日経新聞 患者の目

 日経新聞の日曜日の「患者の目」と云うコラム欄に拙文が5回に分けて掲載されたものである。三月五日(日)掲載分から順次、転載したい。掲載文は字数の関係で一部削除せざるを得なかったが、ここに記述されたものは、削除前の文章である。全国で同じ脳卒中で苦しんでおられる方の少しでも力になれれば幸いであると願っている。

1.人の生き死には「運」と「気」

(日経新聞三月五日日曜日掲載)

 

丁度五年前の三月、小糠雨の振る夕方に私は決して軽くない中規模の脳出血に襲われた。外出先から戻った私は頭がぼ〜っとし左手に軽い痺れを感じて、念のためと階下の社内診療所へ向かった。その間吐き気はなかったが、まるで雲の上を歩くようで途中からは足を運ぶのも難儀であった。ソファーに座ると「どうした?」と、所長が訊ねた。「体躯の左側が・・」と口を開いた途端、左顔面の感覚がざ〜っと潮を引くようになくなり、左腕、左脚と上から下へ知覚喪失が広がった。その時、言語を失う恐怖が頭を過ぎった。「先生、僕の言ってること分かる?」「大丈夫!痺れは左でしょ、であれば言語障害はないよ」そのひと言はその時の私にとり最も当為な医療措置であり、気持ちは一挙に落着いた。救急車が到着する間、血圧降下の注射を受けた。後日、恩人の所長から「四十年近い医師生活で眼の前で脳出血した人は初めてだ」と笑われたが、先生の適切な処置が私の命を救い障害の程度を抑えた大きな要因であったと深く感謝している。

 

 病院に運び込まれるとまずCTを受けたが、その辺りから記憶が斑になっている。ICUでは主治医から簡単な足し算の質問を受けたが、ぼ〜っとした頭で「馬鹿にしてるのか」と思いながら数字を口にした。その不遜な答えが正解か否かは未だ確認はとれていない。そして集中的な点滴治療が始まったのだろう、そこからの記憶は翌朝、目が覚めるまで途絶えた。その間、別室で主治医から「視床出血で手術は不可能。二十四時間以内に再出血がないこと等が生存の必須条件」と家族は説明を受けていた。後日、会社の先輩が見舞いに来られ「今回、死ぬかも知れぬと思った瞬間はあったか?」と問われた。私は微塵もなかったと応えた。「それなら大丈夫だ、俺がそうだったから」と力強く励まされた。先輩は以前、命に係る大病をし見事に復帰された。その時、生命とは不思議なもので患者の「運」のみならず「気」というものが人の生き死にに大きな影響を与えることを知った。

 

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