彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

日米地位協定

海江田民主党党首、党首討論・集団的自衛権の行使容認批判は笑止

佐渡旅行から帰って来てまだまだアップしたい記事が多数ある。


しかし、11日の海江田万里民主党党首と安倍晋三総理との党首討論を聞いていて、さすがに佐渡のトビシマカンゾウがきれいだったと報告する前に、ひと言、集団的自衛権の行使容認について述べざるを得ない。


そもそも民主党は結党時に「基本理念」と「基本政策」を定めたものの、いわゆる公党としての綱領を有せずにきた。就中、現行憲法の在り方については党内意見の集約をこれまで怠ってきたと言える。


2013年2月24日の党大会で、民主党綱領をようやく採択したものの、公党結成の中軸となるべき国家観の共有に強くかかわる現行憲法の在り方に関し、その記述はあいまいであり、1998年結党時の基本理念の域を出ていない。


採択された党綱領で憲法については、「憲法の基本精神を具現化する」として、「私たちは、日本国憲法が掲げる『国民主権、基本的人権の尊重、平和主義』の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく」と、現行憲法の護憲なのか、改憲なのか、はたまた新憲法制定を目指すのか、まったく分らぬ表現となっている。


現下の東アジアには豺狼(さいろう)のごとき無法国家が跋扈する。


11日も東シナ海公海上を警戒監視していた自衛隊機2機に対し、中国の戦闘機2機が30mもの近さまで異常接近してきたという。つい2週間ほど前にも中国戦闘機がやはり30mの至近まで異常接近している。


そして、中国公船等が尖閣諸島周辺の接続水域内への入域や領海への侵入を繰り返すなど東シナ海における空・海での中国の力による脅嚇(きょうかく)行為は、今やいつ偶発的事故、衝突が起きても不思議ではない緊迫した状況となっている。


他方で、核兵器開発を急ぐ独裁国家・北朝鮮の動向もミサイル発射実験の多発とも併せ、東アジア情勢の弾薬庫と化し、その存在は金正恩の思考が読めぬこともあってきわめて不気味である。


先の大戦以降、国家安全保障上初めての目の前の危機といってよい現下の国際情勢を前にして、昨日の海江田民主党党首、野党第一党党首の討論は涙が出るほどに情けなく、これが日本国民を代表する国会議員の一方の旗頭なのかと、呆れ果ててしまった。


6月4日に民主党内の勉強会「防衛研究会(会長・前原誠司元外相)」が公表した「安全保障基本法案」の骨子では、集団的自衛権の行使を限定的に認める内容となっている。


現実的な対応としては、自民党の認識、方向感と大筋においてほぼ同じといってよく、国家安全保障に重大な問題について日本の最大野党は党内の意見統一が図られていない。党の分裂を惧れるあまり、国家安全保障上の重要課題について議論さえ行われていない。


笑止である。これで公党としてよく国会論戦に恥ずかしげもなく加われるものだと呆れてしまう。だから、昨日も党首討論冒頭に海江田代表が集団的自衛権に対する民主党の考え方を次の通り述べたが、安倍総理から、「果たして(民主党の)立場はどこにあるのかよく分かりませんでしたね」と軽く一蹴される始末。


*「集団的自衛権の行使について民主党の見解を申し上げる。これまで長年にわたる憲法解釈があり、この解釈を正面から否定して、集団的自衛権の行使一般を容認する変更は許されない。集団的自衛権を行使したいのならば、憲法改正の申し出をすべきだ」


いま目の前にある危機に対処するに際し、政治家はひたすら冷徹な現実主義者であらねばならない。そうでなければ、国家の安全、国民の生命・財産など守り切れるものではない。


その意味で、今回の党首討論はあまりにお粗末で、一国を代表する与野党のトップによる安全保障論争とはおよそ遠く離れた幼児の言葉遊びを見せられているようであった。


海江田党首が集団的自衛権の行使容認については憲法改正でやるのが筋だというのなら、それでは今の間近の危機を民主党はどうやって乗り越えようと考えているのか明確に国民の前に示したうえで自民党を責めるべきである。


よもや日本の国会議員が列をなして中国や北朝鮮へ赴き、習近平国家主席や金正恩第一書記の手を戴き、笑顔で握手でもすれば事は無難に済むとでも考えているわけではあるまい。


こんな野党第一党の体たらくゆえに本来の安全保障議論の深まりが期待できないのである。


本来、集団的自衛権の行使容認議論を行なう際には、この国の防衛を将来ともに現行憲法の枠組みのなかで日米安全保障のフレームを前提に考えるのか、それとも憲法改正あるいは自主憲法制定を想定し、急迫した現在の国際情勢への対処に慰労なきことを期し次善策として議論を深めるのかの、そもそもの現行憲法に対する姿勢が問われなければならない。


わたしは米国がかつての力を失ったいま、この国は本気で自分の手による防衛を考える時期に来ていると考える。


海江田代表が「日米安保条約は総合的にバランスの取れた義務をそれぞれが負っている。首相は米国とのイコールパートナーシップによって、先の太平洋戦争の歴史をひっくり返そうとしているのか。そうした考え方こそが日本の安全保障にとって大きなリスクだ」と言った意味がよく分らぬ。


いまのこの国の防衛が日米の“総合的にバランスの取れた義務”によって担保されていると本気で考えているのだとしたら、この人物は国際政治をまったく理解できていないと言うしかない。


また、日本国の真の独立とはいったい何なのかといった国家観に関わるテーゼについてもこれまで思念をめぐらせたことがないのかも知れない。


現行憲法を金科玉条とするのなら、まず前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とした国際政治に対する認識が大きく損なわれた現在、この憲法に謳う9条第2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」ということでは、自国の防衛は果たせぬのではないのか。


また、米国の核の傘に守られてきた戦後日本の安全保障も、日米安全保障条約の陰に隠れた“日米地位協定”、即ち、「合衆国の軍法に服するすべての者に対して、また米軍基地内において、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。」という治外法権適用の外人疎開地の存在を自儘に許した不平等条約との代償によって確保されてきたと言えるのである。


日米地位協定を法律的にそのまま準用すれば米軍は米軍基地を日本国内に必要とすればどこにでも設置することが可能とされている。


戦後、70年が経過した現在でも、沖縄はもとより首都東京に敵国であった軍事基地が存在する国家など、およそ独立国家と呼ぶことはできない。


国家の尊厳を見失い、屈辱的地位を当然としてきた“植民地根性”丸出しの安全保障議論でよいのか。自分たちで自国を守るという普通の国、尊厳ある国家をめざすべき時が来ているのだと考える。


 


前泊博盛氏の講演で、日米地位協定の恐るべき本質を知る

1972515日の沖縄復帰から今年で41年目である。なぜ、41年目などという中途半端な数え方をするのか。

それは、去る428日、サンフランシス講和条約の発効により、日本が完全なる主権を回復し、国際社会復帰を果たした61年目だとして、政府主催が“主権回復の日”の式典を開催した中途半端な節目をつけたことに倣(ナラ)ったまでである。

要は、60年目の切りのよい節目の年には、自民党が政権の座に座っていなかったため、政権に復帰した最初の428日に、一年遅れの式典を開催したものである。

だから、沖縄復帰後41年目というのも、一応、節目の年と言っておこう。その節目の年に、前泊博盛(マエドマリヒロモリ=沖縄国際大学教授・前琉球新報社論説委員長)の“日米同盟を問い直す”という講演会を聴いた。  

日米同盟を問い直す

前泊博盛氏は、2004113日に「日米地位協定の考え方」という外務省の機密文書を全文スクープし、同年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞や石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。そしえ、今年の31日に、“本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」”(創元社発行)という本を共著で上梓している。

前泊博盛氏
前泊博盛氏

なぜ、この講演についてわざわざブログにアップしたかというと、恥ずかしながら、わたしは今回の講演で、初めて“日米地位協定”の真の中身について知らされたからである。そしてその恐るべき本質を知るに至り、この国が戦後、この協定により米国の植民地に貶められたのだという事実に愕然としたからである。

講演会
日野市新町交流センターでの講演会

これまでも、米海兵隊のグアム移転費用の肩代わりやオスプレイの強引な沖縄配備や訓練地域の決定など、事あるごとに、この国は米国の属国なのではないかと考えさせられたことがあった。


それが米国の無理強いというのではなく、密約も含め法的な形で雁字搦(ガンジガラ)めに規定された、法的には当然の権利として米国は振る舞っていたのだという事を知り、正直、ここまでやられているのかと愕然としたのである。


そして、講和条約>日米安保条約>日米地位協定という通常に考えられる法体系が、実はその逆で、講和条約<日米安保条約<日米地位協定という、驚くべき法支配が外交密約により緻密に構築されていることも知った。

この国に主権があるのか? この国は本当に独立しているのか? 

日米地位協定は、この国家の存立にかかわる問題である。これから主権確立に為すべきことは何か、真の独立に必要な決断は何か、真剣に考えねばならぬ時機に来ていると感じたのである。

北朝鮮の核武装。中国海軍の軍備拡張と尖閣諸島接続水域への日常的な進入。韓国の竹島実質支配。ロシアの北方4島実質支配など、わが国領土・領海を侵犯する脅威は急速に高まり、実力行使もその過激さを増してきている。

国際情勢は緊迫度を急速に高めてきている。

その中で、わが国は日米同盟という絆にすがり、米国の核の下にいるというこの一点に依存し、国家の安全保障を担保していると思っている。

しかし、前泊氏は云う。「米国はいわば一夫多妻である。日本というオメデタイ妻は、米国は自分だけを愛してくれていると信じている。」

しかし、米国は軍事同盟関係でも韓国(米韓相互防衛条約) 、イギリス・フランス・カナダ・オランダなど北大西洋条約機構(NATO)、フィリピン(米比相互防衛条約)、オーストラリア・ニュージーランド(太平洋安全保障条約)、ラテンアメリカ諸国(米州共同防衛条約)と多くの国と締結している。

さらに、イスラエル・エジプト・サウジアラビア・パキスタン・イエメン・グルジア・タイ・マレーシアなどにも実質的な軍事援助を継続している。

そうした状況下、当然の如く、米国の紛争地域に対するコミットは半端ではなく、広範囲にわたっている。


今後、日本の為に戦闘を想定した実践的軍事展開の事態が発生した場合、本当にどこまで米国はこのone of themの妻のために、自国の若者の血を流してくれるのか。

こう問いかけられた時、この国の安全保障をどう考えるのか。日米安保同盟の問題、自衛隊の問題、そして、その延長線上に憲法改正の問題が当然のように浮かび上がって来る。

完全なる主権回復61年目の記念式典。沖縄復帰41年目。61年前に完全に日本の主権が回復していたというのであれば、沖縄は日本ではなかったというのか。

こうしたこと一つ取っても、この国の独立とは一体、本物なのか、考えさせられる問題は多い。

前泊博盛編者の「日米地位協定入門」は、そうした国家の主権とは何か、独立とは何かを深く考えさせられる素晴らしい本である。

非常に易しく、分かりやすく書かれているので、ぜひ、皆さんにも、ご一読いただければと思う。

橋下徹の「慰安婦は必要だった」発言は、なぜ、ここまで批難されねばならぬのか!

朝日という名のつくメディアには愛想が尽きた、一体、どこの国の報道機関なのか?(2013.5.19)

橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要だった」発言が、国内だけでなく、韓国はいうにおよばず米国防省、国務省など海外諸国を巻き込み、轟々たる批難の嵐が拡がりつづけている。


発端は513日の大阪市役所での登庁時の定例のぶらさがり取材である。


記者団からの「昨日も自民党の高市政審会長が侵略という言葉はどうかといった批判的なことを言ったり、安倍首相も侵略ということをはっきりとおっしゃっていないのだが」につづいて、「村山談話についてどう思うか」という質問に対して答えたもの。


当日の1542秒に及ぶyoutubeにアップされたぶらさがり取材を見たが、村山談話に対する考え方を11分半にわたり語ったなかで、いま問題となっている慰安婦問題について一部、語っているものである。


この橋下徹大阪市長・日本維新の会共同代表の話を聴いて、わたしは、なぜ、日本のメディアや自民党をはじめ他党がこれほどに批難しなければならぬのか、どうもよく分からない。


他党が一斉に非難の声を挙げているのは、来たるべき参議院選挙の民意を我が党へ向けようとの魂胆丸見えのようで、こっちの方が事の本質を見極めることをせず、日本の政治家、政党として、大きな問題なのではないかと思っている。


なるほど、この会見は橋下氏のいつもの断定的物言いが気にはなるが、これはいつもの橋下節といおうか、橋下という人物のディベート・テクニック、政治テクニックのようなものと理解している。


そして、この会見の時間中に同氏の発言がここまで海を越えて拡散し、批難の嵐が起きようとは、同人も、取り囲んだ記者たちも、考えていなかったのではないだろうか。


その証拠に、この慰安婦発言の後にはエネルギー問題について原発再稼働の話についての同氏の話が淡々と続き、会見は終了した。慰安婦についての同氏の発言を咎めたり、再確認をする質問も一切なかったのである。


さらにYoutubeをご覧いただくと分かるが、橋下共同代表は、村山談話については、「侵略と植民地政策によって周辺諸国に多大な損害と苦痛を与えたことは、敗戦国としてしっかりと認識し、反省とお詫びはしないといけない」と、繰り返し、談話の内容を肯定しているのである。


さらに慰安婦の方たちが戦争によって意思に反してその苦界に身を沈めねばならなかったことについては、よくよく理解をしなければならぬ、そこに想いをいたさねばならぬということも再三にわたって述べている。


また、被害にあった当事者や中立の第三者がこの話は終わりということにならない限り、この種の問題は、加害者側が60年経ったのだから、70年経ったからもう謝罪はこれでよいと考えるのは間違いとも語っている。


では、何が問題なのだということだが、「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」、さらに会見開始916秒後の「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だったことは誰だってわかる話だ」という下りであろう。


そして、いま、日本のメディアや政党、韓国や米国など諸外国の批難がこの橋下発言全てが問題だと断じているが、わたしはまるで偽善者の言葉を訊くようで非常に気にくわぬのである。


1995年、沖縄で起きた米海兵隊3人の兵士による小学生暴行事件(レンタカーを借り、拉致監禁・暴行)において、時の米太平洋司令官であるリチャード・マッキー海軍大将が、「兵士らは、レンタカーを借りているが、その金があったら女が買えた」と発言した。要は暴行するくらいなら、レンタカー代で女を買っていた。だからそんなことをするはずがない。そして女は金で買えるのだと太平洋司令官が言ったのである。


こんな米国から「言語道断で不快だ」などといわれる筋合いは一切ないと私は断言する。彼らは人権、人権と言いながら、日米地位協定を盾に、その時、12歳の女子を暴行した卑劣極まりない犯人の引き渡しを拒絶した国なのだから。


本題に戻るが、橋下発言の「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」の部分だが、これは歴史の事実である。


さらに、「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だってことは誰だってわかる話だ」の部分についてだが、これも言葉がきついので、つい時制を混同してしまうのだが、今の時代にそれが許されるとは言っていない。実際にいま、そんなことは許されないと言っている。


そうした橋下氏の発言の真意を色眼鏡なしに受け止めれば、本来、この問題はここまで大きくなるべきものではなかったと考える。


同氏は、村山談話を肯定している。ただし、いわれなき批難、評価については違うことは違うということをはっきり言うべきだと言ったのである。


慰安婦問題について、現段階で日本軍乃至政府が組織として強制的に拉致、強制した証拠はない。2007年の閣議決定でもそうなっている。その根拠がないものを、国際社会のなかで“レイプ国家”と貶められていることが許せないのだと言いたかったのである。


これは会見内容を普通に聴けば、そのように彼が言おうと努めていることは分かるはずである。


さらに、「もし、そうした証拠が出てきたのであれば、それはきっぱりと謝罪すべき」だとも言っている。


そして、橋下氏は514日のツイッターでこう呟いている。


「敗戦国として反省とお詫びをしなければならないところはしっかりやる。ただ、不当に侮辱を受けるようなことに関してはしっかりと反論する。これが、本来の政治家の態度振る舞いだと思う。」


わたしは、その通りだと思っている。よくぞ言ってくれたというのが、わたしの正直な気持ちである。


大手メディアや自民党や民主党など野党の輩こそ、本来自らが言わねばならぬこと、信念をもう一度問い直すべきである。


ただ、橋下氏も、もう少し丁寧に言葉を選び己の真意が伝わるように発言すべき政治家としての時期が来ていることは十二分に自覚すべきである。

社民党・国民新党が次期参議院選挙の民主党躍進の推進役に

1018日放送のフジテレビ「新報道2001」の「今週の調査(10.15調査)」で「あなたは来年夏の参院選でどの党の候補に投票したいですか」の質問の結果が、民主党38.8%(108調査39.6%・101 38.8%)、自民党9.2%(同13.2%・14,2%)となり、とうとう自民党が10%台を切った。

 

わずか二週間の短い期間の動きではあるが、916日の民主党政権発足後から1ヶ月後の数字の変動である。民主党はほぼ数字は横這いといってよい。それに対し自民党の数字の急落ぶりが目立つのである。

 

原因のひとつは党再生をかけた自民党総裁選にある。自民党は選挙前の300議席から119議席(▲181)へと大幅に議席数を減らした。自民党はその歴史的大敗北の原因を分析し、敗北に至ったこれまでの政治手法の総括をおこなうべきであった。そのうえで、解党的出直しを図るべく、一時の浮ついた人気などに惑わされることなく、強いリーダーの下で再生を期すのが当然の道筋であるとわたしは期待していた。おそらく大方の国民がそう思っていたのではなかろうか。

 

しかし、総裁選には谷垣禎一・河野太郎・西村康稔の三衆議院議員が立候補した。その顔ぶれに国民は自民党の解党的出直しの決死の覚悟を読み取ることはできなかった。相変わらずの党内力学、自身の損得に右顧左眄し立候補を見送った議員がいるとしか考えられない。これまでいつも自民党は言っていたのではないのか。「党内には人材がたくさんいる」のだと。

 

然るにこの顔ぶれであった。従来の自民党の殻を打ち破る気魄を、申し訳ないが、この三候補に感じることはできなかった。このことで、国民の自民党に対する期待は地に落ちたと言わざるを得ず、そうした思いが冒頭の数字につながっているのだと推測される。

 

その一方で、次の理由こそが実は小沢一郎民主党幹事長がいま、最もほくそ笑んでる事象なのではないかと考えるのである。

 

連立を組んだ社民党の福島瑞穂消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当大臣と国民新党の郵政改革・金融担当大臣の自儘とも言える閣僚としての発言である。

 

先の第45回総選挙における各党別の得票率は次の通りである(得票率は各党別の小選挙区と比例代表の獲得得票数の合計を、全党会派等の総得票の合計数で除したものである)。民主党44.9%・自民党32.7%・社民党3.1%・国民新党1.4%となっている。

 

議席数よりもより民意に近い数字と言ってもよい得票率で、3.1%の社民党と1.4%の国民新党の党首が発言を繰り返すたびに、国民の気持ちが早く次の参議院選挙で、民主党に過半数を取らせねばならぬとの思いを強くして行っているという事実である。

 

とりわけ社民党の福島大臣が連立合意書で日米地位協定の改定提起を明記したことで、国の安全保障という国政の要諦に関わる問題について教条主義的な発言を繰り返すことが、あの大臣就任の時の異様なハシャギぶりの様子とダブってしまい、どうにもちょっとご自分の立ち位置、立場がよくお分かりなっていないのではないかと思ってしまうのである。

 

理屈から言えば、まぁ連立合意書においてサインしたのだから、社民党の党是に触れる問題について反駁なり意見を言うことはある意味、当然な部分もあるにはあるのだが、改定提起の詳細は「米軍基地問題について沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定する」と、明記されているのであって、合意しているのは基地問題においてのみである。それ以外は連立の中で協議することになるというのがわたしの理解である。

 ところが、福島大臣のこれまでの安全保障に関する発言は、協議の前に社民党の党是を主張しており、内閣を構成する大臣の発言としては、まだはっきりと合意もされていないことを勝手に言っている、堅苦しく言えば閣内不一致以前の、閣外勝手発言を放置するようなおかしなことになっているのである。

 

そのおかしな状況に、どうもついてゆけず、社民党の有する参議院5議席の重みを早いところ解消せねば、国政の要諦において、民意3.1%の党に鼻づらを引きずり回されるという滑稽な政治状況が続いてしまうという強迫観念が、日に日に強まっているというのが、今の国民の偽らざる心境なのではなかろうか。

 

 その結果、次の参議院選挙にはどうしても民主党に過半数を与えねば、本来の民意を反映した政治が行なわれないと、次回参議院選挙は民主党の候補へ、逆に自民党の候補への投票は控えようと考える人々が多くなっているのではないのかと思えて来たのである。

 だから小沢一郎幹事長は、福島瑞穂大臣にはもっとはしゃいでもらって、民主党躍進の推進役になって欲しいぐらいのことを、本気で思っているのではないのだろうかと邪推もしたくなったというわけである。

 

 健全な二大政党政治を確立するには自民党の再生が通常の有り様であると考える。しかし、この3.1%の党首の発言によって、そのシナリオがどんどん遠のいて行くようで、このフジテレビ「新報道2001の世論調査の数字の傾向には、正直、「参ったな!」と、感じた次第なのである。

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