彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

小泉総理

小泉首相の終戦記念日靖国参拝は最後屁3

小泉首相の終戦記念日靖国参拝は最後屁

 

 今朝の大手各紙は小泉総理の閣議(午前十時)前の靖国参拝の予定を伝えている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000008-mai-pol

(毎日新聞815日)

 

 退任を来月に控えたこの終戦記念日に五年前の自民党総裁選のもう反故になったような自民党員への公約を、さも国民に対する粛然たる「公約」かのように思い込ませて、とうとう、国民にとり静かに戦没者を悼み、平和の誓いを新たにしなければならぬ終戦記念日に、国際紛争の火種にもなりかねぬ「A級戦犯を合祀する靖国神社」への参拝を強行すると云う。

 

靖国石碑

 

靖国と大村益次郎菊のご紋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何たる愚行! 今、TVをつけたら公邸を出発し靖国神社へは740分頃に到着するという。

 

 退陣を前にして、「公約」を守る信念の男を演じてみせる小泉氏の子供じみたこの行為に、正直天を仰いで、慨嘆せざるを得ない。こんな人物が何故、われわれ国民の指導者なのか。いつものように幼児性に満ちた行動パターンは、真に最後まで貫き通された。その意味では幼児と言いながら、この人物の精神構造は異様なまでに動脈硬化を来たした老人の頑なさを示しているとも言ってもよい。

 

 国民を正しき道に導くべき政治家の総帥が成すこの愚かなる行為。導かれるはずの国民であるわれわれが、しっかりと目を見開き、この小泉という人物が演じる最後の「クサイ!最後屁のような劇」を見てみよう。そして、小泉劇場の本質は何であったのか、劇後にじっくりと考え直してみよう。まだ、終演までにはもう少し時間がありそうだから・・・。

 

拝殿への入り口

拝殿前

軍旗を持つ参拝者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わたしも終戦記念日には始めての靖国神社参拝であった。今朝方の小泉総理の参拝の影響か、境内は午後になっても混雑を極めていた。246万人におよぶ(A級戦犯を除く)英霊と呼ばれる戦争被害者は、もっと静かな環境で、国民から哀悼の誠を捧げてもらいたいと思っているのではないかと、雑踏のなかを歩きながら思った。そして、参拝者の方々も様々で、ご遺族と思われるご高齢の方の姿は少なく、ここぞとばかり世論に訴えようとする者、アベックで物珍しそうに参拝する若い人たちの姿がやけに目についた。小泉総理は靖国神社までも、騒々しい三流劇場にしてしまったのかと溜息が出てしまった。

 

九段坂若い参拝者

若い参拝者

活動を行なう参拝者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彦左の正眼 「小泉施政5年の総括

 

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昭和天皇 A級戦犯合祀(ごうし)が靖国参拝の中止の原因5

昭和天皇A級戦犯合祀が靖国参拝の中止の原因

 

靖国神社靖国神社2靖国神社3 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小泉施政五年の総括」をこのブログで行なっている最中に、(http://hero1945.livedoor.biz/archives/cat_10006317.html

靖国参拝問題を論ずるうえでとてつもなく貴重な資料が公表された。内閣の首長である内閣総理大臣が靖国神社を参拝するということが、どのような意味を持ち、それがアジア諸国との関係に大きな影を落としていることが、何故、問題にされるべきなのかを、明快に解き明かす必要で十分な資料である。

 

それは、720日の日経新聞一面に掲載された、昭和史のなかでも超一級の価値を持つ故富田朝彦氏(元宮内庁長官 在職78.588.6)のメモである。以下に富田メモの靖国部分全文を原文のままに記載する。

 

『私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが      

筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている

だから、私あれ以来、参拝していない それが私の心だ』

 

 昭和天皇が昭和5011月を最後に、靖国神社への参拝を行なわなかったわけがとうとう明らかにされた。これまで陛下が国の為に命を落とした赤子(せきし)のために戦後8回も続けてこられた靖国神社への参拝を、昭和50年を最後にピタッとお止めになられた理由について、二つの憶測が流されていた。

 

 ひとつは、昭和50年8月に時の総理三木武夫が首相として初めて終戦記念日に参拝を行ない、その時以降、総理、閣僚が参拝する際に、「公人」「私人」どちらの立場で参拝を行なったかが、必ず問われるという、靖国参拝が英霊の鎮魂という行為から離れて、つとに政治問題となったとする意見。

 もうひとつが、昭和5310月(88.10)のA級戦犯14人の合祀にあるとする説である。合祀の事実が表面化したのは、半年後の昭和544月(89.4)であったが、合祀を不快として昭和天皇が一切、それ以降、参拝を中止したとする説であった。

 

 靖国神社は「公人・私人議論が激しくなり、天皇は当然、公人であるから参拝を中止された。A級戦犯合祀とは無関係」と主張してきた。しかし、当の天皇は89年に薨去(こうきょ)されるまで、その理由については一切、口を閉ざされたが、今回、肉声ともいうべき聞き書きメモが出てきた。この内容は正に上述の参拝中止の憶測議論に終止符を打つ、明快なものである。

 靖国神社大村益次郎遊就館遊就館前景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、記事の出た20日午後、小泉総理は自らの靖国参拝に与える影響について「ありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人が行ったからとか、いいとか悪いとかという問題でもない」と語った。今後の靖国参拝について聞かれて、「それぞれの人の思い」、「心の問題」と、他人事のように片付ける小泉氏(これから、敢えて個人名で呼ぶことにする)。行政府の長、三権分立といいながら実質、国家の最高権力者たる「総理」というポストをどのように考えているのであろうか。一市井の個人であれば、憲法で思想・信条の自由が保障されているのだから、靖国神社を参拝する行為は全く問題とされないことは当然である。

 

しかし、小泉氏は誰が何と言おうが、「内閣総理大臣」なのである。そして、内閣総理大臣とは憲法第65条の「行政権は、内閣に属する」に続く第66条において「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」とされている。そのうえで、第73条において「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行なう」として、その第二項で「外交関係を処理すること」をその重要な責務と定めている。

 

 わが国の外交関係の処理の最終責任者は、内閣の首長たる「内閣総理大臣」にあることは、こんな憲法まで引合いに出さずとも自明である。しかし、こと「小泉氏」には、憲法を示さねば、「あなたが首長である内閣は国民から外交関係の処理を全面的に負託されているのだ」という己の責務を理解して頂けないのではないかと、老婆心ながらこんな失礼なことを申しているのである。

 

「それぞれの人の思い」、「心の問題」とそれこそ「易々(やすやす)と」口になど出してもらいたくない。為政者として、思慮なき靖国参拝というパフォーマンスによって、日中・日韓関係に留まらずアジア外交に大きな亀裂を生じさせ、国益を大きく毀損(きそん)させた「小泉氏」の「内閣総理大臣」としての責任は極めて大きい。

 

昭和天皇に「(国民を戦地に送り、生命を奪った)A級戦犯の合祀が参拝を中止した私の心だ」と言わしめた意味は重く、その悲痛なお心を察するに云うべき言葉を探し出すことはできぬ。国民の象徴たる天皇は、A級戦犯合祀という行為が持つ意味をよく理解され、それが周辺のアジア諸国との関係にどのような影を落とすかを瞬時にご理解され、ご自身がなされるべきことが何かを即座に悟られたのだ。今回の富田メモはアジア外交において窮地に立つこの日本を救ってくれるのかも知れぬとも思う。

 

それに反し、小泉氏の今回の反応はあまりにもダル(Dull)である。もし、この8月15日に参拝を決行することにでもなれば、これまでの罪どころではなく、後世の国民にまで大きな重荷を背負わせてしまうことになると断罪するしかない。

 

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小泉施政五年の総括3

「小泉施政5年の総括 

 

(連載 銑─

 

今から52ヶ月前の平成13年4月26日の午後、衆参本会議での一致した議決で、小泉純一郎衆議院議員が87代目(56人目)の内閣総理大臣として国会指名を受けた。

 

同日夜の総理親任式及び国務大臣認証式の後、内閣総理大臣談話を発表。その中で、「政治に対する国民の信頼を回復するため、政治構造の改革を進める一方、『構造改革なくして景気回復なし』との認識に基づき、各種の社会経済構造に対する国民や市場の信頼を得るため、この内閣を、聖域なき構造改革に取り組む『改革断行内閣』とする決意です」と述べた。

 

続けて「改革を推進するに当たって、常に、旧来の利害や制度論にとらわれることなく、共に支え合う国民の視点に立って政策の効果や問題点を、虚心坦懐に検討し、その過程を国民に明らかにして、広く理解を求める『信頼の政治』を実施してまいります」と高らかに語り、小泉内閣はこれまでにない内閣支持率を追い風にこの日本丸を海図なき航海へと船出させたのである。

 

【4.26        内閣総理大臣談話】

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0426danwa.html

 

それから、はや5年が過ぎた。この9月の自民党総裁選を機に、総裁の椅子を降りると宣言し、618日に第164回国会を終えた今、大手メディアは後継者予想とその品定めに忙しい。

 

そして国会閉会を心待ちにしていたかのようにして、小泉総理は30日にテネシー州メンフィスの故エルビス・プレスリー邸「グレースランド」を訪問するため、北米へと旅立った。一応、直接にメンフィスを訪れるのも気が引けるのか、カナダのナイアガラの滝を先に見学して、「壁がグリーンだと思ったんだけど、流れがグリーンだったんだね」と、感嘆の声を上げて見せた。そうはしゃぐ小泉総理の瞳に国内で明日の糊口をどう凌(しの)ぐかを寝ずに悩んでいる民がたくさんいることを案じる光は、ひと時も灯ることはなかった。

 

20日、北海道の夕張市は、自治体の倒産にあたる「財政再建団体」になると表明し、総務省に申請をすることとなった。地方経済の荒廃が言われだして久しいが、とうとう、自治体の崩壊が始まった。第三セクターをふくめて夕張市の事例はまだまだ氷山の一角に過ぎないのだろう。

一方、安全保障面では、北朝鮮のテポドン2号の燃料注入、発射の懸念も拭えぬ状況である。

 

この内外情勢のなか、国会会期の延長を頑なに拒み、教育基本法案など重要法案を積み残したまま、あえてカナダ、アメリカへわたる必要があるのだろうか。国民は果たして、こうした小泉総理の政治に対する姿勢について本当に納得しているのだろうか。退陣表明の後も、まだ40%の支持率を維持する化け物総理の5年におよぶ政治の総括を始めたいと思う。

 

△砲弔鼎



 

小泉総理の国会軽視の無責任5

「小泉総理の国会軽視の無責任」

 

 6月4日(日)午前六時からのTBSの「時事放談」を見た。今朝のゲストは藤井裕久氏(元民主党代表代行)、野中広務氏(元自民党幹事長)の二人で、テーマは「社保庁に喝、野中」であった。司会はいつもの岩見隆夫氏(毎日新聞特別顧問)である。

 

 社保庁の問題はこのブログでも以前、述べてきたので、今朝は、番組の中で両氏が共に発言された「行政府の長である小泉総理の一言で、国会会期延長が決まってしまうのは、おかしい」「本来、両院議長と与野党幹事長とで、協議するのが立法府のありかた」に、「その通り」と、大きく頷いたわたしの意見を述べたい。今国会は小泉総理5年間の施政の検証を行なう重要な国会であったはずであり、加えて重要法案が目白押しで、その審議は集中的、かつ精力的に行なわれるべきであった。そのことにつきわたしは民主党代表選の日(4月7日)に、「民主党代表選挙―国会会期はまだ残っている」で、述べた。

 

 しかし現実は、共謀罪のドタバタ審議(採決されなかったのはよかったが・・)、行政改革推進法案、教育基本法改正案、アスベスト健康被害者救済法案、医療制度改革関連法案、建築基準法改正法案、防衛省設置法案、官製談合防止法改正案、国民投票法案など他に国民にとって重要な法案審議がそれこそ目白押しの状態であったが、ほとんどが積み残し、継続審議の憂き目を見ようとしている。小泉内閣が本気でこの国の将来を見据えた「骨太の改革」を推進するのであれば、こうした法案審議に真摯に取り組み、その必要性を国民に明快に説明、理解を求めるべきであった。

 

 小泉総理の心は既に、6月18日の会期終了後の訪米、そしてメンフィスのエルビス・プレスリーの邸宅訪問へ飛んでいるのであろうか。国会での答弁の投げやりで醒めた態度を見ると、その意を強くせざるを得ない。国政を与かるトップの態度とは思えぬ無責任さである。

 

 「時事放談」で、藤井、野中両氏が、国会延長のことに触れたのも、そうした総理のやりたい放題の国会運営と、立法府と行政府の役割がごちゃごちゃになっている現状に大きな警鐘を鳴らしたものとして、わたしはこの両氏の意見を傾聴したのである。そして「今の国会議員の中に、長いものには巻かれろ的な風潮がある」という藤井氏の言にも大きな重みと時代の不幸な流れを感じ取った。

 

総理の資質とは何か―崩壊する小泉改革

福田康夫氏の正論5

 福田康夫氏の正論

 李外相は7日の記者会見で、小泉総理の靖国参拝問題に関しドイツ当局者の話として、「ドイツ人も日本の指導者がばかげた不道徳な行為をなぜ行うのか理解できない」と強調、「ドイツの指導者は戦後、ヒトラーやナチスを崇拝していない」などと発言したとのニュースが飛び込んできた。相変わらず中国の小泉外交に対する批判は激越で、日中関係はとうとう度し難いところまでに冷え込んでしまったように見える。

 小泉総理一人の「頑迷固陋な依怙地」が日本の国益を大きく毀損しようとしている。この道を進み続ければ、日本は確実に世界で孤立することは確かである。ただ唯一の救いは情けないことだが、中国政府の大人の対応であると云うことだ。李外相の激越な言葉とは裏腹に中国政府の対応が冷静に先を見通した姿勢で終始し始めているように思えることである。つまり、小泉氏が総理でいる間は放っておけ、次の首相になるまでは中国側からこれ以上、殊更に日本を追い詰め日中関係を悪化させようとすることは得策でないとの大人の判断がなされているように思える。残念であるが、その中国の百年先を見詰めた対応が日中関係を抜き差しのならぬところまで追い込まずに、崩壊を免れていると云えよう。

 こうしたなかで、数日前の福田氏の講演会における発言は、この外交的国難を救ってくれる道筋を示したものとして、後世、高く評価されるべきものと云える。「日本の今後の成長の源泉は中国を初めとしたアジア諸国との関係充実のなかにこそ見出される」。稚拙な小泉外交と竹中氏の米国を向いた経済政策が米国に隷属する国家にこの国を貶め、アジア諸国の尊敬を見事に喪失せしめた現在、この福田氏の発言は日本を尊厳ある国家に引き戻す最初の第一歩であるように思われるのである。独裁者的総理になってしまった小泉総理に久しぶりに正面から堂々と物申す、真に本物の政治家の発言を聴いた気がする。先の総選挙での刺客騒ぎはお祭りではない、ファッショの萌芽であった。

 その後の自民党政治家が小泉政策に対し表立った抵抗をしなくなったことに一国民として尋常でない恐怖を感じる。これは本当に九月には小泉総理に退出してもらわねばならぬ。そして、後継者はそのファッショの尻尾を引き摺ることのない人物でなければならぬ。最近の物云わぬ自民党、自ら墓穴を掘り政治腐敗の追及が出来ぬ民主党と云った政治情勢の混乱を目にすると、ますますその意を強くせざるを得ないし、中国や韓国の関係を考えると九月まで悠長に待ってなどいられないと焦慮の感に襲われる。

 そして今回、福田氏に政治家像のひとつの理想像を見たような気がする。まず、メディアに媚を売らぬ。やたらTVに顔を出し、底の浅い見え透いた議論とも云えぬコメントを垂れ流す似非政治家を見せ続けられると、その控え目な姿勢が際立って高邁に見えるから不思議だ。加えて官房長官時代のメディア対応も水際立っていた。次に出処進退のあり方を自らの美学として持っていると思われる点である。今回の民主党の偽メール事件における民主党執行部の対応と対比すれば、そのことは一層、明瞭である。最後に、この点が最も大切なことだが、権力に対する我欲がギラついて見えないことである。私欲でなく国益を一番に考えて判断のできる政治家が少なくなった今日、福田氏の登場はこの国難の時代にどうしても必要であると考えるに至った次第である。誠に申し訳ないが福田氏には日本国のために一命を捧げていただきたいと心底、強く願うところである。

 

 

 

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