2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)


当ブログ、最近の記事は食う、喰う、食べるばかり、ここで少し伝統文化の話題でも。

2014年に初めて祇園祭を宵々山から堪能したことは2014年7月のブログに記載した。

その時、その年から半世紀ぶりに復活した後祭のためお目当ての山鉾巡行が従来の33基から前祭としての23基のみの見物となり、残念であった旨を記した。

1・後祭の山鉾ミニチュア
京都駅に展示された後祭の山鉾ミニチュア

そこで、今年は7月24日の後祭の10基の山鉾巡行、しかも150年ぶりに復活した大船鉾を見ることを楽しみに京都へやってきた。

2・大船鉾ミニチュア
大船鉾のミニチュア

後祭の山鉾巡行コ−スは17日に行われた前祭とは逆に、烏丸御池を東に向かってスタートし四条烏丸までのコースとなる。われわれは河原町御池の交差点に陣取り、巡行の行列を見物した。

3・河原町御池交差点
河原町御池の交差点 もうすぐ山鉾がやって来る

9時半に烏丸御池を出立し、予定では10時ころから順次、山鉾がわれわれの目の前で辻回しをやりながら通過することになっていた。


10時きっかり、時間通りに後祭巡行のトップバッターである橋弁慶山がやってきた。

4・10時に舁山(かきやま)橋弁慶山が来た
舁山・橋弁慶山がくじ取らずのトップバッター

後祭には舁山(かきやま)が7基巡行するが、この橋弁慶山は“くじ取らず”といって、毎年行われる巡行順番のくじを引くことなく、常にこの順位で巡行することをゆるされている町である。

5・五條の大橋の弁慶・牛若丸 橋弁慶山
五條の橋の弁慶・牛若丸

その代表的なものが祇園祭(前祭)の象徴的な鉾で必ず先頭で巡行する長刀鉾である。

6・祇園祭の象徴でもある長刀鉾
祇園祭の象徴、長刀鉾(2014年前祭)

その“くじ取らず”の山鉾が、後祭においては一番・橋弁慶山、2番・北観音山、6番南観音山、10番大船鉾の四基となっている。


ここで祇園祭をより楽しむための豆知識をひとつ。


祇園祭には山鉾33基が巡行するが、その内訳は鉾が10基、山が23基となっている。

鉾と山の違いだが、鉾は原則、屋根に真木という長い鉾を立てており、その頂きの鉾頭が疫病神を吸い取ると古来、信じられてきたという。鉾は2階建てでお囃子衆がのるほどの大型のものである。


山は鉾のかわりに真松と呼ばれる松の木をいただく。三基の曳山を除いては大型のものはない。

山は曳山と舁山にわかれるが、曳山が字義どおりに人々が綱を引き曳行し、そのため大きな車輪を有す。

また舁山は昔は人々が担いでいたが、近年は小さな車輪をつけて押して巡行する。曳山は前祭の岩戸山、後祭の北観音山・南観音山の三基のみで、残りが舁山20基となっている。


橋弁慶山につづいて飾り屋根を付けた曳山の北観音山が河原町御池の交差点へ入ってきた。

7・真松を立てた北観音山(曳山)
曳山・北観音山

一見すると鉾に見えるが、江戸時代後期・天保四年に山に飾り屋根をつけたのだという。堂々とした山である。そして、ここでこの大きな北観音山の力技、辻回しがある。

8・割竹を敷き、水を撒き、辻回し
辻回しの為の割竹を敷く

道に割竹を敷き、水を撒く。この上に大きな車輪を乗り上げ、人力で引っ張り九〇度の方向転換をするのだ。

9・力が入る辻回し
音頭取りが一斉に掛け声

曳山の先頭にのる音頭取りが扇を振り、声を振り絞って、辻回しに気合を入れる。9トンもの曳山がゆっくりと方向を変える。三回で90度まわせば普通。二度で回せば山鉾に負担はかかるが素晴らしい。四回は何をやっているんだ ( `―´)ということだと、沿道の通の人が教えてくれた。


そして、3回で無事辻回しを終えた北観音山はゆっくりと河原町通りを南下していった。

10・北観音山・辻回しが終わり、川町通りへ
これから河原町通りを四条河原町へ向かう

次に登場したのはかわいらしい浄妙山である。

11・舁山・浄妙山
浄妙山がやって来た

宇治川橋の合戦で繰り広げられた筒井浄妙と一来法師の先陣争いを題材とした人形が山を飾る。一来法師が浄妙の頭上を跳びこす様子や橋の欄干に幾本も刺さる矢がリアルである。

12・筒井浄妙の頭上を跳ぶ一来法師
宙を跳ぶ一来法師 宇治川の先陣争い

4番目に入ってきたのは役行者山である。

13・舁山 役行者山
舁山の役行者山が来た

修験道の祖である役小角をモチーフであることから法螺を吹く山伏たちが先導役を務める、京のビル街の辻に法螺貝のぶぉ〜という音が響き渡る。

14・法螺貝を吹きながら山伏が先導する
山を先導する山伏たち

山には左から一言主神、役行者、葛城神と人形がならぶ。

15・左から一言主神、役行者、葛城神
左から一言主神、役行者(洞の中)、葛城神

山が軽いこともあるが、辻回しを3回か4回行なうと、観衆から歓声と大きな拍手が起こった。担ぎ手に若い人が多いと小さな山でも見せ場はある。

16・役行者山の辻回し
拍手喝さいだった役行者山の辻回し

次に登場したのが黒主山。

17・舁山・黒主山
黒主山

六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を愛でる姿が山に載っている。

18・桜を仰ぎ見る大伴黒主
大伴黒主が桜を仰ぎ見る

そして、回数が少なく単調で、期待外れであった辻回しを終えた黒主山が河原町通りに入っていった。

19・黒主山の辻回し
ちょっと期待外れな辻回し

六番目に進んできたのが、曳山の南観音山。

20・曳山・南観音山
迫力のある南観音山

この南観音山は“下り観音山”と呼ばれ、“上り観音山”の北観音山と対となる曳山である。曳山の象徴である飾り屋根を備えた山はいかにも威風堂々の登場であった。

21・かざり屋根を付けた曳山・南観音山
曳山はやはりイイ!!

前後祭に祇園祭が別れるまでは、南観音山が巡行の最後を飾っていた格の高い?曳山である。お囃子衆がコンチキチンを奏でながら、辻回しを終えて、南下していく。

22・お囃子衆が乗る曳山
多くのお囃子衆が載る南観音山

7番目は鈴鹿山。

23・鈴鹿山
どこか静々と鈴鹿山が登場

瀬織津姫命の伝説をモチーフとした山で山鉾のなかで唯一の美女像となっている。

24・ご神体・瀬織津姫
ちょっと鳥居が邪魔だが、瀬織津姫である

ご神体人形の瀬織津姫命が山に立っている。

25・南観音山の後を追う鈴鹿山
鈴鹿山も河原町通りへ

次に八幡山が交差点へ入ってきた。

26・八幡山が入ってくる
八幡山

この山は神社の祠そのものを山に置くという大変変わった山である。石清水八幡宮から三条町へ勧請され、町内に祭られている八幡さまを祇園祭の山鉾巡行の日に限り、この山に遷座しお祀りしている。

27・遷座した金色の八幡宮
金色の祠である

云ってみれば、神社そのものを巡行させていることになる。山に置かれた八幡様が鎮座する祠は金色に輝いている。



後祭の巡行もいよいよ終盤。巡行9番目の鯉山がやってきた。

28・鯉山が登場
後祭巡行も9番目の鯉山はやって来た

黄河の難所、龍門の急流を登りきった鯉は龍となるという中国の故事をモチーフとしている。

全長1・5mになる木彫りの鯉は名工左甚五郎の作と伝えられている。

29・左甚五郎作と伝わる木彫りの鯉
傳左甚五郎作の木彫りの鯉

鯉山が河原町通りをゆっくりと南下していく後姿を眺めていると、沿道の観客からひときわ高い歓声が沸いた。

30・河原町通りを下る鯉山
鯉山も南へ下っていく

いよいよ後祭の殿(しんがり)を務める大船鉾の登場である。

31・大船鉾がやってきた
どよめきとともに登場する大船鉾

船鉾はそもそも、前祭の船鉾が神功皇后の新羅征伐にむけ出陣するさまを描き、後祭の船鉾は新羅から凱旋してくる船を表しており、二つの船鉾で物語として完結する形となっているという。

32・四条河原町で辻回しをする前祭の船鉾
2014年の前祭・四条河原町での船鉾の辻回し

幕末の禁門の変で焼失した大船鉾が150年ぶりに復活し、前後の祭りで古来の形式に復した姿を見物するが今回の大きな目的の一つであった。



われわれは大船鉾が復活した2014年、前祭の巡行を見物した翌日、くぎを一切使わず木と縄だけで鉾を組み立てる“縄がらみ”という技法を大船鉾の保存会・四条町で見学していた。

33・2014年大船鉾の鉾建て
2014年の大船鉾の鉾建て 地元TV局も取材

その年は舳先を飾る龍頭は未だ完成を見ておらず、この2016年に初めて大船鉾の舳先に龍頭が飾られるという。それもまた、楽しみであった。

34・大船鉾の登場
いよいよ目の前に大船鉾が・・・

目の前に現れた大船鉾は堂々としてまさに凱旋船と呼ぶに値する豪華さであった。

35・威風堂々の大船鉾
ワクワクするほどの大船鉾の威容である

その舳先を大きな龍がまた、見事というしかない。

36・舳先に龍頭
今年初めて取り付けられた見事な龍頭

保存会ではこの大船鉾の復興は引き続き継続されるのだという。

37・素晴らしい龍頭
白木の龍頭

見ての通り、まだ白木の部分が多く、この先数百年にわたり維持保存していくには漆塗りが必要とのことで、募金活動等今後も完全復活に向けた努力がなされてゆくという。

38・河原町通りを下る大船鉾
2016年祇園祭の後祭、山鉾巡行の見納め
大船鉾が川町通りに下がってゆくと、沿道の観客の群れが大きく崩れたが、後祭はこの後に花傘巡行が続くことを遠来の観光客はあまりご存じない様だ。10分もしないうちにその花傘巡行がやってきたが、その模様は次稿に譲りたい。