛犬

ご祭神は穂高見神(ほたかみのかみ=神武天皇の御叔父神)である。

奥宮

安曇野にある本宮のご祭神は綿津見命・穂高見命・瓊瓊杵命である。

 

穂高神社
穂高神社・本宮

 

奥宮は小さな祠が建つのみであるが、ご神体である穂高連峰の中心たる明神岳を後背にいただく神域は約16千坪の広さにおよぶ。

大正池とならび上高地を代表する天空の湖、明神池は、実は穂高神社の神領地なのである。

大正池から穂高連峰を
大正池から穂高連峰を望む

したがって、40年前にはそんな拝観料など払っていなかったと語る家内も、その事情を知れば、社領地であり、その自然環境保護に少しでもお役に立てることになるのだからと納得した次第である。

正面に奥宮・左が社務所
正面に奥宮、左手が社務所

神官が一人常駐する社務所と奥宮の間を抜けると、そこに鏡池とも称される明神池が広がる。

一の池
明神池・一の池

一の池である。正面に明神岳の霊峰を仰ぐ。

明神池より明神岳を仰ぐ

透き通った伏流水を張った湖面には霊峰の明神岳が映り込む。

湖面に映る霊峰

また、あまりの透明感から池の魚も鮮やかに目にすることが出来る。

明神池に泳ぐ魚


10月上旬。この明神はすでに紅葉が盛りに近づき、その色づいた木々が山肌と湖面を彩る。

秋の明神池・一の池
一の池、美しい鏡池である

まさに息をのむ景観とはこのことである。

神の造形
神の造形・二の池

明神池・二の池は奇石、奇樹、枯れ樹が水面に浮かぶがごとく点在し、神が造形した枯山水ならぬ“活山水(いけさんすい)”のお伽話のような光景が眼前に広がる。



二の池と明神岳
二の池

江戸時代・寛文年間のあたりから、島々谷から徳本峠を越えるルートが木材の搬出や炭焼きなどの生活を支える道であり、上高地へは徳本(とくごう)峠を越えて入山するのが常の経路であったという。

穂高神社奥宮・参道入口
明神館前で徳本峠と明神池方面が分岐

つまり、穂高神社奥宮の祭られる明神は峠を越えた到着点であったことになり、現在の観光客の主たるアプローチである河童橋からとは反対側から明神へ到達していたわけである。

奥宮参道入口から穂高岳を仰ぐ
正面にゆくと明神池・奥宮、右手へゆくと徳本峠、手前左手が河童橋方向

上高地を世界に喧伝した英国人宣教師ウォルター・ウェストンを上条嘉門次(島々谷の猟師)が案内したルートも、まさにこのルートであった。


嘉門次小屋
上條嘉門次が設けた嘉門次小屋

だから、往古の日本人やウォルター・ウェストンが最初に目にした穂高連峰は明神岳を中心となす光景であったことになる。

『明神岳は、かつて「穂高大明神が鎮座する山々」という意味で、穂高連峰全体をさす言葉として使われていた(上高地公式ウェブサイト“明神”)』のは、この徳本峠から見た崇高なる霊峰を信仰の対象としていったのも、十分、うなずけるところである。


その峠を降りて行った先に、霊峰の直下に清澄な山水を湛える明神池がある。山気を頬を打たせ、畔に立った時、その地を神と出合ったまさに“神合地(かみこうち)”であると感じたのは、至極、自然な人の心の動きだったのではなかろうか。



穂高神社・奥宮
穂高神社・奥宮


奥宮由緒によれば、その“上高地”という名称が、古来、神降地、神合地、神垣内、神河内と神との関わりのある地と称されていたことから、この明神の地が清浄の地、神域として崇められてきたことは明らかである。


奥宮由緒(境内案内板)の説明は以下の通りである。

穂高神社奥宮・御朱印

『太古奥穂高岳に天降ったと伝えられる穂高見神(ほたかみのかみ)は、海神・綿津見神(わたつみのかみ)の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄え、信濃の開発に功を樹てた安曇族の祖神(おやがみ)として奉斎され、日本アルプスの総鎮守として明神池畔に鎮座する。

奥宮・鳥居
奥宮の鳥居

松本藩主水野忠恒、大成の信府統記(1742)には、


「皇御孫尊(すめみまのみこと)穂高嶽ニ鎮座マシマスト云ヘリ。此嶽清浄ニシテ其形幣帛ノ如ク、麓ニ鏡池、宮川、御手洗(みたらし)、河水在ル所ヲ神合地ト云フ。大職冠(たいしょくかん)鎌足公モ此神ヲ敬ミ祭り給ヘリ・・・」


とあり、すでに江戸時代中期には松本藩からも厚く崇敬されて、鎮座の昔を仰ぎみることが出来る。上高地は古くから神降地、神合地、神垣内、神河内とされ、神々を祀るに最も相応しい神聖な浄地である。


善光寺名所図会(1843)に霊湖とされている明神池は鏡池、神池ともいわれ、明神岳の直下にして、一の池・二の池からなり、奇石、奇樹の島影は神秘ただよい、108日神池に浮かぶ龍島鷁首の御船は碧潭(へきたん)に映えて美しく、平安朝の昔を偲ばせる。』

紅葉のなかをゆく龍島鷁首
10月8日の御船神事

その鏡池で催される108日の例祭こそが、今回の旅の目的である“御船神事”、別名を紅葉祭りというものであった。


此の度、その御船神事に参加すべく明神池を訪ねたのであるが、秋晴れの天候の下平安朝を偲ばせる厳かでしかも華麗な御船神事の様子は別稿に譲ることにする。

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