10月31日、グランドプリンスホテル新高輪「国際館パミール」において「第55回民間放送全国大会」が開催された。その式典において広瀬道貞日本民間放送連盟会長(テレビ朝日会長)が挨拶を行ったが、その冒頭で放送界は「正念場にある」との現状認識を示した。そのうえで次の二つの課題を乗り越えなければ、「この先長いイバラの道を歩かねば」ならないと語った。その二つの課題とは、一つは2011年に迫った「デジタル化」であり、二つ目が「放送倫理」の問題であった(民放連HPより)。

 

まず「デジタル化」についてはデジタル波の世帯カバー率は全国5,000万世帯の85%に達しこの年末には90%を超えるとの見通しであり、これまでの準備は順調に推移していると評価した。反面、今後の問題としてハード面の整備で山間や海辺の小集落の難視聴地域の解消といった限界コストが膨大にかかる段階に差し掛かっており、デジタル波世帯未カバー率のラスト1%の解消には国や市町村の協力が欠かせぬことを強調した。

一方でデジタル受像機の普及率はメーカー努力による価格低下もあり28%(総務省3月調査)へと着実に上昇しているもののまだ買い替えに慎重な世帯も少なくないとし、全国の福祉施設や経済的弱者に対しても受像機器設置の政府支援への期待を表明した。さらに2011年のアナログ停波が仮に先延ばしとなると、放送各社にサイマル放送継続のための追加コストや投資が発生し、経営的負担が重なることを強調した。

そしてデジタル受像機の普及が不十分なままアナログ停波が実施されれば大混乱のなかテレビ離れが進む極めて深刻な事態が予想され、その意味においてテレビ業界は「正念場」にあるとの認識を明らかにした。

 

二つ目の課題、「放送倫理」については、2007年を「テレビの『放送倫理』を改めて考えさせられる年」と位置づけてみせた。そして今国会で継続審議となっている放送法改正案については「近年の一部の放送番組での演出過剰、情報歪曲がないのかなどの指摘を行政から受けるケースが増加、また視聴者からもその種の声が少なからずあった。そうしたなか年明けに関西テレビ放送による『捏造番組』が発覚し、新聞、週刊誌に連日大きく取り上げられ、それを追い風とするようにして政府は『再発防止を放送局の手に任せておくわけにはいかない』と判断」したとの見方を示した。さらに「改正案にある行政処分の導入については賛否両論あるものの『放送局経営者は日常の番組制作に、もっと真剣に取り組んでもらいたい』と注文をつける気持ちにおいて、与野党を問わず一致しているように見受けられ、私たちは厳しい反省を迫られている」と苦しい胸中も語ってみせた。

 

その一方で、「実際に番組の中身にまで政府の目が光ることになれば、民主主義のインフラとも言うべき表現の自由という根幹の問題に触れてくる。そこで改正案に対し反対を表明したが、ただ反対を叫ぶだけでは、世間の理解は得られない」と、現状のテレビ界を取り巻く厳しい環境認識も示したうえで、「私たちは、虚偽や捏造の再発防止策を政府に委ねるのではなく、自分たちの手でキチンとやっていこうと決心いたしました」とその決意を述べた。

 

その具体的手段として放送倫理・番組向上機構(BPO)の中に『放送倫理検証委員会』を新設したことに言及し、この検証委員会が政府の案よりも数倍強い権限を持つ監視機関を作ったと胸を張った。さらに政府による監視が行なわれる軍事政権・一党支配の国や、独立行政委員会を設ける英米と比較して、わが国がいまだ世界に例のない「自分で自分たちの監視機構をつくるという第三の道」を選び、それは「大いなる実験、価値ある挑戦」であると自画自賛した。そして「第三の道の成否の鍵」を握るのはもちろん放送事業者自身であり、放送番組制作にあたって経営陣から現場までひたすら真摯でなければならぬとし、「実績を重ねることで公権力の介入が不要であることを、国民の皆さまの前に証明していきたい」との覚悟を披歴した。

 

それほどの覚悟と自負心をもって「自分で自分たちの監視機構をつくるという第三の道」であるBPOを今年、強化したばかりだったのである。

 

それでは問うが。

 

BPOの擁する3委員会の一つである「放送と青少年に関する委員会」の副委員長という要職の立場にある人物が大麻取締法違反で現行犯逮捕、起訴された事実を民放連は一体、どう説明し、今後どう自己規律を課してゆこうとするのか。この事件は9月21日、大会のほんのひと月前に起きた事件である。そして当該事件に対するBPOの最終的見解と対応と言ってよい「BPO青少年委員長交代および『斎藤次郎氏解嘱に対する青少年委員会の対応』について」は10月25日付けで公表されたばかりである。その新生BPOの不祥事についてひと言も挨拶のなかで言及せぬどころか、テレビ業界を監視すべき組織、自らが作ったと自負する組織自身の対応策、自浄作用の甘さに何ら触れぬことに、この業界が本当に「言論と表現の自由」を死守しようとの覚悟をもってこれからどう臨もうとしているのか疑わざるを得ず、真面目な姿が見えて来ぬのである。

 

広瀬会長は最後に「放送局は何を社会に提供するか」と若いテレビ局の社員に問いかけた話を紹介して挨拶を締めくくっている。返答は「人が良い行いをするとき、背中を後押しする風を提供しているのではないでしょうか」であった。模範的な答えである。

 

しかし、遠くモンゴルまで追っかけて朝青龍を取材したり、全局をあげて亀田一家報道に狂躁(きょうそう)しているのがテレビ局の日常的なひとコマである。「背中を後押しする風」を提供するコンテンツが、まさか「亀田一家」や「朝青龍問題」であると本気で制作現場や放送界の若い社員が考え、経営者が考えているのだとは思いたくはない。ただ、その若い社員の言葉と日常放映されている番組との間の乖離(かいり)が余りにも大きいのも残念ながら事実である。

 

その実態を見せつけられるわたしに、今回の会長挨拶は「正念場」に立つ経営者の覚悟の声としてはとても心に届いては来なかったのである。

 

こうした甘い認識と対応で今後とも突き進んでゆけば「アナログ停波を実施すれば、大混乱が生じテレビ離れが進む」などといったハード面の問題などではなく、メディアとして価値がないのだという本質的な「レーゾンデートル(存在意義)」の問題として「テレビ離れ」が生じる、いやすでに生じているのだということをテレビ事業に携わる人々は強く肝に銘じるべきである。