彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

新聞倫理綱領

メディアが金科玉条とする編集権とは「私」スルことではないはず4

24日の朝のフジテレビ「とくダネ」で、前日に開催されたBPO「放送倫理検証委員会」第一回会合の模様が伝えられた。

放映内容は委員の一人である評論家の立花隆氏が現在、衆議院の総務委員会で審議中の「放送法の改正」の「再発防止計画に関する事項」に関連し、「表現の自由を守るのに大切な時期。(政治介入という)大変な方向にゆく可能性がある」と発言した部分の映像と音声が流された。そこで「放送倫理検証委員会」がなぜ新設され、第一回のテーマがTBSの不二家報道問題について主に議論され、そして審理入りの結論が出なかったことはひと言も伝えられることはなかった。

そもそもフジテレビ系列の関西テレビの「あるある」捏造事件を受けて現行の「放送番組委員会」を解消、「放送倫理検証委員会」が設立されたわけであるが、フジテレビがこの朝、同委員会で不二家報道問題について議論されたことは一切語らなかったことはきわめて不自然であり、その意味は何かと問わざるを得ない。

同委員会の記事を報じた大手新聞が放送法改正について触れた立花委員の発言よりも、TBS「朝ズバッ!」の審理入り持ち越しの方が大きく取り扱われていたのは当然である。会合の前に委員たちは、郷原信郎氏(不二家第三者信頼回復対策会議元議長)からの審理申請を受けて、TBSからの報告書や問題とされた番組のVTRを見てから委員会に出席しているのである。同委員会が何を目的に開かれたかは、はっきりしているのである。

その本来の内容について報道せずに、現在、問題となっている放送界の捏造問題についてあえて触れることなく、危機感を持つ放送法改正の部分のみに偏した放送内容は、ある意味、「編集権」を「私」していると言ってもよい。

「編集権」については昭和23316日に公表された「日本新聞協会の編集権声明」にその内容が規定されている。それは「編集権とは新聞の編集方針を決定施行し報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持するなど新聞編集に必要な一切の管理を行う権能である」というものである。当時は新聞というメディアが中心であったため、編集権の行使者は新聞となっているが、当然、現在では放送事業者もその範疇に入ることになる。

その「報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正」については、「新聞倫理綱領」(平成12621日)の「正確と公正」の項立てで、「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」と規定されている。

こうしたメディア自身で規定した「編集権」のベースにある「報道の真実、評論の公正、公表方法の適正」という考え方に照らして見ても、今回のフジテレビの「放送倫理検証委員会」報道は、自分の身に火の粉の降りかかる可能性のある「委員会の主たるテーマであった内容」を伝えなかった点において「正確と公正」を大きく欠いたものと断じざるを得ない。まさにメディアが事あるごとに言い募る金科玉条の「編集権」を「私」したとしか思えぬのである。

そしてこうした報道姿勢を続ける限り、「編集権」の本来有する正当性は失われていかざるを得ず、それこそ政治の介入に口実を与えることになる。自局や自社のご都合主義で「編集権」を振りかざすのでは、国民は当然のことだが納得し難いからである。



大手メディアの建前の胡散臭さ――「あるある」事件

 

 大手メディアにより構成される記者クラブという世界的にも珍しい組織の排他性については、従前より非加盟の海外報道機関や週刊誌系メディアなどから多くの批判がなされていた。そうした意見に対し、記者クラブは開かれた対応としてここのところ国際メディアのデファクトスタンダード(事実上の標準)の観点からかはたまた外圧からか、大手海外メディアの記者クラブ加盟を認める動きは進んでいる。

 

しかしPJニュース(安居院文男氏「『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会」)で取り上げられた弱小ジャーナリズムの記者会見への列席拒否に見られるように、まだ大手メディアの国内弱小メディアに対する排他的行為には根の深いものがあることを感じざるをえない。

 

「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(h18.3改定)」では、記者クラブを構成する加盟組織の要件として、「記者クラブの運営に、一定の責任を負うことも求められます。そして最も重要なのは、報道倫理の厳守です。日本新聞協会は新聞倫理綱領で、報道の自由とそれに伴う重い責任や、正確で公正な報道、人権の尊重などを掲げています。これらは、基本的な報道倫理です。公的機関側に一致して情報開示を求めるなど取材・報道のための組織としての機能が十分発揮されるためにも、記者クラブは、こうした報道倫理を厳守する者によって構成される必要があります」と謳われている。

 

 その高邁な内容は開かれた記者クラブ運営を行なう用意は十分あるが、報道機関には社会の公器としての重要な報道倫理が求められ、弱小ジャーナリズムなどはそうした倫理や「正確で公正な報道」といった規範や訓練がなっていないので、加盟が難しいとでも言わんばかりの慇懃無礼な文言に思えてならぬ。

 

 また加盟要件がそうであれば、報道倫理綱領を掲げている日本新聞協会の会員である新聞社やテレビ局で、捏造や盗作といった不祥事が続く事実はどう説明されるのだろうか。捏造等の行為は言うまでもなくジャーナリズム精神を大きく逸脱するものであり、記者クラブを構成する者の要件を明らかに欠くものだと断じざるをえないとわたしは思うのだが。

 

こうした点から言えば、放送記者会主催の村上フジテレビ社長らとの定例記者会見においてライブドアPJが入場拒否されたことは、公平さを著しく欠いた大手ジャーナリズムによる既得権益擁護と言われても仕方ないのではなかろうか。

 

昨年の公正取引委員会の特殊指定廃止の動きに対する新聞協会の反論声明(平成18315日付け「新聞特殊指定の堅持を求める特別決議」)では次のように語っている。

「新聞は、憲法21条によって保障された報道の自由を担い、国民の「知る権利」に寄与するものである。こうした使命は、自由で多様な新聞がつくられるだけでなく、公正な競争を通じ、住む場所を問わず、また災害など困難な状況下でも、同一紙同一価格で戸別配達により提供されることによって実現される」

 

 その文中にある「新聞」という文字を「PJニュース」あるいは「ネットニュース」と置き換えることのどこに不都合があろうか。そして「災害など困難な状況下でも」に続く「同一紙同一価格で戸別配達により」を、「通信費のみでネット配信により」と置き換えれば、紙情報よりもっとリアルタイムの情報が国民のもとに届けられた実績が中越大地震のケースなどで実証されている。しかも市民記者がPJニュースで被害地の切実な状況、実態をきめ細かく伝えた事実の重みを大手メディアはもっと知るべきである。

 公正と公平そして客観性はジャーナリズムの最も尊ぶべき根本精神のはずである。その意味で言えば、大手メディアが行なった会見からのPJ排除という行為は、「憲法21条によって保障された報道の自由を担い、国民の『知る権利』に寄与するもの」は「新聞という大手メディア」だけであるという傲慢な思い上がりとしか見えない。さらに特殊指定堅持という自分たちの権利擁護のためであれば「国民の知る権利」を出汁(だし)にすらするその言説の胡散臭さは、「社会的公器」という言葉が死語と化したことをわたしに告げるのみである。

 

平成18年9月現在でインターネットの接続サービス契約数は3千万人(除く「携帯ネット接続契約8.4千万人」)を超えている(総務省「情報通信統計」)。その一方で、ほぼ同時期の大手新聞5社の総販売部数合計は2.7千万部強であり(日本ABC協会「新聞発行社レポート」)、数の上ではインターネットによる情報取得者数が上回った形になる。

 

情報の受け手側である国民の文字情報の入手手段は、近時、かくも大きな変貌を遂げてきているのである。加えてこれまで一方的に受け手のポジションにのみ甘んじてきた国民自身が、情報の発信側にも登場し、自由に声を上げはじめたという事実を大手メディアはもっと真摯に受け止めるべきではなかろうか。



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