讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(5/5)
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4 鏡塚古墳


【鏡塚古墳】

次に石船塚古墳から北へゆるやかな登りを30mほどゆくと草むらを迂回した先に鏡塚古墳が見えてくる。

41鏡塚古墳が見える
突当りの石組みが鏡塚古墳

4世紀前半に築かれた積石塚古墳であり、猫塚と同じ双方中円墳という特異な形状をしている珍しい古墳である。

42・鏡塚古墳測量図
鏡塚古墳測量図(高松市文化財課)

その規模は全長約70m、高さ約3.6mと大規模な猫塚と比較すると一回り小さくはあるが、猫塚より全容が見えやすいので迫力はこちらの方があると感じた。手前の石ころの集積している辺りが双方中円墳の片方の方墳である。その向こうに大きく盛り上がった大きな積石の塚、中円墳が見える。

43・手前(南)の方墳から中央の円墳を見上げる
南の方墳から中円墳を見る

われわれは南側の石船積石塚からのアプローチであったため、ほぼ南北の方向に配置された双方中円墳の南方墳を最初に目にし、その先に大きな中円墳を見る恰好となった。

44・手前(南)から中央円墳を見る
方墳の端から高さ3・6mの中円墳を見る

方墳は50、60cm大の石ころが集積しわずかな盛り上がりを見せているが、その形状が四角形であると認識することはいまや難しい状態となっている。

45・中円墳側から見た南側方墳
中円墳から南側方墳を見る

そして、いよいよ、双方中円墳の中核をなす中円墳に登ってみた。

頭頂部一面には30cm台から60cm台の大きな石ころが乱雑に放置されているといった印象である。

46・真ん中の円墳頭頂部の積石
中円部の頂上

修復された野田院古墳のような整然と組み合わされた石組みを脳裡に描くのははなはだ難しい。

47・円墳上部
野田院古墳の円墳頂上(二段構成)

しかし、この鏡塚古墳は摺鉢谷をとりかこむ東側の尾根筋の最も高いところにあり、野田院古墳同様にその頭頂部からの景色はまことに壮大である。

48・頂上からの壮大な景色
頭頂部からの景観

人影を認めることもない静かな尾根のうえ、その頂に築かれた古墳の上には真っ青な秋空が広がっている。その静寂のなかに時折、聴こえてくる鳥の啼き声の他には谷越に聞こえてくる峰山公園で遊ぶ子供たちの歓声のみである。


1700年まえにこの峰越しに声を掛け合っていた人たちがいたのだと確信した瞬間であった。


それから目を右側へ転じると北側に小さな方墳が見える。

49・鏡塚古墳・中円墳から奥(北)の方墳を
南の方墳の対称線上に北側の方墳が見える

やはり3・6mの中円墳の上から見下ろすと方墳の高さはかなり低くそして一辺の長さも短い。


逆に南側を向くと、北の方墳の対称線上に南方墳が見える。

50・中円墳から南方墳を見る
頭を巡らし反対側を向くと、南側の方墳下見える

これが全国でも珍しい双方中円墳の全貌である。

円墳を下りて、その裾を廻る遊歩道を北大塚古墳へと向かってゆくのだが、真下から見る円墳はなかなかの質量感である。

51・盛り上る中円墳
中円墳の脇から見上げると結構な迫力

これもかつては野田院古墳のような二段構成であったというから、下の写真を目に浮かべながら脇を通り抜けて行った。

52・二段の積石塚古墳
野田院古墳の横から後円墳を見上げる(後円墳高さ2m)

北側の方墳をやり過ごして振り返ると、尾根の一段高い個所に中円墳を築いていることがよくわかる。

53・奥(北)の方墳から中央円墳を見上げる
北の方墳から中円墳を見る

一説によると鏡塚古墳には6基の石室があったと伝えられるが、これだけの規模である、やはり首長の家族などきわめて近しい人々を埋葬したものであろう。


ただ、両側に方墳を従える特異な形状の意味合いは謎めいていてはっきりしないままである。方墳が祭祀、拝礼の場所というのであれば、なぜ二か所必要なのか、それも対称線上にする意味とは何であろうか。草生した積石塚の頂きに佇み想像をめぐらしてみても解答は見つからぬままであった。


そして、いよいよ石清尾山古墳群の最後の古墳、北大塚古墳へと向かった。