秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能
まだ11時ではあるが、歩き疲れもあり、本町交差点近くのビルの2階にあるジョナサンで取りあえず腹ごしらえ。
窓際の席があいていたので、そこに坐る。ここから本町交差点へ向かう屋台や笠鉾を目の前に見ることができるはずである。そして、われわれは目論見通りに食事中に通過した“下郷笠鉾”の曳行を見ることができた。
まさに間近で見る白木造りの笠鉾の屋根に彫られた仙人と鳳凰の彫刻は素晴らしい。
そして、4千枚ともいわれる金色の飾り金具を纏った笠鉾はキラキラと輝き、神々しくさえ見えた。
食事を終え、外へ出ると、先ほどの下郷笠鉾が秩父神社境内に向かうため方向転換をしようとしている。いわゆる“ギリ廻し”が行われているのだ。重さ20トンの笠鉾を人力だけでギリ廻す、大変な智恵と技である。
本町交差点を直角に曲がった笠鉾がゆっくりと神社への参道へと入ってゆく。
その姿を左手に見ながらわれわれは見物客であふれかえる本町通りをまっすぐ歩いてゆく。
遠くに屋台が見えてきた。
四台の屋台のなかで一番大きな鬼板(屋台前後の両端を飾る板)を掲げる“中町屋台”である。前部の鬼板は天の岩戸開きが掘り出されている。
屋台の上で、地方(じかた)の伴奏による曳き踊りが子供の演者によって披露されている。
演目は“雨の五郎”、本格的な見得を切る立方(たちかた)の男の子、相当な練習を重ねてきたに違いない見事な所作である。
この屋台の後ろ幕には荒波を泳ぐ赤い魚。鯛であろうか、これも豪華である。そして、後ろの鬼板の意匠は素戔嗚尊(スサノオノミコト)による八岐大蛇退治となっている。
さらに進むと、次に“中近笠鉾”が見えてきた。本来は花笠がつけられていたが、電線が架設された大正3年から笠をはずして曳行されるのだという。
この笠鉾は少し小振りだが、その分、瀟洒で端正な風格が漂う。総体は黒塗りでどこか宮殿風の造りとなっている。
この中近笠鉾は常に秩父神社を一番に出立し、御旅所に“いの一番”に到着する役どころなのだそうである。
それから、御旅所なるものを見ることが可能であればと、桟敷席の確認も兼ねてお花畑駅の方へと向かう。
その道すがら、“上町屋台”が路上に止められ、お昼の休憩をとっていた。
間近にじっくりと見上げる上町屋台はやはり、迫力満点である。
四台の屋台の内、最も大きな屋根を持つ屋台なのだそうだ。前面の鬼板は応婦人と龍が彫出されていて、それは見事である。
後方に回ると、秩父夜祭の屋台ショットでよく目にする金糸を垂らした鯉の滝上りを見ることが出来た。
後面の鬼板も素晴らしいのひと言。
そして、お花畑駅の踏切。
いよいよ御旅所も近い。
踏切からまっすぐに団子坂、その先に開けた御旅所前の広場の入口が見える。
踏切を越すと、両脇の家々に“当日桟敷席有り”といった張り紙が貼られている(今年は平日なので、席が余っているのだろうか)。
秩父夜祭のクライマックスとも云える“団子坂の曳き上げ”と屋台の上に昇る花火を観るには、ここが最良のポイントであることは確かである。
最大斜度25度という団子坂。団子坂上より見た写真である。
見た目にはさほどの勾配を感じさせないが、ここを重さ12〜20トンもある屋台や笠鉾が上ると思うと、見ぬ前からその豪壮な光景が目に浮かぶ。
御旅所前の広場(秩父公園)はかなり大きい。ここに午後8時過ぎ頃からこれまで見てきた屋台や笠鉾がぞくぞくと上って来るのである。
自分たちの桟敷席の場所を大体の目星で確認していると祭りの係りの方がやって来て、この筋の上あたりだと
教えてくれる。親切である。
桟敷席の正面に、高い幟の立ったところがあるが、ここが御旅所であった。
この御旅所に秩父神社の御神輿が渡り、ご斎場祀りが執り行われる。
御旅所には妙見菩薩を表わしているという亀の形の「亀の子石」がある。
この場所で年に一度だけ、12月3日の夜に秩父神社に祀る妙見菩薩(女神)と武甲山に棲む龍神(男神)が逢い引きするのだと言われている。何とも艶っぽいといおうか気宇壮大なデートではある。
御旅所桟敷も無事確認したわれわれは、次に秩父神社境内で催される屋台芝居を見るため、神社へと移動することにした。
昼を過ぎると、神社近くの筋という筋には多くの人が入り込み、その混雑ぶりは、朝方の景色とは様相を異にする。
境内に入ると、6台の屋台・笠鉾のうち、まだ目にしていなかった“宮地屋台”が神門前で曳き踊りを奉納している最中であった。
この町は一貫して曳き踊りは“三番叟(さんばそう)”を奉納するとのことであった。
こちらも立ち方いわゆる踊り手は子供であったが、その所作は玄人跣(はだし)であり、日ごろからの修練の積み重ねであると感じたものである。
この宮地屋台の後幕がまた印象的である。
“猩々(しょうじょう)”という顔は人間、躰は紅色の体毛で覆われ、声は小児の泣き声に似て、人語を解するという想像上の怪獣だという。なかなかに怪異である。
そしていよいよ、年当番の本町による屋台芝居の開演となるが、これは次稿に譲ることにする。