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ある親しい方から日光金谷ホテルは一度、泊まってみられる価値があるとかねてご推奨をいただいていた。
また、独身時代に全国を旅してまわった家内も、なぜか日光を訪ねたことがなく、一度、連れて行ってといわれていて、なんと38年が過ぎてしまった。もちろん、とうにしびれを切らした家内は「日光に行かずして結構ということなかれ」で、ご近所の友人らと数年前だったか訪れていた。
しかし、その時は旦那どもをほったらかしにした科により華厳の滝が濃霧のためでまったく見ることができなかったという。
ということで、急きょ金谷ホテルへ泊まりに行こうと何故か話がまとまり、ホテルに予約を入れ、あれよあれよとあいなった次第。
日光金谷ホテルは西洋人相手に明治6年に創業された現存するもっとも古いクラシックホテルということである。
現本館がその当時の様子を多く伝え、洋式造りの建物となっている。
今回、私たちが宿泊した別館は昭和10年に建てられたもので、唐破風造り、木造三階建の和のテーストを凝らした外観となっている。
入口の両柱には尾長鶏の木鼻をあしらえ、柱に沿い長い尾っぽを浮き彫りにしているなどその造作には多大な財力と匠の技が投じられている。
そのためこの別館にはヘレンケラーや昭和天皇もご宿泊になったのだという。
もちろん客室はリゾートホテルということで洋式に統一され、スチーム暖房やアンティークなバスタブなど古き良き時代の香りが満ちている。
昨今の機能性重視やアメニティグッズの充実といったシティホテルに慣れた人間には少々、戸惑いもあることは仕方のないところ。
何を隠そう、このわたしはこの旧式の、いや、格調高いバスタブはやはり落ち着かなかったことは正直に白状しよう。
しかし、本館二階のダイニングルームでのディナーはさすが日光金谷ホテル、圧巻であった。
当夜のメニューは以下の通り。
家内が熟成子羊のポワレ、わたしは“特製日光虹鱒ディナー”にした。
オードブルやサラダは洒落ていて過不足がない。金谷ホテルの料理を先に総括すれば、“質実剛健な西洋料理”と評するのがもっとも当を得ている。
不要なデコレートや捏ね繰り回したようなソースもなく、いたってシンプル、スマートな料理なのである。
その典型がコンソメスープである。さらりと淡白で、西洋おすましのようなスープであったと家内の言。
そして、わたしのオニオングラタンスープは器の蓋を開けてビックリ。なんとハート型をしている。
今年、65歳を迎え、めでたく高齢者の仲間入りを果たした男の目の前に、まぁ、かわいらしいハートのカップが置かれたわけである。
家内もこれにはただ微笑む、いや、憐みの笑みを浮かべるしかリアクションのとりようはなかったようである。
もちろん、お味は質実剛健、玉ねぎ大好きな私好みのこってりした、農作業の後にでも呑むとさらに味が際立つといった体のスープであった。
そして、エッと驚いたのがそのカップの蓋の裏に刻印されたロゴである。聞けば、金谷ホテルでは古い食器をたくさん今でも使用しているということで、この陶器もそのひとつなのだそうだ。こうした貴重な出会いが古い格式を誇るホテルにはあるのだと改めて感じたところである。
いよいよ、メイン。伝統のフランス料理、 “虹鱒のソテー金谷風”の登場である。
見た目がしっかりとしたソテーである。結構な大きさの虹鱒である。
これ全部、食せるかと心配しながらソースをかけ、ナイフを入れる。
やわらかい!! 骨もすんなり切れてしまう。口に運ぶ。骨がまったく気にならない。
おいしい・・・。いや、お見事。
ソースもどことなく田舎風で、これ良い意味で言っているのだが、濃い目の味付けなのだが、口に残らぬあっさり味。矛盾しているようだが、それが虹鱒を食べおわってみての素直な感覚なのである。
さて、食事についてはそれくらいにして、ダイニングルームの造作もなかなかにわたし好みでありました。
入口を入ってすぐ右手には年代物と思しきレリーフなどが壁を埋めていた。さらに天井はなんと部屋の最高の格式を表わす折り上げ格天井(ごうてんじょう)で、しかもその一枚、一枚に図柄が描かれている。
柱にも頭に彫刻がほどこされ、その贅をつくした造りに、明治初期の日本人が西洋に負けまい侮られまいとした生真面目さが窺えて、いじらしさすら感じてしまう。
そんな金谷ホテルのディナーも終了、部屋へ戻り、翌日の東照宮参詣にそなえ、早々と床に就いた。
したがって、本館一階にあるクラシックバーには、家内の「寄らなくていいの?」という悪魔の囁きを物ともせずに別館を一目散に目指したところである。
翌朝、朝食をダイニングルームの朝陽が差し込む窓際でとった。
これも今風のビュッフェ方式ではなく、スタッフによるオールサーブのアメリカンブレックファーストである。
わたしは目玉焼き、もとい、sunnyside up・・・、いや、over easyというのかこれはと久しぶりに英単語を探り出す自分にひとり苦笑い。
本式に焼かれた目玉焼きである。頼めば本物のsunny side up(片面焼き)が口にできたのだろうと思った。
家内はシンプルにプレーンオムレツで苦労もなしといったところ。
朝陽が零れ落ちるテーブルでオールサーブでのブレックファースト。少なくなりました・・・こんな朝食の時間。
効率性追求、コストダウン、人手不足などなど、今の時代、確実に昔の豊かさは失われていっていると実感したところであった。
ゆっくり朝食を摂ったあと、金谷ホテル探索の散策に挑む。まず、家内が目をつけたのが竜宮と称する観覧亭と展望閣。
本館三階の北側廊下を東方向にずっと奥へ進む。途中に本館のもっとも古い部屋であるナンバーがシングルの部屋が覗けた。う〜ん、さすがの格天井である。
それを過ぎてさらにゆくと最後に石段を上がる。そして屋上のような場所へ出る。
そこに日光の山並みを眺望する展望閣やプールや天然のスケートリンクで遊ぶ人々を見物する観覧亭がある。
現在はもう使用を中止しているということだった。ただ、リンクになる池?にはアオコが一面に発生し、黄緑色に水面が映えていた。
また、プールには水が張られ、それがきれいであったのが、往年の夏の金谷ホテルの賑わいが耳朶の奥に響き出すようで奇妙な感覚にとらわれた。
そのあと、ホテルの裏庭へ出て神橋へ向かおうとしたが、生憎の工事中、途中で引き返した。
庭には木のベンチなどがおかれ、かつてはそこで団欒に耽る西洋人たちがいたのだろう。
ここからの本館の景色も新緑の中に白色と赤色がうまい具合にとけこみ美しい。
一方で、別館の和風の建物はどこか寺院を見るようで、日本の伝統、格式を感じさせ、これも興趣が尽きない。
一時間余の散策であったが、日光金谷ホテル、ただ、泊まって、食べて、出かけるだけではもったいない。
まさに本物のリゾートホテルである。ここでのアンニュイな時間の流れこそが一番のお宝なのだと思った。
そして、昔の日本人は真に本物を追求し、生真面目にその達成に努力と犠牲を惜しまなかったのだと思い知らされた。そんな価値ある時間をこの日光金谷ホテルはわたしに与えてくれたのである。一度、訪れる意味は大きいと自信をもってお勧めできる“泊まってみたい宿”である。