「ハンセン病療養所胎児標本問題に厚労相が初の謝罪」

 

 全国の国立ハンセン病療養所などに強制的に堕胎されたとみられる胎児や新生児のホルマリン漬け標本115体が残っていた問題で、元患者や専門家が国に対し真相の解明を求めていたが、この614日、川崎二郎厚生労働大臣が、ハンセン病療養所の入所者代表(全国ハンセン病療養所入所者協議会=全療協の幹部)に国として初めて謝罪を行なった。

 

毎日新聞06615日 東京朝刊(北川仁士記者)

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060615ddm041040017000c.html

 

 ハンセン病は、かつて「ライ病」と呼ばれた。そして、ながきに亙り誤った知識や根深い偏見により、謂われない差別が個人のみにあらず、国家によって行なわれてきた。わたしがハンセン病という病名がかつて「不治の病と恐れられたライ病」と呼ばれていたものであることを知ったのも、おそらく二十数年ほど前のことであったかと思う。それほどにわたしのこの病気に対する認識はあまりにも浅く、既に過去の病、出来事とさえ思っていたのである。

 

簡単にハンセン病の歴史を述べると、1873年(明治6年)にノルウェーのアルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrik Armauer Hansen)がライ菌を発見。そのことでハンセン病は、遺伝ではなくライ菌が末梢神経細胞内に寄生し発症する感染症であることが解明された。しかし、特効薬が出現するまでにはそのあと70年と云う歳月が必要とされた。

 

その間、わが国では、1931年(S6年)、すべての患者を終生隔離する絶対隔離へ方針転換する「ライ予防法」(旧法)が成立した。これにより、それまでは自宅で療養可能であった患者も、国家権力により強制的に療養所と呼ばれる隔離施設へ収監されることになった。正に差別を超えた非人道的悪法により、多くの人々が凄惨というか、適切な言葉を見出せぬ凄絶な人生を国家によって強要されたのである。

 

そして、世界的には1943年(s18)になり、ようやくアメリカのファジェ(Guy.Faget)により特効薬プロミンが開発され、ここにおいてハンセン病は治療により治癒する病気となった。

 

それにも拘わらず、戦後わが国では1953年(S28)に至り、悪名高い「らい予防法」(新法)が制定された。国会での療養所の三園長が「患者を強制収容できる権限の強化」「断種手術の患者家族への拡大」「(療養所からの患者の)逃亡罪という罰則規定」を訴えるなど、およそ世界の時流と反する非人道的証言がなされたことが、ハンセン病が非常に感染力の弱い感染症であるという科学的事実を無視し、旧法にある従来の強制隔離政策を踏襲する新法が制定されたのである。

民主主義国家としてあってはならぬことが、国民の代表で構成される国会において堂々と議論され、非人道的旧法が殆ど改善されることなく、新法の制定に至ったのである。

 

世界の流れは、ローマ会議(1956年)、第7回世界らい学会議(1958年)、WHOらい専門部会勧告(1960年)などに見られるように、絶対強制隔離の廃止、開放治療を勧告するなど、大きな変化を遂げていった。そうした流れに沿うこともなく、わが国のライ病行政は何ら変更されることなく因循として継続されたのである。そして、わずか10年前の1996年(H841日になって、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が施行され、「ライ予防法」が廃止されることになった。世界の動きに遅れること約半世紀である。私を含めそのことに無知であり、無関心であった国民の罪はあまりにも大きいといわざるを得ない。われわれは消極的であったとは言え、元患者の方々に対し確かな加害者であったことを肝に銘ずべきであると考える。

 

一方で、1998年には国立療養所(星塚敬愛園・菊池恵楓園)の入所者13名が国を相手に「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」を熊本地裁に提訴した。

そして2001年(H13511日に、厚生省、国会の責任を認める有罪判決が下った。国は控訴を断念し元患者や遺族に補償金が支払われることとなり、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が制定された。また国は全国紙に二度にわたり謝罪広告を掲載することとなった。ここでようやくわが国のハンセン病行政が転換を見ることになったといってよい。

 

 ハンセン病の差別と苦難の歴史は、こんな簡単な記述で到底、尽くされるはずはない。しかし、その大きな流れを把握し、一国民として「知らなかった」ではすまされぬ「凄惨な人生」を原罪意識を持って、少しでも理解、認識をするうえで、今回の胎児標本問題を契機に、まず、概略を述べた。詳しくは、国立療養所多磨全生園(http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/)の中にある高松宮記念ハンセン病資料館のHP(http://www.hansen-dis.or.jp/)に元患者の方々が舐めてきた筆舌に尽くしがたい、辛酸で、あまりにも冷酷非情な歴史が詳しく記述されている。日本人として、その犯してきた罪を重く受け止め、認め、謝罪するためにも、是非、このHPをご一読いただきたい。

 

 次回に、わたしがたまたまハンセン病の歴史を知り、驚き、多磨の国立療養所全生園を見学するにいたる契機となった、元患者の平沢保治(やすじ)氏(78歳)の講演について、その時受けた思いについて述べてみたいと考えている。

 


いのちの森を守る―ハンセン病の差別とたたかった平沢保治