大河ドラマ“平清盛” 京都を行く=平等寺(因幡堂・因幡薬師)
大河ドラマ“平清盛” 京都を行く=六波羅蜜寺(ろくはらみつじ) 
下京区富小路六条本塩竈町

長講堂
長講堂表門

長講堂は大河ドラマで松田翔太演じる雅仁親王、後の“後白河法皇”が寿永2(1183)、当時、西洞院六条にあった仙洞(せんとう)御所内に建立した持仏堂で、正式には法華長講弥陀三昧堂と呼ばれている。その地において度々火災に見舞われたが、天正6(1578)、豊臣秀吉により現在の場所へと移転させられた。

仙洞御所・南池の州浜と八橋
現在の仙洞御所・南池の州浜と中島の奥に八ツ橋

また現在の仙洞御所は、京都御苑内、京都御所南東に接するようにして位置しているが、当時の仙洞御所(退位した天皇の在所の呼称)は現在地より西方の西洞院通六条にあったことになる。


さて、長講堂のご本尊は仏師・院尊(1120-1198)の手になる定朝様式の阿弥陀三尊(重文・1184年作)で、法皇が信仰心篤く祀った念持仏である。


中尊として約180cmほどの阿弥陀如来像が坐られ、左脇侍として観音菩薩像、右脇侍として勢至菩薩像が侍る。この阿弥陀三尊が長講堂の御本尊であり、重要文化財に指定されている。


そして法皇が崩御された建久3(1192)、その菩提を弔い御真影を安置するために御影堂が建立されたが、現在はそこに毎年413日の法皇忌にのみ公開される後白河法皇坐像が安置されている。 


今回は特別公開ということで本堂および御影堂内にも入室が許され、阿弥陀三尊像や後白河法皇坐像、さらに、平清盛や源義経ほか様々な人物の名が記された「過去現在牒(かこげんざいちょう)」や「後白河法皇御真影(ごしんえい)(複製)など貴重な寺宝を拝観することができた。 

御影堂
五本の定規筋が入る築地塀内に御影堂

御影堂内ではほんの鼻の先に法皇様がおられ、松田翔太も年を取るとこんな感じになるのだろうかとちょっと不敬であるが想像などしたところである。法皇は“今様”つまり流行歌を大変愛されたというが、いまご健在であれば“I love you〜♪I need you〜♪”な〜んてAKB48なんかも唄っちゃったりするのかなぁと興味津々で坐像の可愛らしい口元を見たものでした・・・。

長講堂本堂と右手御影堂
本堂と右塀内に御影堂

そんななかで格別に興味を惹かれたのが、「過去現在牒」であった。後白河法皇が自分とそれまで関わりを持った人物の名をそれこそ順不同で思い浮かぶまま書き連ねたものである。


こうした落書き様の覚書をしたためている法皇の孤独な姿を脳裡に浮かべた時、書付けをするその瞬間はただのひとりの老人に戻って、自身の来し方行く末に郷愁とも哀愁ともつかぬ思いを馳せていたのではないかと思ったのである。


権力闘争や権謀術数の日々に明け暮れ、愛憎錯綜した波乱の人生も何のことはない、一瞬のうたかたの夢であった・・・そんなことを考えながらぼんやりと思いつくままに、もう彼岸に渡ってしまった人どもの名を記していった・・・


その達筆とはとても言えぬ字や行頭のそろわぬ書きぶり、さらに不規則な行間の空白などは、その時の法皇の諸行無常の心情がすぐそこに見えるように思えたのである。


長講堂の瓦に六條の六が彫られている
六條の”六”の字が瓦の軒に

そして、平清盛や忠盛、源為義などの書き連ねた横の方に祇王や祇女といった白拍子の名前が記されているなど、法皇を取り巻いた多彩で雑多な人物群像にも思いが至り、興味は本当に尽きなかった。


その一方で、習字など得意でないわたしでももう少しましな字が書けるのではと思わせる、そんな奔放なまでの無邪気さとともに大きな懐をもった人物であったからこそ、あのように武家社会の確立時期に源義経をたぶらかし、老獪な頼朝との間に確執を生ませ、源氏滅亡の道筋をつけ得たのだと感じ入った次第でもある。