彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

大滝

2011年蓼科の秋、本番=プール平・大滝

今年の残暑は厳しかった。

 

お彼岸の中日、お墓参りを午前中にすませ、爽やかな秋を探しに、一路、蓼科を目指した。三連休とお彼岸が重なり、車の出が思った以上に多い。中央高速も藤野インターまで20kmほど渋滞と、久しぶりのノロノロ運転。

 

でも、急ぐ旅でもなし、のんびりと安全運転。当日の天気は雲が多く、秋の陽射しの恵みはない。雨が降らないだけラッキーと思わなければいけない。

 

蓼科に着くと、そこは肌寒さを通り越して、寒ッ! 温度計を見れば、気温は14度。つい2、3日前の30度を超える真夏日にくたびれ果てた老体には殊のほか厳しい秋冷である。ストーブとホットカーペットを点け、何のことはない、暖をとる始末。

DSCF0021

 

明けて翌日の24日、打って変わって蓼科は絶好の行楽日和。外気温もわずかに肌寒いが程よい爽やかさ。家内にお握りを用意してもらい、娘と3人で近くの大滝にプチ・ハイキングへ出かけた。

 

大滝へゆくのは初めてで、家内の知人から気軽に行けるマイナス・イオン100%の絶好の癒しスポットだと紹介された。

 

プール平の蓼科温泉共同浴場から徒歩約10分という近さに、苔に覆われた原生林や美しい渓流と水量豊富な滝が残っていたとは、正直、ビックリした。


大滝から流れる水量豊富な滝の湯川
原生林
苔に覆われた原生林
水苔

大滝の滝つぼ脇に東屋風の休憩処があった。そこで、早速、お握りと卵焼きと当家ご贔屓の伊藤ハムのポールウインナーをパクパクした。

 


滝つぼに落ち込む瀑布の音がたった3人だけの渓谷に木霊する。
大きな音なのに、逆にこの原生林の静寂が際立つから不思議である。

蓼科大滝

心の奥に散り積もった都会の塵埃がいつしか頭上の爽やかな秋空に放散されてゆくのがわかった。

大滝頭上の秋空


そしていつしか心の中に「優しさ」という秋の“贈り物”がそっと置かれていることに気づいた・・・


天城山隧道越えで「河津七滝」をめぐる

 川端康成の「伊豆の踊子」で有名な「天城山隧道(ずいどう)」を抜けて、天城山麓を南に下ってゆく途中に、「河津七滝」はある。


湯ヶ島側入口・右側にこぎれいなトイレがある

天城山隧道の標記

明治34年貫通を記す石碑
 

 天城峠は、最近は「伊豆の踊子」よりも石川さゆりの絶唱「天城越え」の方で有名なのかも知れない。「走り水 迷い恋 風の群れ 天城隧道」、「あな〜たと〜越え〜たい アマギ〜越〜え♪」の「天城隧道」のなかはひんやりとして、いや2月の風が吹き抜けて寒かった。


車一台でギリギリの隧道内
 

 隧道の入口で車を止め記念写真を撮るカップルが二組いたが、森閑とした山中にその話し声も自然とひそやかになっていた。


下田側出口

「天城山隧道」の苔蒸した標記
 

明治37年完成(貫通34年)の天城隧道は石造隧道のなかで現存する最長のものだという。石造の隧道入口の苔蒸して読み取れぬ「天城隧道」の文字に、遠く過ぎ去った明治、大正そして、早や20数年前となった昭和の時代を想った。446mにおよぶ真っ暗な隧道の先の出口がほんのりと小さく明るく見えるのは、どんなに暗い世の中にも必ず明るい未来があることを教えてくれているようであった。


遠くに小さく出口の明るみが・・・
 

河津七滝は、「ななだる」と読むことを今回知った。滝を水が垂れることから垂水(たるみ)と呼んでいた古語に因むもので、なかなか趣がある。


かに滝
 

初景滝への途中で落ち椿を見下ろす

その「ななだる」は上流から「釜滝(かまだる)」・「えび滝(えびだる)」・「蛇滝(へびだる)」・「初景滝(しょけいだる)」・「かに滝(かにだる)」・「出合滝(であいだる)」・「大滝(おおだる)」の順にある。


初景滝

蛇滝

くねる蛇滝

出合滝

出合滝

大滝

30mの七滝最大の瀑布
 

足が不便なわたしは七滝のうち、最大の高さ(30m)を誇る「大滝」と「初景滝」に立ち寄ったが、健脚で好奇心あふれる家内は、上流の「釜滝」・「えび滝」をのぞく五滝を踏破?した。だから、写真の大半は家内撮影のものである。







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