この日曜日、菩提寺において新しい山門の開元供養として万燈会の法要が催された。真言宗における万燈会は、空海が59歳の時(天長9年(832))に高野山で「万燈万華会(マンドウマンゲエ)」を修したことを嚆矢とするため、各種法要の中でも高い位置づけが与えられているとのことであった。
暗くなって万燈に灯がともされる
万燈会は、そもそも衆生の懺悔・滅罪のために仏・菩薩に一万の燈明を供養する法会である。天長9年に空海が初めて万燈会を行なった際の願文(ガンモン)のなかで「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」【「続遍照発揮性霊集補闕抄(ゾク・ヘンジョウ・ホッキ・ショウリョウシュウ・ホケツショウ)」〔空海・済暹(サイセン)・真済(シンゼイ)著〕の巻第八】と唱えている。それは、「宇宙法界に存在するありとあらゆるものが一つ残らず全て仏の境界(悟りの境地)に至ることを願い続ける」という意味なのだそうだ。おそらく、仏に燈明をあげ供養することで、生きとし生けるものの安寧を祈る法会なのだろうと勝手に解釈して、この煩悩多きわたしも万燈会に参加した。
万燈会の法要が行われる堂内
当日は、東京以外の北海道などの遠方からも駆けつけた真言宗の若い僧侶たち総勢15名による法要であった。この若い仲間は、現在、「声明(ショウミョウ)の会」を熱心に開催し、先般もヨーロッパで声明を紹介し高い評価を得るなど、仏教界の新しい息吹を感じさせる草の根活動を展開している。
法会は本堂内で、声明という僧侶たちによる男性合唱を堂内に響き渡らせ、1時間強を費やし行なわれた。惜しむらくは天井がもう少し高ければ、共鳴した音色ももっと素晴らしいかったろうにと感じたことである。そして、西洋の教会は音楽を通じた布教活動という点では、よく考えられた造りになっているのだと改めて気づかされた。しかし、そうしたことを忘れさせるに十分な趣のある法要であったことは云うまでもない。僧侶たちが薄暗い堂内にコの字型に座り、一斉に声明を和す。
声明を和す僧侶たち
そして、時折、立ち上がっては、方形に連なり声明を唱えながら歩を進める。
また、方形に対面しながら後方に散華札(サンゲフダ)を撒く情景はどこか秘密めいていて、自分の心と堂内の「気」がまさに燈明の炎のように揺らいでくるのを感じる。その神秘的雰囲気のなかで不思議と心は鎮まり安らいでゆくのである。
方形に対面し声明を和しながら散華札を撒く
境内に整然と点された燈籠
境内に万燈の灯が・・・
こうした気持ちにみんながなれたら、もっとこのささくれ立った社会も明るく、安らかなものになるだろうにと思った。こうした心の平安を与えてくれた当日の若い僧侶たちに、本当に心から感謝したい。そしてこれからの益々の活躍を願っている。