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ポケモンGOが日本全国を大騒動の渦中に巻き込んでいた7月下旬、38年前の新婚旅行で訪ねたきりの奈良桜井市の室生寺を参拝した。
そこで、ピカチュウならぬレアもののポケモンに遭遇したので、ご紹介することにする。ポケモンの名前は智舟(チシュウ)さんといって、タイプは親切、さわやか、人なつっこいといったもので、対峙する参詣客や観光客を一瞬にして虜にするなかなかの優れものキャラである。
当日、長谷寺から廻ってきたわれわれ夫婦は太鼓橋を渡って、“?”
楼門をくぐっても“ハテナ”・・・ 38年前の光景、記憶は呼び戻されない。
鎧坂を登り始め、かすかにこの広い石段、見覚えがあるかなといった程度。
でも、こんな手すりがあったかな・・・記憶にない
石段を登りつめた先。石垣の上に国宝の金堂。う〜ん、見たことがあるような。
その手前左手に弥勒堂がある。
お賽銭をあげ、お参りする。ご本尊の小さな弥勒菩薩の右手の仏像にどこか見覚えが・・・
一木造りの釈迦如来坐像で、国宝なのだと堂内の僧侶が親切に説明してくれた。ここで、記憶がフラッシュバック。
「このお堂の中に50年近く前に入ったことがある」というと、
「その頃は堂内に入って間近に仏さまが拝めていた」との返答。
中学か高校の修学旅行でこの仏さまの前に正座し、一木造りのお釈迦様を仰ぎ見たことを思い出した。
漣波(レンパ)式の衣の襞(衣紋)の今にも微風にたなびきそうな繊細な彫り、さらに左足を右太ももにのせた半結跏趺坐(ハンカフザ)の足の裏に浮き出た木目の美しさに目を奪われた遠い昔の一瞬の感動が蘇った。
それを家内に伝えたが、修学旅行で室生寺は訪ねていないとのことで、わたし一人がこの弥勒堂で盛り上がる。二人の時の記憶がないわたしが恨めしい。
次に国宝・金堂をお参り。正面の榧(カヤ)の一木造りの国宝、釈迦如来立像ほか素晴らしい仏像群を拝観。
ここでも堂内の僧侶から詳しい説明が。釈迦如来と薬師如来の間の隙間から帝釈天曼陀羅と呼ばれる国宝の板絵が見えると教えられ、目を凝らす。縦に隙間分だけの彩色しか見えぬが、普通では気が付かぬことゆえ有難味がわく。
さすが女人高野、どこもやさしいねと二人して満足。
さらに本堂、五重塔へと石段を登っていった先、石段10段ほどの高みに国宝の本堂(灌頂堂)が見える。
楓の新緑を手前に配し、軒先を反らせた檜皮葺・入母屋造の姿態は室生の空に今にも羽ばたいていく霊鳥のように見えた。そこで燈明を灯し、光明真言を唱える。
次にいよいよ日本最小の五重塔へ向かう。2年前に京都・南山城の海住山寺(カイジュウセンジ)で見た五重塔が日本で下から二番目で、最小は室生寺なのだと知った。
その可愛らしい国宝の五重塔は平成10年9月22日、台風7号の直撃を受け、樹齢600年の杉の巨木が倒れ込み、損壊した。その修復なった姿がどんなものかと恐る恐る見上げた。
あぁ〜美しい。38年前、どこか幽玄の美を醸す景観に二人して吐息をついた記憶が鮮やかに呼び起された。
そして、一見、二見、どこがどう壊れたのかわからぬ。当世の宮大工の匠の技に感服仕切りである。だから、損壊・修復したといえども国宝のままなのだそうだ。
塔左奥に損壊の元凶たる杉の古株が残っていた。切り株といっても家内の身長を越える高さで、室(ムロ)は大人二人がゆっくり入れるほどの大きさである。よくぞ五重塔が全壊しなかったとこの古株を目にして思ったものである。
それで、ポケモン、いや、智舟さんはどないしたんやということだが・・・
実は、室生寺を訪ねる参拝客はこの五重塔を見上げたところで、大体は回れ右して拝観を終了する。38年前のわれわれもそうであった。
しかし、室生寺の真骨頂はこれから400段も続く急こう配の石段を登った先の奥の院にあったのだと、われわれは38年ぶりに知らされることになるのである。
われわれは今回挑戦しなければ、これから体力は衰えるばかりで奥の院を目にすることはもうなかろうと語り合った。
ただその決意や良としても、このわたしがこの先の石段を踏破できるか、それが大問題である。そこで途中で名誉の転進もありとの調停案がまとまった。それでは突撃あるのみと室生の山懐深く分け入った。
これまでの参道とは明らかに周りの雰囲気、景観が異なる。勇断を早くも後悔し始めるわたしである。
朱塗りの無明橋を渡った先の階段を見上げた。気が遠くなるとはこのこと。
天空まで続いていると見紛う急こう配な石段。
見れば、両脇に心ばかりの手すりがついている。ままよ、だめならリタイアだと最後の蛮勇を振り絞り、死の登攀を開始。
不甲斐ないが、ハァハァ、ヨイショヨイショと無意識に声が漏れる。頭から額から滝のごとく汗が流れ落ちる。
そして、見えてきた懸け造りの建物。あれはなんだ。奥の院にあんな大きな建物があるのか。
エベレスト登頂者の気持ちとはこんなものかと思いつつ、少しずつ大きくなる懸け造りを心の支えに、ゼイゼイと息を吐きながら一段、一段、歩を進める。
そして、最後の階段。
頂上制覇である。
天界は想像した以上に光芒に満ち、きれいに整地された空間であった。
頂上踏破の感慨にふける余裕もないままただただホッとして、納経所横の休憩所にへたり込む。
一方の家内は登攀の疲れも見せずに納経所で何やら言葉を交わしている。
一息ついて懸け造りの常燈(位牌)堂へ向かおうとすると、ポケモン?いや、一人の若いお坊さんがにこやかに近づいてきた。
この後、下山して、かき氷を食べた橋本屋という旅館で、とても好印象のお坊さんに巡り逢えたことを話すと、
「それは智舟さんに違いない」と即答。奥の院で撮った写真をお見せすると、
「そう、この人が智舟さん」と、彼がいかに参拝客の間で好感をもたれているか、お参りに来られたお客さんはみなさん、いいお坊さんにお会いできたと喜んで帰られるのだという人物である。
その日、われわれは智舟さんから心尽くしの説明を受けた。大師堂は宝形(方形)造りで、上空から屋根を見ると正方形なのだとか。
その上にのる石の露盤と宝珠はひとつの岩から掘り出したもので大変珍しいと。
また、その奥の岩山に立つ七重石塔。
室生山に諸仏が出現した場所故に七重の石塔を建て祀っているのだとよどみなく説明を重ねる。
そして、大師堂を背景に「お二人の写真をお撮りしましょう」と言われた際にはびっくり。お坊さんがそこまで親切にしてくれた経験がなかったのである。我が家の居間には早速、その写真が飾られている。
お位牌がずらっと並んだ常燈堂は、遺骨の喉仏を納骨すればどなたでも永代供養して頂けるとの話もうかがった。
さらに懸け造りの回廊へ向かうと、そこでも二人の写真を撮ってくれた。奥の院にわれわれ夫婦だけだったとはいえ、このおもてなしは望外の喜びである。
聖地における思い出はこれからの二人の語らいに度々登場し、この日、奥の院で見上げた青い空に吹き渡る涼風を想起させてくれるに違いない。
二人の心にこれから先、室生寺の薫風を届けてくれる智舟さん。その日は奥の院におられたが、ある時は本堂に、また、ある時は別のところにと居場所はかわるのだと橋本屋はいう。
室生山に棲むというポケモン、いや、無量の風の薫りをあなたに届けてくれる智舟さんを探しに“智舟さんGO”と、室生寺へ急ごうではないか!!