天璋院篤姫のお墓参り、行ってきました!

(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

 

 いよいよ最終回を迎えるNHK大河ドラマ「篤姫」ですが、その天璋院のお墓参りに行ってきました。篤姫さまは上野の寛永寺に祀られています。

 

 毎年、9月から11月に掛けて行なわれている「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の催しのひとつに「寛永寺徳川歴代将軍霊廟と葵の間特別公開」というものがあります。それを新聞で知ったわたしは早速、往復葉書で応募、例年の10倍という7千数百通の応募のなかから約320名の見学予定者のひとりにめでたく当選したのです(正確には家内と合わせると2人)。

 

根本中堂

 

上野寛永寺 根本中堂

 

 

 

 

 

5代綱吉公勅額門

 

5代将軍綱吉公勅額門

 

 

 

 

当日は、徳川宗家菩提寺の霊廟ということで霊廟内と葵の間の写真撮影は禁止。はなはだ残念だが、もちろん納得。

 

篤姫さまのお墓は13代将軍家定公の向かって左横にあった。数段の石段を昇った高みに夫に劣らぬ堂々とした石造りの宝塔(お墓)が鎮座していた。なんだか宮崎あおいさんを思い出し、ウルウルしてきそうな、不思議な体験をしました・・・

天璋院篤姫宝塔

 

天璋院篤姫さまの宝塔で〜す!

 

クリックして拡大して見てくださいね

 

 

 

因みに7代将軍までは青銅造りの重厚なお墓だそうです。今回、参拝した5代将軍綱吉公の宝塔は重厚な青銅製でした。そして幕府の財政悪化から倹約を旨とする8代吉宗公から石造りの宝塔に変わったそうです。暴れん坊将軍もやるときゃ、やるんだ!!

 

さて目的の篤姫さまのお墓は女性らしく少し丸みを帯びているように見えた。宝塔を囲う石造りの柵の前方と後方には生前、篤姫さまの好物であった枇杷の木が一本ずつ植えられていた。そして宝塔の正面真中に四角い扉があり、その扉は開き、中に観音様が収められていたと言います。ドラマでもよく出てきた母君のお幸さまからいただいたあの観音様だったのでしょうか・・・。ドラマと現実が交錯した一瞬でした・・・。

 

そして家定公ら将軍の霊域は城壁のような石垣で守られていたのですが、幕末の騒擾(そうじょう)で将軍家の霊域が荒らされては困ると、勝海舟が造らせてものだそうです。北大路欣也さん?も、ドラマの中だけではなく本当に徳川宗家のことを按じていたのだなぁ、あの混乱の中で頑張ったのだなぁと、思ったものでした。

海舟の石垣

 

勝海舟が造らせた石垣

 

 

 

 

次に本堂裏手の書院内にある「葵の間」に坐らせていただき、寛永寺の歴史や慶喜公謹慎のご様子など、興味深い話を聞きました。幕末・維新が自分の掌に入ってきた瞬間でした。タイムトラベルって、本当にあるんだ・・・!!

寛永寺の葵の間はここ、台東区のHP文化ガイドブックをクリックしてください。写真があります。

「上野の山文化ゾーンフェスティバル」は毎年、開催されています。そして霊廟や葵の間の見学も毎年、行われています。詳しくは台東区のHPを見てください。「2009秋の特別公開の詳細は20098月下旬にお知らせする予定です」(文化振興課 TEL 03−5246−1153)と、ありました。あなたもタイムトラベル、ぜひ、チャレンジされてみたらいかがでしょう。

 

すてきな秋の一日でした・・・